提督が退役しました。これより年金生活に入ります 作:デモステネス
臨時総会最終日。すべての日程を終え、明日は帰るばかり。皆で感傷にふけりながらぼんやりホテルの部屋でテレビを眺めていると呼び鈴が鳴った。
「柳です。ファーストさんはいるかな。」
「あ、はい。」
最初の夕張が部屋の扉を開くと、微笑を浮かべた柳が立っていた。
「一献、やらないかと思ってね。」
「そう。上がって上がって」
真っすぐ広縁まで上がり込むと椅子にどっかと座りこみ、鞄からワインのボトルを取り出して最初の夕張に見せた。「マ〇ジのアマローネ。97年」
思わず吐息を洩らす夕張。「いいの?」
「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。 呑兵衛はいくらでもいるけれど、ワインの香りを聞く相手は滅多にいなくてね。」
「そう。じゃ、遠慮なく。
誰か売店でワインのつまみになるものを買ってきてくれないかしら。」
最初の夕張は、財布から札を取り出した。「クラコットとかプロセスチーズとか味や香りのきつくないものを適当に。おつりはいらないわ。」
「承知しました。」
同室の夕張が互いに目配せしながら買い物に出ていった。
「邪魔にならないように広縁に座ったんだけど、障子閉めた方がいいかしらん。」
「作戦会議かしらね。」
柳は首を振った。艦娘を暇にすると提督を恋愛ごっこの山車にしてくるのには慣れてはいるが、総会でそんな誤解されるような真似してたまるか。全鎮守府にゴシップネタ提供するようなものじゃないか。
「何を期待しているんだか。私を知らないのかな。」
「建造間もない娘ばっかりですからねー。一番若い娘は三ヵ月ちょっとかな。」
「あー、なんでも首突っ込みたがる御年頃だったか。」
人間で言えば歩き回れるようになった幼児がなんでも触りたがり、とりあえず口に入れてみるようなものである。あたら無知で自覚がないだけ始末が悪い。
「陸さんとはちゃんとやったかい。向こうもだいぶん増加食を消費したはずだ。」話題を変えることにした。
「妖精さん用に積載している増加食を持って行ったの。陸軍と物が違うから珍しがられたわ。」
「なるほど。交流会の方はどうしたんだい。」
交流会はお互いの個人装備を交換して終わるのが慣例だが、ごっつい陸兵がへそ出しセーラー服着ている姿は見たくないぞ。
「暗視装置渡してきたわ。色々作ってみたんだけど、結局熟練見張員妖精さんを超えられなかったのよねー。あと、スパナとかレンチとか。」
「夕張らしいね。」
溜息交じりに柳。スカーフとかリボンとは言わないが、左手のリストバンドくらい渡せなかったのか。これだから色気のない工学部コンビは。首を振りながらデカンタとソムリエナイフを鞄から取り出す。
「持ってくるときに多少揺らしたからね。落ち着くのにちょっと時間がかかる。」
「シリコンゴム?」
抜栓したコルクを渡されて夕張が小首を傾げる。
「リコルクは面倒だし、そもそもブショネの原因とわかっていて天然コルク使うってね。ゼンメルワイス以前かい、って」
「ゼンメルワイス?」
「ん。医者は手を洗え、っていったドクター。パスツール以前は病原菌の存在を知らなくて、血まみれの手は医者の証明で医者の誇り、という時代でね。」
「えぇぇ・・・」
「カルキ入れた水で手洗い消毒した結果、産褥熱で死ぬ産婦が1/10に減った。それまで産後の肥立ちが悪くて産婦は1割も死んでいたんだ。
ワインも、ブショネ率は5%だか8%っていうから、いい勝負だね。」
「1ケース3本ブショネでも C'est la vie、で終わらせる人たちはねー。」
柳がボトルからデカンタにワインをゆっくりと注ぐ。
「ああ、いいわね。」デカンタから立ちこめる香りにうっとりする夕張。
「開いたらどんなになるのかしら。」
「めくるめく官能だね、間違いなく」
「買ってきましたー」
買い物から帰ってきた夕張たちが買い物袋を置いて、作り笑顔でどうぞごゆっくり、といってそそくさと部屋を出ていく。鞄からワイングラスを取り出し、二口程度注いて夕張に渡しながら柳「誤解されたかな。」
「あたしは誤解じゃなくてもいいんですけど。」夕張がグラスを揺らす、というより攪拌して香が部屋に広がった。。
「それは大変魅力的な提案だが」
コウハンが正しい音だったな、と、どうでもよい知識が頭をよぎる。カクハンするといったら大正生まれの夕張は却ってわからないかもしれない。「身がもたないな、色々」
「あらあ、大佐はじっとしているだけでもいいのよ。」
柳をからかうことなど滅多にあることではない。取り敢えずデカンタを手に取る。
「だ・め・よ。もう」手酌しようとしていた柳を咎めた。
「ほら、ちゃんと出して」酌をするために柳にグラスを差し出させた。
夕張が楽しむ一方、柳は心の中で高笑いしていた。本人は目一杯色気振りまいているつもりなのかもしれないが、人間、素質というものがある。私が何年艦娘相手に提督やっていたと思うんだ。努力は認めるがその程度では駆逐艦の如月にも劣るぞ。陸奥とか愛宕とはいわん、夕雲あたりに弟子入りして来い。それでもお色気担当は無理だろうが。それに。
柳はグラスを置き、口に人差し指を立てると立ち上がった。忍び足で部屋の入り口に向かい、ドアを一気に開ける。
「あ」
ドアに聞き耳を立てていた夕張が声を上げた。
「おっさんの語りを聞きたいとはなかなか見どころがある若者だね。おいで。」
是非もなし。柱島第2鎮守府の夕張がいささかひきつった笑いを浮かべて中に入っていくと、最初の夕張が苦笑いしていた。
「よくわかったわね。」
「長年提督稼業やってると自然と身に付くんだ。大体は青葉とか青葉とか青葉のせいだけどね。あと、隠しカメラとか隠しマイクにも詳しくなる。」
「あははは・・・」 それを青葉に頼まれて作っているのは大抵の場合、夕張である。
「うちの青葉は、結局情報部に転属したそうだ。私の後任は情報が簡単に手に入り過ぎて張り合いがないらしい。」
「うわあ」
青葉はウォーモンガー揃いの重巡洋艦の中では大人しい方だが、それでも戦ってなんぼの艦娘である。それが実戦部隊より情報部の方がやりがいがあるって、どれだけ切磋琢磨し合っていたのこの二人は。夕張二人がドン引きしていると、柳はホテルの部屋に備え付けのグラスにワインを注いで柱島第2の夕張に渡した。
「すまないがグラスは2脚しか持ってこなかったんだ。グラスをこんな感じで振って」手本を見せた。「芳香成分を揮発させる。ちょっと飲んでみて」
「苦くないんですね、思ったより。酸っぱくもない」
「酒も人間と同じで、年数がたつと角が取れるんだ。
さてと。本格的に飲む前に白雪からこれを預かってきた。」
請求書、明細書を最初の夕張に渡した。
「うまい話を持ってくる上司は警戒しなきゃいけないのを忘れていたわ。」
「えーっ、お金取るの」
「テントも机もレンタルでタダじゃない。」
「タダで使い放題なんて、空気と道路くらいよ。」
柳と最初の夕張が柱島の夕張をたしなめる。明細を目で追っていた最初の夕張だったが「今回の総会は大成功だったし、これくらい経費かかっても文句ないわ。正直なところ、定例会にしたいくらいだし。」上目づかいで柳を見る。
「大本営に話通してからにしてくれ。陸さんが妙に協力的だったから済んでるけど、色々拙かったよ。」
「そうなのよ。」最初の夕張が顔をしかめた。「大淀をどうやって宥めたものか。」
「そんなこともあろうかと。ここに白雪謹製の報告書がある。」
柳は財布の中からデータディスクを取り出した。「いくらで買う?」
「それもお金取るんだ」柱島夕張が溜息をつく。さすがにケチ、とはいわないだけの分別はあったようだ。
「うちはしがない下請け業者でねえ。従業員はみんな年金生活者で、最低限食ってはいけるんだけど、やっぱり労働には対価が必要だし、旅行は楽しい思い出のまま帰りたいだろう。」
「本当ならあなたのような建造されたてのペーペーこそ大金払っても手に入れなきゃならないものなのよ。」最古参が新米をたしなめた。「まだ大淀に貸しも借りも作れないでしょ、あなた。 これくらいでどうかしら。」
「ほう。」
柳は内心驚いていた。白雪が提示していた額とほぼ一致していたからだ。宿題代行の海軍版かい、と笑っていたのだが相場があるほど普及していたらしい。
「商談成立。」ディスクを渡し、握手する。「これからも御贔屓に。」
最初の夕張はクスクス笑った。「だいぶん白雪に教育されたみたいですね。」
自分の知っている柳提督は、商売の駆け引きをするような男ではない。柳についていった艦娘でそんなことができるのは白雪と明石だけで、白雪が噛んで含めるように教えたのだろう。明石なら大淀とは内内で済ませる間柄で、公に報告書提出するのはむしろ不得手なはずである。
「わかるかい?」
「そりゃあ、もう。」
二人は笑いあった。「これからは経営者なんだから、こういう駆け引きもやれるようになってくれなければ困ります、って言われたんでしょ。」
「正確には”こういう駆け引きの一つや二つ”だね。
私って、そんなにわかりやすいかなあ、よその鎮守府の艦娘にもバレバレって。」
「わかりやすいわよ、柳佐理という人を知っていれば。」
柱島夕張は目を丸くしていた。なんなんだろう、この二人。ファーストはなぜ別の鎮守府の提督とこんなに親しいの。
真顔になると柳はグラスにワインを少し注いだ。「では」
グラスを持ち上げる。「献杯」
「献杯、ですか?」 唱和した柱島夕張がおずおずと尋ねた。
「うん。不幸にしてこの美酒を味わえなかった者たちにね。あいつらが飲めなかった分、生き残った自分たちが飲んでやらなきゃならない。」
「それって・・・」死者を山車にして呑んでるんじゃ、とは流石に言えなかった。
「私も死んだら新潟の村上に墓をつくって、たまには尋ねてきてくれ、ってヒャッハーズに話をつけてある。」
「はい?」
ここで突っ込んだらきっと負けね。最初の夕張はそう感じて控えたが、ひよっこの柱島夕張は全力で突っ込んでいった。
「柳提督、北海道生まれじゃなかった?親戚がいるの?」
「いーや」
「じゃあ、先祖が出身地だったとか?」
「うちは前田侯にいわれて加賀から来たんで、越後は関係ないな。」
「じゃあ、なんで縁もゆかりもないところにお墓建てるの」
「たいへんいい質問だね、夕張君。」柳は満足げであった。
「あの世に行くのは避けようのない人間の定めなのでどうこういう気はないんだが、いざ赴くにあたって些か懸念があってね。」
「懸念?」
「うん。あの世には妙なる音楽が流れてるとか、この世の物とも思われぬ芳しい香りがするとか色々描写があるんだが、紅茶があるとはどこにも出てこないんだ。」
「はい?」
「キリスト教の天国作った頃は、チャノキもコーヒノキも知られていなかったから絶望的でね。その点、仏教はインド発祥だから大丈夫だとは思うんだけど、酒とかヨーグルト出てきても紅茶出てきた憶えがないんだよねえ。紅茶がないなんて、とてもじゃないがそんな所じゃ生きていけないよ。」
死後の世界で生きていけないって、あの世で幽霊やる気ですか柳大佐。最初の夕張は突っ込みを全力でこらえていた。
「村上はお茶の産地の北限なんだ。墓のそばに茶畑があれば、なんとか都合がつくだろう。」
「静岡や宇治じゃなくてなぜ村上なの?金剛さんじゃなくて隼鷹さんなのかしら。」
「それには村上の地理誌を知らなくてはならない。」ブリーフィングモードに移行していた。
「村上は越後平野の北端、三面川沿いに開けた街で、川の流域以外は山地だ。三面川の河口には漁港があって、海の幸、山の幸に恵まれる。
これだけなら日本全国あちこちにそういう場所はあるんだが、村上は江戸時代から鮭の養殖をしていてね。鮭料理がたいへん発達している。
塩引き鮭とか腹子の粕漬けとか、北海道も鮭の本場だが、こと料理となるともう、ダイヤモンドとビー玉くらいの差でねえ。汁物ひとつとってもがじ煮知っちゃうと、石狩鍋wwwになっちゃうんだな、これが。ああ、鮭の酒びたし久しく食ってない。」
「柳提督、よだれよだれ」
「おお」
最初の夕張が出てもいないよだれを指摘し、柳がそれを拭うふりをする。咄嗟のボケに突っ込みを入れるくらいの仲である。
「そして新潟は酒造りの盛んな土地だが、村上には〆〇鶴という素晴らしい銘酒がある。
昔仕えた提督の墓参り、って大義名分つけられたら休暇許可するしかないだろう。呑兵衛ズは大威張りで飲み会旅行に出かけられるし、海軍も死後もなお提督を慕う忠義の艦娘を称賛こそすれ、無碍にはできんわな。
私も私で、死後も艦娘の士気向上の役に立てれば、提督冥利に尽きるね。」
それからはひたすら酒にまつわる蘊蓄聞かされた、と柱島夕張は語った。お酒飲む、というより利き酒講習みたいな?
アマローネ
イタリアの偉大なワイン。アルコール発酵を成功させるには糖度が高くなければならない。今でこそ砂糖を補糖するのが一般的だが、歴史的に砂糖は高価な薬か栄養剤扱い。そういう時代にどうやって糖度を上げるか、イタリア人が出した回答はブドウの陰干し。
アマローネは、3~4カ月かけて陰干し。水分を40~45%飛ばしたブドウから醸造する。
速成のワインなら出来上がっている頃にようやく醸造にかかり、しかも水増しの真逆の製法で醸造するので必然的に生産量が少ない。
1997年は、グレートヴィンテージ。
ブショネ
天然コルクの中に潜んでいた菌のせいで香りがぶち壊しになったワインのこと。コルク臭さで他の香りが負けてしまってひたすらコルク臭い。色々言い訳はあるが、臭いにおいは元から絶たなきゃ駄目だし、スクリューキャップや王冠は高級感がない、って高級感に拘る割には安物コルク使って雑巾汁になる確率上げといてセ・ラヴィって、ねえ。
ヒャッハーズ
ヒャッハー!と、いつもハイテンションな隼鷹型空母1番艦隼鷹と2番艦の飛鷹のこと。 隼鷹が史実の艦長、長井満少将が酒飲みの宴会好きで、呑兵衛キャラにされたのはしょうがないが、飛鷹は完全にとばっちりである。
そして呑兵衛には類友が集まってくる。例えば千歳とかその巻き添えで千代田とか。
この軽空母4人が集まると酒がグラスではなくボトル単位で消費されるとか。空中勤務者が何やっとるんですかねえ。