教室の入り口に差しかかった。
その瞬間だった。膳野とその友人達が世紀の大発見を遂げた探検家さながらの勢いで突進してきて、学郎の両肩をがっしりと掴んできた。
「さっき一緒にいた女子、誰だよ!? めっちゃ美人だったじゃんか!」
男の叫び。
学郎は一瞬だけ言葉に詰まった。まさか六十年前から封印されている幻妖の分身だとは言えない。
「……あの人は、姉なんだ」
「姉……? 全然似てないけど」
「義理の姉、なんだ」
膳野の動きが、ピタリと止まった。
直後、彼らは重々しく口を開いた。
「美人な義理の姉なんて……えっち過ぎんだろ……!!」
「ぐぼばぁッ!?」
床に転がり、天井を見上げる膳野を、学郎は無言で見下ろした。
人間、妄想に理屈を与えすぎると自滅するらしい。
「膳野! お前そんなノリのいい奴だったのかよ!」
「テメェ夜島! ズリーぞ!!」
「なんでお前ばっかり義理の姉(美人)がいるんだよ!」
盛り上がる男子生徒たち。
馬鹿馬鹿しい冗談。くだらない叫び。生産性も思想もないその空間を見つめながら、学郎の胸の奥にどこか温かいものが広がる。
誰も命を懸けていない。明日を恐れずに、ただバカ騒ぎをしている。
(俺は、この日常を守りたくて戦っているんだ)
口元が自然と緩む。
「学郎、忘れ物だよ」
教室の扉から鵺が顔を出した。分身として実体化した彼女は、遠慮という概念をどこかに置き忘れてきたらしい。
ノンデリカシーの化身がそこにいた。
「……鵺さん、何ですかそれ」
「これだよ。新カードの詰め合わせ拡張パックさ!」
鵺が掲げたパックに、教室が再び沸騰した。
「夜島のお姉さん!?」
「カード持ってきてくれるとか女神かよ!」
「なんでカード?」
愛嬌と親しみやすさで、一瞬にして男子生徒たちの心を掴む。
きんこんかんこん。
無機質なチャイムの音が響き、生徒たちが一斉に自席へ戻り始めた。
「ん?」
学郎はその異変に誰よりも早く気づいた。
教室に入ってきた教師の動きが変だった。
目は虚ろで、歩調は不自然に歪んでいる。まるで人間の肉体を、不慣れな何かが操作しているような違和感。そして、その身から滲み出る濃密な幻妖の気配。
「チャイム鳴ったぞ、席につけ。チャイム鳴ったぞ、席につけ……」
機械的な連呼。意思も感情もない命令の残滓。教師の焦点の合わない目が、ぬっと鵺の方へ向けられた。
「お前は……このクラスの生徒ではない……!」
声が不自然に裏返る。
「ダレェだてぇぇえは!!」
空気が凍りついた。だが、学郎が動くより早く、膳野が叫んでいた。
「なんかやべーぞ! 男連中は夜島のお姉さんを守れ!!」
「よく分かんねえけど手を貸すぜ!」
悪意のない善意。目の前の仲間を守ろうとする、生徒たちの純粋な反撃。だが善意だけでは、力を持たない人間はあまりにも脆い。
「押し返せ!」
教師へ群がるクラスメイトたち。しかし、教師の皮を被った怪物の力に押され、揉み合う生徒たちの身体が窓際へと傾いていく。
「えっ」
誰かの間の抜けた声。直後、窓ガラスが割れ、教師は窓の外へ落下した。
彼らを二階の窓の外へ引きずり下ろす。
(恐怖に飲まれるな。判断を誤るな)
学郎は静かに息を吐き、地を蹴った。
「戦闘開始」