老人が、呑気に微笑んでいる。
「やあ、おはよう。ちょうど持って行こうと思っていたところじゃよ。食べるかね?」
そう差し出されたのは、湯気を立てる大きな肉の塊と、見たこともない色鮮やかな果実。
腹の虫が、戦士のプライドなどまるで知らないように鳴り響いた。
「う……いいの?」
「はっはっは、遠慮はいらん。腹が減っては戦もできんからな」
手を伸ばしてはならない。
毒や薬を盛ったのかもしれない。
そう頭の隅でわかっていつつも、つい手が伸びてしまう暴力的な香りが鼻腔を刺激する。
わたしは震える手で、最後の抵抗とばかりに肉を小さく千切り、恐る恐る口に運んだ。
「──っ!?」
瞬間、溢れる肉汁。
とろけるような舌触りに、焼き加減だけではない、臭みがなく、肉の旨みを最大限に生かした絶妙な風味が口に広がる。
ガツンと頭を殴られたかのような衝撃。
なんだ、この味は。
栄養補給のレーションはもちろん、侵略先で丸焼きにして食べる肉とは訳が違う。
わたしは何を食べちゃったの。いったい、舌の上で踊るこれはなんだろう。
頬が垂れ落ちるのではないかと錯覚し、思わず両手で押さえる。
「ほ、ほっぺが!!なにこれ、毒?!」
「美味しいとそうなるんじゃ。そこまで言ってもらえると作り手冥利に尽きるのう」
「おいしい……」
気づけば、わたしは獣のように食事に食らいついていた。罠だとかそういうことは全て忘れて。
山のようにあった料理がどんどん嵩を減らしていく。
ある程度満たされてくると思考に余裕が生まれ、ようやく頭が回ってきたわたしは決意した。
きめた!この老人は、苦しまないように始末してあげよう。
圧倒的感謝。
それを胸に完食した直後。素早く机の上にあった2本の棒きれを拾い、老人の目元へ突き出す。
「おいしいの、ありがとう。さよなら!」
渾身の突き──の、はずだった。
老人は、まるでお気楽に小さな虫でも追い払うような動作で、ひょいと突きを躱す。
枯れ枝のような指先に腕が触れた瞬間、あらぬ方向へ流された。力が空を切り、前のめりにバランスを崩した瞬間に足首を払われる。
速いのではない。淀みがないのだ。
突き出したはずの棒きれは、いつの間にかその指に挟まれていた。
「おっと、元気があるのは良いことじゃが、お行儀がいかん。これは命を奪う道具ではなく食事のための道具。それにまだ体はボロボロじゃ。今は寝ておきなさい」
「なっ……がはっ!?」
避けられた、と思った瞬間視界がブレる。
遅れて頭に衝撃を感じた。
避けたはずなのに。そんな強くないと思ったのに、まさか、この老人の動きを捉えきれなかった……?
くわんくわんと視界が揺れ、立つのが難しくなる。
老人は座り込んだわたしを持ち上げた。
進む先は……あの、幼い子供が寝ている場所だ。
抵抗もできず、ぐっすりと眠るその子の隣に横たえられる。
柔らかな布団に体が沈み、今まで忘れていた疲れがドッと湧いてきて瞼が重くなった。
ダメだ。
今眠ったら、殺される。
そんな思いが口から漏れ出ていたのだろうか。
老人が、ゆっくりとわたしの頭を撫でる。
「殺さんから、安心して眠りなさい」
「な、なんで?わたしは、殺そうとしたのに」
「……ものも知らぬ幼子の命を奪うほど耄碌してはおらんからのう」
「もう、一人で星を攻める戦士だし……わたしは、幼子じゃないっ……!」
「戦士か!通りで怪我をしてるのによく動くわけじゃな。じゃがまあ、それでもわしから見れば悟空となんら変わらん子供じゃ」
「ゴクウ……?」
「一緒に寝とったあの子じゃよ。さあ、今日のところはこれまでにして、おやすみ」
目元に手を被せられ、暗くなったせいか急激に意識が遠ざかる。
くやしい。こんなので。
また、まけ……
◇◇◇
数日後。
まだ全身が軋むが、だいぶ動けるようになってきた。
この星は母星に比べてかなり重力が小さいみたいだし、なによりあのおいしい食事を毎日たらふく食べては寝てを繰り返してるので当たり前である。
でも、メディカルポッドがあればもうとっくに完治してるのに。この星にはそう言った機械はないらしい。とても不便。
まあ兎にも角にも回復したわたしは、ここ何日か老人の目を盗み、森へと抜け出している。
目的は、墜落したポッドの回収だ。
呼び出しボタンを押しても、ボタンが壊れたのかはたまた船体の方が故障してしまったのか、全く応答がないのが不安だけど……とりあえず、予備のスカウターがあれば叔父に連絡がつく。
もうこっちに来てるから移動中か知らないが、それもスカウターでわかることだ。
「……あれ、さっきもこの折れた大木見たような。気のせい?」
しかし、連日探していることからわかるように、そう簡単にポッドは見つかってくれなった。
わたしの記憶が正しければ、着陸の時にあの木を見たような……いやこっちだったかな?
散々歩き回っても似たような木々ばかり。自分がどこに進んでるのかもわからない。
太陽の位置? 地形? そんなものはスカウターが表示してくれるものだ。生身の感覚なんて、原始的すぎてアテにならない。
「くぅ……スカウターさえあれば!」
半泣きで藪をかき分けていると、背後から聞き慣れた声がした。
「ほれ、こんなところで何をしておる。家は逆方向じゃぞ」
「げっ!? 毎回なんで見つけるのジジイ!」
老人はまるで見えない糸で繋がっているかのように、迷子のわたしを正確に回収する。
スカウターもないのに、どうやってわたしの位置を……?
この星の先住民族、もしや特殊な超能力者なのだろうか。
結局、老人に連れられて家に戻る屈辱を味わったが、3日後、ようやく自力でポッドの残骸に辿り着いた。
「……あった、けど」
無惨にひび割れた船体。
燃料云々の問題じゃなく、修理か新調する必要がある。
予備スカウターもかなり損傷していた。
自分の怪我の具合からして、もしかしてとは思ってたけど……最悪。
しかしくよくよしていても直りはしない。
今やれることをやるべきだ。
幸運にも、予備のスカウターは液晶が生きていた。
予備スカウターの耳元のパーツを分解して、壊れたスカウターと繋ぎ合わせる。
不規則に表示が点滅し……半分以上文字がおかしくなってしまっているが、わずかにデータが読み出せた。
受信箱を開くと、いくつかのメッセージが並ぶ。送信者は…ROCO……おそらく叔父だ。
見れた!!と喜んだのも束の間。
その内容を見て、思考が止まった。
《……足手纏い……地球に送る……》
《フリー……下手に動くな……》
《……滅ぼす……お前のデータは廃棄……帰ってくるな》
《……延び…… メイズ》
「……え……?」
指先に残るスカウターの感触が、急に冷たい機械の塊に変わる。
目を擦り、何度も、何度も読み返した。
《足手纏い》《帰ってくるな》
行く行くはエリートになってみせると、叔父も己よりも強くなれと、送り出してくれたはずだった。
なのに。わたしはただ、間引きされただけだった?
叔父からも、母星からも、いらないって……?
うそだ。
震える手でスカウターを操作し、叔父に通話を試みる。
不安定に点滅する画面を縋るように見つめる。
《不通》
積み上げてきた信頼が、『強くなれ』という言葉が、足元の泥の中に溶けて消えていく感覚。
いつのまにか握りしめていた手から赤い雫が地面に落ちる。
爪で抉られて、未だ治り切っていない傷が開いたのだろう。血の色が滲む包帯を見て、はたと思い至る。
そうか、よわいから。
「……っ、…………」
なんでだろう。
喉の奥が熱い。声が出ない。
なにか吐き出したいのに、なにも言えない。
喉奥の熱を飲み込むように俯き、母星とは全く違う、緑に覆われた地面を睨みつけて拳を握る。
それから、数分か。それとも数時間経ったのか。
滲むわたしの視界に、ひょこっと、小さな影が入り込む。
同族の幼子。わたしを墜落させた元凶。はたしてこの星を侵略するつもりがあるのかないのか、あの老人と仲睦まじく暮らしている子供。
飛ばし子にしても、幼い。きっとわたしと同じく捨てられた、出来損ない。
幼子は、俯くわたしの顔をじっと覗き込んでくる。
心配しているのか? バカにしているのか?
目が合うと、にへっと、あまりにも能天気な顔で笑った。
「……そっか。おまえ、自分が捨てられたことも知らないのか」
ぽたりと、わたしの真下にいる幼子の頬に雫がひとつ落ちる。
こちらを不思議そうに見上げる様子を見ていると、なんだか、あの数十バイトのデータ程度で立ち止まってる自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
ふ、と息を吐くように笑みを浮かべる。
「……決めた。どうせ宇宙船もスカウターこわれてるし」
頬を伝う
何もせず言われるがまま、負けたまま終わるなんて、許さない。
叔父さんだってわたしが強くなれば、きっと。
「ゴクウ、だっけ。まずはあのジジイ共々リベンジするから。そのあとポッドも直して、叔父さんもぶっ飛ばす!」
リベンジの日はもう決まってる。
あとはわたしが強くなるだけ。
ちょっと長いけど……成長期を終えれば今よりずっと戦闘力も伸びるし戦いやすくなるはずだ。
「8年後……次の満月に、大猿になったおまえに勝つ!その後わたしも大猿になってこの星を掃除する。それまでせいぜい呑気に笑ってるといい」
踵を返し、わたしは足を踏み出した。
叔父が僻地に送ろうと、帰ってくるなと言われようと。わたしはサイヤ人だ。
弱さに甘んじるな、戦え、前に進み続けろ。
わたしの心を表すように雲間から眩しい光が差し込む。
どこか見覚えがあるような折れた大木が、日に照らされ黄金色に輝いて見えた。
30分後。
「……おまえの家、どっちだっけ」
「ん!」
ゴクウがわたしの踏み出した足と真逆に進む。
……まずは、スカウターを直すのが先決かもしれない。
《迷惑フォルダ:314件》