白い新妻の憂鬱   作:南天 ヤスカド

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身中の虫

「整列ー」

 

号令がかかった。

 

生徒が中庭に並ぶと、

その集団の前に理事長がやってくる。

 

「講評っ!!この度の避難訓練と

 演習についてっ!!まずは……」

 

理事長の話が始まってすぐ、

あるクラスの先頭付近にいた一人の

女子生徒が列から離れた。

 

具合が悪くなったのか。

教職員がそばに行こうとするが、

その生徒は急に踵を返すと

教職員を振り切り理事長の方に走り出した。

 

この場は確実に生徒と教職員しかいない。

─と「セキュリティ上では」

証明された場である。

 

警備員は後方に控えていて、初動が遅れた。

 

ましてウマ娘の本気のスピードだ。

その生徒は持っていた魔法瓶の蓋を空け、

内容物を理事長にかけようとしているようだ。

思わず一番そばにいた

駿川たづなが理事長に覆いかぶさる。

 

「……っ……間に合わない………!!」

 

走りながらウイングアローが思った刹那。

 

白い影が理事長たちを

庇うように飛び出して来る。

 

魔法瓶から理事長に向かって

撒かれた茶色い液体を、

その白い影がほぼ浴びる形になった。

 

「……あぁあっ……つ…!!」

苦悶の声を上げながらそのまま、白い影は

液体の作った水たまりに膝をついた。

 

「……………タマあああああああああ!!!」

 

彼女のトレーナーは彼女の名を絶叫しながら

蒸気が立ち登る茶色い水たまりの中に

倒れ込んだタマモクロスを抱き起こした。

 

「…トレーナー………」

 

目が虚ろである。

 

「『そいつ』を取り押さえろ!

 生徒と職員たちは避難を!!」

 

マムシの指示が終わるか終わらないかのうちに、

ウイングアローがその生徒を取り押さえた。

驚くほど統制の取れた動きで

隊員たちは全員を避難誘導していく。

 

その騒がしい足音たちから

庇うようにトレーナーは

タマモクロスを抱きかかえる。

「……タマ、大丈夫か…………?」

「……大丈夫……ちょっと熱かったけど…

 でも……なんか………眠い…」

 

「トレーナーさん!

 なんの液体かわからないのに

 安易に素手で触れるなんて危険です!

 その気体だって………」

そう言って、アローは言葉を止めた。

 

─ああ、ダメだあれは聞こえてない。

まさしく今、彼は例外の為に冷静さを失っている。

本来なら正体不明の液体に

不用意に素手で触れるべきではない。

警備隊の新人でもわかる基礎中の基礎だ。

 

タマモクロスのかけられた液体が

危険物だろうがなんだろうが

もはや彼には関係ないのだろう。

 

以前、学園でウマ娘が

濃硫酸をかけられた事件があったのと

その被害者が彼と縁がある者だったことは

ウイングアローも聞いてはいた。

その事実に加え、今回の被害者は

他ならぬタマモクロスである。

 

「……あなた、覚悟したほうがいいわよ」

「…………?」

ウイングアローは組み伏せた加害者に

そう囁いた。少し、同情すらしてしまう。

 

「………おい」

トレーナーはゆっくりと犯人に向き直る。

地を這うような低い声だった。

 

「…これには何が入ってた?」

 

左腕にタマモクロスをしっかりと

抱きしめたたまま、

転がっていた魔法瓶を犯人の

目の前に突きつけながらトレーナーは尋問する。

 

「…教えなぁーいっ」

犯人は一瞬怯んだが、尚もふざけて

舌を出しながら嘲笑う。

 

「……アンタ、トレーナーじゃないの?

 いいのかなあ〜ウマ娘に乱暴なことして?

 ねえ、いいのかなあ~???…ふふっ、あはは!

 そいつもバッカみたい!!

 あんな理事長庇ってさ!!

 あの人クビにした奴なんて…」

 

ごきん、と大きく鈍い音が響く。

 

「ひっ………!?」

 

トレーナーは魔法瓶を片手で握り潰していた。

 

がらん、とそれを床に放り出すと、

その手で犯人の顔をゆっくりと掴み、

徐々に力を込めていく。

 

「何すんのよ!!アンタ……それでも

 ウマ娘のトレーナーなの……!?」

トレーナーは何があっても

ウマ娘を守ってしかるべきだ。

たとえそのウマ娘が何をしようが。

危害を加えるなんてあるはずがない。

犯人はそう考えていた。

 

「君が言葉が通じない『動物』なら

 こんなことはしないよ俺は。

 でも君はこちらの言葉は完全に

 理解してるみたいだからね。

 理解してる上でその態度ならこうするしかない」

 

今度は平坦な、感情のない声だった。

榛色の瞳には一切の光を映していない。

 

犯人の頬骨が軋む。

─この男は本気だ。

 

先程までの余裕もなくなったか、

ようやく己の立場に気づいたか。

「…いやぁ……」

犯人は涙目になっていった。

「だから言ったのに…」

ウイングアローは嘆息した。

 

「…それは…アカンて………」

意識を失ったと思われたタマモクロスが

うっすらと目を開けた。

無骨なトレーナーの手を、

その白く小さな手で止める。

 

「この手、ウチらのためにあるんやろ」

 

諦めかけた時に差し伸べられた手。

勝った時ハイタッチを交わした手。

負けた時の悔し涙を拭ってくれた手。

 

「後生やトレーナー…その大事な手を

 そんなん捻り潰すのに

 使わんといてえな……」

 

「……」

 

トレーナーは無言で犯人の顔から手を離す。

犯人は恐怖で意識を失ったのか

そのまま顔を床に打ち付けた。

 

「……この生徒はたしか中等部の…」

一度、模擬レースで見かけたことがあった。

彼女のトレーナーは飲酒運転で

交通事故を起こして相手に大怪我をさせ、

先月資格を剥奪されていた。

実績はあった一方、彼の酒癖の悪さは

学園でも有名だった。

 

「トレーナー、もう彼女は生徒ではありません。

 名前も、ありません」

ウイングアローが毅然と答える。

「ああ、そうだね」

テロリストには名前を与えない。

年齢も、言葉も一切与えない。

いたずらか、腹いせか。

いずれにせよやった行為は

許されるものではない。

彼女は明確に理事長に

危害を加える目的で何らかの液体を撒いた。

これだけが事実である。

 

─それにしてもこの液体は─

 

触れてもまったく痛みはない。

浴びせられたタマモクロスの顔面にも

火傷や薬傷のようなものは見られない。

撒かれた当初は熱を持っていたが冷めたようだ。

発生した気体を吸っても

今のところ呼吸に異常はない。

匂い自体に刺激臭はなく、香ばしいような─

主によく夏に嗅ぐ匂いが─

 

「麦茶だこれ」

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