死滅回游 泳者 八百歳比名子   作:螺旋坊主

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第33話 絶体絶命

 

 

 

「この日傘、お気に入りだったのだけど」

 

 ――虚式「茈」の取りこぼしを真正面から受け止め、ものの見事に布部分が破壊されたあざみの日傘。それを見下ろしながら、あざみが文句ありげにぼやく。

 ボロクズと化したその部分を手で払うも、辛うじて残っていた骨組みが手に引っ掛かりぽきりと折れる。それにあざみが尚の事嫌そうな顔を浮かべながら、傍で観戦していた羂索に残骸を投げ渡した。

 

「持ってて」

 

「えー……」

 

 ゴミを持たされていかにも不満げな表情の羂索を後目に、あざみは首を左に少し傾け、五条をじろりと睨め付ける。

 自らに宿るとてつもなく強大な術式、それを不完全とはいえ破られた後であっても、五条悟への敵意は微塵も揺らがない。

 術師としての基礎スペックに関しては絶望的に劣っていることは彼女も分かっているであろうに、それでもなおそうしていられるのは、彼女のその身体特性が何よりの要因だろう。

 

 不死身――存在したその瞬間から不老不死が確約されている人魚の肉を食すことで授かることのできるそれが、単純明快で何より理不尽なものであることは言うまでもない。

 そもそも戦闘とは、相手を傷つけ、それによって弱らせる。その積み重ねによって相手を打ち負かすことであり、それは相手を殺せば死ぬというごく当たり前の前提の上に成立する。しかし、もし相手が死なないのなら、どれほど傷つけようと弱るという事象自体が発生せず、当然相手を敗北させることなどできはしない。不死者が相手では戦いの常識がいちいち通用しない。

 

 それが術式による特殊効果などではなく、肉体に備わった機能であるということも厄介だ。

 千年前に呪いの王として君臨した両面宿儺は、腕を二対備えた異形であったということは呪術界では知られた事実だ。腕の本数が多いこともまた尋常と異なる肉体的な性質と言えるものだが、だからと言って彼が四本腕のうち一対に呪力を流せなかったという記録はない。それが人体そのものに備わっているならば、呪力強化は可能と考えるべきだろう。

 あざみとて、高専入学直後の1年坊主程度とはいえ、呪力は持っている。で、あるなら、勿論その「不死身」という特性も強化することが出来るはずだ。おそらくは肉体が呪力で構成される呪霊のように、どれだけ傷つけられようと呪力を用いて復帰できるのだろう。

 

 ――――面倒だ……!!

 

 導き出した結論に、五条は内心の煩わしさを思いっきり顔に出す。

 “詠唱”込みで全力全開の120%ではなかったとはいえ、それでも五条悟が有する最強の大技だ。もし通常通り「茈」が直撃していたなら、あざみはおろか後ろの羂索も巻き込み、世界を引き裂く暴威の爪痕がこの廃墟の町に刻み込まれただろう。それを安物――かどうかは知らないが、日傘の被害だけで留められたのだ。

 術式順転「蒼」と術式反転「赫」の衝突という()()の時間を要する分、発動には多少の時間がかかる。それでも「茈」を叩き込んだとしても、極限まで減衰された分ではまともなダメージは見込めない。不死身のこともあり、千日手という言葉が五条の脳内をちらつき始める。

 

 ――相手の術式が煙たい時は領域を展開するのが定石、というのは五条悟も知っている。

 どんな術式も領域によって中和してしまえば意味を為さず、「無下限呪術」のような絶対防御の術式であろうとそれをすり抜け必ず中るからだ。

 

 しかし、互いの術式を合わせ、その時に得た感覚。

 

 百戦錬磨の経験と、己が有する「六眼」の性能の両方が警鐘を鳴らしている。領域を展開するのは、この場においては取り返しのつかない何かへ手を伸ばす行為である。そんな確信にも似た悪寒が、背骨を這い上がっている。

 

 何故なら――、

 

「――見つけた」

 

 不意に、静かな声がその場にいる全員の鼓膜を打った。

 冷たく静謐で、けれど不思議と耳に残る少女の声――それが響いたのは、通常では到底声など届くはずのない遠くから。

 

 全員が空を見上げる。

 天空を引き裂くように割れている雲の隙間、そこから覗く青空の只中から、一人の少女がゆっくりと降りてくる。

 

 あんな高所から声が届いたのは、何らかの術式効果だろうか――そんな思考すら瑣末なものに思えるほど、ふわりふわりと舞い降りる少女の姿は幻想的で、美しくて。

 ――そして、それ以上に圧倒的で。

 

「――――」

 

 少女は二人の中間へ着地すると、ぱたぱたと服の裾を払う。

 そして、あざみを見る。その瞳には煮えたぎる憎悪だとか、激情だとか、そういうのは見受けられない。

 ただただ、深海のごとく深い怒りに満ち満ちている。

 

「数日ぶりですね、あざみさん」

 

 ――八百歳比名子。

 

 細い体の内側に果ての見えぬ無窮の力を閉じ込めた威圧感を携えながら、妖怪に慈しまれ、そして呪いに愛されし存在が朽ちた町に降り立った。

 

 

--------

 

 

「……そう。貴女まで来たの」

 

 口に手を当て、上品に微笑むあざみ。

 先ほどまで不愉快、不機嫌の極みのような顔をしていたくせに、比名子が来た途端その黒い感情がぱっと消え去った。

 不機嫌の元凶である五条がその場から消えていない以上、おそらくは取り繕っているのだろう。しかし、そうは見えないほどに早い変わり身だった。

 あざみが比名子に対しどういう感情を持っていて、どうして苛立ちを悟られたくないか、それは知りようもないけれど。

 

「天使さんが獄門疆の封印を解いた途端、太平洋の真ん中から信じられないほど強大な存在が飛び上がるのを感じたんです。虎杖君と伏黒君が、それが五条先生だって言って。なので急いで私が迎えに行って――そしたら、貴女のことも見つけた」

 

 依然あざみへの怒りと敵意は緩めぬまま、比名子がここへ飛んできたこと、その動機を語る。

 それはあざみに向けられたものであり、五条に向けられた言葉でもある。自分があざみの敵であること、そして五条の味方であることを端的に示すために。

 

 虎杖、伏黒。その珍しい苗字が二つ並ぶ時点で、五条は自分の教え子である虎杖悠仁、伏黒恵に思い至る。

 その口ぶりから、五条について話ができるほど悠仁と恵は彼女に近しいことがわかる。最低限、彼女が悠仁達と手を組んでいることは理解できた。

 

「そう。それで? 五条悟を追って、たまたま私を見つけた……それにしては、私に何か言いたそうな顔だけど」

 

 思わずぞっとしてしまいそうなほど美しい毒花めいた微笑みは、年恰好からうかがえる程度の年齢を重ねた程度では到底醸せない厚みがある。

 まさしく悠久の時を生に縛り付けられた邪悪なる怪物(あざみ)の一挙手一投足が比名子の精神を炙り、激情を掻き立てる。冷えた表情の裏で、ぎりりと握りしめた拳から血が流れるのを、五条もあざみも見逃さなかった。

 

「なんで、美胡ちゃんにあんなことをしたんですか」

 

「ん? 美胡ちゃん?」

 

「……貴女が呪いをかけた狐の妖怪です」

 

 半分すっとぼけたように首を傾げるあざみ。

 生まれついてから何百年を経ておきながら彼女の言葉は軽さしか感じなかったが、それでも目の前の少女を揺さぶるには効果的であるらしい。

 

「汐莉さんの………………肉を、食べさせるのは、()()も、複雑だった、けど。それでも、最終的には食べることで一致して。だから、まずはとにかく命が助かったことを喜ぼうと思って。それが、その直後に、あんな、あんなっ……」

 

 握りしめていないもう片方の手であざみを指さし、苦しげに糾弾する比名子。

 五条の「六眼」は、この少女からもあざみと似た気配を読み取っている。すなわち、彼女もまた人魚の一部を摂取した人間であるという事を。

 人魚の肉など、基本碌なものではない。おそらくはそれで苦労してきたであろう比名子が、親友に肉を食わせるという決断をするのはそれ相応の葛藤があったのだろうが――、

 

「………………ヒナ?」

 

 辛さをありありと滲ませながら発する言葉。その中に混ざった違和感を、あざみは逃さず指摘する。

 ヒナとは、話の流れから察するに少女の一人称だ。しかし、さっき彼女は自分のことを“私”と呼称していたはず。拭いきれぬ違和感に五条が内心で首を傾げ――比名子ははっとしたように、手で口を塞いだ。

 

「比名子ちゃん、もしかして、広島結界の()()がまだ尾を引いているの?」

 

「………っ」

 

 あざみは思い当たった節は、どうやら比名子の図星を突いたらしい。手で隠した口の裏で苦々しげに歯ぎしりする音が届く。

 あざみの言っている意味が五条にはわからなかったが、その一言に感情をかき乱された比名子が、それを誤魔化すように勢いよく腕を振るった。

 

「美胡ちゃんをもとに戻してください」

 

「あら、嫌よ。かわいい姪の頼みでも」

 

 先程まで冷えていた怒りに熱がともり、自身の要求を強く言い放つ比名子。しかしあざみには暖簾に腕押しでしかなく、その回答はにべもない。

 

「まあ、あんなことをするのは流石の私も気が咎めたけれど。――でも、ねぇ? あの狐、昔は人をいたぶって喰っていたそうじゃない」

 

 羂索から聞いたの、と言ってあざみがちらりと羂索を見た。

 羂索からは露骨に嫌そうな表情と、こっちを巻き込まないでくれる? という厭悪が返ってくる。

 

「だから別にいいじゃない。呪いをかけられたって当然でしょう?」

 

「そんなの、内心そう思うだけで留めてください。あの子が丸くなった今、実際に手を出す資格があるのは美胡ちゃんの被害者だけです」

 

 あざみのふざけた主張に、馬鹿正直に真正面から比名子は主張を叩き返す。

 

「貴女のくだらない考えのせいで、ヒナの……私の友達が、必要のない苦しみに遭っているんです。今すぐ、呪いを解いてください」

 

「あら、またヒナって言ったわね。見た感じ、怒るとあの時みたいに戻っちゃうのかしら?」

 

「うるさいです……!」

 

 怒りを募らせる比名子を、際限なく揶揄うあざみ。この場でどちらが精神的に優位かは、火を見るよりも明らかだ。

 このまま放っておいて、本格的に比名子の心にブレを生じさせるのは不味い。五条は先程から巡らせていた思考に終止符を打つ。

 

「さて、君。悠仁と恵を知ってるみたいだけど、とりあえずコッチ側って考えていいんだよね?」

 

 比名子とあざみの不毛な言い争いに強引に割り込み、無理矢理打ち切る。

 そして半ば確信していたことだが、五条は改めて比名子が味方であることを確認する質問を投げる。

 

「……あ、はい。この度呪術高専京都校に転入することになりました、八百歳比名子です」

 

「京都校……君の教師役、歌姫やお爺ちゃんに務まるかな」

 

 ぺこりと律儀に頭を下げる比名子。その言葉に、五条は微妙に不安げにする。

 五条の先輩教師である庵歌姫や、学長である楽巌寺嘉伸の教師適正を信じていないわけではない。ただ、「六眼」が伝えてきた比名子のあまりの才能に、彼らが対応できるのかが気にかかるだけで。

 

「ま、それは今はいいとして。比名子はアイツの術式に関して、何かわかることある?」

 

「……ごめんなさい。一度数十分ほど戦ったんですが、概念が絡むこと以外はまるっきり……」

 

 申し訳なさそうに俯く比名子。この反応は、おおむね納得できる。

「六眼」をもってしても、長時間戦闘を繰り広げた比名子でも、あざみの術式は得体が知れない。故に、弱点がわからない。

 

「でも、無敵の能力じゃない。何故なら」

 

「大火力なら貫通できる」

 

「よろしい」

 

 簡潔な五条の質問に、簡潔に要点を返す比名子。戦場での会話としてはおおむね理想的なそれに、五条はにやりと笑った。

 

 ――弱点は分からないが、対処法は共有できている。

 やることは単純で、この上なく大雑把。

 

 それは、

 

「私と五条先生で」

 

「今ここで囲んで潰す!!」

 

 言い切った瞬間、莫大な呪力が二人から噴き上がる。

 空が震え、大地が唸り――五条悟の「無下限呪術」、八百歳比名子の「海」、二つの怪物が同時にあざみに牙を剝いた。

 

「……絶体絶命じゃないか」

 

 羂索の額を、数分ぶりに冷や汗が伝う。

 五条悟だけでも最悪なのに、そこへ同格の化け物が追加されたのだ。全くもって冗談ではない。

 

 ――対して、あざみはなぜか笑っていた。

 史上最強格の術師を二人も前にして、くつくつと、心底楽しそうに。

 

「やっぱり、最近の私は運が悪いわね」

 

 ――空間が歪む。

 海のように、あるいは夢のように。世界そのものが、曖昧に溶け始める。

 

 羂索によって目覚めさせられたあざみの生得術式、「茫洋」。

 

 今、顕現したソレは、かつて比名子が相対した時と同格の規模、同格の深度。

 それを見た五条達は同時に身構える。

 

 ――しかし、あざみは戦う構えを取らなかった。

 代わりに――、

 

「えっ、ちょっ」

 

「逃げさせてもらうわ」

 

 羂索の襟首をつかみ、「茫洋」の波の裏に隠れたあざみは嗤う。

 その笑顔の輪郭だけを残して、世界が溶け、境界が沈み――、

 

「――待てゴラァ!!!」

 

「『(わだつみ)!!」

 

 顕現した概念に、無限の極致と常外の物量が衝突し。

 

 ――世界法則の軋む轟音を合図に、幾百年も生に縋る亡者と今を生きる怪物との追跡劇(チェイス)が始まった。

 

 

 

 




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