死滅回游 泳者 八百歳比名子   作:螺旋坊主

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 大変お待たせいたしました。49話です。
 今回の話かなり難産で、一度読み返した時にあまりにも解釈違いだったので急遽書き直していました。
 本当に申し訳ありません。

 幕間 vs五条悟、この話にて終了です。


第49話 “魔”に近づく

 

 

 

「『(かり)(ばらい)』っ!!」

 

 午後0時。人外魔境・渋谷にて、齢16の少女――八百歳比名子の、年恰好に似つかわしくない無邪気な声音が響く。

 澄み切った青空に高らかにこだまするのは彼女の所有する“海”の術式、それによって生成された水の刃。

 

 元は御三家・加茂家が相伝「赤血操術」の技であり、赤血操術師である加茂憲紀と脹相から教えられたものを比名子が再現したものだ。

 基本は血液を手裏剣や刃のようにして相手に投げつけ、対象の肉体を切り裂くこの技。しかし比名子が放つとそのサイズは手裏剣どころではなく、ビルを丸ごと輪切りにするほどの大きさにまで巨大化する。

 

 直径数十メートルほどにまで拡大した水の刃は桁外れの回転速度を伴って目の前の敵――五条悟に向かって放られる。

 肉体はおろか鉄筋すらも易々と切断せしめる異次元の威力とはいえ、それでも単純な物理攻撃。「無下限呪術」を生得する五条悟には届くはずもなく。

 

「…………っとぉ!?」

 

 万象等しく切り刻む透明な水の円盤が五条の首を落とさんと飛来し、しかし彼の体表を覆う“無限”の絶対不可侵がその結末を拒絶する。

 

「苅祓」は五条の首筋に届く直前において静止している。それにより、刃の異常な形状――幾重にも折れ曲がり、絡み合い、その隙間から肉をこそげるような細い刃が伸びる、まさしく命を刈り取る形と言って過言でない凶悪な姿を衆目に晒す。

 間近に迫った「苅祓」を見た五条は思わず目を見開く。そこにはその恐ろしく殺意に満ちた形状に対する単純な驚愕が含まれ――そしてもう一つ、

 

「あれだけ技を出しておいて、“無限”を突破できないことを忘れたのか? 何でまた単純な物理攻撃を……」

 

「『(きょく)(ちょう)新星(しんせい)』!!』

 

 瞬間、五条の周囲に莫大な水量を圧縮し形成された水の玉が散開する。

「苅祓」を破壊しようと術を練っていた五条は、一斉に周りを囲んだビー玉サイズの死の炸裂に反応し切れず――圧縮されていた莫大な体積、その解放による巨大なエネルギーの発散を一身に受けた。

 

 誇張なく、鉄とコンクリートの街を粉微塵に破壊する爆発、それが十数個。周りの摩天楼を見下ろせる高さにいながら真下の地面にクレーターを作れる威力、それらが全て五条悟の肉体に叩き込まれる。

 だが、

 

「――あぁ、ったく音がうるせぇなぁ」

 

 土煙と水煙が混ざり濛々と立ち込め、視界が最悪に遮られた空間から、日常会話と同じトーンでぼやきながら五条が姿を現す。

 度重なる必殺の絶技を喰らいながら、服も肉体も全く損壊していない。戦闘開始時と同じ、無傷のままだ。

 

 自分の力が全く通じない、手ごたえもない。呪術師として生誕して以来、初めて味わう感触に、比名子は――、

 

「あはははは! すごいすごい! ほんとに全然あたんないや、面白ーい!」

 

「…………んん??」

 

 ぱちぱちぱちと、胸の前で掌を打ち鳴らす比名子。

 殺意と暴力で命を奪おうとしておきながらその態度、普通なら挑発としか見て取れない――が、今の彼女にはそのような嘲弄の感情が見えない。

 五条の目には、彼女がただただ自分の知らぬ概念に触れ、屈託もなく無邪気に喜んでいるように見える。

 

「『赫』のダメージから復帰して、ハイになってんのかと思ったけど……」

 

 どうやらそうではないらしい。五条はかつて禪院甚爾の「天逆鉾」に喉を貫かれ、体中を切り裂かれて瀕死に追い込まれたことを思い出す。

 

 死に際、反転術式のコツとともに掴んだ呪力の核心。呪いの神髄に達した五条は、お喋りが止まらないハイテンションになったかと思えばぼんやりと世界を眺めてみたり、身も蓋もないが情緒不安定な状態だった。

 目の前の比名子もあの時の五条と似たような雰囲気を感じるが……それでもハイになった五条は、禪院甚爾の戦闘スタイルを冷静に分析して知識の穴を突く程度には冷静な思考が出来ていた。

 

 だが今の比名子はそんな様子もない。例を挙げるならば、新しく買ってもらった玩具を何も考えす振り回して遊ぶ子供のような――、

 

「――『(せい)(ばく)』っ!」

 

 ――油断なく構える五条の体を意思持つ瀑布が絡めとり、邪気なき破壊に満ちた大はしゃぎが再開した。

 

 

--------

 

 

「……なんか比名子ちゃん、変になってない?」

 

 互いの領域が解け、五条の「赫」に吹き飛ばされて重傷を負っていた比名子。そこから復帰した彼女の様子がどうもおかしく、自らに宿る力を嵐のように振り回す姿に、かわいいたぬき、もとい椿は首を傾げる。

 

「だよなぁ。五条さんの“無限”が物理的アプローチじゃ対処できねぇことぐらい、八百歳並みに頭の回る奴が分からないわけがねぇ」

 

「それに今の比名子、なんだか子供みたいです。周りにあるもの全部が初めてではしゃぎ回ってるって感じで、ウチの弟がちっちゃかった時に似てるかも」

 

「どちらかと言えば、自分より大きな存在に思いきり甘えているようにも見えるぞ。アイツ、上に兄がいたのか?」

 

「いたよ、睦月っていうお兄ちゃんが。……事故で亡くなっちゃったけど」

 

 続けて秤、三輪、脹相の言葉が続く。“無限”による絶対不可侵が文字通り絶対的な不可侵であることを知っている三人の話し声は通常と同じトーンであり、話の流れは明後日の方向にズレていっている。

 最後に発言した美胡も五条の無敵性を理解してはいる。が、今大暴れをしている比名子を眺めていると、別な意味で冷や汗をかいてしまう。

 

 他にも同様に変な汗を流していたり、眉をひそめたり、口に手を当てて考え込んでいたり、椿のように奇行を訝しむのとは違う反応をした者がこの場に数人。

 彼らはいずれも、11月13日に死滅回游の広島結界に集結していた者達で――、

 

「――比名子は、たまに精神がガキに戻っちまう時がある」

 

 そう言って手を挙げたのは、全身を火傷痕に覆われた鬼人・禪院真希。彼女もまた、あの時広島結界にいた人間だ。

 回遊に参加していなかった者や他の結界にいた者は真希の言っている意味が分からず、そのうちの一人である家入硝子はその言葉を聞き返す。

 

「ガキに戻る?」

 

「美胡から聞いた話なんだがな。元々比名子は悠仁みたいな根明だったのが、事故でねじ曲がったらしい」

 

 10年前、自分以外の家族が海の藻屑となった悲惨な交通事故。今の物静かで落ち着いた性格は時の流れによって形成されたものではなく、その事故で一気に再構築されたものだ。

 それほどの経験があったのだから、かつての明るく快活な比名子は永久に失われた――と、真希は勝手に思い込んでいたのだが。

 

「2回、まるで精神が幼少に逆戻りしたみたいに振舞うことがあった」

 

 1度目は比名子が黒閃を初めて打った時。2度目は汐莉を乗っ取った宿儺と比名子が激突し、強烈な攻撃で意識を失いかけた時。

 どちらも広島の街への被害をいとわない超大規模な技を繰り出しており、2度目に至っては実際に街の大部分を更地にしてしまっている。

 

 普段は戦いへの愉悦など露も感じさせぬ、沈着冷静でロジカルな戦術を好む比名子。周囲の人間や建造物への配慮も最低限は行うなどといったそのスタイルは、おそらく彼女の今の人となりが影響しているのだと思うが――その2回に関しては、まるで()()()()()()がごとく野放図に力を振り回していた。

 

「……里香ちゃんと似たようなものかな。里香ちゃん、呪霊に転じる前は僕の妹と仲良くしてたんだけど、転じた後はものすごく攻撃的になっちゃって」

 

 それが理由で自分は家族の元から離れることとなった。その場にいる大部分が承知していることを、乙骨は改めて話す。

 

 実際、術師が呪霊に転じた場合、生前よりも攻撃性が増すことは呪術界ではよく知られている話だ。

 祈本里香然り、禪院直哉も……奴は生きていた頃から精神が呪霊以下だったので例外だが、とにかく呪霊になる前には存在していた理性のブレーキが完全に壊れ、通常発生した呪霊とほぼ変わらない振る舞いをするようになってしまう。

 

 理由は単純、呪霊は呪力から生まれるから。呪力とは人間の負の感情の源泉――人間が呪霊になるとは、何かしら抱えた邪念が極限まで増幅されることと同じなのだ。

 

「宿儺と戦った時の八百歳先輩は黒閃を喰らって死にかけてた……何かしら負の感情がブーストされるってシチュエーションならモロだな」

 

「けれど、一度目の万と交戦した時は当てはまらない。あの時は死に瀕していない、ただ黒閃を打っただけでああなったからね」

 

 虎杖が納得しかけた推論を、比名子の二度の変質をその目にした冥冥が否定する。

 美胡としては、どちらかと言えば彼女の言葉に賛成だ。10年もの間比名子を見てきたから断言できることだが、そもそも比名子にはブーストされるような邪念がない。

 

 まあ、家族のいない自分と幸せそうな周りとのギャップに対するフラストレーションは、間違いなく積もり積もった負の感情だが。

 だとしても、比名子の心根は善性だ。裡に溜まったストレスが自害の道筋を歩ませたとしても、それが加害の方向へ発露することなどあり得ない。

 

 それよりも、美胡としては――、

 

「――黒閃を出した時のこと、比名子は“魔”に近づいたって言ってた」

 

 呪いの神髄に触れる。それにより肉体に流れる汐莉の血の性質がねじ曲がり、寿命が極端に伸びた。比名子はそれを“魔”に近づいたと呼称していた。

 正直、その意味はあまり理解できていない。だが呪いに満ちたこの世界において、“魔”という言葉は不吉な意味合いしか感じない。

 

 それに、今発現している比名子の人格と、10年前の生きる喜びに満ちた比名子。この二つのイメージが乖離しすぎている。

 あの頃の比名子が今と同等の呪いの力を持っていたとして、それを破壊の力として振るうなどあり得るはずもない。

 

 ただ、“魔”に近づくという現象と、様子のおかしい比名子。この二つを繋ぎ合わせるのは起こったタイミング以外にない。

 それでも美胡がこの二つに因果関係を求めるのは、きっと汐莉と同じように――、

 

「――――何だと?」

 

 ――瞬間、心胆を凍らせるほど底冷えするような声が部屋の空気を震わせる。

 

 その声に、部屋の視線が一斉にその者がいる方向、すなわち来栖華のいる席へと向けられる。

 

「天使……?」

 

 来栖もまたその声――自身の身に宿す平安時代の術師・天使の声に驚愕の色を浮かべている。

 来栖の頬に発現した不気味な口、その言葉に宿る強烈な嫌悪と厭悪。

 

 戒律とそこから来る憎悪、それを言葉の刃に変え、自身にとって最大の失言を犯した狐の妖怪に容赦なく突き立て――、

 

 

「――社美胡。君は今、八百歳比名子が“魔”に近づいたと言ったのか?」

 

 

--------

 

 

 渋谷の一角から、摩天楼の街並みはすでに失われていた。

 度重なる瀑布、津波、大渦、そして無限の収束と発散に呑まれ、あれほど重厚かつ強大だったビルの群れは粉々に粉砕され、もはや建物という名称を付けることすら憚られるほどに踏み躙られていた。

 

 全長数十メートルはあろうかという水の刃、その輪郭を高速で回転させて万物を切り裂く「水刃(すいじん)」。

「百斂」以上に水を圧縮し、“アイスⅦ”と呼ばれる超高圧下にのみ現れる氷を生成し撃ち出す「蒼星磊(そうせいせき)」。

 

 どれも比名子が赤血操術師から訊き、独自に編み出した技。

 “無限”に守られる五条には届かないにもかかわらず、「見て見て、すごいでしょ」と言わんばかりに次々と放たれる規格外の大技達。

 

 何度「蒼」を纏った拳で殴りつけても、「赫」をぶつけても、比名子はそれをやめようとしない。

 反転術式で体を癒していても、ダメージは絶対に肉体に蓄積しているはず。それでも比名子はやめようとしない。まるで、親に延々と構ってもらいたがる幼子のようだ。

 

 おそらく術式の“順転”に連なる技はすべて見せたであろう比名子。ならばと今度は、突き出した両の掌の中に“反転”の力を籠め始める。

 

「“慈愛” “赤熱” “破壊の礫”」

 

 詠唱と共にその力を肥大させていく、術式反転「旱」。

 顕現する太陽の如き光と灼熱は、砕け散ったビルの残骸をなおも溶かし、かつて建物であった痕跡すらも世界から焼失させようと欲す。

 

「――――」

 

 対する五条は右足を半歩下げ、突き出した右手の中指を親指の腹で押さえつける、言わば()()()()に近い構えを取る。

 それは、五条悟の「無下限呪術」究極の秘奥、虚式「茈」の構え。仮想の質量の射出台として用いられる中指の先には、世の理すら狂わせる尋常ならざる呪力が収束していた。

 

 詠唱込み、120%の威力の「旱」。それに対して詠唱も何もない、ただ指向性を付与しただけの「茈」。

 それでもどちらの方が火力が上か、この場の二人ともよく理解している。

 

「……君、全然怖がんないね」

 

「ン?」

 

 その、より火力が高い方の術を放とうとしている五条は、先程から全く変わらない比名子の態度を怪訝に思っていた。

 

 だってそうだろう。自分の攻撃は全く通用しないのに、五条の攻撃だけは自分にダメージを残し続ける。

 その上おそらく比名子が持つ最大威力の技、それを軽く凌ぐ呪力を見せつけられてしまえば、普通は心が折れて泣き出してもおかしくない。

 

 事実、五条と敵対した者はほとんど全てがそうなっていた。

 でも、比名子はそうならない。

 

「――ヒナね」

 

「茈」を繰り出そうとしていた五条に向かい、これまでにない優しい声音で比名子が語る。

 呪力の高まりと大気中の水分への干渉により軋り始めた空気、それが奏でる不協和音に呑まれそうなほどに小さな声――それでも、不思議と彼女の声は五条の耳朶を打った。

 

「一人で遊ぶのも大好きだけど、皆で遊ぶのもとっても好き」

 

「おじさんは、ヒナと遊んでても傷つかない」

 

「――だからね。おじさんのこと――」

 

 

 

「――『邪去侮の梯子』」

 

 

 

 ――比名子がその言葉を言い切る直前、飛来した天使が自らの術式を叩きつける。

 

 空に穿たれる巨大な光の柱、呪いを滅却する「邪去侮の梯子」、厭悪に満ちた神聖なる輝きが、“魔”に堕ちた比名子の魂を灼く。

 

「~~~~~~~~~っ!!」

 

 魔に連なる者ならば両面宿儺すらも消し去る破滅の白光は、呑み込まれた比名子に苦鳴を上げさせることすら許さない。

 表層に現れた邪悪も、無邪気な暴力性も、全てが煌めきの中に包まれ――やがて、糸が切れたかのように比名子が倒れ伏す。

 

 それと同時に天使が術を解き、「邪去侮の梯子」が消え去るのを確認した五条は……中指に収束した呪力をほどき、手を下ろした。

 

「……今のは、比名子を止めてくれたの? それとも……殺そうとしたのか?」

 

 横槍という形で戦闘を強制終了させられた五条、その顔には、乱入してきた天使および来栖に対して説明を求める色――およびわずかな警戒の色が宿っている。

 

「前者だよ。社美胡から事情を聞き、事態を収めるには私の術式が効果的だと判断した。が……こうして覿面に効いているのを見ると、やはり疑惑は確定らしい。宿儺(だてん)にはほど遠いが――」

 

 

 

 ――比名子と五条の模擬戦、それを流すモニタールームには近江汐莉の姿もあった。

 

 ともすれば、これでよかったのかもしれない。比名子が最後に言おうとした言葉、それが遮られる形で天使が介入して、よかったのかもしれない。

 

 何故なら今の比名子の言葉。それは10年前、幼き比名子が汐莉にかけた言葉と酷似していたから。

 

『お魚さんのこと、怖くなんてないよ』

 

 それと同じ言葉を汐莉以外にかける比名子の姿を目の当たりにしたとき、汐莉の心がどうなるか、それは誰にも分らないから。

 

 

 

 ともあれ。五条悟の気まぐれから始まったこの模擬戦。

 その結末は――、

 

「――八百歳比名子は、魔の者だ」

 

 吐き捨てるような言葉とともに、嫌悪に彩られた天使との確たる断絶という形で迎えられたのだった。

 

 

 

 

「かわいいたぬきの仙台地獄珍道中」需要ある?

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