死滅回游 泳者 八百歳比名子   作:螺旋坊主

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 今回、わたたべ世界の妖怪の設定について、呪術の世界観と絡めてかなり独自に解釈を膨らませてます。


第22話 妖胎戴天 -弐-

 

 

 

 

 学校の屋上から水を一杯に詰められたゴミ袋を車の上に落とせば、その車は破損する。

 

 たかが水ごときで何を馬鹿な。そう思う方もいるかもしれないが、これは実際に起こり得る水による被害の事例だ。

 水、というより質量をもつものを何かに激突させる場合、その威力は速さと重さで決まる。ゴミ袋の容積を45Lとするならば、水を満杯にした場合その重さは45kg。それを学校の屋上……15~20mほどの高所から落とした場合、その最大速度は時速数十kmほどにもなる。

 

 そんなものが車の上部、すなわち車体でも特に薄い部分にぶつかれば、確実にそこは凹む。二次被害で窓ガラスが割れることもあるだろう。たかが水であろうと、ただ高いところから落とすだけで金属製の車を壊すほどの威力が出るのだ。

 

 ――もっとも、八百歳比名子の術が巻き起こしたのはそんな一例が可愛らしく思えてくるほどの破壊的事象なのだが。

 

「――――」

 

 コガネによるルール追加によって宿儺の領域を解体し、術式発動を困難にさせた上で逃げ場のないほど莫大な量の水を叩きつける。

 莫大な水を繰り出す、というのは比名子と同じ術式を持つ特級呪霊「陀艮」も使用した技だ。2週間前の渋谷での出来事だが、その際も駅内を水で埋め尽くし、交戦した禪院真希が「地下だったら詰んでた」と評するほどの圧倒的物量であった。

 

 今回の比名子の術も原理は同じだが、その量は両者を比較することすら烏滸がましい。陀艮の水量が前述程度のものであるなら、比名子のソレは大瀑布を丸ごと切り取ったが如き超級の天災。

 文字通り瞬きの間に宿儺の体を呑み込み包み込んだ呪いの水は、それだけに飽き足らず周囲の建造物すら爆砕。歴史と現在の調和した街並みがものの見事に更地になり、へし折れたマンションが波に乗って上空に打ち上がる冗談みたいな光景が広島の一角に展開される。

 

「あの人に……」

 

 確実に攻撃を当てるにはそれしかなかった。

 病院に避難していた人の中には「うちに帰りたい」と泣く子供もいた。死滅回游から初日に出られた人にも、結界内の家を心配する人がいるだろう。無闇矢鱈に建物を破壊するのは比名子とて気の進むことではない。

 

 だが、こうでもしないとあの化け物に技を当てられる気がしなかった。術式の使えない状況に陥らせてなお、生半可な攻撃では容易く避けられかねない絶望的な敏捷性(アジリティ)。空間そのものを埋め潰す規模感の水撃でなければ有効打にはなり得ない。

 

「でも、まだ……!」

 

 ここで終わりではない。都市を破砕する程度の威力をぶち込んだ程度では安心できない。これだけでは汐莉からアレを引き剥がすことはできない。

 もっと、もっと、攻撃の手を緩めるな。引き裂いた袖をさらにちぎり捨て、肩口までの火傷痕を露出。「死累累湧軍」を発動し、火傷痕から攻撃性の高い形をした式神を考えられるだけ出す、出す、出す。

 

 ダツにサメにウツボにカサゴ、比名子が知識として持っている危険な魚を出鱈目にけしかける。比名子の領域「大自在平線」にて真希と交戦した際とやったことは同じだが、黒閃を経て呪力の核心を掴んだ彼女の繰り出せる式神の量はその時とは比較にもならない。

 ともすれば先程の水災に比肩しかねない質量の式神の群れは、もはや数の暴力を極限まで煮詰めたような有様。それらが宿儺に一斉に襲い掛かり、激突し、突き刺さり、喰らいついた。一般的な術師なら何万回死んでもお釣りがくるほどの極限の暴威をぶつけた。

 

 はず、なのに。

 

「…………!?」

 

 水が消え去り、式神が消え去り、残ったのは視界を覆うほどの土煙のみ。

 濛々と立ち込める砂塵の向こう側から、平然とした様子で歩いてくる女の影。

 それを見て、確かに感じた手ごたえが霧散する。

 

 驚愕に目を見開く比名子――その先に、禍々しい殺気を放つ災いの権化が立っている。

 

「宝の持ち腐れだな。貴様も、この人魚も」

 

 近江汐莉の美貌とは全く似つかわしくない低く邪悪に満ちた声が、八百歳比名子の鼓膜を打った。

 ゴキゴキと首を鳴らし、邪魔な前髪を片手で撫でつけ、こちらを見下す様は平時と変わるものがない。

 

 効いてない、わけではない。今の宿儺は、目を覆いたくなるほど凄惨に損壊している。

 体のあちこちを食い破られ色々な部位の骨が露出し、内臓もまろび出ている。片目が潰れたのも含めて滂沱と血を流している上、左腕も欠損している。

 勿論宿儺ならばこれだけ肉体を破壊されても死から程遠いし、今は不死の人魚の体を得ているのだからなおさらだ。

 

 比名子を真に唖然とさせたのは、そんな程度のことではなく――、

 

「全然、剥がれてない……!?」

 

 寄生した側の宿儺の魂、寄生された側の汐莉の魂。受肉という現象によって生じる魂の癒着が、比名子がありったけの攻撃をぶつける前と全く変化していない。

 汐莉の血を得、術師として成長することによって可能となった魂の輪郭の視認、そしてそれを目がけた攻撃。宿儺の命を砕くには足りずとも、宿儺の魂を引き剥がすには足りていた。少なくとも、比名子はそう目算していた。

 

 それが一切剥がれてない、裂けてない。――意味が、

 

「分からないか? 俺の魂がこの人魚から離れていないことが」

 

 内心を読んだかのように、宿儺が比名子を嘲笑う。

 反転術式で傷を治すことすらせず、滝のように流れ出続ける血や内臓もそのままに――彼は一言、その言葉を紡ぐ。

 

『動くな』

 

 ――その直後。

 

 比名子の体が不自然なほど急停止する。

 

「……!?」

 

 身じろぎしようとした手足が固定される。

 言葉の意味が分からずひそめようとした眉すら縫い留められる。

 見えない巨大な手に握られたように、全身が命令に服従している感覚。

 

 比名子を抑え続けるには足りず、ほどなく呪縛はほどけたけれど――、

 

「知っているか? 妖怪が普遍的に有する技能」

 

 比名子へ向けた嗤い顔は依然変えず、彼はまるで講義を行う教諭のように無事な左腕を開いて語る。

 一見隙しかないように見える穴だらけの姿――だが今行ってきた攻撃が不気味すぎて、比名子の体は別の意味でその場から動けないでいる。

 

「――呪いを込めた文字をしたため、呪いを乗せた言葉を使い、人間の五感や記憶を操作する。妖怪(やつら)が人間の世に蔓延るための常套手段だが――文字はともかく()()の方は、使い方を変えれば『呪言』のような使用法もできるわけだ」

 

 宿儺は肩を竦め、餓鬼を揶揄う大人を百万倍は歪めた声音で比名子の神経を逆撫でする。

 彼が今説明したその前半は、汐莉からかつて聞いた言葉そのままだ。術式によらぬ、妖怪ならば皆使用できる(まじな)いの類。

 

 例えば手で物を掴む、足を動かして走る、人間はそういった基本的身体性能を有している。妖怪はこのような機能と同列の存在として、当たり前のように呪いを込めた文字や言葉を操れる。それらは術式によるものではなく、妖怪という種族そのものが有する“性質”に他ならない。

 

 単なる性質。それ故、その(まじな)いは限界を超えない。妖怪の使う文字も言葉も、人間の五感や記憶を操作する以上のことは普通はできないはずである。

 今宿儺が言ってのけたことは、それこそ腕をばたつかせて空を飛ぶみたいな、物事の道理を無視した絵空事と同じであるわけで。

 

(でも、問題はそこじゃない)

 

 これまでの戦闘で宿儺がそういった()()()()()()()をやってのける、人知を超えた呪いを操る超越者であることは重々承知である。なんなら今の比名子も最早アッチ側の存在と言っていいだろう。

 問題はなぜ――なぜ宿儺は、今のタイミングで(まじな)いによる「呪言」の話をしだしたのか。

 

 自身の異次元なまでの呪いの技術を比名子にひけらかしたかった? いや違う。比名子の持つ呪術の才覚が両面宿儺と同類のものであることは彼も理解しているはずだ。

 このタイミングで話した以上、間違いなく、宿儺は「呪言」を比名子の魂剥がしの攻撃への対策として用いている。

 

 呪言は言葉を対象の人物に聞かせることで初めて作用する。すでにそれを使用したというのなら、いったい誰に?

 比名子が呪言の存在を知ったのは先程の宿儺のご丁寧な説明の時だ。もし比名子がそれ以前に呪言による影響を受けていたなら、それを察知できなかったはずがない。――呪言の対象は比名子ではない。

 

 呪言の矛先を、向けられていたのは――、

 

「――汐莉さんの魂!!」

 

 正答に行きつき、弾かれたように声を上げる比名子。

 怒りに満ち、鋭く睨みつける彼女の瞳に宿儺の顔が愉悦に歪む。

 

「貴様が魂に直接響かせる攻撃を使えることは、あの馬鹿みたいな量の呪水を受けた時に分かっていたさ。……俺を元々宿していたあの小僧も似たようなことが出来たのを思い出してな。そのお陰というのは業腹だが、貴様の攻撃への対処法はすぐに思いついた」

 

 肩を回して体をほぐしながら、余裕綽々といった態度で話を続ける宿儺。

 その体のいたるところに空いた穴が、欠損が、まるでテレビの逆再生でも見ているかのように平常へと巻き戻っていく。

 

「貴様が俺に水を叩きつけ、式神を叩きつける度に、俺は裡の人魚に向け『沈め』と命令した。妖怪の言葉は術式によるものではないから、領域展開後にも使用可能な優れものだな」

 

 言い終わる前に宿儺の肉体は完全に復元し、傷一つ残っていない。

 

 それは奴が極限まで磨き上げている反転術式によるもの――――ではない。

 

「先程俺は宝の持ち腐れと言ったな。貴様にも、この人魚にも。別にそれは「呪言」の使い方を知らないからというわけではない。――ただ、貴様らが自らの身体特性を活用しようとしないことが癪に触ってな」

 

 言って、宿儺は再生した右手、その人差し指を立てる。見せびらかされるように振られるその指の先には、あえて残していたのだろうか、紙でぴっと切ったかのような小さな傷がついていた。

 

「鈍い刃の斧で切られた傷も、貴様はすぐに塞がったろう? その血を与えたこの人魚は尚更だ。爪を剥がし、眼窩に異物をねじ込んでも容易く傷が癒える。それらは反転術式ではない、単に肉体に備わった強力な再生能力――当然、呪力で強化できる」

 

 立てた指の切り傷、そこに呪力が集約し――傷は、きれいさっぱり無くなっていた。

 

「肌感としては呪霊が呪力で肉体を再生させるのに近いな。呪力消費も再生速度も反転術式を上回っている」

 

 眼前で生じた出来事に、比名子は愕然と目を見開く。事ここに至りて、自らの置かれた状況の危うさを完全に理解する。

 魂を引き剥がして汐莉を救出しようとしても、宿儺の言葉によって即座に沈められる。反転術式による呪力の消耗を狙ったとしても、奴はそれ以上の効率で傷を癒す術をも持ち合わせている。

 

 つまり。

 

 ――打つ手が、ない?

 

「――隙を見せたな?」

 

 対処のしようがない最悪の事態に直面した比名子、その脳内に訪れる致命的なまでの思考の空白。

 それを、呪いの王が(あやま)つはずがなく。

 

「ぁ」

 

 動作の予兆すら感じさせぬ滑らかな呪力の流れと共に、瞬きの間に距離を詰めて拳を一閃――その神速の打撃は空間を歪ませ、黒き稲妻として爆ぜる。

 揺り戻った術式により拳に纏わせていた斬撃は比名子の体を切り刻む。

 

 打撃と斬撃を織り混ぜた絶技、それをまともに喰らった比名子は苦鳴の一つも上げられず。

 天地を一瞬で見失い、四肢と首が衝撃でちぎれ飛んだような感覚を味わいながら、比名子の体は遠くのマンションに突っ込んだ。

 

「その身に秘めた呪いの才能。自らの死を願い続ける()()()の貴様は、その才を十全に振るえる精神性をも有している。呪術師として申し分なしと太鼓判を押してやりたいところだが……その精神性ゆえ、貴様には明確な弱点がある」

 

 マンションの家財や壁面が崩れた瓦礫に突っ込んで動けない比名子、それを見下ろす黒髪の女の影。

 宿儺は、数百m先まで吹き飛んだ比名子の場所まで、ものの数秒で追いついていた。

 

「為す術も、打つ手も無い。その程度の状況に陥っただけで、思考を停止し諦める。死を望む貴様には、死から逃れようと生き足掻くための(かつ)えがないのだ。――まあ、千年前戦った者どもの中でも、貴様は上澄みだったがな」

 

 だが、それもここまでだ。そう言って、宿儺は右手をかざす。

 ほどなく生じる、呪力の“起こり”。術式発動直前に宿儺から呪力が漲り、比名子の首へ向けて「解」の斬撃が放たれる。

 

「――――」

 

 比名子は、恐怖していた。

 

 黒閃と斬撃を喰らい、動かない体。隙を晒す彼女に迫る、致命の刃に。

 

 自分という存在の終わりに。異様なほど鮮明に映る「自分が死ぬ」という現実に。

 

 汐莉を助けることもできず、得体の知れない怪物に乗っ取らせたまま、この命を散らす惨めな終焉に。

 

 

 

 ――――――――では、なく。

 

 

 

『負けちゃう?』

 

 迫る死の刃。霞む視界。切り取られたかのように停滞した体感時間の中、しかしその目の前にはっきりと像を結ぶ、幼い少女の姿。

 無邪気な笑顔。麦わら帽子。花柄の衣服。

 

 ――そこに見えている少女の姿は、かつての自分そのものだ。

 

『この攻撃が当たったら、きっと首が飛んじゃうね』

 

 眼前の幼き比名子が話す、幼き頃の比名子ならば到底口にしなかったであろう残酷な言葉。

 ソレが幻想であることは分かっている。昔の自分ならば、今まさに死のうとしている人間を前にして笑っていられたはずがない。

 

『負けるの、こわい?』

 

 黒閃のダメージが今もなお響き続け、弛緩したままの体。

 そんな無様を晒す比名子にゆっくりと歩み寄る、昔の自分の在り方とは致命的にズレた雰囲気を纏うソレ。

 

 ――来ないで。

 

 声を出すことすらままならず、わずかに動く口で懇願する。

 こっちへ来ないで。手を伸ばさないで。触れないで。

 

 脳裏に蘇る、万との一戦。黒閃を繰り出し――繰り出してしまい、呪いの極致に一息で到達してしまったあの時。

 強大な力を持った敵を、さらに圧倒的な力で一捻りにしてしまう、あの快楽。

 

 ――あの時の比名子は、比名子じゃなかった。

 

『負けちゃうのが、こわいなら――』

 

 比名子は確信する。ソレを受け入れたら、もう戻れなくなってしまう。

 来るな。来るな。来るな。動けない比名子が視線と口の動きだけで表現する全霊の拒絶。

 

 それを受け、幼き比名子のようなナニカは――太陽のように弾ける笑顔を浮かべて。

 

 

 言った。

 

 

『――ヒナが、力をかしてあげる!』

 

 

 

 




 次回、『ヒナとあそぼ』

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