提督が退役しました。これより年金生活に入ります 作:デモステネス
揚雲雀の囀りで目は覚めていた。うん、こうでなくては。人生の大半を過ごした鎮守府だが港町ゆえの欠点-朝はカラスの鳴き声で目覚める-を心地よいと思ったことはない。もっともヒバリがいるのが当たり前の土地の人は「日一分、日一分、利取る、利取る、月二朱、月二朱」と借金取り扱いしているが。
ポッ、ポッ、ポッ、ポーン
おはようございます。○月×日月曜日 朝6時のニュースです。
ラジオのタイマーが点いてラジオの声が流れる。ほどなくしてノックの音が聞こえ、吹雪がティーポットとカップを載せたお盆とタブレットを置くと部屋を下がった。ベッドに横になったまま、紅茶のカフェインで頭を叩き起こしつつ興味あるニュースはタブレットで探し、それ以外はラジオで聞き流すのが柳の日課である。もっとも日用品がまだ配送されていないため、簡易寝台に人間が駄目になる寝袋、という珍妙な姿ではあったが。
士官らしく身支度を整えなさい、という叢雲の叱咤は「士官たる者。身支度もさることながら先ず頭の中を整えることの方が優先する」という謎理論に敗退した。以来、様々な艦娘がチャーチル気取りのグータラ男に軍人としての規律を叩きこもうと挑戦したが果たした者はいない。龍田は、天使がいる、と寝ぼけ眼で艤装の輪っかを鷲掴みにされて鎧袖一触で敗走。卯月のフライングボディアタックにも球磨の添い寝にも動ぜず、度重なる伊勢型の江田島地震にも耐えた不動の提督に為す術はなかった。
「汽罐だと思え。毎日緊急始動でもちゃんと動くんだからそれでよかろう。」
と、長門が匙を投げて以来、あと10分、あと5分、あと3分、と言ってベッドから離れようとしないダメ人間を阻む者はいない。
吹雪が朝食の用意を整えてまもなく、柳が食堂に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます、司令官」
食卓の上を眺めて満足そうに頷いた。オーブントースターは既に余熱され、昨日買ってきた菓子パンが温められるのを待っている。そして目玉焼きに塩鮭の切り身に漬物。
そう、漬物である。士官学校は柳の朝食をパン食に教育したが、それが限界であった。せっかく世界一の発酵食品の国に生まれて草食ってる場合じゃない。なんとかサラダかんとかサラダって、いったいどれだけドレッシング揃えれば気が済むんだ?
「あんなに気合入れて買った割には普通ですね。」あんぱんを食べながら吹雪。
「んん?君がそれ言うか、吹雪。普通、っていうのは大変なんだぞ。」
クリームパンを呑み下すと続けた。「素で勝負しなきゃならんからな。バターかチーズのっけて火を通せば大抵のものはおいしくなる。ヒトが甘みと脂肪に幸福を感じるのは進化の結果だからな、ああ、次、豆パン。
しかしヒトは、脂肪を常時摂るように設計されちゃいない。そう設計されているのは炭水化物だ。馬力向上させるのにいくら吸気系排気系いじったところで、粗製ガソリンじゃどうにもならん。 アメリカ人みたいに毎日毎食ピザやらドーナツ食って、ありゃ2ストエンジンだな、ガソリンもオイルも燃やしてドッカンって。
今日の予定は?」
「妖精さんが引き続き作業中ですから、屋外作業になります。」
「屋外作業?具体的には?」
「グラウンド整備です。妖精さんが中で忙しいし、退屈だからやりたくない、って」
「本当におもしろくなさそうだな。」
ということで野焼きです。グラウンドを延長して滑走路にする、ということで横の草むらを200mばかり。外縁のヨモギやチモシー枯れたのを刈り取り、防火帯をつくってから火を放つ。2haも草むしりなんかやってられますかって。春先でまだ草が生え変わる前だからできたことだけれどね。風のない、曇りの日がお勧めです。
火を点けて暫くしたら妖精さんが集まってきて、ふぁいやーふぁいやー、囃したてながら不思議な踊りを踊って整地しちゃったから、実質アール単位しか焼いていないんですけどね。
「正直、今週一杯かかると思ったんだが。」
「1日で終わっちゃいましたねー。」
二人で空き地を眺めた。元々のグラウンドと野球場プラス新しく整地した部分で100m×500m。ジェット機や双発機飛ばすなら話は別だが、単発レシプロ機を飛ばすには十分な長さだ。退役提督の棲み家に滑走路、という非常識で忘れていたが、まさかここ基地にするわけじゃないよね。帯広とか釧路とか中標津使うよね?
「まさか」吹雪は笑顔で言った。「連絡機用です。ここは港から遠すぎますから。」
「連絡機?」
「みんなが来るたびにマイクロバスで迎えに行くわけにもいきませんよね。」
「勘弁してくれ」
距離的には十勝港の方が近いが、十勝港に入港できるのはせいぜい軽巡洋艦までに限られる。一個艦隊来るなら釧路港しか入港するところがないわけで、広域農道を飛ばして2時間以上かかる。往復で半日。せめて帯広まで特急乗ってこい。
「しかし、零観や瑞雲が着陸するわけにもいかんだろう。まさか九七艦攻?」
「アントノフ2です。旅客機仕様の」
「アントノフ?」
An-2。1947年初飛行、世界最大の単発複葉レシプロ機である。ロシア人が使っても壊れないくらい頑丈で、ロシア人が修理できるくらい整備も簡単。元々はコルホーズの種蒔き・農薬撒きが目的だったのだが、これと決めたらとことん使い倒すのがソヴィエトのメカ。資源探査に気象観測、緊急患者搬送に火災消火、放送中継に南極基地の物資輸送、要人輸送に特殊部隊の空挺降下、果ては簡易武装を施されてベトナムで攻撃任務、とやっていない空中任務を数えた方が早いくらいの汎用機である。とはいえ
「んなもんどこから手に入れた。」
「夕張さんがネット通販で買ってましたけど。」
「またかメロン子」 うん、大体知ってた。
「ハイエースより安いそうですよ。サイクロンエンジンに換装したからメンテもばっちり、って。」
「さいですか。それにしてもよく耐空証明取れたな」
「300マイル以内の飛行なら問題ないそうです。」
「あ、っそ」
わけのわからんものをネットから探し出してきては給料つぎ込む夕張のロマン主義にとやかく言う気はとっくの昔に捨てている。無駄な努力をしないのが柳の主義であった。
「とりあえず白線引くか。一応、図面描いてからだな。」ボリボリ頭を掻く。
「お茶の時間だ、吹雪。」
「はい、司令官」
今日の屋外作業はここまでですね。柳がお茶と言ったら、次の段取りがつくまで作業中断、というのが習慣であった。