それでは女性としてのプライドもズタズタだ。
特に永世三強の中で唯一既婚者もあるイナリワンは
タマモクロスがどれだけ寂しく、傷ついているかわかる。
しかし健康な男性で、そばに
(黙ってさえいれば)これだけの美女がいて、
一切手を出さないとはどういうことか。
「据え膳食わねえどころか
据え膳に気づいてねえのか??
いやいや、てめえが嫁にしたんだろうよ、
そりゃあねえよな…」
突っ込んだことを聞くべきか迷うがこの際である。
「…その、タマ…トレーナーは
ちゅーは……してくれるよな?」
顔を真っ赤にしつつオグリキャップが尋ねる。
「結婚式で……」
「………それ以降は…???」
ふるふると、弱々しく首を振る。
「やっぱり、うち、女と見られてないんや……」
彼の女性の基準はどうなっているのか。
「ええと、旦那はタマの前は…」
夫の「前例」はどうだったか。
今のタマモクロスと前例を比べると─
永世三強はそれぞれの中で
一つの仮説を導き出した。
お互いの顔を見て、同じ仮説であることを察知する。
だが、信じたくない。
「…まさか」
「そんなことないですよね……?」
「でもよぉ…」
タマモクロスは、夫の元カノと
全く違うタイプだ。
そもそも彼が「モテない」というのは
男性としてモテないということではなく
ティアラ路線で勝てないトレーナーを指す
隠語から来るものである。
由来は不明であるが、
ティアラ路線確立直後の時代から
未勝利のトレーナーはなぜか
「モテないやつ」と呼ばれるのである。
三冠路線やシニア級では数々の栄光を
手にしている彼だが、ティアラ路線は無縁だ。
トレーナーとしては「モテ」なくとも
男性としては過去に交際していた女性がいる。
同じくトレーナーの─
─小宮山 勝美。
タマモクロスにとっては幼馴染で、
家庭環境のせいでクラブチームや
レース教室に入れなかった
タマモクロスに走り方を教えた存在だ。
あれはタマモクロスが入学する直前、
トレセン学園で毎年行われる
トレーナー試験の合格発表日だった。
オンラインでも結果を知ることはできるが、
発表時間に時差があり、オンラインより
学園での発表の方が早い。
小宮山はトレーナー試験の合格発表と
タマモクロスの学園見学を兼ねて2人で上京、
筆記の自己採点も上々、面接と論文も自信ありと
二人とも合格したつもりであった。
「タマちゃん、知ってる人?」
合格発表の掲示まで時間があったため、
2人は模擬レースを見学していた。
小宮山はレースそっちのけでタマモクロスがずっと
1人のトレーナーを目で追い続けてることに気づく。
「……いや、何やろ、知らん人何やけど
……どっかで会うたことあったような…」
懐かしそうな、寂しそうな顔をしている。
「声、かけてみる?」
「ううん………あ、発表、そろそろやないか??」
女神像前の広場に臨時の掲示板が立てられ
そこに合格者の受験番号が掲示される。
「………………ない」
結果はまさかの不合格。
毎年試験結果を受けられない受験者及び
暴れる関係者(主にウマ娘)がいるため
学園側も対応に慣れたもので、
合格手続き窓口のほかに
不合格理由の説明を受けられる
苦情窓口も設けられている。
簡単な机とパイプ椅子が数脚
向かい合わせで置いてある小さな部屋だ。
「苦情処理」の腕章をつけたスーツ姿の
小柄な男が、駿川たづなも使用する「指導用鞭」片手に窓の外の
女神像前の悲喜こもごもを眺めていた。
「なんでや!!なんで不合格なんや!!
こみちゃん、自己採点では9割取れてたんやぞ?」
ショックで作画がへなへなになった
小宮山を引っ張りながら部屋に入るやいなや
タマモクロスは男の背に向かい食って掛かる。
「…小宮山勝美くんか。
君、学科の解答欄全部一個ズレてたよ」
男は手元の資料を見ることもなく、
こちらを振り返ることなく
あっさりと小宮山の致命的ミスを告げた。
面接や論文でなく、そこが理由だった。
「……あ、そらあかんわ…何しとんねんこみちゃん!?」
「ああ……見直したのに…ちゃんと解答してれば…」
「…レースに『たら』『れば』はないよ」
冷え切った声でそう言いながら振り返る男は、
先ほどタマモクロスがずっと
目で追い続けたトレーナーだった。
「君のミスが君だけに影響があるならいい。
それは自業自得だ。
でも俺達トレーナーのミスはウマ娘に響く。
君のせいでウマ娘が被害を被る。違うかな?」
ぐうの音も出ない。
自分より小柄な相手に小宮山は気圧された。
─これが、中央のトレーナー………
彼はくるりと鞭を回し小宮山の首に当て、彼女を睨む。
「君の詰めの甘さがウマ娘に取り返しのつかない
状況をもたらしたらどうする?
それがわからんならトレーナーなんて諦めなさい」
「…アンタ…そ、…そんな言い方、ないやろ……」
「トレーナーがだらしないとウマ娘が傷つく」
男のやや吊り気味のその大きな瞳に
ダメ押しで射抜くような強い視線をぶつけられた後、
首筋からムチが離れた。
「…ただ、論文試験での君のジュニア級育成時の
成長と負荷の相互関係のついての論文は
目を見張るものがありました。
来年、期待しています」
再び彼女に向けたその瞳には
かすかに穏やかな光が宿っている。
「………はい」
そんな、お互いあまり印象のよくないであろう
出会いだった2人が交際をしている、
と聞いたのはタマモクロスがクラシック級のとき、
小宮山がトレーナーになった年だ。
そう聞いたとき、タマモクロスの心が痛んだのは
姉のような存在の幼馴染が
自分から離れたことへの寂しさだけが
理由ではなかったと気づくのは、随分と後のことだった。
小宮山の資格取得は致命的ミスによる
不合格からさらに3年遅れた。
彼女が劣っていたわけではない。
初回以外にミスもなかった。だが。
トレーナーの合否の基準は
その年の受験者の一位になった者の成績の数値で、
その最高点から一定の点数の範囲内でなければ落とされる。
驚異的な成績を収めたものがいれば、
例年なら合格のはずの者すら弾かれるのだ。
3年の間、他のトレーナーに相手にされないまま
高等部へ進学したタマモクロスと
契約したのは他ならぬ「彼」だった。
あとで聞けば、彼はタマモクロスについては
心配せずともスカウトが
多数舞い込むと思っていたようであるが
実際はそうではなかった。
─なんとなく、だけど。
小宮山は今も思う。
まだ誰とも知れぬのにひたすら
彼を目で追うタマモクロスの横顔を見たとき、
「お前は『ここでは』タマモクロスのトレーナーではない」
と、小宮山は『何か』に、『誰か』に
そう、言われた気がした。
その何か、誰かに妨害されたのか。
とにかく、彼女は間に合わなかった。
それでも陰ながらタマモクロスと彼を支えた。
タマモクロスのことをはじめ、
トレーナー同士として彼と情報交換をするうちに─
─『他人』とは思えない。
タマモクロス卒業後には
そんな親近感を覚え、交際に発展したのだが
一月も経たずあっさり彼らは関係を解消した。
破局、という言葉が似つかわしくないほど円満だった。
「ほら、下の名前の読みが一緒だと結婚したら
わけわからないですし!」
などと理由について彼女は冗談めかしたが、
実際の破局理由は
「お互い『他人』とは思えなさすぎた」からだと、
彼が親しい友人にこぼしていた。
別れた後もトレーナー同士であれば学園で顔も合わす。
ギクシャクするのではないかと周囲は気を揉んだが
普通に歓談し意見交換もしているし
彼の結婚前はたまに飲みに行ったりしていた。
タマモクロスとの結婚式も招待を一度は固辞したが
新郎新婦たっての願いで参列、
花嫁姿のタマモクロスを見て
「よがっだねええええたまちゃああああああん」
と心の底から祝福し一番号泣していたのは小宮山勝美だった。
現在、その小宮山勝美は海外研修中である。
故に浮気相手としては外していたのだが
問題はそこではない。
小宮山の体型は高身長でスタイルもいい。
今のタマモクロスの夫である
小柄な彼と別れた際には、口さがない連中は
「性格ならぬ体格の不一致」
と笑っていた。
それはとにかく、まあ、元カノも胸はある。
だが妻の方は高低差がない。
地鳴らしでもしたのかというくらい。
体が小さいからという言い訳も
イナリワンの前には無意味だ。
「…………やはり旦那は乳、なんじゃねえか…?
どうやってデカくなったんだか覚えてるか、クリーク」
「…さあ…勝手に大きくなっちゃったので……」
「また乳から目線か!!みんなしてうちをコケにしよって…」
「…ええと、好きな人に触ってもらうと
大きくなるって聞いたことがあるぞタマ」
「その肝心な好きな人が全然触れてくれへんのや!!!!!!」
その時、ドアをノックする音が響いた。
やっと当事者であるタマモクロスの夫が
会議を終え到着したのだろうか。
イナリワンがドアを開けると
快活そうな声をあげてとある人物が入ってきた。
「お邪魔します檮原トレーナー!!
あ、やっぱり!
タマちゃん久しぶりー!!!声が聞こえたから
寄ってみ…
……あれ、なんで泣いてるの!!??」
噂をすればなんとやら。
夫の元カノの御登場である。
トレーナー試験についてはオリジナル設定です。