「さすがに多いんじゃないか?」
ナリタブライアンは指についた
きな粉を舐めながら言った。
部室に積み上がった信玄餅をはじめとする
甲府銘菓の数々は昨日、甲府に出かけたという
トレーナー夫妻の土産である。
「せやなあ。たしかに、張り切って
買いすぎてもうたわ」
照れくさそうにタマモクロスは笑う。
充実した休日だったのだろう。
「…ほんでな、お菓子の直売店なのに
あの人、出店でキュウリの
一本漬食うてんねんで?
まあそれもうまかったんやけど」
甘い物ばかりで塩味のものが
欲しくなったのだろう。
「ほうとうが絶品やってん。今度家で作ろかな?
吉田のうどんも固いけど美味かった。
あとB級グルメの鳥モツ煮やな。
あれは酒に合うわ。あの人も車やなかったら
酒飲みたかった、言うてレトルトの買うて。
地酒も買うたし今日は晩酌やな。
あ、一升瓶ワインも買うたわ。
ブライアンの好みならあれや。甲州牛の…
……食うてばっかやったな??」
そんな惚気、というより食い気に満ちた
旅の思い出をタマモクロスが
楽しげに語るのを、ブライアンは遮ることも
鬱陶しがることもなく黙って聞いていた。
─なんだかんだで進んではいるらしいな。
やれやれ、遅きに逸する二人だから
心配していたが─
なにぶん、夫婦揃って遅咲きの代名詞だ。
妻が初心なのは知っていたが
夫も夫で新婚であるにも関わらず
早朝から深夜まで学園で仕事をし、
泊まり込もうとすらしていた。
それを半ば強引に家に帰らせていたのは
ナリタブライアンと、現在、学園の
メディカルチームに所属する
ケイエスミラクルだ。
抵抗するトレーナーを
大人しくさせるために強制的に
眠らせるのはケイエスミラクルだった。
「…おい、大丈夫なのかその薬」
「これ、好きな海外ドラマで
飛行機嫌いの登場人物を
空輸するときのやり方なんだ」
「…空輸…」
多分、特攻な野郎でAな連中の話だろう。
「そのうちハッタリかまして
ブラジャーからミサイルまで
揃える気じゃないだろうな…」
そうして薬物で眠らせたトレーナーを
タクシーに放り込み
帰らせたことは何度もあった。
そんなワーカーホリックと化してきた
トレーナーが一昨日の夜、急に
仕事の肩代わりを依頼してきた。
その日の騒動はブライアンも聞き及んでいる。
二つ返事で了解したのは言うまでもない。
「……1日で随分な進歩だな。
お互い公開プロポーズが効いたと見える」
「ヘヘ……せやなあ。ウチがなーんも
変わっとらんかったんたや。
あの人、ちゃあんともうウチは女房やって
思っとってくれたのにウチはいつまでも
トレーナーとウマ娘やと無意識に思ってたんや。
なのに苛ついて癇癪起こして……」
「奴の言葉足らずも原因だろう。
よくしゃべるくせに肝心なことを
話さないときがあるからな」
「あーそれ、あの人に言うたって。
ブライアンが言えば聞くやろ」
「断る」
結婚後もなにひとつ関係が
変わってなさそうな様子に
さすがにもう一度夫の方の尻を
叩いてやろうかとも思ったが
なんだかんだ、ほんのわずかな間に
夫婦になってきたではないか。
─まるで─
遥か後方にいたはずが、
いつの間にか瞬く間に先頭に立つ
現役時代の彼女の戦い方そのもの。
それを教えたのはトレーナーだ。
─まあもう「トレーナーとウマ娘」
ではなく「夫婦」だったか。
夫婦としてどのように進んで行くのかは
また、別の話であろう。
今回だってそうだ。
現役時代、自分へのご褒美にも
戸惑っていた彼女が「買い過ぎ」た。
食が細いことが致命的弱点だった彼女が
嘘のように「食うてばっか」だった。
現役時代ももちろん、
今と同じようにお互いがそばにいた。
だが彼女はそうはできなかったし
彼もそうさせることができなかったのに、だ。
「あ、温泉もよかったで。景色もよくてな。
しかし風呂入ると小腹減るのなんでやろな?」
─それがどうだ。
今や彼女は彼と共にのびのびと
散財も食事も楽しんでいるではないか。
─むしろ、トレーナーとウマ娘という
枷がお互い外れたから、かもしれんな。
「ただいまー!みんなにお土産配ってきたよ」
「おかえりー!おつかれさーん」
意気揚々と一仕事終えた夫が帰ってきた。
「アンタたち、うろうろして
騒ぎにならなかったのか?」
レース中継もない地方の奥地ならともかく、
甲府なら観光地であるしこの夫婦を何者か
知ってる者は多いだろう。
数年前とはいえ、タマモクロスは
オグリキャップとともに
一大芦毛ブームを生んだ一人だし、
夫はその両者の育成に唯一、
共通で関わったトレーナーだ。
「ううん、気づいてても気づかんフリ
してくれた感じや」
─果たしてそうか。
ブライアンはちらりと夫の方を見た。
それに気づいて一瞬、目配せする。
無邪気に楽しむ妻の後ろで
この夫は「八方にらみ」を利かしていたのだろう。
─しかしなんでこいつは
我々のスキルを使えるんだろうな。
「まあ、良い休日だったようでなによりだ」
「うん、ありがとうねブライアン」
「礼はいらん。…ようやく安心した。
アンタたち夫婦にはやきもきさせられたぞ。
…いつまでもちんたらやっていたら
どこかに行ってしまうかもしれんのに…」
「…ブライアン?」
「時間は有限だぞ」
ブライアンはどうしようもない喪失感と
漠然とした、しかしぬぐい切れない
焦燥感を覚えることがある。
それは子供のころからだ。
幼いブライアンは不意に
泣き出してしまうくらいだった。
─「自分」は置いてきてしまった。
また、「自分」は誰かを置いていくのではないか。
そんな思いだ。
彼女が一匹狼を絵に描いたような性格なのも
そういった部分が影響している。
置いていくくらいなら、孤高を選んだ。
─アンタたちは置いていくな。
置いていかれるな─
ブライアンが
二人の結婚を後押ししたのも
そんな焦燥感からであった。
「みんな、ここにいるよ。
どこにも行かない。君もね」
「自分」が置いてきたはずの「あの人」から
「因子」を強く引き継いでいるであろう
この男と出会ってからは、
子供のころのように
泣くしかないような強い焦りを
覚えることはなくなってはきていた。
「せやで。みんな一緒や」
時折、ブライアンが焦燥感を垣間見せると
このようにこの二人は
すべて知ったうえでそれを
打ち消すようなことを言う。
「…そうか」
「なあなあ、帰り寄ったあの温泉ええよなあ?」
「ほったらかし温泉ね。いいお湯だったねえ」
話題は甲府の旅に戻った。
ちなみに件の「虫刺され」は特に指摘は入らなかった。
─まあ、人の体じろじろ見ることもないわな。
ウチらが気にしすぎただけや。
さて、実際はというと
そこそこ名の知れた夫婦が
仲睦まじい様子で温泉にやってきたのを
周囲は温かい目で見ていた。
入浴中の妻の方の肌に「虫刺され」
があったのが判明した瞬間に
その視線に湿度が加わり
一斉に生暖かい目にはなったが
アラやだ奥さん、新婚さんにそれは
野暮ってもんでしょうよ、
あたしも若いころはねえ、とばかりに
女湯の客は示し合わしたように視線を外した。
夫の方はやはり背中のひっかき傷は目立った。
からかうように一人の入浴客に指摘されたが、
「とてもきれいな気性難の白猫がいますので。
あなたたちにもそういうご縁があるといいが」
と返したところ好奇の目を向けていた全員が沈黙。
こちらもその背中から視線を外したが
夫はむしろ見せつけるように堂々と
浴槽のふちに腕を乗せ湯につかった。
「そこな、お湯もええし、そっからの
甲府の夜景がめっちゃきれいやってん!
宝石みたいやったで」
「タマもきれいだよ?夜景や宝石以上に」
夫が急にど真ん中にぶち込んできた。
「いややわ、何ゆうとんねんこの人はもう…
ブライアンもおるのに…」
隣に座った夫をバシバシと叩きつつも
妻もまんざらでもなさそうだ。
─ひょっとしたら私を安心させて
「繋ぎとめる」ために
結婚したのかと思ったが。
どうやらそれは思い違いのようだ。
そもそもただのバカップルなのは
ブライアンがよく知っているではないか。
「………ごちそうさま」
ブライアンは席を立った。
「もうええの?まだぎょうさんあるで」
「ああ。…私には、甘すぎる」