「こみちゃん…」
夫の元カノではあるが
タマモクロスにとっては今でも姉のような存在である。
「…うえええええええええ…」
またタマモクロスは泣きじゃくり始めた。
「どうしたの?タマちゃんを泣かせるなんて…
…ひょっとしてあの人になんかされた?」
「…なんもされへん~!!」
タマモクロスは小宮山にしがみつきながら首を振る。
「あの人を庇わなくていいよ!ちゃんと話して。
力になるから」
タマモクロスの細い肩に手を添え、
気づかわし気にその顔を覗き込む。
「…いや、あのな…
ほんとになにもされねえから泣いてんだ…
新婚だってえのにあの旦那はよ…」
「…へ…???…え????……ああ、そういう…」
小宮山は状況を察する。
「…姐さん、ちょっといいかい」
イナリワンは小宮山をタマモクロスから引き離すと、
部屋も隅に連れていき小声で彼女に尋ねた。
「悪気はねえし答えたくなきゃ答えてくんなくって構わねえ。
失礼を承知で聞くが…
…あの旦那はその、そっちの方はダメのかい?」
聞きづらい話題だが、しかたあるまい。
「はい??????…」
かくかくしかじか、とこれまでの事情を簡潔に説明する。
図書館の二人を特定し
速やかにその存在を抹消することについて
イナリワンと小宮山は合意後、本題に戻る。
「…おかげで、タマの字がずっとあんな調子でよぉ。
何か手掛かりが欲しいところでな。
まあ旦那がそっちが無理なら仕方がねえ、
男にとっちゃあそれを責められちゃあ立つ瀬がねえ。
この感じだといっそその方がマシってもんだが…」
元カノはものすごく小声で顔を真っ赤にして俯きながら答えた。
「…あの人…むしろ…………ねちこい…よ…」
─あの旦那、ねちこいのかい…。
まあなんというか、精力的な感じがする顔立ちではある。
とにかくタマモクロスの夫は
男性としての機能になんの問題はないことが判明してしまった。
ではなぜタマモクロスには目もくれないのだろうか。
胸か。
やはり胸なのか。
それならば、タマモクロスにとっては状況は絶望的だ。
再び、ノックの音がした。
次こそ本命だろう。
「タマ!」
まだ何も知らない渦中の夫(ねちこい)が
部屋に飛び込んできた。
「………アンタ、どうしてここに?」
「檮原くんに呼ばれて……どうしたの?何があったの?」
その直後に夫(ねちこい)はイナリワンはじめ
その場にいた四人に怒涛の如く
容赦なく詰められはじめたのである。
その様子を見て檮原は目をつぶって天を仰ぐ。
─修羅場だ。
絵に描いたような、これ以上ないくらいの修羅場だ。
自分の母ならこの場もうまくさばいただろうか。
「……しぐな、お父ちゃんに外連れてってもらいな。
しぐなにゃあまだ早い話だ」
イナリワンは檮原とともにいた娘をこの修羅場から離れさせる。
これは子供に聞かせる話ではない。
妻の言葉をこれ幸い、と檮原はそそくさと娘を連れ立ち去ろうとする。
「え、檮原くん行っちゃうの???」
タマモの夫(ねちこい)は縋るように檮原を見る。
三人の怒れるウマ娘と元カノの中に
彼は一人取り残されることになるのだ。
「うちの妻はそうなると止まりません。幸運を祈ります。
生きてまた会いましょう、仕事残ってますし」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ!!」
檮原に追いすがろうとするその肩を
イナリワンががっちりと掴む。
「…旦那、覚悟しなぁ」
──うちも大概だけどここんちの奥さん
かなり気性難だよな?
「トレーナーといえどタマを泣かすのは許さないぞ」
「トレーナーさん、じっくりお話させていただきますね」
ウマ娘たちはみな、お耳ないない状態、
つまり耳を後ろに寝かせて
ウマ娘として怒りの感情を最大限に表している。
「あなたなら心配ないと思ったのに…」
小宮山も呆れたように緑色の髪ををかきむしる。
「…と、とりあえず遺書書いてからでいいかな…?」
覚悟を決めた。
自分が生きてこの部屋から出られる可能性は低い。
妻が泣いているというので仕事を切り上げて
来てみれば永世三強と元カノに
集中砲火を浴びさせられて理不尽この上ないが
逆らう力は彼にはない。
「…旦那ぁ、タマの字になんの不満があるってぇんでえ!?」
「え!?あるわけないじゃないのそんなの!!
俺にはもったいないくらいの奥さんだよ?」
そんな言葉も今のタマモクロスにはむなしいし、
他の四名にすれば白々しいのであるが。
夫(ねちこい)は戸惑いながら再び自分の妻を見る。
イナリワンと並ぶくらいの
勝ち気で強気な自分の妻がただただ涙していた。
それもどうやら夫である自分が原因らしい。
「…ねえ、俺、なんかちゃった?」
もう一度、相変わらず状況が読めない夫(ねちこい)は妻に尋ねる。
「何もしてないからだっつってんだろおおおおおおおおお!」
永世三強+元カノの声は学園中に響き渡った。
「だからそりゃあどういうことなんだよおおおおお!」
未だわけのわからない夫(ねちこい)は頭を抱えた。
──────
「おーい貞ちゃーん」
学園の片隅のガレージ。
うず高く積み上がった廃材や機材の中で
黙々と修復作業をする作業着の男に
随分と顔立ちの整った男がスクラップ越しに声をかけた。
「…エイジ」
修復作業の手を止め、すすまみれの実直そうな顔をあげる。
「休憩がてら今絶賛開催中の、我らが同期が
元カノと永世三強と現嫁に詰められるイベント
見に行かない?」
トレセン学園屈指の美男子といわれる顔を
無邪気に綻ばせてエイジは言う。
貞ちゃん、と呼ばれた男は
ミホノブルボンのトレーナーだ。
この二人とタマモクロスの夫の三人は
トレーナーとしてのデビューは同期であるが
ミホノブルボンのトレーナーの方が
二人より年上である。
トレーナーは浪人も多く、
そのうえ様々な経歴や学歴を経た者が多いため
年齢よりもデビュー時期の方が重要視される。
「ああ、小宮山さん帰ってきたんだっけ。
…で、なんでその面々に詰められてるんだあいつ。
浮気でもしたの?」
「さあ、それを見に行くんだよ」
「あのさ、エイジ……」
呆れたように首を振る。
既婚者ですでに子供のいる彼にはさすがに下世話な内容過ぎたか。
「そんなおもしろ断罪イベントが無料でいいのかよ?」
貞ちゃんは作業着の膝をはたくと弾むように立ち上がった。