大変お待たせしました。54話です。
今回に関しては豪雨災害による仕事への影響と、単純に話が難産すぎたのが原因です。申し訳ない……
元気ではないですが、一応生きてますので、今後ともどうぞよしなに……
――維持していた「伏魔御廚子」が五条悟の痛撃により崩され、広範囲に敷き詰められた斬撃の嵐が止まる。
その事実だけを見れば両面宿儺の優位は大きく崩れたと言ってもいい。
「意外だな」
にもかかわらず、宿儺は嗤っている。
胸のど真ん中、心臓にほど近い部位にを叩きこまれた「赫」の傷は跡形もない。
どういう思惑か宿儺に肉体を差し出してきた妖怪「エリカ」から引き剥がされかけた魂も、「沈め」の呪言により即座に癒着し直している。肉体的な損傷は皆無であり、戦闘開始前後と以前変わりない。
領域を解かれ、思考の片隅には焦燥が生まれているが、それすらも脳裏を掠める程度の不快感。
宿儺はその焦燥を、この世全ての悪意を煮詰め、悦楽という名の毒を混ぜ合わせた邪悪な笑みの裏に覆い隠す。
「……? 何が?」
「貴様のような人間は、自身の戦いに誰の介入もさせぬと思っていた」
自身に刻み付けられた無数の切り傷を反転術式によって癒しきり、復元した肉体の調子を確かめるように軽く肩を回す五条。
宿儺の言葉の意味を理解できずに彼が投げかけた質問、その返答は言うまでもなく、先程五条が使用した「呪言」に向けられたものだ。
――不死の存在である人魚の「呪言」をボイスレコーダーに録音し、体内に仕込んでおく。
肉体の内側もまた領域の一種。直接手を突っ込むでもしない限り呪いが容易く届くことはない。呪術界における常識だ。
だから宿儺の「伏魔御廚子」も内臓をいきなり切り刻むことが出来ない。伏黒甚爾が高専結界内に侵入した際、体内の呪霊ごと潜り込めたことも、その理屈の延長線上にある。
ならば、五条悟の腹の中なら。
世界のあらゆる方法でも破壊できない安全圏、そこに呪言を記録した機器を仕込めば、止める術など存在しない。
たとえそれが宿儺であっても――否。宿儺だからこそ、虚を突かれた。
録音した言葉を「動くな」にしたのは、おそらく反動を極限まで和らげるためだろう。
いくら人魚が不死身だからといって、反動自体が消えることは無い。「死ね」などという強烈な命令を呪いの王に使用すればどうなるか――術はまともに通用せず、それどころか術者へ跳ね返る呪いだけが凄まじいものとなる可能性が高い。おそらくは、五条が死んだ後の総力戦に支障をきたすほどに。
だからこその「動くな」。
効果を期待できる限界まで命令を弱め、なおかつ一瞬の隙を作る――五条悟があの状況をひっくり返すには、あれ以上ないほど合理的な手段。
――だが、宿儺が気にするのは、そのような戦術的な優劣ではない。
「――人間も呪いも、寄り合いで自らの価値を図るから、皆弱く矮小になっていく。最強とは、如何なる時も独りだ」
最強とは、孤高であり、孤独。絶対的な強者は己が裡に孤独を抱えることとなる。
他者と自身の間にある線引き。己が強くなるほどその境界線を越えてくる者はいなくなる。有望な若者を育てようが、仲間を増やそうが、それらは決して自分と肩を並べる存在にはならない。
それ故、五条悟が教鞭を振るうことは、趣味でガーデニングを行うのと大差ない。種を蒔き、水をやり、日の当たる場所に置き、いつか花が咲くことを願い――それでも、自分と同じ背丈まで伸びるとまでは思えない。
生徒を侮辱したいわけではない。ただ、最早自然の摂理に等しいほどの他者との隔絶は、五条悟の胸中に無意識の諦念を孕ませた。
その時代において最強と呼ばれる存在は、いつしか同格の強者との戦いにおける充足を求めるようになる。
宿儺自身は、決してそれを求めているわけではない。とはいえ、平安の世において最強の名を恣にした宿儺は、五条悟もこのような思考回路をしているのだろうと予測を立てていた。
「……ま、言いたいことは分かるよ。最初は僕だって一人でやろうと思ってたし」
何なら作戦会議に参加するつもりもなかった。事前情報をほとんど与えられずに真っ向から激突するでもいいとすら考えていた。
結局、千年前を知る美胡が散々喚き散らしたことによって、強硬に参加させられたのだが――今となっては、それでよかったと思っている。
何故なら――、
『――ヒナね、一人で遊ぶのも大好きだけど、皆で遊ぶのもとっても好き』
『おじさんは、ヒナと遊んでても傷つかない』
『だからね、おじさんのこと――』
比名子との模擬戦。あの、精神だけを過去のものと入れ替えたような、得体の知れない暴走状態に陥った彼女の言葉。
天使の介入により、最後までは聞けなかったが――、
「憂太に秤に悠仁。彼らはいつか僕に並ぶ術師になる」
けれどその“いつか”は何十年も先かもしれない。五条が寿命を迎えて死んだ後かもしれない。
だからこそ、それまでは自分が一人で最強であり続ける。
「けどあの時――あの模擬戦の中で、比名子、僕に全然ビビってなかった」
絶対不可侵を見せつけられて、それを破ってなお巻き返してくる五条を目の当たりにして、なおも比名子は五条を怖がらなかった。
その時胸中に感じた感情は、五条の中に想像以上の大きな変化を齎していた。
裡に芽生えた妙な嬉しさ――それを想起する五条の言葉を、宿儺は黙って聞いている。
「ああ、僕が結局何言いたいかって?」
――浮かべる笑みは、普段の軽薄さとはほんの少し違うもの。
「――後顧の憂いは、もう無くなったってこと」
その眼差しに、先程まであった過去への郷愁は無い。
ただ眼の前にいる男を見据える、ひどく単純な闘志があった。
――五条の口角がつり上がる。
「だからさ、もう一回やろうぜ」
その言葉が発された瞬間、世界の色が再び変わる。
領域展開――五条の「無量空処」が空間を塗り替え、全く同時に宿儺の「伏魔御廚子」が世界を支配し、“閉じる領域”と“閉じない領域”の極致がまたしても衝突する。
「――――」
宿儺は即座に「呪言」への対策を練る。
生来備わる四本の腕、そのうち二本を自らの耳へ。さらに呪力で脳を強化し、残る腕二本で五条に応戦する構えを取る。
「来い」
「そっちこそ」
宿儺が嗤い、五条が嗤い返し、「無量空処」の結界の中で拳が交わり――正真正銘、二手二足の殴り合いが勃発した。
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最初の領域勝負とは打って変わって、聴覚と腕の半分を封じられた宿儺は格闘術において大きなハンデを背負う羽目になっている――が、驚いたことに、この状態における二人の強さは拮抗していた。
単純な体術と呪力操作は両者とも窮極の技量を備えているため割愛するとして、宿儺には元来兼ね備えた体格の良さがある。
身長190センチの五条を見下ろせる2メートル越えの背丈、そしてそこに余すところなくついた筋肉から繰り出される暴力は、腕が二本使えなかろうが五条の拳打を上から叩き潰せるだけの脅威だ。
だが、それは本当に単純な殴り合いならの話。五条は“無限の情報”という必中効果以外の技を変わらず使用できるという明確な有利があり、「蒼」を織り交ぜた格闘術によって五条は彼我の上背の差を埋めている。
「無下限呪術」を駆使する五条と、領域展延によってそれに対抗する宿儺。互いに一歩も譲らない。
拳が交わり、蹴りが走り、呪力が弾ける。片方が押し込めば、もう片方が押し返す。
最強と最強。その言葉を、これ以上ないほど馬鹿正直に証明する戦いだ。
「こんなこと、今まで考えたことなかったなぁ!!」
五条の蹴りが魂を穿ち、宿儺の「沈め」で肉体の同調がフラットに戻され、返礼の鉄拳が五条の顔にぶち込まれ。殴って蹴ってまた殴って、許容限度をオーバーし、両者の領域が崩壊する。
二度目の領域展開からちょうど3分ののち再び姿を現した五条が、三度目の展開と同時に怒号のように叫びかける。
「僕に追いつく、期待してるって口では言っても! 本当にここまで来てくれるか、無意識の内では半信半疑だったんだ!」
次に発された言葉は、領域に包まれて外部には届かない。
それでも、その言葉は紛れもなく五条が抱えていた本音――いつかの未来で届くと思っていても、今届いているわけではない。届くことを期待していても、道半ばで果てて終わることだって十分にあり得ることだ。
実際に届いたという前例がなければ、人はその事象が起こるということを容易には信じられないのだ。
だが――、
「――今、僕の居るステージに指をかけている奴がいる」
八百歳比名子。術式に覚醒し、そして呪術の「天井」に届きかけている少女。
その域に至るまでの期間は僅か十数日――否、期間などどうでもいい。重要なのは、そこに至ったという事実だ。
今は、届いたのはたった一人だけ。けれど、たった一人で十分だ。
自分と同じ場所で、自分の横に並ぼうとしている者が、出てきた。前例が、生まれたのだ。
これは確信だ。虎杖、乙骨、秤、いやそれだけではない。呪術高専には、今なお成長を続ける術師達が大勢いる。
きっと、彼らは五条に届く。ここに至って、五条はようやくそれを確信できたのだ。
故にこそ――、
「今まで考えたことなかったよ――次の奴らのために、保険をかける戦い方なんてさ」
三度目に展開された領域が崩壊し、さらに四度、五度、領域がぶつかり、壊れ、再び展開される。
通常なら一度ですら膨大な呪力を消費する領域展開。凡百の術師なら、良くて数日に一回の頻度でしか放ち得ないはずの大技。
にもかかわらず、それを五度。それでもなお呪力切れを起こす気配すら見えぬ異常さ。最強と最強の激突にあり得ないという概念は存在しない。
――けれど、六度目。
これまでと同様、両者全く同時に領域を展開しようとした時。
「――――ッ!!」
瞬間、五条悟の鼻から、勢いよく鮮血が噴き出る。
滝のような勢いで顎に垂れていくそれは、そのまま見る間に服を赤く染めていく。医療従事者でなくとも、粘膜の損傷や鼻骨の骨折、そんな生易しい出血ではないことが一目でわかる異常事態。
五条の負ったものはこれ以上ない程の紛うことなき致命傷――幾度とない術式の破壊と再生に脳が耐えきれず、壊れた前頭前野から溢れた血が鼻から流れてきたのだ。
当然、勿論、言うまでもなく、普通の人間であれば絶対に即死するほどの損壊。脳のスクラップアンドビルドという無茶苦茶な反転術式の運用を繰り返した結果、とうとうそのツケが回ってきたのだ。
「は、はははは――!!」
――そんな状況に陥ってなお、五条は笑う、嗤う、哂う。
自分の体が発した警告など、まるで面白い冗談だと扱っているかのように。
「――これで、僕もオマエも領域を使えない」
ニヤリとした笑みの中に確かに滲んだ確信の色。
五条悟と違い、宿儺は食した
五条と宿儺の負った傷、それは全くイーブンであるという確信。
五条と宿儺の肉体修復能力の精度が、ほとんど同格であるだろうという推測――五条が立てていたそれが、確信に変わった瞬間。
――両面宿儺の鼻腔から堰を切って溢れる赤い濁流が、何よりも雄弁に物語っていた。
「俺から領域という手札を消し、後に俺と戦うガキ共の負担を少しでも和らげる……自らの命を捨て石にする愚行、では無いのだろうな」
呪術戦は、周りに味方が何人いようと結局のところ個人競技。「自らの力で勝つ」というエゴを捨ててしまえば、呪術師はその時点で打ち止めとなる。
現代最強の術師は当然、そのような愚挙はしない。逃げ道をわざわざ用意してある「伏魔御廚子」から「無下限呪術」によるワープで逃走することをせず、愚直な領域勝負で領域展開の手札を潰すのを選んだのだって、五条が自力で勝つ確率を押し上げるためだ。
けれど
比名子が現れ、生徒達に対する期待を心の底から持てるようになり、自らの仕事を引き継がせてもいいのだと、心の底から思えるようになった。その、証左である。
「……フーーーー……」
宿儺が深く息を整え、再び拳と術式の飛び交う肉弾戦が再開される。
――両面宿儺の手から最大の手札が失われ、今できることは「御廚子」の斬撃、そして領域展延のみ。
斬撃は五条の「無下限呪術」に阻まれ、決して届くことは無い。展延で中和すれば拳は届くが、単なる打撃では「御廚子」の威力には敵わず、そして展延の最中には生得術式を使用することが出来ない。
このままでは、ジリ貧で宿儺が五条に追い込まれ、魂を剥がす攻撃でやがては死に至るだろう。
――――ならば、どうするか。
「――が、っ!!」
コンクリートの情景が打ち壊され、赤と青の色彩と透明な刃が閃く戦場、そこに響く短い苦鳴。
――宿儺の拳が五条を捉えた瞬間、黒い稲妻が爆ぜ、ただでさえ強大な宿儺の一撃の威力を倍増させる。
黒閃。拳と呪力が百万分の一秒以内という極小の時間差で対象に衝突した際に生じる空間の歪み。
そこで起こる術師の変化は、前述した威力の激増ともう一つ。――黒閃を経て、術師の集中は限界を超えて高まる。
思考を介さず自然に体が駆動する理想的な状態。呪力への理解、肉体操作、術式への感覚、その全てが際限なく研ぎ澄まされていく万能感。
五条悟を仕留めるため、宿儺が導き出した答え、それは――、
「黒閃を、重ねることで――」
宿儺の元へ、「伏魔御廚子」を回帰させる。
思考能力へのバフを幾度も重ね掛けすることで、脳のスクラップアンドビルドの後遺症が無い部位での結界術の運用を可能にする。
領域の精度は通常時よりも不完全なものになるだろう。それでも、効果範囲や出力が落ちるまで弱体化はしないはずだ。
無論、領域に付与した斬撃で五条を殺せるとは思っていない。
先程の領域勝負、あの小さな領域を破壊した後の無防備状態ですら、「落花の情」を使用した五条の前では薄皮一枚程度にしか傷を負わせられなかった。
領域により精度を向上させようが、詠唱により威力を底上げしようが、宿儺の「御廚子」では絶対的に火力が足りない。
――だからこそ、五条悟を殺すには、この一手しかあり得ない。
(――『
宿儺の脳内に閃く、最大にして究極の秘奥。
「伏魔御廚子」の必中効果範囲内、切り刻まれた物質の粉塵に爆発性の呪力を帯びさせ、それを着火させた高熱をはじめとした無数の致命的な現象。
呪術史上でも類を見ない絶対的なあの超火力の前には、さしもの五条悟もひとたまりもないだろう。
だが、それを成し遂げることは、文字通り極細の綱渡りを成功させるのと同義だ。
「
すなわち宿儺が五条を殺すには――「伏魔御廚子」で周囲の物質が塵になるまでの長時間、五条悟を領域内、半径200メートル以内に釘付けにしなければならない。
それは凡百の術師はおろか、同じ特級術師ですら絶対に不可能と断言できる無理難題だ。
(だが――)
やって見せよう。宿儺ならできる。
触れれば千切れ、結びなおすことすら不可能なか細い綱であろうと、宿儺ならばその先に繋がる勝利を手繰り寄せられる。
何故なら、宿儺は最強だ。
呪術全盛平安の世、その時代に存在したあらゆる戦力を結集してなお、宿儺を殺すことは出来なかったのだから。
そして、宿儺が勝利を確信している、そのもう一つの理由は――、
(この戦いが始まってから今まで、俺が続けてきた
――既に、最終段階へと向かっているのだから。
「――『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』『下げろ』」
「――――『――を、下げろ』」