死滅回游 泳者 八百歳比名子   作:螺旋坊主

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閑話 羂索と■■■

 

 

 

 

 

 某所。都市を行きかう車の音や日頃の業務に勤しむ人々の喧騒から切り離された東京の人外魔境、その中においてもことさら異質なとある陸橋の中間点。

 路側帯に鎮座する古めかしいブラウン管の背からは幾本ものケーブルが伸び、絶えず砂嵐の流れる画面の下には一昔前のテレビゲーム機が置かれ、その空間だけ昭和の一般家庭の日常風景を引っ張り込んできたかのようなミスマッチ。

 その奇妙な一区画にゆったりとした歩調で近づく一人の人間。僧が法要か葬儀にのみ着用する五条袈裟に身を包み、塩顔の整った容姿は額に刻まれる痛々しい縫い目を際立たせる。時と場所によっては珍妙な印象を与えてしまいかねない風貌のこの男は、しかして呪いに関わる者ならば決してそのような軽口を叩けぬ禍々しい邪気を纏っている。

 

 男の名は羂索。千年もの間他人の脳を乗っ取りながら生き続け、今はかつて国を揺るがした特級呪詛師夏油傑の肉体に寄生する悪魔。永きに渡り呪いの世界に身を浸して蓄積した知識とその術式でもって、千余人の術師を巻き込んだデスゲーム「死滅回游」を開催した最悪の存在である。

 

 シャリ、シャリと足音を鳴らし、羂索が歩み寄る先にはブラウン管のテレビ――正確には、その前に設置されたソファに腰掛ける一人の女。

 

「やっ。お目覚めかい?」

「おかげ様で。すこぶる気分がいいわ」

 

 手を振り、呪いの坩堝となり果てた東京にはまるで似つかわしくない朗らかな笑顔で挨拶する羂索に、その女はこれまたこの場に似つかわしくない妖艶な微笑を返す。

 年恰好は十五ないし十六、髪を頭の後ろで結んで青い着物に赤い羽織をはおっており、傍らにはそれらとは相反する西洋風の日傘が立てかけられている。街を歩けば誰もが振り返る見目麗しい少女は、最悪の呪詛師である羂索と親しげに語らっている。

 

「目覚めた術式は手に馴染んでいるようだね」

「ええ。今までにない感覚よ。この世が全て私の思うままに動いているみたい」

「くっくっ、殆どその通りだろうに」

 

 霄に輝く太陽すらも手中に収めんとばかりに手を伸ばし、陶然と呟く女。術式「無為転変」により目覚めさせた彼女の術式、その仔細を知る羂索は、その言葉が決して大言壮語でないことを理解している。

 

 羂索と女の出会いは数十年前、肉片と化しても生きていた女に羂索が興味を持ち、それを回収した時。そして羂索と女の付き合いは、実験と研究のために羂索が凄惨な拷問を繰り返し――その果てに彼女の脳に刻まれた術式、その()に魅せられた時。

 

「貴方には感謝してもしきれないわ。手榴弾で体がバラバラになった私を回収し、こんなに素敵な術式を授けてくれたんだもの」

「元はと言えば、人魚の肉を喰らった人間の肉体に興味があっただけなんだけどねぇ」

 

 羂索としては彼女の過去にも恨みにも何ら興味はなく、ただ妖怪の手によって変質させられた肉体が研究の足しになればよいかという軽い考えで持ち帰り、手慰みに解剖していたに過ぎない。けれどそれがこんな掘り出し物を見つけることになろうとは。

 彼女には伝えないまでも、「これだから呪いはやめられない」と羂索は述懐する。

 

「――そうそう。私、さっきまで比名子ちゃんが戦っているところを見ていたの」

 

 自らを長い間弄んだ存在に欠片の恨みを宿した様子もない弾んだ声で話された話題、羂索はそれにわずかに驚いた様子で片眉を跳ねさせる。それもそのはず、八百歳比名子の滞在する死滅回游の結界は現実世界から切り離されている。その上、羂索の前でくつろぐ彼女はこの半日ほど同じような姿勢でゆったりとしていたのだから。

 とはいえ流石は羂索、それが虚言ではないことと、それを為すことができる要因に容易く行き当たる。

 

「君の術式の応用かい? そういうこともできるんだ」

「あの人魚との魂の繋がりをつたってね。……あの子を見てると退屈しないわ。比名子ちゃん、術師やら呪霊やらにひっきりなしに襲われてるんだもの」

 

 貴方が100点を付与したせいで、女はそう言ってころころと笑い、「でも、今回は特に面白かったわね」と言葉を続ける。

 

「あの子、変な女の子と戦ってたのよ。呪力を全く持ってないの。非術師が持ち合わせてるほどの量もない、完全なゼロ」

「呪力ゼロ? それって禪院甚爾と同じじゃないか。このタイミングでそんなのが現れるのか……っていうか、そんなのと戦ってたなら流石に死んじゃった? 八百歳比名子」

「いいえ、生き延びたわ。それどころか、私が話しかけてなきゃ比名子ちゃんが押し切ってたくらい」

 

 相変わらず微笑を浮かべながら、淡々と自分が視た情報を語る女。そのまま続けようとするも……目を見開いてきょとんとしたような顔をしている羂索が珍しくて、つい口を閉じてしまう。

 いつも泰然自若としている羂索が予想外のことに「えぇ……?」なんて言って驚いている姿は、数十年の付き合いである女も初めて見た顔だった。

 

「いや……なんか、早くない? そのレベルに到達するの。術式を自覚して2週間で禪院甚爾を倒すとか、五条悟でも多分無理でしょ……君のオキニだからって誇張してない?」

「別に話を盛ってなんてないけど。どうしたの? 比名子ちゃんの強さがそんなに意外?」

 

 貴方、前にあの子の才能はピカイチだって話してたじゃない。女は反論する。

 それを完全に否定はできないのか、羂索は歯切れ悪く「そうなんだけどねえ」なんて呟いた。

 

「確かに八百歳比名子のポテンシャルは、覚醒型泳者の中では日車寛見と並んで二大巨頭さ。……けれど正直、たかが2週間弱で禪院甚爾に打ち勝てるって程じゃない。強さが意外っていうか、成長速度がヤバいっていうか……待てよ」

 

 羂索は、女が以前から八百歳比名子と関りがあり、その時のことを愉しげに話していたことを思い出す。

 泳者のパーソナリティには毛程の興味もない羂索は、その時は女の言葉を聞き流していたが――曰く、八百歳比名子は10年前に事故で家族を亡くしたこと。その心の傷を今も引きずっていて、毎日死を願っていたこと。

 そんな話をしていたことを、今になって思い出していた。

 

「死への望みを抱えながら戦う矛盾、術式の行使と誓約の螺旋……そうか、そうか……」

 

 羂索は顎に手を当て、整った塩顔の眉間に皺を寄せて長考する。

 

「――これはあくまで推測なんだけど……八百歳比名子は()()()()()そのものが“縛り”になっている可能性はないだろうか?」

「ないだろうかって言われても、呪いの推測で私が貴方に勝てるわけがないでしょう」

「“縛り”とは何らかのリスクを背負うことで呪いの性能を向上させる手法だ。つまりだよ、自らの死を強く願う彼女にとって生存そのものがリスクとなる。八百歳比名子は術式を行使し、()()()()()()()()()()()()、己の呪術を数段先のステージへと押し上げているわけだ」

 

「ともすれば八百歳比名子は私が考えていたよりもずっと早く、五条悟に届き得るかもしれないよ」

 

 興奮しているかのように、早口でまくし立てる羂索。その様子に辟易したかのように女は結論を急かす。

 

「つまり?」

「――今の君でも危ない、ってこと」

 

 片目を閉じ、にやりと笑う羂索。

 対して女の笑みは、このお喋りが始まってから初めて消え、表情のない真顔となった。

 

「君の術式は『茫洋』……それこそ、今の君なら不死の人魚を縊ることすら容易いだろう」

 

「けどもし五条悟が二人に増えるみたいなことがあれば、それは容易にはいかなくなるだろうね」

 

 

 

「精々気を付けることだ。()()()

 

 

 

 ――女の名はあざみ。

 人魚・近江汐莉に血肉を分けられ、数百年に渡り苦しみ、絶望し、血溜まりの中でのたうち回った哀れな人間。

 不死の肉体を持て余し、諦念の沼に沈み消えてもおかしくなかった壮絶な経験を経て、それでも彼女が歩みを止めない原動力。

 それは、汐莉に対する狂おしいほどの情念。

 

 

 

 羂索が消え、陸橋の真ん中には再びブラウン管の砂嵐の音が満ちる。

 あざみはそこで、一人ごちる。

 

「――ずっと、待っていた」

 

 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとあの日からお前が私の人生を奪った日からお前がお前を私に与えた日からお前が私に永遠の地獄を見せた日からお前が私を捨てた日からお前を海の藻屑に変えた日からお前を殺しつくせなかった日から、

 

「ずっと、ずっと待っていた――お前(ひとでなし)に、私と同じ地獄を見せる日を」

 

 だからこそ。

 

「──邪魔はさせないわ。たとえ、いかなる存在が敵に回ったとしても」

 

 

 

 

 

 

 




今回短めにしようかと思ったら、結構長くなりました。

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