この結婚を偽装と言うならそれでいい 作:七転@社会人ラブコメ
目が覚めると視界がぼやけている。
加えて頭が重い……あーこの感じ、久しぶりだ。
時計を見ると6時半、隣がすっぽり空いているところを見ると、鳴宮は既に起きているみたいだ。
「あらおはよう。珍しいわね、あなたがゆっくりだなんて」
鈴を転がしたような、それでいてベルベットを指で撫でた時の感触のような優しい声。
純粋な気遣いが心を溶かしていく。
「あー、悪い、なるみ……」
「風邪ね」
「まだ何も言ってないんだが」
彼女は俺の枕元へ近付いてきてぽすんと座る。
「わかるわよ、声がひどいじゃない」
喉に添えられた手はひんやりとして気持ちいい。このままずっと置いていて欲しいくらいに。
人体の急所を晒しているのに嫌悪感を少しも抱かないのは、この関係にずっぷり足を踏み入れてしまったからか、それとも。
「……キスしたら治るっていうけど」
もじもじと体を揺らす鳴宮。
柄にもない、仕事中の冷静で的確な彼女はどこにいったんだ。
「そうだな、じゃあお願いしようかな」
視界の端に映る彼女の耳が赤い。
照れるなら言わなきゃいいのにな。かく言う俺も何も考えられず失言をしてしまったが。
「き、今日はまだやめておこうかしら、朝だし……そんな急には……」
自分で言ったくせに、直前で足踏みしてしまうところもかわいい。
「ふっ」
「ちょっと笑わないで!やっぱりあなたいつもと違うわよ」
こうやって素直に自分の気持ちを自分で見つめられることの、なんとストレスレスなことか。
「でも企画課のメインウェポン様に風邪をひかせる訳にはいかないから、俺が治るまでは接触なしでいこうぜ」
「嫌よ、寂しいじゃない」
「ちょっとは我慢しような?」
彼女はあごに指を当てて斜め上に目線を向ける。
あぁだめだ。この流れは鳴宮のペースに巻き込まれてしまう。
かといって発熱中の俺に策があるわけでもないが。
「じゃあ私は仕事に行くけど」
「ふんふん」
「お昼で帰ってくるってのはどう?」
「『どう?』じゃないが。そのまま定時まで働いてくれ」
「そんなことしたら看病する時間が減るじゃない!」
「仕事と看病どっちが大事なんだ……寝てりゃすぐ治るってこれくらい」
この程度じゃ病院に行くまでもない。実際今、会話できてるわけだし。
「あのね藍野くん、看病はイベントなの。夫婦になって初めてだし私の楽しみを奪わないで」
「仮にも旦那が熱出してることをイベントて」
「仮じゃなくて本物ね?」
ツッコミ所、そこじゃないだろ。
不意に俺のスマホが軽快な爆音を撒き散らしながら震える。
画面を見ればいつもの時間。そうか、そんな時間か。
二度寝用に設定した早めのアラームと一緒に、本気のアラームまで削除する。
「なんでもいいけど、とりあえず今はゆっくりしてなさいな。朝は何か食べられる?」
下がった眉尻は彼女の優しさだ。
……心配をかけてしまってるのに違いはないんだよな。
「いや、ちょっと今はやめておこうかな」
「りょうかい。そしたら病人は病人らしく寝ててね」
再び鳴宮の手が伸びてくる。その柔らかさを知ってしまっている事実がまるで嘘みたいだ。
熱が出ている時は甘えたくなる。だからこれは仕方ない。
彼女の手を掴んで自分の額に乗せる。
喉に当てた時よりもほんのりと温くなった鳴宮のそれは、安心感という尺度で測れば何も変わりなくて。
「んふ、たまには素直な藍野くんもいいわね」
「うるせー」
「会社のことは任せて、すぐ帰ってくるから待っててね」
話しすぎたからだろうか、瞼が重くなってくる。
「……おう」
短く返事するのがやっとで、俺は意識を手放した。