「トレーナーさん」
ウマ娘の中で唯一、その場に残った
スーパークリークが笑顔で、
しかし目の奥は笑わぬ「悪役」の顔で
タマモクロスの夫に声をかける。
彼女はイナリワンやタマモクロスのような
激しい気性をしているわけではない。
だが、オグリキャップ曰く
「怒らせたら誰より怖い」存在だ。
その彼女が、耳を寝かせていないだけで
相当に怒っている。
「今日の座談会、いらしてましたか?」
「……最初だけ………」
「タマちゃん以外、みんな
トレーナーさんは最後までいましたよ」
クリークには奈瀬が、
オグリには北原が、
イナリワンには檮原が。
「あ、でも私が最後まで…」
フォローするように小宮山が言いかける。
「小宮山さんは黙っててください」
クリークは彼女にしては珍しく、
強い口調で言葉を遮る。
「……タマちゃんだけひとりぼっちで…」
会場内を見渡すタマモクロスの横顔を、
終了後それぞれのトレーナーに
労われる他の三人を見る
彼女の瞳に宿るものを、
スーパークリークは見逃さなかった。
「トレーナーとしてのあなたに伺います。
私たちウマ娘はそういう状況だと
どうなってしまいますか?」
笑顔を貼り付けたまま彼女は質問する。
「……焦燥感、孤独感と言ったものから来る
心理的負担による
パフォーマンスの低下や
情緒不安定になる可能性が考えられる…」
気まずそうに頭をかきながら答える。
トレーナーの解答としては満点だ。
「あら、さすがよくご存じですね」
クリークは「知っててお前は何をやっている」
と言わんばかりだ。
ウマ娘は人より身体能力が高い反面、
精神的な部分で特定の相手に
依存する傾向がある。
トレーナー等、パートナーと言える
「人」の存在に依存しがちだ。
彼女たちは「人」がいなければ
生きられない、とさえ言われる。
タマモクロスは元々気性が激しい。
その一方でかなり繊細なウマ娘だ。
そこに加えて情緒不安定に
陥いらせてしまったのか。
─夫であり、トレーナーである自分が。
「さっき話してたんです。旦那さんが
タマちゃんにはだらしないとこ見せるのは
タマちゃんに甘えてるからだって。
……でもちょっと甘え過ぎじゃありませんか?」
「…クリークに甘え過ぎ、と言われるとはね…」
夫は自嘲気味に苦笑した。
だが言われた通りだ。
─タマなら大丈夫、わかってくれてる。
そんな甘えが結果的には
彼女を蔑ろにしてしまった。
タマモクロスは面倒見がよく、
しっかりしているし我慢強い。
なによりも、彼女のことは
自分が誰よりも知っている─
そう思い込んでいた。
完全に安心して甘えて、驕っていた。
実際はなにもわかってなかった。
「…俺は……バカだ……!」
─これじゃあ、トレーナーとしても
夫としても失格じゃないか。
────────
「おう、うちの娘泣かせたら許さへんからな」
結婚式の席上、義理の父に凄まれた。
「お父ちゃん!?」
「アンタ何言うてんの!!」
娘と妻に叱られつつ、今度は義父は
自分の手を強く握り、頭を垂れる。
「…親がいたらんばっかりに
余計な苦労させてもうた娘です。
それをアンタが日本一のウマ娘に
してくれはった。どうか、どうか
今度は日本一幸せな嫁にしたってください。
お願いします、どうか………」
そう強く握られた手の感触を思い出す。
「─これじゃあ、お義父さんに
怒られても仕方がないな……」
あの時握られた己の手を見つめる。
今、義父にどれだけ殴られたって
文句は言えまい。
あれだけ娘を泣かせていたのだから。
「旦那ぁ、見失っちまった。面目ねえ…」
そこにイナリワンたちがトボトボと戻ってきた。
「引退したとはいえタマはさすがの脚だったぞ。
どこに行ってしまったんだろう?
うちの部室だろうか?」
「トレーナーさん、心当たりはないんですか?」
「……うーん」
おそらく、自分のチームの部室にも、
家にも彼女はいないだろう。
心当たりがあるとすれば─
「……もしかしたら……!!」
彼は弾かれたように
部屋を飛び出すと駆け出した。
「あたしらも行こう!」
「…ちょっと待ってくれ、みんな。
今はあいつを一人で
行かせてやってくれないか」
それまで黙っていたエイジが口を開く。
「俺もそれがいいと思う」
彼を追いかけようとする
ウマ娘たちを彼の友人は、止めた。
学園は広い。
ウマ娘の脚ならそこまで
時間はかからないが、部室棟から
彼の目指す場所はかなり離れていた。
普段あまり人がいない、
専門学科の教室が並ぶ棟だ。
彼はひたすらに走る。
身体能力は同年代の中では
悪くはない方だが
このところの仕事疲れの蓄積もあり
足がもつれ、転倒する。
それでも彼はすぐ起き上がると、
懸命に走った。
息を切らし、転倒のせいで
あちこち痛む体を叱咤しながら、
普段はあまり人のいない旧校舎の
その屋上に続く階段を駆け上がる。
最後の階段を登る途中の
踊り場の手前で歩を止め、息を整えると
大理石の手すりの向こうに
いるであろう人物に声をかける。
「……タマ…そこにいる?」
「………なんでここってわかったん?」
涙声が手すりの向こう側から聞こえた。
夫は手すりの此方側の段差に腰を下ろす。
「……わかったわけじゃない。
正直、自信もなかったよ」
「………?どういうこっちゃ?」
「ここに君がいてくれたらいいなって
俺が願っただけなんだ。
…よかった。いてくれて……」
心から安堵のため息をつく。
「……結局ここに来てしもたんや。
……なあ…怖くてずっと
聞けへんかったけど
アンタにとって、ウチってなんなん?
お飾りの嫁なん?」
「そんなことはない。君は俺にとって─」
─彼女は自分にとってどのような存在か。
喩えるならそれは─
「……………水、かなあ」
「…水??…水て、色気もなんもないやん。
普通、あるやろ……花とか星とか…」
女性を形容するなら
花であったり宝石であったり、
そういった美しいもので表すのではないか。
「だって水がないと乾いて死んでしまうけど、
水は油断すると溺れてしまうだろう?」
「……!!!!!!!!!!」
「俺は君がいないと、生きられないんだ。
でもうっかりすると君に溺れそうになる」
「……そんな、そんならどうして………」
どうしてこないに放っておいたんや。
一旦は普段通りに戻っていた声が
また上ずり、涙声に戻ると、
最後は言葉にならなかった。
「タマ…!」
矢も盾もたまらず、夫は立ち上がると
妻のいる場所の前に回った。
彼女の瞳から涙が溢れている。
抱きしめたい衝動を抑え、
その隣に座るとしゃくりあげる
その小さな背中をさすった。
「俺鈍感だから、わかんなかったんだよ。
色んな人に怒られてやっと気づいたんだ。
なんかこう、その過程で色々
尊厳とか信用とか失った気もするけど…
君を失うよりマシだ。……ごめんな、タマ」
彼女の背中をさする手とは反対側の手で
その涙を拭うと、顔を寄せ額を合わせる。
ここまで至近距離でお互いの
顔を見るのも久々だ。
目の前には銀色の髪と潤んだ海色の瞳。
─本当にきれいだな。
状況を忘れ妻の顔に魅入ってしまう。
一方のタマモは照れくさいのか視線は泳ぐが、
やがて意を決したように真っすぐ夫の目を見た。
「…タマ、お願いがあるんだ」
「………なんやの?」
「もう一度だけ、チャンスが欲しい」
「……!!」
─もう一度だけ─
タマモクロスが挫折しかけた時に
トレーナーとして彼女にかけた言葉だ。
今度は自分へ、夫としての自分への
ラストチャンスを与えてもらうために。
「…ええよ。これで貸し借りなしやで」
彼女もまた、その言葉を覚えていた。
「タマ、俺と家族になってほしい」
同じような言葉を、数ヶ月前にここで交わした。
ここは彼が彼女にプロポーズした場所だ。
「…ホンマにウチでええの?」
「君が俺でいいんだったら、だけどね」
「……ええに決まっとるやん。
ウチ、アンタしかおらんもん」
「…ありがとう、タマ」
夫は妻を優しく抱きしめた。
プロポーズの言葉からここまでは
1度目の時とほぼ同じである。
「……ゆっくり、家族になって行こうよ。
…嫌だったり、不満があったら
ちゃんと言ってほしい。
忙しそうにしてても遠慮しないで。
俺が一番大事なのは、君なんだから」
2度目のプロポーズで、夫はそう付け加えた。
忙しかったから。
忙しそうだから。
お互いが忙しさを言い訳にしていた。
「……うん」
タマモクロスは夫の腕の中で小さく答える。
とはいえ、今こうして彼が
抱きしめてくれるだけで
タマモクロスは全ての不満も不安も
霧散してしまったように感じていた。
─我ながら安上がりやなあ。
「…せやなあ……不満言うたらアンタ、
周りになんかその、結婚してから色々
言われとるやん?
あれ、ウチ嫌やってん。
なんで言い返さんの?」
やれ、偉そうに言っても
結局は教え子に手を出しただの
契約を餌に交際を迫っただの
グルーミングしただのと。
それは本人の耳にも届いていたし
直接言って来る輩もいたが
全く気にしてはいなかった。
「俺は何言われたって気にしないよ?」
しょせん、無責任な妬みの類いだ。
むしろそんなに俺の嫁が羨ましいのか、と
思っているフシさえある。
大体そう突っかかって来るのは
トレーナー免許「だけ」は持ってる人間だ。
恋愛感情で突っ走らせるだけで
大レースを勝てるほど、甘くはない。
「ウチが嫌やのっ!……アンタかて
ウチらが悪口言われたら嫌やし怒るやろ?
それと一緒や」
大事な人の陰口など自分の陰口より
不愉快なものである。
たとえ当の本人が気にしてなくてもだ。
「…ああ、そう言われると…。
次からはちゃんと反論しようかな」
「アンタ、ロリコン扱いされとるよ。
ウチの見た目にせいやけど……」
確かに夫は尻尾の裏を見たがる
変態ではあるが幼女趣味ではない。
「ん?待って、それ前提として、まず
タマが悪く言われてない?」
「………あ」
こういうところは妙に鋭い。
「……タマ?誰になに言われたの?」