アイリスの開発艦、使徒であるフランドルは神妙な面持ちを浮かべながら、母港の商業区をお付きの饅頭達と歩いていた。
手に持ったオフニャのデザインの可愛らしいお財布を見つめ、指揮官に言われた言葉を頭の中で反芻していた。
『ごめん、フランドルちゃん!どうしても外せない仕事が入っちゃったんだ!』
『ダンケルクも一緒に仕事をしなきゃだから、本当にごめんだけど今日は商業区でごはんを済ませて欲しいんだ!』
そう言ってフランドルがもらったオフニャ財布に、紙幣を少し多めに入れてもらい商業区の方まで送ってきてもらったのだ。一食どころか、デザートも食べて他にもお買い物をしても問題のなさそうな程の支給金に、指揮官の申し訳なさそうなあの顔を思い出し、フランドルはクスリと笑ってしまった。
とはいえ。今までは大抵指揮官が作るご飯か、ダンケルクさんが作ったご飯を3人で食べる。というのが、フランドルが母港にやって来てからの習慣となっていた。時折リクエストを求められることもあるが、基本的に2人が作る食事はどれも美味しいため、これといって頼んだことは少なくおまかせのことが多かった。
「……何を食べましょうか」
故に。商業区の飲食店が多く立ち並ぶ通りに入ったものの、フランドルは未だ今日の夕食を決めあぐねていた。行き交う人やKAN-SENは、レストランに入ったり、クレープやアイスといった甘味の店の前でどれにするか決めていたりする。
そんな人々を横目に歩きながら、フランドルはふと目に付いた暖簾に目線を奪われた。
「とんかつ……」
重桜風の作りの店先にかかる暖簾とのぼりに書かれた、その料理の名前に目を惹かれ立ち止まるフランドル。何ヶ月か前、ダンケルクさんが出してくれたサクサクとしてジュワ…と口いっぱいに美味しいが広がったあの感覚を思い出し、フランドルはどうしても目線を外せない。
そんな彼女を後押しするかのように、フランドルの腹の虫が小さくくぅ、と鳴いた。お付きの饅頭達も、ピヨピヨととんかつ屋の前で歓喜の鳴き声をあげていた。
「決めました、今日はとんかつを食べましょう」
指揮官がこの場にいたのであれば、彼女が自らものを決めたと小躍りを踊っていただろうが、残念ながら彼は今日は仕事で不在である、
かくして、アイリスの可愛い使徒の今日の夕食は、このとんかつ屋のとんかつに決まったのであった。
「いらっしゃ〜い…あらぁ、可愛いお客様!」
引き戸をガラガラと開け店へと入ると、恰幅のいい快活そうな女将がフランドルを出迎えた。話しやすそうな彼女の様子に、少し緊張していたフランドルは少し安心感を覚えた。
「お夕飯を頂きに来ました…饅頭達もいいでしょうか?」
「勿論よぉ、お座敷が空いてるからこっちにみんないらっしゃい」
重桜風の店内には、テーブル席に座る数人の客と奥で調理をしている店主と思しき男性とアシストをしている若い青年が見える。ふわりと店に広がる美味しそうな脂の香りに、ますます強くなる空腹感がフランドルを襲ってくる。
「はぁいこっちのお席で。メニューはこれよ、決まったらおばさんに教えて頂戴ねぇ」
「ありがとうございます」
ふかふかの座布団が敷かれた座敷席に案内され、靴を脱ぎ席に着くフランドル。そして冊子になったメニューを受け取りそれを開く。饅頭達もやいのやいのといった様子で、別のメニューを開いて黄色の毛玉になっている。
「むむっ…」
恐らく女将の手作りなのであろうメニューは、大きな丸みのある字体で書かれ、各種とんかつの写真も貼ってあり、とてもわかりやすいメニューとなっていた。
大きなヒレカツやロースカツ、丸くて細長いロールカツ…さらになんとアジフライやエビフライまである。どれもご飯とお味噌汁が付く定食、お味噌汁は料金を追加すれば豚汁に変更もできるらしい。
(なるほど、ヒレカツとロースカツの違いも書いてあります…)
ページの端にはデフォルメされた豚が描かれており、ロースカツとヒレカツ2種類の特徴と違いが書かれている。ヒレの方が赤身が多く、ロースの方が脂の乗りがいいらしい。
「……お願いします」
「はぁ〜い、今参りま〜す!」
少し考え、フランドルは手を挙げた。満面の笑みを浮かべた女将がやって来て、フランドルの座席に目線を合わせてしゃがむ。物腰丁寧な女将に、メニューの写真を指で指しながら注文をするフランドル。
「この、ヒレカツ定食を一つ…」
「はぁい、ヒレカツおひとつね。そっちの饅頭ちゃん達は何にする?」
ニコニコとした笑みのまま注文を聞いた女将は、同伴していた饅頭達にもメニューを聞く。ピヨピヨと鳴きながら、メニューを指差す彼ら(?)にも注文を聞き終わった女将はフランドルに向き直って伝える。
「お冷はテーブルの水差しから自由にどうぞぉ、足りなくなったら教えてねぇ」
快活な笑みを終始崩さず、フランドルにも饅頭にも丁寧に接客をした女将にほんわかとした温かさを感じながら、厨房へと戻っていく女将を見送ったフランドル。饅頭が用意してくれたお冷を1口飲んで喉を潤し、店内をゆっくりと改めて見渡す。
(「老舗」、というやつでしょうか…年季の入ったお店の雰囲気も、心地よいです……)
畳や壁、内装はシンプルな重桜式で相当な年季を感じさせつつも小綺麗で不快感は無い。座布団もふかふか、正座をしていても足が痛くないのはフランドルにとって嬉しいポイントであった。
壁に貼られたメニューの名前が書かれた紙や、テーブルの上の小さな壺や割り箸の入った筒。普段の食事とは違った外食の雰囲気に、フランドルは心なしかウキウキとした高揚を覚えていた。饅頭達と小さく戯れながら、厨房の奥から響く油で肉を揚げる音を聞き、くぅくぅと鳴く腹の虫と共に料理が来るのをゆっくりと待ったのだった。
「お待ちどうさま、ヒレカツ定食よぉ。ソースはそっちの入れ物にあるからね、ごゆっくりどうぞぉ」
「おぉ〜……」
やがてしばらく経って、快活な女将が注文したヒレカツ定食をフランドルの前に置いた。美味しそうな揚げ色に揚げ上がったヒレカツに、盛られたキャベツの千切りが食欲をそそる。真っ白なご飯はホカホカと湯気を立て、甘ささえ感じさせる香りを漂わせて可愛い使徒の食欲を刺激してくる。
お味噌汁はワカメと豆腐、そしてネギが入ったシンプルなものだったが逆に派手ではないそれがこの定食にはよくあっているように見えた。小皿に乗った白菜のお新香、トンカツに添えられたレモンが彩りにもう一色加えている。
饅頭達も各々、ヒレカツにロースカツ…一羽はアジフライ定食であったが、注文の品が届いて嬉しそうだ。割り箸を取ってくれた饅頭を一撫でし、綺麗に盛り付けられ食欲をそそるそれを持っている端末の写真に収めて指揮官へ送信。
《お夕飯はとんかつに致しました》
と報告をして、いざ。
「いただきます」
手を合わせ、食前の挨拶を済ませて実食。まずは一切れ、ヒレカツを取ってご飯の上へ。レモンを少し絞り、1口。
「んむ…!んんぅ〜…」
サク、とよく揚がった衣が心地よい食感を伝えてきたと同時に。噛みしめた豚肉から、熱々で旨みたっぷりの脂が染み出しフランドルの味覚を一色に染め上げる。もぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込む。
「はふ…美味しい、です……」
幸せそうに目尻を垂らし、もっちりとした頬に手を当て思わず呟くフランドル。噛めば噛むほどジューシーな肉汁と衣の甘さが、彼女が期待した以上の美味しさとなって襲ってくる。
レモンのさっぱりとした酸っぱさと香りもよく合っていて、一口、また一口と一切れをたっぷりと味わいながら食べるフランドル。最後の一口を口に入れ、白くほかほかのご飯も同じく一口。
(ご飯の甘みと…とんかつの味が……)
白米もとんかつとの相性は抜群、とても美味しいと思いながら彼女はにっこりと破顔していた。指揮官の教えの通りもぐもぐとよく咀嚼し、しっかりとよく噛んでからこくん…と喉を鳴らして飲み込む。
「ふぅ…次はソースをかけてみましょう」
一切れ目をレモンでさっぱりと頂いたフランドルは、次の一切れにソースの入った陶器を傾ける。とろり、と濃厚なソースがサクサクに揚がった衣にかかる。かけすぎないよう慎重にしたお陰で、程よくソースで味をつけることが出来たフランドル。
ふわりと甘い香りのソースのかかるカツを箸で上手に持ち、口に入れ、噛む。
「……っ!んんぅ〜…!」
ジュワ、と溢れる肉汁にソースの芳香な風味が追いかけてくる。レモンの時の爽やかさとは違い、濃厚なソースの香りと味がとんかつのガツンとした味わいを際立たせている。
思わずごはんも一口食べ、もぐもぐと味わい尽くす。濃い味になったカツに、白米は相性が抜群だった。二口、三口と運びあっという間にまた一切れが消えた。フランドルの腹の虫も喜んでいることだろう。
「はむ…むぐ、もぐ……」
(このキャベツも美味しいです…とんかつの脂っこさを上手く調和してくれています……)
箸休め、と盛られた千切りキャベツを食べながらそんなことを思うフランドル。シャキシャキとした歯ごたえ、瑞々しい食感はとんかつの少し重たい脂っこさも中和しつつ食欲を増進させてくる。
思わず二口食べた彼女は、また一切れレモンでカツを食べる。ご飯も進み、盛られた器のご飯も既に半分。それに寂しさを覚えつつ、どんな配分でカツを食べるかを思案するフランドル。
「あら、いい食べっぷりねぇ。ご飯はおかわり出来るから、遠慮せずに言ってねぇ」
「な、本当ですか……?」
そこに通りがかった女将が、悩める使徒への福音をもたらした。あまりのサービスの良さにフランドルは開いた口が塞がらない。これほど美味しいカツによく合うご飯が、おかわり可能。食べたい盛りの可愛い使徒は、つい一瞬前まで迷っていた箸を再び動かす。
ソースをかけたカツを一切れ、味わいながらも食欲が赴くままにご飯と共にお腹に収める。見た目は小さくふわふわもちもちの可愛らしさでも、その実フランドルはパワーたっぷりの戦艦のKAN-SENである。ご飯はたっぷり食べられるし、おかわりができると嬉しいものだ。
そして米粒一粒たりとも残さずお茶碗を綺麗にしたフランドルは、同じくガツガツと食べ進め器を空にした隣の饅頭とほぼ同時に手を挙げた。
「す、すみませんっ……!」
ほんの少しだけ緊張しながら、それでもあの女将ならば大丈夫という確信も持って。フランドルはその小さな手を挙げ、それを見た女将が嬉しそうにニコニコとしながらやってくる。
「はぁい、どうしますか?」
「ご飯のおかわりを…頂戴したく……」
そんな女将に、米粒ひとつ残さず綺麗な状態のお茶碗を差し出し、いじらしく注文をするフランドル。ピヨピヨと隣の饅頭もおかわりを要求してお茶碗を突き出した。そんな1人と1匹の様子に、嬉しそうな女将がお茶碗を受け取り立ち上がる。
「はぁい、おかわりねぇ。すぐ持ってくるから、待っててねぇ」
フランドルと饅頭のお茶碗を受け取り厨房の方へと歩いていく女将を見送り、フランドルは待っている間にと味噌汁のお椀を取る。味噌と出汁の香りを楽しみ、ふーふーと小さな口でそれを冷ましそっとひとくち。
「んっ…ほぅ……」
(カツオのお出汁とお味噌の香りがいいですね…特に奇を衒っていないシンプルなお味噌汁、美味しいです)
ジワリと染み込むような優しい温かさと味が、フランドルを包み込む。お豆腐とワカメも一緒に啜り、ネギの食感と共に楽しむ。単体では淡白なハズのこれらの具が、温かな出汁と味噌の中に同居するだけでこうも味と食べ応えを引き出すとは…とフランドルはよく味わう。
そして一息ついて、小皿のお新香もパクリと1口。ポリポリ、とした歯ごたえ、噛めば噛むほど染み出す旨みと塩気。たまらず目を瞑って味わい、塩気が落ち着いた頃合でまた味噌汁を飲んで。
「んむ、んむ…ふぅ、ずず………」
(クセになる味です…交互に食べれば、強めの塩気も気になりませんね……ふふ…)
本場重桜の出身の者も顔負けなくらい、贅沢に奥深く和食を楽しむフランドル。指揮官とのお食事は和食なことも多く、箸の使い方から食べ方まで結構しっかりとわかっているのがこのアイリスのもちもち使徒である。
そんな使徒の元に、待ちわびたおかわりがやってくる。女将が気持ち多めに盛られたお茶碗いっぱいのご飯が定食の乗るお盆に置かれた。そしてなんと、フランドルの元に届けられたのはそれだけではなかった。
「はい、おまちどうさま。オマケのエビフライだよ、熱いから気をつけて食べ」
「っ…!?よ、よろしいの…ですか……!?」
小さめの皿に載せられた、そこからハミ出る程の大きなエビフライ。添えられた白いソースは、具沢山のタルタルソース。思わず目をキラキラと輝かせてしまい、揚げたてであろうそれから香るいい匂いにフランドルは
「お嬢ちゃんの食べっぷりが嬉しくてねぇ、遠慮はいらないからゆっくりしておいき」
「ありがとうございます……!」
盛りたてのほかほかなご飯、そしておまけでつけてもらったエビフライ。フランドルの食欲は、ある程度食べたこの段階だというのにむしろ増したように感じた。逸る気持ちを抑えながら、フランドルはエビフライを箸で掴む。
ぷりぷりと肉厚なエビの身が、揚げたてサクサクの衣に包まれている重みがズシリと手に持つ箸に伝わってくる。そのままこんがり揚がった衣に包まれたエビをタルタルソースへとダイブ。ただでさえ重ためなそれが、タルタルソースのゴロゴロとした具材を纏ってより一層重くなる。
白いソースに包まれた部分を、開いた口に運びいざ──────
「んっ……!んんぅ……!!!」
サックリとした衣の甘さと香り、弾力あるエビの食感、タルタルソースの程よい酸味と具のザクザクとした歯ごたえが。全てがフランドルの味覚を刺激し、幸福感と美味という感覚がフランドルを満たした。
もぐもぐと噛めば噛むほど、口の中でエビと衣とソースが混ざり合い旨みを増幅させる。臭みのないエビは歯ごたえ抜群で、タルタルソースの味と上手く調和してエビと衣の甘みを一層引き立てる。
あったかなご飯、エビフライ、追加でご飯。またカツを一口、そして真っ白なご飯……
「はふぅ…美味しいです……」
そして脂っこくなった口の中をリセットする、シャキシャキのキャベツとあったかなお味噌汁を一口。フランドルはタルタルソースを少しキャベツにかけながら、幸せな美味しさに包まれ食事を進めていく。
「ご馳走様でございます、美味しかったです」
「あら、ありがとう。お勘定するからちょっと待ってねぇ〜!」
そしてとんかつもエビフライも、定食を余すことなく食べ尽くしたフランドルは満腹になった饅頭達を引き連れ、レジへと向かった。ついついご飯をもう一杯おかわりして、ペロリと平らげたフランドルは満腹感と幸福感に包まれながらオフニャデザインのお財布から代金を取り出した。
女将は他の客への対応中で、少し待ってくれと言っていたのを聞きレジ前で待つフランドル。しばし待っていると、ヌッといった様子で年老いた主人が出てきた。
「……美味かったか?」
「はい、とても美味でした。次は指揮官様達も連れて来たいです」
差し出された無骨な手に、手に持っていた伝票を渡しながらフランドルは答えた。そんなフランドルの様子に、仏頂面ながらもどこか柔らかな雰囲気をまとわせ主人がレジを打つ。
液晶に表示された金額に足るように、オフニャの形の可愛らしい財布からお金を取り出し会計を済ませるフランドル。そんなフランドルにレシートと釣り銭を返しながら、もうひとつ。コロリと彼女の手に何かを転がす主人。
「これは…?」
「……口直しの飴だ。また来てくれ」
それは透明な包みに包まれたオレンジ色の飴玉。お釣りをオフニャ財布に仕舞い、フランドルは丁寧にお辞儀をしてお礼を言った。
「ありがとうございます、必ずまた食べに来ます」
「……おう。気をつけて帰りなさい」
そんなフランドルに照れくさそうに視線を逸らし頭を掻きながら、しかし優しくそう言った主人にまたもう一礼してお店から退出するフランドル。日はすっかり落ちて、街灯や看板が明るく街を照らしていた。
「……ふふっ」
もらった飴玉を見つめ、嬉しそうに微笑んだフランドルはそれを口に入れて味わう。甘さもあり、程よいすっぱさのそれはとんかつの重たい食後の口をさっぱりさせてくれた。たまらず微笑みながら、ピヨピヨと満足そうにフランドルの足元で鳴くお付きの饅頭達を撫でてから歩き出す。
(お店の場所は覚えました…次は、指揮官様と……)
美味しい夕食を済ませたフランドルは帰路に着く。その背中はとても満足そうで、彼女のお夕飯が楽しく、そして温かなものであったのは誰の目にも明らかな。そんな幸せそうな様子だった。
フランドルちゃん
・アイリスの可愛い使徒。この度ひとりでお夕飯を済ませた偉い子。着任当初は自我が薄すぎたが、指揮官と周りのKAN-SENのお陰で見た目の歳相応の好奇心や感情を取り戻した。絶対守る
とんかつ屋の女将
・気のいいおばちゃん。フランドルちゃんにお料理の提供などした。おまけのエビフライは主人に作れって言って作らせた
とんかつ屋の主人
・店主。調理担当。キッチンから食べっぷりを見ていて、エビフライ作れと言われても嫌な顔せず作った。ちびっ子にはおまけしたくなる人。