死滅回游 泳者 八百歳比名子   作:螺旋坊主

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 総合UA40000達成&総合pt1500達成感謝!
 勢いだけで突っ走ってきた本作ですが、ここまでくれば軌道に乗せられたと考えてもいいのでしょうか。

 中盤に差し掛かったとはいえ、まだまだ書きたいことが多い本作。もっともっと高評価を頂ければ作者の筆も乗ります。
 今後もこの作品が続く活力となりますので、ぜひとも作者を思う存分おだててください!


第21話 妖胎戴天

 

 

 

「――――」

 

 しなやかな体つき、艶めく長い黒髪。均整の取れた美貌にドス黒く刻まれる、罪人の入れ墨を思わせる不気味な邪紋。

 目の前に立っているだけなのに、世界そのものに異物をねじ込まれたような暴力的な存在感。

 11月の肌寒さを直に感じる広島のとあるビルの屋上、底知れぬ悪意を湛えた笑みに唇を歪ませるソレを前に、虎杖悠仁は背筋を凍らせていた。

 

 ――両面宿儺。

 

 呪術全盛平安の世において史上最強の名を(ほしいまま)にした、現代はおろか歴史上の全てを調べたとしても五条悟以外の誰も並びたてぬと断言できる怪物を超えた怪物。

 これまでは虎杖という千年に一度の強度を誇る器によってその行動を制限されていたが、彼とかつて結んだ縛り――「『契闊』と唱えたら体を1分明け渡す」という契約、そしてそれによる再受肉により、完全に自由の身となってしまった。

 宿儺がその1分間は誰も殺せず傷つけられないこと、約束後はこの縛りを忘れることを条件に盛り込んでいたことまで虎杖は思い出していたが――、

 

「…………近江??」

 

 眼前に曝されるあまりに衝撃的な、あまりに恐ろしい、そしてあまりに絶望的な光景に、虎杖の脳が理解を拒む。

 これは夢で、目が覚めると全て消えてなくなるんじゃないか、そう心のどこかで願っている気すらする。

 夢だったとしてもあまりに質の悪い悪夢だが、先程宿儺が引きちぎった指――虎杖の裡に巣食っていた宿儺の力の源を根こそぎ込めた小指。その残された部分の鋭い痛みが、現実から逃避することを執拗に拒絶する。

 

 ――両面宿儺が、人魚・近江汐莉へ受肉した。

 渋谷にて、圧倒的に圧倒的を上塗りしたかのごとき暴威を振るった悪魔。ソレがあろうことか、不死身の肉体を手にしてしまった。

 その事実は、虎杖にとっては到底受け入れがたい最悪の事態だ。

 

 額に脂汗をかき、震える脚でじりじりと後ずさる虎杖を、変わらぬ笑みで宿儺が見ている。

 きっとその微笑みだけ見れば誰もが見惚れる、潮騒すら息を潜めるような美観――しかし、その四つの目に満ちる常軌を逸した酷薄さが、全ての印象を粉微塵に砕いていた。

 

「   」

 

 ボン、という音がしたのは宿儺の踏み込みで爆砕したビルの鉄筋か。あるいは、虎杖の内臓だろうか。

 これまで檻として自分を封じ込め続けたお礼と言わんばかりに、大地そのものを蹴り殺して前進したと言わんばかりの暴虐的な加速を乗せて放たれる宿儺のボディーブロー。

 抗うことはおろか一切視認することもできずにその直撃を受けた虎杖は、内臓全てを吐瀉するように血反吐をぶちまけ吹き飛ばされる。

 宿儺が自らの体を勝手に使い、汐莉を空へ引き回したルートを逆戻りするかのように宙を舞う。何棟かのビルをぶち抜いてもその勢いは死なず、最終的に元居た病院の角に激突してようやく停止した。

 

「………………」

 

 砕けた屋上に五体を投げ出し、口から夥しい血を流し、虎杖は完全に意識を飛ばしている。

 宿儺が顕現してからここまで僅か数秒。一秒前の状況を理解する暇もなく次の出来事が無理矢理塗り潰してくるかのような無茶苦茶な状況推移に、一級術師や歴戦の妖怪すらも何が起こったのか知覚できない。そこにいるほぼすべての存在が、皆一様に口を半開きにした間抜け面を晒していた。

 

「……いつの時代も」

 

 思考が白く染まった面々。その止まった脳が再起動する暇を彼が待つことは無い。

 圧倒的な呪力を撒き散らし、必要もないのにわざわざ虎杖の顔面を踏み潰しながらその場へ舞い降りる宿儺。美しい姿から想像のつく声とはかけ離れた邪悪極まる男声が垂れ、張り付いた残酷な笑みは近江汐莉を知る者の描く輪郭から猛烈に乖離していた。

 トドメとばかりに叩き込まれる更なる情報に、居合わせた者が思わず後手を踏んでしまったことは誰も責められないだろう。

 

「どこからともなく、虫は湧く」

 

 ぴ、と立てられた指が振られる。

 宿儺の術式「御厨子」、その技の一つ「(カイ)」の発動の合図だ。

 生きとし生ける者の命脈を絶つ死神のごとく横薙ぎに振られた人差し指――その鋒が向くのは、津美記の首。

 皆が見守り、皆が祝福した姉弟の感動の再会。人形の首を捻る幼子のような雑さで、宿儺がそれを台無しにしようとし――、

 

「――『死累累湧軍』!!!」

 

 唯一、比名子だけが、その定められた結末に抗う。

 瞬きの間に腕から射出したウロコフネタマガイの式神。熱水に耐える鋼鉄の装甲が断末魔の悲鳴を上げ、幾層もの甲殻が切り裂かれ、引き裂かれ――津美記の首筋の間際まで迫ったところで、不可視の魔刃がようやく止まる。

 忌々しい小僧の体から漸く解き放たれた悦びから、今の斬撃にはかなり力が入っていた。詠唱が乗っていないとはいえ、止められるとは思っていなかった攻撃が止められたことに「おっ」と微かな感嘆を漏らす。

 

「あ、あぁぁぁぁぁーーーーー!!!」

 

 慣れない大声で無理矢理心を奮い立たせて召喚した無数のダツが、一瞬で宿儺の体を啄まんと襲い掛かる。

 長袖を引き裂き、晒された火傷痕。できれば人に見せたくない醜い傷跡だが、それゆえにそこから出てくる式神は軒並み強力だ。

 加えてダツは比名子が使用するメインウェポンたる式神であり、持ちうる才能の限界点まで到達した彼女が繰り出したこれらの突貫力は異次元の一言。

 それが群れを成して急襲してくるのだから、宿儺とてその場を離れ距離を取るほかない。

 

 ――――小僧の裡から見た印象通り、この女は強いな……伏黒恵の心を折る、などと考えている暇は無いか。

 

 迫りくるダツを避け、いなし、切り裂きながら高速で場を離れていく宿儺、追いすがる比名子。

 群れの合間にけしかけられたホオジロザメやバショウカジキの式神は「解」だけでは止まらず、変形させた人魚の爪で対処。極限まで研ぎ澄まされた己が術式ですら持て余す比名子の式神の強靭さに、呪いの王が高揚する。千年前の猛者たちを加味しても前例のない逸品の呪いの才に、両面宿儺の食指が遠慮なく動く。

 

「――『百斂』」

 

 不本意ながら病院と数百m以上も距離を取らされた以上、八百歳比名子もギアを大きく上げてくる。

 口から紡がれたその言葉と共に瞬く間に出現するは、数十の小さな水球。

 少し大きめのビー玉程度のサイズ、それがアステリズムのように比名子の周囲を浮遊する。

 

 一目見ただけで宿儺は理解する。現れた水の玉、その全てが渋谷で虎杖と戦った九相図(兄)・脹相の「赤血操術」、それと同様のものであることが。

 ――ただしその圧縮率は、脹相(あんな下奴)とは比較にならないほど規格外の代物であることが。

 

「『穿水(せんすい)』!!」

 

 比名子の持つ“海”の術式による呪いの水、それを用いた「穿血」の再現技に、比名子は暫定的に「穿水」と名付けた。

 単なる模擬とはいえ、その威力は桁外れも桁外れ。初速マッハ8.5――音如きでは追いすがることもままならぬ、ロケットスレッドにすら比肩する超々高速の水のレーザーは鉄筋コンクリートを豆腐のように穿ち、元から穴が開いていたかのように滑らかな貫通痕を残す。

 

 さらに恐るべきは、比名子はそのレーザーを放つ際手による指向性付与を行っていない。通常の「穿血」のように血の玉を手で押さえて指の先から放出するという過程を踏んでいないのだ。

 ――それはつまり、出現した数十の水球、それら全てから「穿水」が放たれることを意味していて。

 

「ハハッ! いいぞ!!」

 

 比名子と宿儺の距離4メートル弱を瞬きすら許さぬ超速で埋める「穿水」の群れ、その矛先に「解」の斬撃を合わせ、自分の体から逸らす。

 標的から外れた「穿水」はビル群にぶち当たり、強靭な鉄筋が抵抗することすら許されずに穴だらけにされ、1秒足らずで都市が蜂の巣にされていく。

 この世のものとは思えない、およそ単一の人間が出せていいものではないその威力を前にしてなお、宿儺は愉快そうに哄笑していた。

 

「ハァッ……ハッ……!!」

 

 自らの運命共同体たる汐莉の体を依り代に、突如出現した悪逆と暴虐の化身。もはや死そのものを撒き散らしていると言っても過言ではない災厄めいた斬撃の群れ、それらに懸命に抵抗しながら、起こった事象と現在起こっている事象を頭の片隅で整理していく。

 

(虎杖君……真希さんと冥冥さんが言ってた呪術高専の仲間。あの子がいた場所から「ケイカツ」? っていう言葉が聞こえて、その途端体に変な模様が出て、目が四つに増えた。受肉した……それともすでに受肉されていた?)

 

 後者だったとして、その場合虎杖と裡の存在は何かの“縛り”を結んでいたことになるのか。それで普段は肉体の主導権を譲る代わりに、条件を満たせば主導権がソレに移る。比名子の耳に響いた「ケイカツ」は縛りの内容に盛り込まれた主導権関連だった? しかしこれほど強大な存在がそんな回りくどい手法を取る必要があるのか……そこまで考え、比名子は自分の思考が明後日に逸れ始めていることを自省する。

 

 考えなくていい、考えても仕方のないことは考えない。結界に入って最初の2週間で冥冥に教わった呪術戦の鉄則だ。今分かっておくべきことは汐莉の体に恐ろしく強力な泳者が受肉しているということ、それのみ。

 で、あるなら。比名子がやるべきことは――、

 

「津美記さんの時と同じ。魂の境界に攻撃を打ち込んで、中の存在を汐莉さんから剥がす……!」

 

 あの泳者が汐莉の体を使用している以上、不死身の特性すらも獲得されていることは想像に難くない。

 だが、だとしても、奴の魂と汐莉の魂は別物だ。奥深くに沈んでこそいるが、彼女の魂は消えたり一つになってはいない。魂とはおそらくそういう特性なのだろう。

 故に、やることは変わらない。魂を観測し、その輪郭を狙って術式や打撃を打ち込み、奴と汐莉の肉体の同調を鈍らせ、最終的に分離する。

 

 やることは、変わらない。――ただ、その難易度が段違いに高すぎるだけで。

 

「――領域展開、『伏魔御厨子』」

 

 瞬間、宿儺の背後に現れる地獄の祭壇。骨、歯、呪い、人の嫌悪するものをかき集めて形成された禍々しい調理場。

 

 細い指を複雑に編み、呪術戦の極致を繰り出す宿儺。本来なら莫大な呪力消費を伴うはずの術を放っておきながら消耗した様子はなく、見るだけで背筋に冷たさが這い回る薄ら笑いは健在だ。

 領域展開。まるで単なる強攻撃を繰り出す程度の気軽さで顕現したその術は、しかし超広範囲に隙間なく斬撃を敷き詰める殺意に満ちた絶死の空間。

 

 領域に付与され、精度と威力を強化された「解」ならびに「(ハチ)」。それらが必中し続け、そこに存在するだけで肉も骨も絶え間なく切り刻まれるだけでも悪夢そのもの。

 それに加えて宿儺は結界を閉じずに生得領域を具現化し、()()()()()()()()()()という縛りによって必中効果範囲を半径200mにまで拡張する。

 

 結界による空間の分断を前提とする領域展開であえて結界を用いない――その発想は無かったと、呪いの王の頭の柔軟さに比名子は内心舌を巻いた。

 

彌虚葛籠(いやこつづら)

 

 宿儺の領域展開に対し、比名子が選んだのは「領域で対抗しない」という選択肢。死滅回游にて2週間を生き延びた比名子は、会敵した泳者が使用していた「彌虚葛籠」を一目見てラーニングしていた。

 領域の押し合いを選ばなかった理由は単純。元はと言えば一介の女子高生であった比名子は徒手空拳の心得など皆無であるため、もし領域勝負で負ければ全く打つ手がなくなってしまうからだ。

 

「だが、それは愚策だろう」

 

 興が削がれたとでも言うように、呆れた眼差しで比名子を見つめる宿儺。

 それも当然。彌虚葛籠は元来弱者が領域に対抗するために編み出した小技。宿儺自身も手抜かりなく習得しているからよく知っている――これを展開し続けるには、常に掌印を結び続ける必要があると。

 確かに、比名子は「死累累湧軍」や呪水によって腕を使わずとも敵に攻撃できる。だが「解」と「捌」の付与されたこの「伏魔御厨子」においては、そんなものを出したところで即座に膾や霧になるまで切り刻まれるのがオチだ。

 

 彼女が簡易領域によるその場しのぎを選んだ時点で、宿儺へ対抗する可能性を自ら捨てたも同然。

 あとは、彼女が領域から離脱するのを防ぎながら、その掌印をほどいてしまえばいい。

 腕を人魚のそれに変化させた宿儺が、付与された術式とは別に攻撃を仕掛けようと――、

 

 

「コガネ、ルール追加。死滅回游の結界内における領域の使用を禁止して」

 

「――ほう?」

 

 冷ややかな視線を向けていた宿儺を睨み返しながら冷静に紡がれた言葉、それが見事に宿儺の虚を突く。汐莉の美しい顔を醜悪に歪めていた酷薄な嘲笑が、感嘆の笑みに差し替わる。

 

[承認されました! <総則>12、死滅回游の結界内における領域の使用を禁止する]

 

 死滅回游における総則追加は回游の永続に著しく障る者でない限りは絶対に承認される。

 死滅回游の窓口、各泳者に憑いている式神コガネがコミカルな音声で宣言した瞬間、顕現していた骨と歯の厨房が音を立てて崩壊する。

 

「…………」

 

 280点もの高得点を獲得していた比名子。すでに1度ルールを追加していたとはいえ、所持点数にはまだ180点の余りがあった。

 高専の術師が考案した回遊の平定のために必要なルール、それを追加するためにとっておきたかった点数だが――汐莉が肉体を強奪される緊急事態を前に、そんなことを言ってはいられない。

 

 領域展開は呪術戦の極致。漏れなく強力だが、相応のリスクがある。

 莫大な呪力消費は言うまでもないが、この場にはたかが一度領域を展開した程度で消耗する術師はいない。

 比名子が狙っていたのは、もう一つの――、

 

「――術式の、焼き切れ」

 

 ――瞬間、比名子の頭上に巨大な水球が出現する。

 極限まで凝縮された「百斂」による水の玉とも異なる、家一軒程度の大きな水球。それが宿儺に向かって放物線を描くように投げ放たれ――爆発的に、膨大な量の水が解き放たれた。

 “水が出た”なんて生易しい表現では全く追いつかない、山肌を砕きながら落ちてくる瀑布そのものが唐突に出現したような圧量。視界を埋め尽くす水塊が重力に従って荒れ狂う。

 

 領域展開のリスク、その最大のものが一定時間の術式の焼き切れ。

 機械がオーバーヒートしたかのように、脳内の術式を司る器官が停止する。その摂理には、さしもの宿儺とて抗うことはままならない。

 

 領域展開により術式使用が困難となった宿儺に対し、依然術式を使用可能な比名子。

 狙い通り生み出すことのできた千載一遇の好機を過たず――避ける隙間も躱す間もない水という形をした災害を、未だ喜悦の笑みを浮かべる宿儺の体に直撃させた。

 

 

 




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