卒業式を一週間後に控えた日。帰りの会。
校長と担任の寺尾は、6年3組の生徒たちに冷徹な言葉を突きつけた。
「いいか、卒業式は学校の公式行事だ。来賓客も大勢来る。当日、マスク着用の指示に従わない者は、体育館への入場を一切認めない。当然、壇上に上がることも、卒業証書を受け取ることもできない。……式に出たければ、大人しく学校の言うことを聞きなさい」
それは、生徒一人一人が六年間積み上げてきた証を人質に取った、卑怯な脅迫だった。
だが、生徒たちは反論しなかった。ただ静かに、校長の言葉を聞いていた。
♢
2021年3月。卒業式、当日。
会場の体育館は、椅子と椅子の間が不自然に空けられ、クラスメイトがポツポツと離れて座る寒々しい空間となっていた。保護者たちはマスクで一様に口元を隠し、まるで見えない看守に怯えるように、周りの目を気にして座っている。
式が始まり、校長が登壇した。
「私たちは、未曾有の国難に直面しました。しかし、君たちは忍耐を学び、ルールを守り、立派に困難を乗り越えた。明日から新たな一歩を踏み出しますが、本校の卒業生としての誇りを持って、頑張っていただきたい……」
その聞き飽きた文句が、二重のマスクとフェイスシールドに籠った不明瞭な声で響く。
いよいよ、卒業証書授与が始まった。
「卒業証書授与。6年3組、進藤龍二」
「はい!」
寺尾に名前を呼ばれ、進藤が壇上に登った。校長の目の前に立ち、証書を受け取るために一礼する、その直前。
進藤は迷いのない動きでマスクを外した。
露わになったのは、自分の足で立つことを決めた少年の、凛々しく逞しい素顔だった。そしてそのまま、むき出しの目で校長を真っ直ぐに見据えた。
「なっ……」
校長が絶句し、証書を差し出したまま固まった。会場に肺を押し潰すような空気が走る。
だが、進藤は動じない。彼は差し出されていた卒業証書を自らの意志で、力強く受け取った。
「6年間、……ありがとうございました!」
その声は何にも遮られることなく、真っ直ぐに体育館の隅々まで響き渡った。
それを合図に、3組の生徒全員が一斉にマスクを外した。
一人、また一人と名前を呼ばれるたびに彼らは素顔で壇上に上がり、堂々と証書を受け取っていく。
静まり返っていた体育館に異変が起きた。
保護者席から、ポツリ、ポツリと拍手が上がり始めたのだ。
今まで他人の目を気にして子供たちを縛り付けてきた親たちが、壇上で輝く我が子のあまりにもたくましい素顔を見て、心動かされたかのように。
3組の生徒たちの堂々とした、生命力に満ち溢れた笑顔には、真矢が教えた「孤立を恐れず、自分に誇りを持つ」という教えが刻まれていた。
拍手は次第に大きくなり、やがて体育館全体を包み込む大きなうねりとなった。
♢
式を終え、証書を手に校門を出ようとした生徒たちは足を止めた。
校門の外に、悪魔のような漆黒のスーツを纏った一人の女教師――阿久津真矢が立っていた。
生徒たちは真矢の正面まで駆け寄ると、彼女を囲うように一列になり、深く一礼した。
真矢は教え子たちの晴れやかな顔を一つ一つ見渡した。そして、定規で引いたような鋭さで右腕を突き出し、出入り口の門柱を指差した。
そこには、チョークで整然と、一分の乱れもない筆致でこう書き残されていた。
【卒業おめでとう。本当の戦いはこれからです】
真矢はそれ以上何も語らずに、馴れ合いを拒絶する冷酷な顔で翻り、桜が舞い散る雑踏の中へと消えていった。
生徒たちは皆、遠ざかる真矢の背中が消えるまで、黙って見つめ続けていた。
彼らは彼女を追いかけることも、声をかけることもしなかった。卒業の証を固く握りしめ、恩師の残した言葉を胸に、それぞれの道を歩き出した。
(悪魔の教室2020 完)