「この石段、トレーニングに良さそうだな」
ブライアンはたった今降りてきた
長く急な石段を振り仰ぎながら言った。
「急すぎんか?転んだら真っ逆さまやで」
温泉に向かう前にこの付近では一番の
観光名所ともなっている寺院に参拝を済ませた。
「ほー、お数珠もあるんやな」
土産物屋にも仏具があるのは
さすが寺の門前町といったところか。
店先には荘厳な作りの仏具と
素朴な土産物が並んでいた。
「ブライアンがしっかりお参りしてたの
意外やったなあ。案外信心深いんやな」
ナリタブライアンと言えば孤高の一匹狼、
神も仏もあまり信じていない、
鼻で笑いそうなイメージがタマモクロスにはあった。
「…信心というよりは、ああいうのは礼儀作法だろう」
「せやな。…なんかシーズン中やのに
護摩行やっとるプロ野球の監督おったなあ。
中国地方のチームの」
厄除けのつもりか必勝祈願か。
「色々辛いんだろう。そっとしておいてやれ」
「横浜の劇場型ストッパーの曲流れたら
過剰反応するんちゃうか?
ほら、『ゾンビ』ネーション……」
「それ以上いけない」
「あ、あれなんやろ??ちょっと見てええ?」
「好きにしろ」
どうやら店先に並ぶ土産物に
気になる物があったようだ。
「あれーナリタブライアンさんじゃないっすか
俺超ファンなんですよー!
どうですかこれから一緒にお茶でも」
そう言いながら男は馴れ馴れしく
ブライアンの手を取ろうとするが、さりげなく
彼女は躱した。
「……それはどうも。だが連れがいるんでな」
寺の門前町でナンパとは何とも
煩悩が過ぎるというか、罰当たりな男だ。
「お待っとさん……あれ、どちらさん?」
土産物の陳列棚の間からぴょこん、と
タマモクロスが顔を出した。
「……ひぇっ??タマモクロス!?」
男は戦慄した。
タマモクロス自身に驚いたわけではない。
大概この状況だと秒でタマモクロスの夫こと
「タマモクロス専用SEC◯M」がやって来るからだ。
「うわあああああ
SEC◯Mが来るううう!鞭連打されるううう!!」
男は思わず姿勢を低くし頭を抱えた。
もはやタマモクロスの夫は怪異か災害か他国から
発射された飛翔体扱いである。
「?うちの人はおらんで。今日は女子旅やねん」
「……そうなの!?えっと、じゃあ3人で
一緒にお茶でも」
「お茶ぁ?そこのうなぎ屋でうなぎ食わせてくれるなら
付き合ってもええけどなあ」
「えーもうちょい安いのにしてよー」
夫がいないとわかると俄然馴れ馴れしさが復活する。
─懲りない奴だな……─
「やっぱ2人とも間近で見ると美人でかわいいよねえ〜」
その刹那、ブライアンの肩越しから鞭の切っ先─
切っ先と呼ぶべきなのかは不明だが
先端部分がナンパ男の首元に突きつけられた。
「……アイエエエ!?ダンナ!?ダンナナンデ!?」
こうなればもはや男はハイクを読むしかない。
「…確かにタマモクロス=美そのものなことに
疑いの余地はないし
魅力的で本当は優しいなのに
シャイで照れ屋だからごまかしてる
ナリタブライアンがとても
かわいいことに異論はないが
それはそれとして俺の大事な2人を
怖がらせないでもらえるかな?」
ブライアン達が振り向くと
普段とは違う、黒ずくめの服に
フードを被ったトレーナーがいた。
「……アンタ、なにしとん……?」
黒いゴーグルをつけているため
その表情はうかがいしれない。
口元も真一文字に結ばれている。
空挺部隊所属だったときの彼は
きっとこのような姿だったのだろう。
「いや、トレーナー、アンタが怖いぞ……
それに私は可愛くはないからな」
さすがのブライアンも
やや顔を赤らめて耳を垂らす。
「いや、そういうとこやないか?」
「畜生!結局ダンナが
ついてきてるんじゃないかああああ」
ナンパ男は転がるように逃げていった。
「トレーナー、さすがに追いつくのが早くないか?」
連絡を入れたのは一時間程前だ。
彼が手にした鞭が上空を指す。
その先には黒いヘリが旋回していた。
─そういえばさっきから飛んでたな。
嫁のもとに駆けつけるために
ここまでヘリをかっ飛ばし降下してきたのだ。
嫁が絡むと凄まじい行動力である。
「………なんでアンタおんの?
…ブライアン、ひょっとしてチクったんか?」
「…まあそう取られても仕方あるまい」
訝しげにタマモクロスは2人を交互に睨む。
「いや、ブライアンはね、心配してくれて…」
「アンタのことだ、ヘソを曲げて
アンチアカウント潰してたり
してそうだったからな…」
「なんで俺の行動パターンわかってんの!?」
「…病院のことも言うたんか?」
ブライアンは眉間を押さえため息をつく。
「………病院?タマ、ひょっとして具合が悪いの?」
「……………っ!!」
タマモクロスはしまった、という顔になった。
ブライアンが夫に伝えていたのは居場所だけだ。
「……なんもあらへん!!!!」
タマモクロスはそう吐き捨てると
2人に背を向け駆け出した。
「…タマ!!」
「アンタなんか大嫌いや!!ついて来たら離婚やぞ!!」
その言葉に追いかけようとした夫の足が止まり、
そのまま崩れ落ちた。
「ナムアミダブツ!!」
そう言いながら前のめりに突っ伏す。
「おい、ここでその念仏はヤバいだろう」
この地では「南無妙法蓮華経」が適切である。
「ブライアン……俺はもうだめだぁ……」
夫はあまりのショックで立ち上がれないようだ。
「わかった、アンタは路面と一体化してろ。私が追う」
五月の万緑の中を白い影が
がむしゃらに走っていくのを
黒い影が追いかけていく。
─どこまで行く気だ。
随分と山の中に入ってきてしまった。
それでも依然、タマモクロスの脚は衰えない。
お互い長距離ウマ娘であるため
スタミナ勝負となれば長丁場になる。
「きゃあ…!」
小さな悲鳴とともに
タマモクロスの背中が斜め下に消えていった。
草木が生い茂る道なき道から
崖下に転落したのである。
「……しまった!!!」
転落した場所からブライアンは下を覗き込む。
「タマモクロス!!!おい!返事をしろ!!」
「あいたた……へましてもた……」
タマモクロスの声が聞こえる。
どうやら意識はあるようだ。
「上がれそうか」
「ちょお待って……なんや?
ウチの下になんかあったかいのが…」
タマモクロスのその小さな体を、
黒い何かが崖下で受け止めているように見える。
ブライアンからは藪が視界を遮り
黒い「それ」を当初は
先回りしたトレーナーと認識していた。
だが。
その黒い何かが立ち上がり正体がわかると
2人同時に思わず叫んだ。
「「……クマー!!!!!!!!」」