高評価とコメントをくれるとアクションシーンが盛られるよ。
――――例えば、重病から快復した子供の頭を、泣いて喜ぶ家族の目の前で喰い千切った。
――――例えば、結納の最中の夫婦を両親達の前で丸呑みにした。
――――例えば、幼子を独り残し、その親兄弟を八つ裂きにした。
はじめは生きるために喰べていた。
けれどいつの間にか、逃げ惑う姿が滑稽で、泣き叫ぶ形相が愉快で、愚かで脆弱で楽しくて楽しくて、楽しいから人を喰い続けて。
――かつての社美胡は、鬼畜そのものだった。
とある坊主の手によって縛られ、戒められ、人と縁を結んだ果てにその頃のことを悔やんで悔やんで悔やんで悔やんで悔やんだとしても、過去は消えない。
――けれど、ああ、けれど。
『私の知ってる美胡ちゃんは、友達想いで、色んな人に優しくて。人の頼みは断れなくて、周りの人を照らしてくれる太陽みたいで――そんな美胡ちゃんをずっと見てきたんだもん』
『――美胡ちゃんは、大切な私の友達だよ』
昔の所業を知っても、その頃から変わった今の自分を尊んでくれる比名子が、大好きで。
優しく頬をくるまれるような、心がふわりと温かくなるような、あの笑顔が大好きで。
だから。
「美胡ちゃん、大丈夫?」
――その時と同じ笑顔が血飛沫に塗れていることが、あの女に受けた傷よりも万倍辛い。
「ごめんね、ちょっとだけ待ってて」
暖かい光が美胡を包み込む。
禪院真希に全身を切り刻まれ、血を流していた美胡の傷を癒す、呪いの裏返し。
美胡は今、比名子の反転術式によって傷を治されていた。
「――良かった。呪霊と違って、妖怪はちゃんと癒せるみたい」
すでに重症、放っておけば致命となっていたであろう傷がみるみるうちに回復していき、比名子はほっと一息。
けれど彼女の様子と、自身の体が癒えていくのに反比例して、美胡の心はぐずぐずに腐れていく。
「これ、反転術式っていうんだって。呪いと呪いを乗算して正の力を生み出す技術で……」
「知ってる」
「……で、でもね、他人を治すことができる人は滅多にいないらしいの」
「それも知ってる」
「………………」
なんとか空気を良くしようとする比名子の言葉に生返事を返す美胡。
さっきから空回りし続け、比名子は言葉に窮してしまう。
しかし、いくら気持ちが落ちていようと、治癒の手を止めれば美胡の命が零れ落ちる。
治癒の手は止めない。傷を探し、見つけては手をかざして少しずつ癒していく。
――傷を探している間、うつむいた美胡の顔を、比名子は見ることができなかった。
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「――あたしは、さ。土地神として、比名子が生まれる前から比名子のことを知ってる。大地と由利と睦月に大切にされてたことも、比名子がそれ以上に皆を大切にしてたことも」
比名子が傷を治し終わり、重苦しい沈黙が空間を支配する。
その沈鬱な数十秒間を経て、美胡はようやく重い口を開く。
「……皆が事故に遭って、それが反転して……今までずうっと、生きたくない、死にたいって思ってたのも、あたしは見てきた」
――火にかけた鍋の蓋から中が少しずつ噴き零れるように、美胡は気持ちが口から溢れていく。
「それでもあたしは……比名子が死んじゃったら、寂しいよ。ずっと忘れられないくらい、寂しいよ」
美胡の言葉が、痛い。
少し前に、似たようなことを言ってくれたことがある。その時の美胡は優しさと、一抹の寂しさが混じった笑顔をしていた。
それと同じ言葉が、泣きそうになりながら縋るように話されるだけで、湧き上がる気持ちの色が全く違うものになる。
――例えるなら、家族が死んだあの日の夢を見た時にいつも感じる気持ち。そこから怖い気持ちを抜いたような、辛さや悲しさや苦しさ。
そこに親友をこんなにも苦しめてしまったという罪悪感が加わり、比名子の心は際限なく落ち窪んでいく。
「――あたしたちが死滅回游に……この結界に入るのに、2週間もタイムラグがあった理由。わかる?」
変わらず沈んだ声のまま質問を投げかけられる。
確かに、行先として真っ先に疑うべきはこの結界だろう。疑問には思っていたけれど、それに対する回答は比名子は持ち合わせていない。
何と言うべきかわからず、迷子になった幼子のように目を泳がせて首を振る。
「半魚人が、ごねてたんだ。比名子が自ら死地に赴くなんてありえない、って」
ぐらりと、世界が揺れた感覚がした。
半魚人――近江汐莉。
妖怪を引き寄せる体質の比名子を守るもう一人の妖怪。
不老不死の人魚たる彼女は、その在り方ゆえ畏れられ、崇められ――どんな人間にも、心の内側に招き入れられたことがなかった。
そんな汐莉を唯一、内側に入れてくれた比名子を、比名子だけを、何よりも――この世界の如何なる事象よりも大切にしている。
――そして、自らの死を望む比名子のために、いずれ比名子を喰べる契約を交わしてしまう――近江汐莉はそんな妖怪だ。
――比名子が行方をくらませた時。美胡が死滅回游の結界に行った可能性を口にしたとき、汐莉は言った。
『ありえません』
『私は言いました。比名子に、君だけだと。大切だと。寂しい、怖い、失いたくない、ずっと笑っていてほしい……比名子は、ちゃんと伝わった、と言ってくれた』
『それなのに、私以外の死に場所に、簡単に飛び込むはずがない。……あの言葉が、嘘であったはずが、ない』
――その言葉があまりにも切実で、痛切で……それこそ、否定した途端に死んでしまうと錯覚するほどで。
だから美胡は、回游に入れなかったのだ。
「ねえ、比名子。比名子が生きたくないのは、あたしはよく分かってるけどさ……」
「――その言葉だけは、嘘にしちゃ、だめだよ……」
――ああ、まただ。また比名子は、汐莉のことを傷つけた。
「いけないことだと分かってる」と言いながら、死にたい死にたいと垂れていたこと。
その罪深さと同じ――否、きっと今回はもっと酷い。
縋るもの、拠り所、渡り鳥の止まり木……汐莉にとって、それが無くては死んでしまうほどの重い言葉を、比名子は否定してしまったのだから。
「ご、ごめ……ご、っ……」
謝罪を口にしようにも、口がからからになって言葉が出てこなくて。
海に長く沈められたように視界がぶれて、意識が遠のいていき、
――――背後から突き刺さるごく微細な殺気に、途切れかけた意識が覚醒する。
「――――っ!?」
弾かれたように後ろを向き、左手で美胡を庇う。
比名子の突然の反応に、美胡が目を白黒させて――、
「――気づきやがったか」
底冷えするような声とともに現れるは、呪いの刀を担ぐ美女。
――禪院真希。
殺意の衣を身に纏う火の傷の鬼人が、罪悪の念に浸る比名子を戦場へと引きずり戻した。
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――ここまで近寄られるまで気付かなかった。
広島結界に侵入し、100点を狙う泳者または自らの血に寄せられる呪霊および妖怪、という名の降りかかる火の粉を払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払って払う間に比名子の戦闘経験値は着実に蓄積され、同時に危機感知能力も練磨されている。
その比名子がこの段階まで全く気づけないほどの隠密。
呪力からの完全な脱却と、それによる圧倒的な肉体性能。
美胡を庇いながら彼女とことを構えるには、彼女の体質は厄介過ぎる。
汐莉達への罪悪感は未だ消えない。が、今それに浸っていては自分も美胡も命がない。
真希が様子見をしているのを確認し、ちゃんと言葉を口に出せるように、深く深く深呼吸をする。
「――さっきはごめんなさい」
「……は?」
「美胡ちゃんを傷つけられて、頭に血が昇ってました。――話し合い、できませんか。私は、この死滅回游の平定を望んでいます」
「――――」
さっき、真希とは碌な話もなく戦闘に入ってしまった。故に彼女がどういう立場の術師なのか分からない。
もしも真希が自分と同じく、死滅回游を終わらせるために動いているのならば――交渉の余地が、ごくわずかにでも、あるかもしれない。
急変した比名子の態度に怪訝な顔をしつつ――しかし警戒は全く緩めてくれないまま、真希は冷静に受け応える。
「傷つけられて頭に血が昇って、ね……オマエら、随分仲が良さそうだな?」
「……友達ですから」
――言った途端、真希の瞳に宿る剣呑さが色濃くなる。自分達の立場が悪くなる気配に、ジリジリと身を灼かれる。
「ああそうかよ。じゃあオマエ、ソイツの点に端数が4点もあるの知ってるか?」
「え……」
思わず間の抜けた声を出し、急いでコガネに点数を確認させる。
出てきた情報は「社美胡 所持得点44点」の文字。確かに端数が4点――非術師を4人殺さないと、この点数にはならない。
……彼女はこれを見て美胡を襲ったのだろうか。確認の意味を込めて美胡の方を見ると、彼女はゆるゆると首を振る。
「……点の譲渡のルールが追加されたから、人を殺せない泳者に1点あげたんだよ。その子は、ほかの泳者に殺されちゃったけど……」
「ふざけんな」
美胡に被せるように罵声を浴びせる真希。
彼女は苛立った様子を隠すそぶりもなく、ガリガリと頭を掻きながら「チッ」と舌打ちをする。
「飼いならされてもいねぇ呪霊や妖怪が人間に施しを与えるわけがねぇだろ。もう少しまともな噓つけよ、ケダモノみてぇな姿が正体なら知能もケダモノってか?」
苛立ちのまま美胡を罵倒する真希。どこか納得している様子だけれど、それでも傷ついた様子の美胡。
二人の間に、決して乗り越えられない断絶があるのを感じる。
――2週間ほど結界の中で暮らした感じ、術師にとっては「妖怪≒呪霊」の認識はポピュラーであるらしい。
結界の中にいる間、比名子は呪霊というものを知った。あれらは例外なく残虐で狡猾な存在だ。
美胡や汐莉のような良い妖怪は奴等とは違う、比名子はよく理解している。だが、術師の認識と比名子の認識にズレがあると頭では認識していても、それがどれほど大きいものか、それを認識しきれていなかった。
禪院真希は、最初から交渉のテーブルに着く気がなかった。
ほんの少しの間も美胡から意識を離してくれないほど、術師にとって美胡とは、妖怪とは危険な存在なのだ。
そして、比名子が美胡を友達だと言った瞬間、元々極細だった真希の信用を得られる可能性も完全に途絶えてしまった。
――元々無いも同然だった和解に対する期待、それが急速に冷え込んでいく。
「誰の思惑も介入しない自らの意思で結界に入らなきゃ、回游には参加できない。ソイツは自分で判断して人を殺したんだよ」
「……それなら、美胡ちゃんが回游に入ってから私に飼いならされたんだったら矛盾しないんじゃないですか?」
「術師が呪霊を飼いならす条件は、基本的にひたすらしつけることだ。そこに主従関係はあっても、友情関係は芽生えない。八百歳、オマエの言葉は私にとって「呪霊と仲良くしてる
冷徹な態度を崩さず、警戒は少しも欠かさず、真希はあくまで術師の認識に則って会話を進める。
「妖怪≒呪霊」の公式──それを突き崩すだけの証拠は、今の比名子には提示することができない。
「――――――――そうですか」
ひどく冷たい声が、自分の喉から出る。
もういい。もうわかった。比名子と真希の間には交渉の余地がない。
――たとえ、真希の意思が比名子の目的に一致するものだとしても。
人の心はわからない。勝手にあれこれ想像して、誤解を生むかもしれない。
誤解を解いてちゃんと理解するなら、何度だって言葉にしなきゃいけない。――この死滅回游という地獄に、そんな余裕は存在しない。
もし、比名子が言葉選びを間違たことだけが原因で決裂したのなら、比名子は無理矢理にでも戦いを避けたかもしれない。
でもそうじゃない。真希の中では美胡を殺すことは交渉前から確定していた。そして、美胡が殺すべき悪敵であるという誤解を解く時間もない。
――もう、やるしかないのだ。
「貴女がどうあっても美胡ちゃんに手をかけようとするなら――どんな理由があっても、私は貴女を許さない」
「そうか。――じゃあ、いい加減続きを始めるか」
真希が刀を担ぎなおし、こちらに向かって歩を進める。
それに合わせ、比名子も真希へ向かっていく。
「比名っ――」
「すこしだけ待っててね、美胡ちゃん――すぐ終わらせるから」
駆け寄ろうとする美胡を止め、比名子はさらに歩を進める。
真希との距離が残り三歩、二歩……そして、互いが目の前に立つ。
「――――――――っ!!」
一瞬。
担いだ刀を全力で振り下ろし、比名子の肩口から両断しようとする。
呪いから解き放たれた鋼の肉体から繰り出される神速の剣術――それよりも速く発動した「死累累湧軍」の式神により、刀は真正面から防がれる。
ウロコフネタマガイ。
熱水鉱床に住まう鉄の鱗を持った巻貝の式神。呪力により強化された装甲は、フィジカルギフテッドの一撃すらも通さない。
刀と式神の激突。それによる一瞬の膠着。その間隙を縫い、比名子は掌印を結ぶ。
――中指と薬指を組み、それ以外の指の腹を合わせる。
それは
顕現するは、海を司る呪霊をもってしても比較にならない殺意に満ちた致命の空間――、
――領域に取り込まれた者が、転送されるは
呪いに愛されしものの心を映した悪夢の空間で、再び戦いが始まった。