とっても天使なウマ娘さん 作:レース場の散った芝
「お待たせしました」
「ありがとうございます。さあ、シンジさんも座ってください」
「よいしょ」
ピサさんの隣に腰を下ろす。混んでくる前に入場した方がいいかもという話になったため、ダービーの前走から観戦することにした。観戦には食べ物が必須だと誰かも分からないおじさんからアドバイスされたので、ピサさんの分も買ってきたところだ。
「……どうかしましたか?」
「い、いえ、なんでも」
想像していたより座席の間隔が狭い。ピサさんの顔がすぐ真横にあってドキドキしてしまう。キョトンとした顔がすっごく可愛い。もうすっごく。今日ずっとピサさん可愛いに思考を支配されてしまっている気がする。心地いい。明日から普通の生活に戻れるだろうか。
「それより、レースの方はどんな感じですか?」
「つい先ほど9レースが終わったところです。ハラハラドキドキするレースでした」
「あらら、いいところを見逃しちゃったな」
掲示板を見ると1着と2着がクビ差、2着と3着もアタマ差で、ギリギリの熱いレースだったようだ。ほんといいところを見逃してしまった。
「はい、ピサさんの分の飲み物とドーナツです」
「ありがとうございます。ぜひシンジさんも食べてください」
「ピサさんも、このポテト食べていいですよ」
「では遠慮なく、あむ……美味しいですね」
「ええ、可愛いです」
「今は味の話しかしていませんよ?」
美味しいと微笑むピサさんも、頬を膨らませるピサさんも可愛い。指で突いてプシューと空気を吐き出させたい。怒られるだろうか。許してくれるほどの関係値ではまだないだろうな。なので今日は我慢。
それはそれとしてドーナツもポテトも美味しい。さっきスイーツをたらふく食べた後だけど、手が進むのなんの。もっと買ってくればよかったな。
「……」
「……」
「……ダービーって何時からでしたっけ」
「えっと、予定では30分後ですね」
「そうですか、ありがとうございます。……」
ダメだ、会話を続けられない。あまりにも俺の手札が少なすぎる。思えば毎日のモーニングコールでもピサさんが話題を出してくれている。俺はそれにのっかるだけ。はぁ~あ、つまんない男だなー俺って。
「シンジさんは普段からレース観戦されているのですか?」
「それなりには。といっても配信ばかりで、現地での観戦は今日が初めてです」
「そうなんですね。今日が初めてなのはやはりダービーだからですか?」
「んー、まぁそれもありますが……ピサさんとデートしたかったからというのが……もちろんダービー自体も興味ありますけどね」
「……推しの方とか、いらっしゃるんですか?」
少し恥ずかしそうに、横目でこちらを見つめながら尋ねてくる。
「気になりますか?」
そう尋ねるととても恥ずかしそうにコクリと頷く。くっそ可愛い。法律がなければぎゅーって抱きしめてる。
一番大好きなのはもちのろんピサさんである。ただしそれは1人の女性として大好きなのであって、競走ウマ娘として推しはまた別の話である。だってまだピサさんが走るところ見たことないし。実際に見たら100億%推しになるだろうけど。
「んー、ブエナビスタさん、かなぁ。強いし可愛いし」
先週のオークスも勝ってたっぽいし、めちゃ強いし、めちゃ可愛いし、間違いなく今一番注目されているウマ娘だろう。
「あれ?」
「……」
「怒ってます?」
「いえ、怒ってなど……ただ、私とのデート中にも関わらず、他の方に対して可愛いなんて言ってしまうんだ、と思っただけです」
「えっと、嫉妬してます?」
「してません」
そう言う割には尻尾でベジベジと叩いてくる。勢いはついてないから痛くはないけどこそばゆい。というかフワフワしてる。触りたい。
「いてっ」
「浮気をする方には触らせてあげません」
「浮気なんてしません。ピサさん一筋です。一生ピサさんだけを愛し続けます」
「だ、誰もそこまで言えとは言っていません!」
「可愛い。ピサさんめっちゃ可愛いです。マジ天使。あいらーびゅー」
「それ以上喋らないでくださいっ!」
「むぐ」
プンプンなピサさんにドーナツを突っ込まれ、強制的に黙らせられる。ピサさんの食べかけのドーナツ……なんてことは当然なく、普通に新品です。でもちょっとだけピサさんの手汗がついてる気がする。……さすがに気持ち悪すぎるか。
「もうっ、もうっ! シンジさんはいつも私の気も知らないで、いつもいつもドキドキさせてくるんですから!」
「もぐもぐ」
それはお互い様だから許してほしい。ピサさんが意識しているのかは分からないけど、何気ない一言や所作に俺もドキドキさせられっぱなしなのだ。お互い攻撃特化のクソザコ防御力らしい。でもピサさんのそういうところが可愛い。
「もぐっ……ピサさんが迷惑ならもう少し控えますけど。1日1回好きって言うくらいに」
「……ダービーの予習でもしますか? 確か注目ウマ娘の前走の映像が公開されていたかと」
え、スルーされた? 聞くまでもなく察して控えろよってこと? それとも……分からない。恋愛経験も女性経験もウマ娘経験もぜーんぶ皆無の俺には。でもいい。ピサさんの本心は分からなくても、一緒にいられればそれだけで幸せだから。
「一緒に見ないのですか?」
「見ます、けど……いや、なんでもないです」
ピサさんがスマホで動画を見せてくれるが、距離が近い。だってスマホだしな。近づかないと一緒に見れないんです。ピサさんの距離感がヤバすぎて、肩が触れ合うどころか、二の腕まで密着してしまう。横を見ればほんとすぐそばにピサさんの綺麗な顔が合って、もうちょっと近づけば頬にキスできてしまう。恋愛よわよわクソ雑魚童貞の俺には刺激が強すぎるぜ。
「最注目なのはこの方ですね」
「今年の皐月賞勝ってましたよね、確か」
「その通りです。その時の映像が公開されていますので一緒に見ましょう。イヤホン使いますか?」
「それ、ウマ娘用なんで俺の耳には合わないかも」
「あっ、そっか、そうですよね……一緒に、聞けませんね」
しまった、ピサさんを悲しませてしまった。想い人を悲しませるなんて、片思い男としてはカスの所業である。えーと、どうすれば……
「こ、こつでんどー……なんつて」
頭部を密着させて骨伝導にする。まぁ骨伝導になるわけないんですけどね。ただのジョークだ。おい、笑えよ。道化な俺を笑ってくれよ。
「……」
「なんつて。……ごめんなさい調子乗りました。殴るなら腹パンにしてください」
「……うふふっ、シンジさんは面白いですね。いいですよ、骨伝導、で聞きましょう」
「ごめんなさい、やっぱりそれはナシで。俺の心臓が持たないです」
ピサさんとずっと頭密着なんてマジで心臓止まってしまう。だというのに離れようとするとグイっと引き寄せられてしまう。待って待って待って、マジで誰か助けてくれ。このままだと俺、ピサさんに惚れ殺されてしまう。
「いいですから。シンジさんが言い出しっぺですよ」
「わ、分かりました。ピサさんに従います……俺はピサさんに恋する奴隷です……」
「誰もそこまで言ってませんが……まぁいいです。ではこのまま骨伝導で一緒に聞きましょう」
骨伝導でピサさんと一緒に実況解説の音声を聞く……聞けるわけがないんだよなぁ。なんちゃって骨伝導だし。なんならなんちゃってですらない。ただ頭をピトッとくっつけてイチャイチャしているだけだ。ピサさんがどう認識しているかは分からないけど、周りから見ればカップルそのものだろう。
「――が――で――なんです。それから――」
ピサさんが何か解説をしてくれているようだが全く耳に入ってこない。そりゃそうだよな。こんな状態で平常心でいられるわけがない。ピサさんにはたいっへん申し訳ないが、ふわふわ浮ついた気持ちで過ごさせてもらおう。
「――さん、シンジさん、起きてください」
「ほぇ……」
「ダービーが始まってしまいますよ」
「はぇ……はえ?」
あれ? おかしいな、今の今まで俺は何をしていたのだろう。ついさっきまでピサさんと頭をくっつけて……あれ、ピサさんの綺麗なお顔が真上にあるな? もしかして今膝枕されちゃってます? それに頭頂部に何か幸せを感じるのですが、頭なでなでまでされちゃってたりします? 自分の頭の下にあるそれが鍛え上げられた逞しい太ももの感触であることを確かめた後、慌てて起き上がる。
「よく眠れましたか?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、デート中に寝ちゃった上、ピサさんの膝を勝手に使っちゃって……」
「いえ、気になさらないでください。少しウトウトとしていらしたので、私が勝手に膝枕をして寝かしつけただけですから」
「全く記憶がない……」
ウトウトしていた記憶すらない。本当に気が付いた時には膝の上だ。なんてことをしてしまったんだ……大事な大事な初デート、その最中に寝落ちしてしまうなんて……やってしまったー。
「あのまま膝枕で観戦してもいいですよ?」
「え、そんな魅力的な……いやでも、そんな浮ついた気持ちで観戦するのは、これからレースを走るウマ娘の人たちに申し訳ないので……デートって時点で浮ついてる気もしますが、それはそれとして」
本当は名残惜しい、もっとしてほしい。天使のような慈愛の微笑みで見下ろしてほしいし、さっきみたいに頭を撫でてほしい。美しいピサ丘陵という絶景を下から眺めたい。でも今日はレース観戦が目的である。ピサさんに甘えまくることが目的ではないのだ。本当は甘えまくりたいけども。
「分かりました……ではまた機会があれば」
また機会があればってどうゆうこと!? 膝枕大歓迎な感じですか!? まずい、魅惑的な太ももに吸い込まれそうになる。うぅ、頑張れ俺。
「あ、ほ、ほら、皆出てきましたよ」
出走するウマ娘さん達がターフ上に姿を現す。たったそれだけなのに観客のボルテージがぶちあがる。すさまじいなダービーの熱狂。
いつかピサさんもこの舞台に立つのだろうか。立ってほしいな。綺麗な勝負服を身にまとって、ターフを駆け抜ける天使……やばい、絵になりすぎるな。
「私の顔に何かついてますか?」
「いえ、綺麗なお顔です。いつかピサさんもダービーを走るのかなーって、そんなこと考えてただけです」
「なるほど。そうですね、ダービーの舞台に立って、私の走りで希望の輪を繋ぎたいと、そう思います」
「良い夢、ですね。ピサさんのデビューっていつでしたっけ」
「10月の末頃です。まだ詳細な日付は決まっていませんが」
「決まったら教えてください。絶対チケット取って、絶対応援に行きます」
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
10月から11月にかけて週末の予定全部空けておこうか。いつ出走するってなっても大丈夫なように。あ、でもどっかで学園祭があった気がするな。んー、まぁさすがにピサさん優先かなー。学園祭なんて卒業までに3回あるけど、ピサさんのデビュー戦はたったの1回しかないのだ。デビュー戦に限らず全てがオンリーワン。
そんなこんなしているうちにウマ娘たちがゲートに入場し、会場がシーンと静まり返る。別に俺が走るわけでもないのに何故か緊張するな。ピサさんもギュッと拳を握り締め、どこか緊張している様子。同じ競争ウマ娘だからこそ感じる何かがあるのだろうか。
「どうか、誰も怪我することなく……」
ウマ娘はとてつもなく速い。GⅠに出走するレベルともなればさらに。そんなウマ娘が全力疾走中に転んだりしてしまったらどうなるか。大怪我に繋がりかねない。今日は知る子達が意識してるかどうかは知らないけど、命懸けのレースなのだろう。ピサさんの願い通り誰も怪我無く完走できること、それが一番だ。
『今年のダービーウマ娘は――!』
2分33秒、今年のダービーのタイムである。たったの2分半のはずなのにすごく長く感じた。配信でダービーは何度も見たことあるし、タイムも今回とあまり変わりないはずだ。なのに今日のダービーは、特に最後の直線はすっげぇ長くに感じた。
「……ふぅ、すごかったですね」
「そうですね。最後の一瞬まで目が離せない、素晴らしいレースでした」
「分かります。俺が走っているわけでも、ピサさんが走ってるわけでもないのに、最後の直線、すっげぇドキドキしました」
「うふふ、シンジさんがあまり見ない表情をしていて、レースに夢中になっているのが分かりました」
「え、そうです? 夢中になってたのはその通りだと思いますけど」
「はい。いつもは私にメロメロな……言っていて恥ずかしくなってきたのでやっぱりナシでお願いします」
顔を真っ赤にしたピサさんが手で自身の顔を覆い隠す。自分にメロメロなどと、事実だけど自分で言うのが恥ずかしくて仕方がなかったのだろう。"この人、私にメロメロなんだな"とピサさんに思われていたというのがこちらも少し恥ずかしい。事実だし、気持ちを思いっきり態度に出しているのだけど。
「その、この後どうしますか?」
「よければこの後のレースも……」
「奇遇ですね。俺もそれ誘うつもりでした。目黒記念がありますし」
「私達、似た者同士かもしれませんね。ウィニングライブも一緒に見に行きますか?」
「ぜひ。あのー、なんでしたっけ、ペンライト? 持ってきてないんですけど大丈夫ですかね?」
「私が2本持ってきていますから、私物でよければ1本お貸ししますよ」
「あ、ありがとうございます。お借りします」
ピサさんの私物を借りるなんて恐れ多いけど、ピサさんの心遣いを無碍にするなんてさらに恐れ多い。
「その、夜ご飯とかも一緒に……」
「もちろんです。むしろそのつもりでいましたよ」
「やったっ。なんかオシャレなところを予約してるとかじゃないので、そこら辺のファミレスになっちゃうかもしれないですけど……いいですか?」
「大丈夫ですよ。シンジさんと一緒にいられるならどこでも」
「ぴぇ」
Q. レース描写はないんですか?
A. ピサのレースではあるかも