提督が退役しました。これより年金生活に入ります 作:デモステネス
深海棲艦機動部隊は、目視不能な距離に展開しており、龍驤から発進した内火艇がヲ級に接舷するには約1時間かかった。案内された柳たちがガンルームに入っていくと吹雪と夕風が立ち上がって敬礼する。
「峯風型駆逐艦10番艦、夕風です。」
「大地寮寮監、柳佐理です。」答礼を返す。
矢絣に袴。黒の長靴。典型的な女学生の格好である。さすが大正生まれ。それにしても-矢絣がオレンジ色で袴が緑だった-東海道線かな。飛龍もそうだがあの配色はいつからあるんだろう、と柳が思っていると、夕風がひどく驚いた表情をしてまじまじと自分を見つめているのに気付いた。
「随分驚いているようだが、何かあったかな。」
「いえ。退役提督と伺っていたので。お若いなあ、と。」
「免官だからな。予備役になって女々しく軍にへばりつくなんて真っ平被る。」
これには夕風も思わず吹き出す。「吹雪さんから聞いていましたが、随分型破りな方なんですね。」
「型破りといえばあなたもそうだ。あなたを貰い受けるにあたって」港湾棲姫と飛行場姫の方を見る。「奉納舞をすることになった。吹雪。」
「はい、司令官」
「謡は日向、初雪が鼓を打つ。装束を用意したから着替えておいで。」
「はい。」
「舞台は三間×三間+地謡座が右、囃子座が正面奥で一間ずつ。合計四間だから。」
柳は港湾棲姫に向き直った。
「舞台に一辺7.3mの正方形が必要だ。観劇用とは別に椅子を4脚お借りしたい。」
「フム。ソレナラ えれべーたーガ ヨカロウ。タカサヲ カエラレル。シタクニ ジカンハ イカホド カカルカ。」
「舞台と言っても巻尺で寸法計って、テープを張って、四隅に椅子を置くだけだ。10分はかかるが20分もかからんな。着替えもそれだけあれば終わっているだろう。」
「デアルカ。ナラバ ワレニ ツヅケ。 ヲキュウ、アナイ セヨ。」
四隅に柱と見立てた椅子を置き、即席の能舞台を用意すると見物席をしつらえ、左から飛行場姫、港湾棲姫、柳、夕月が座った。舞台正面の奥、囃子座には初雪が正座し、スルスルと紐を引き締めると鼓を手にする。右手奥、地謡座には日向が正座。右の奥、笛柱に相当する椅子の脇に吹雪が正座。三つ指を着いてお辞儀をすると、日向が謡い始めた。
日向「出ずるぞ名残り三日月の 出ずるぞ名残り三日月の 都の西に急がん。
天地の開けし恵み久方の 天の児屋根の御譲り。
房崎の大臣とは我が事なり。さても自らが御母は、讃州志渡の寺房崎と申す浦にして、むなしくならせ給いぬると承わりて候えば、急ぎかの浦に下りて、追善をも為さばやと思い候。」
「劇の説明だ。日向は、吹雪の息子、息子の家来、ナレーターの三役を勤める。
吹雪の子、藤原房前(ふじわらのふささき)は参議。今で言えば国務大臣だな。」
「ホウ」
「房前の母は名もない庶民で、貴族社会ではとても都合が悪かった。そのせいで誰もが口をつぐんでいて房前は母のことを全く知らなかった。
房前の父が死ぬ間際に母の出身地とお前の名前は地名からとった、と告白してやっと母の墓参りができる、と都を離れ、讃岐の国、房崎の浦にやってきた。」
日向「御急ぎ候程に讃岐の国、房崎の浦に御着きにて候。又あれを見れば、男女の差別は知らず人一人来たり候。かれを待ち何事をも尋ねばや、と存じ候。」
「オドリト イウワリニハ タダ アルキマワッテイル ダケジャナイ。」
「そう見えるだろうね。」柳は飛行場姫に微笑んだ。
「元々は室内で演じるものなのでね。どったんばったんする訳にはいかないのだよ。視線とか手の動きに傾注されたい。慣れないと日本人でも難しいのだがね。」
日向「いかにこれなる海士びと、汝はこの浦の海人にてあるか。」
吹雪「さん候。この浦の海士にて候。」
日向「海士ならばあの水底のみるめ苅りて参らせ候え。」
吹雪「あら浅ましや。旅疲れ飢えに望ませ給うか。我が住む里と申せども、かほど卑しき田舎の果てに不思議や雲の上人をみるめ召され候え。これに苅りたるみるめの候。」
「吹雪は、海士といって素潜り専門の漁師だ。そして日向の母の亡霊だ。」
「ボウレイダト?」
「そう。我が子がやってきたのを知って会いに来た。」
日向「いやその儀にてはなし。水底の月をご覧ぜらるるに、みるめ繁りて障りとなれば苅り除けよ、とのご諚なり。召されん為にては無きぞとよ。」
吹雪「旅疲れ飢えに望ませ給いご所望あるかとこそ思いしに。月の為苅り除けよとのご諚なりけるぞや。たとい千尋の底の見えるめなりとも仰せならば、さこそあるべけれ。
昔天智天皇の御時、唐土より一つの名珠を渡たされしをこの沖にて龍神に盗られ、かずきあげしもこの浦の。」
「海の底の月を見るのに海藻が邪魔だから刈り取ってくれ、というのが前フリだ。普通の頼みじゃない。
しかし、前に同じことがありましたね、と吹雪が自分語りを始める。」
「マドロッコシイワネ。ハヤク コクハク スレバ イイノニ。」
全古参提督のトラウマを可愛いと思う日が来るとはね。この飛行場姫の前世は間違いなくヤンキー娘に違いない。
「イ級でも艦娘でもいいが、実は私はあなたの姉妹艦です、と言われたら」
「アア、ソウイウコト。」
日向「いかに海士人。かの玉をかずきあげしもこの浦の海士と申すか。」
吹雪「さん候。この浦の海士にて候。」
「房前は、宝珠を取り返した件は知っていた。外交的に非常にまずいことだったので、内内にすませなければならなかったこともね。それで父が都を離れ、現地妻の母の下に通っているうちに房前が生まれたんだな。
吹雪が当時の関係者と知って、母のこと知りたさに根掘り葉掘り尋ねるわけだ。もっとも吹雪は、当の本人なのだがね。」
日向「かほどの宝を何として漢朝よりも渡しけるぞ。」
吹雪「今の大臣淡海公の御妹は、唐土の高宗皇帝の后に立ち給う。かの后の御氏寺なればとて、興福寺へ三つの宝を送らるる。華原磐、泗濱浮磐、面向不背の玉。二つの宝は京着し、名珠はこの沖にて龍神に盗らる。大臣御身をやつし、かの玉をかずかせんが為に海士乙女と契りをこめ、一人の御子を儲け給う。今の房前の大臣とかや。」
日向「やあ、我こそ房前の大臣よ。あら懐かしの海士人や。なおなお語り候え。」
吹雪「今まではよその事とこそ思いつるに。まさしき御身の上を申しけるぞや。あらかたじけなや候。」
「今まで家来に吹雪と問答させていた房前が、自ら名乗りを上げて直截吹雪に質問を始める。吹雪が、そちらのロ級を艦娘に変えた舞はここからだ。」
吹雪「今の御子を世継の位に立て給わば、かの玉をかずくべし、とありしかば、仔細あらじと領掌し給う。我が子の為に捨てん命。露ほども惜しからじとて、千尋の縄を腰につけ、もしかの玉を取り得えたらばこの縄を動かすべし。その時人々力を添え、引揚げ給えと約束し。一つの利剣を抜き持って。」
吹雪は、立ち上がり、右手に持った扇子を前に突き出した。
日向「かの海底に飛び入れば。空は一つに雲の波。煙の波を凌ぎつつ、海漫々と分け入りて。直下と見れども底もなく、ほとりも知らぬ海底に。そも神変はいざ知らず、取り得ん事は不定なり。
前にずんずん進む吹雪。足を踏み鳴らし、きっと視線を正面に向けると両手で水を掻き分けながら静々と進んだが下を見てたじろぎ、思わず後ずさった。
日向「かくて龍宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔にかの珠を籠め置き、香華を供え、守護神に八龍並み居たり。その外悪魚鰐の口。」
気を取り直して舞台を回る。立ち止り、やや上に視線を向けて周りを見回した。
「竜宮というのはドラゴンキングの城だ。奪われた宝珠は、高さ90mの巨大な塔に大切に祭られていて、勢揃いした8人のドラゴンナイトじゃ足りず、鮫やらなんやらがごっそり警護していた。
少数精鋭隠密行動で艦娘独りで最終ステージに行ったら、姫級鬼級勢揃い+タ級にヲ級がうじゃうじゃしていたようなものだ。」
「アサハカナリ。」
日向「遁れ難しや我が命。さすが恩愛の古里の方ぞ恋しき。あの波のあなたにぞ我が子はあるらん、父大臣もおわすらん。さるにてもこのままに別れ果てなん悲しさよ、と涙ぐみて立ちしが。又思い切りて手を合わせ、南無や志渡寺の観音薩唾の力を合わせてたび給えとて、大悲の利剣を額にあて龍宮の中に飛び入れば、左右へばっとぞ退いたりける。」
逡巡する吹雪。頭を垂れ、手を顔に当てていたが、ぱっと顔を上げ前を見据える。両手を広げ、扇子を両手でしっかと握りしめると力強く足踏み。右手に持った扇子を額に当てて舞台を回り、立ち止まって足音も高らかに足拍子。
「覚悟を決めて飛び込んだ。敵機直上、とばかりに慌ててドラゴンその他が回避行動をとる。」
日向「そのひまに宝珠を盗みとって逃げんとすれば、守護神追っかく。かねて企みし事なれば持ちたる剣を取り直し、乳の下を掻き切り玉押込め、剣を捨ててぞ伏したりける。」
腰を落とし、扇子を広げて懐紙で物を受ける動作をする。立ち上がり、小走りに舞台を回る吹雪であったが、立ち止まって辺りを見回すと扇子で胸のあたりを横一文字に引き、左手を胸に押し当て、扇子をとり落として座った。
「ハラキリだ。」
「ナニッ?」
「正確には腹ではなく、乳房の下だがね。切って体の中に宝珠を押し込んだ。混乱から立ち直ったドラゴンたちが追撃してきて逃げ切れない。それを想定しての行動だ。」
日向「龍宮の習いに死人を忌めば、辺りに近づく悪龍なし。約束の縄を動かせば、人々喜び引揚げたりけり。玉は知らず海士人は海上に浮かみ出でたり。」
吹雪が右腕を上げ、上下する。綱が引かれて海の上に上がっていく吹雪。
「ドラゴンは高貴な動物でね。穢れた死体に触れられないのだよ。血塗れで瀕死の吹雪に手を出しかねている間に海の上に引き揚げてもらう、という作戦だ。」
「アキレタナ。」
「かみかぜあたっくガ ソンナ コダイカラ アッタナンテ。」
「子供の命を守るためだ。言っただろう、身分違いの愛の後日談だと。」
「ドウイウコトダ。」
「この時代は通い婚といって、女が気にいった男の出入りを許可することで婚姻が成立する。今の時代なら現地妻、と小馬鹿にした言い方をするが、都から来た貴人を夫にするのは田舎女にとってとてつもない名誉で誇りだ。そして妻が何人もいるのは男の甲斐性だ。今なら浮気性と叩かれるがね。 だがしかし」
「ナンダ?」
「房前の父、藤原不比等は、日本の貴族の頂点になった藤原家の始祖でね。不比等が都に帰れば吹雪との婚姻も消滅する。しかし、子供はそういう訳にはいかない。
もしあなたが不比等の妻の一人で、都に住む高貴な身分だったら、卑しい田舎娘の子を自分の子の兄扱いしたいと思うかね。夫が死んだ時に喜んで財産分与するかね。」
「ソレハ」
「ジャマモノハ キエテホシイ ダロウナ。」
「他の妻の差し金で親子諸共殺されるかもしれなかった。だから世継にしてくれ、と約束させたんだよ。さすがに世継は暗殺できない。
決死の行動で自分は死ぬが、我が子は安泰。それが吹雪のとった道だった。」
「アア」
吹雪「かくて浮かみは出でたれども、悪龍の業と見えて五体もつずかず朱になりたり。玉もいたずらになり。母もむなしくなり給うと、大臣嘆き給えば。その時息の下に我が乳の辺りを見給え、とのたもう。怪しみ見れば、げにも剣のあたりたる跡あり。その内より光明かくやくとある玉を取り出だしたり。
「しかし不比等はどう思うかね。いかに宝珠を取り返す間だけとはいえ、子供を作るくらい愛し愛された女が死ぬとわかりきった片道攻撃したんだ。知っていれば絶対に止めただろう。だから玉は取り返せず、我が子の母も死んでしまった、と嘆いたのだよ。
吹雪も止められるのがわかりきっていたから、具体的な説明をしなかった。
そして対外的な問題がある。」
「マダ アルノ」
「ダンジョン攻略の現地協力者を犠牲にしたんだ。大の大人でも敵わないドラゴン相手にか弱い女を、それも妻にまでした女をね。
命令を拒否できないように妻にまでして目的を達成する血も涙もない男。ライバルの貴族にとっても格好のネタだ。だから吹雪のことは封印されなければならなかった。個人的にも、公にも。」
吹雪「さてこそ約束の如く御身も世継の位を受け、この浦の名によせて房崎の大臣とは申せ。今は何をか包むべき。これこそ御身の母、海士人の幽霊よ。」
日向「この筆の跡をご覧じて不審をなさで弔むらえや。
今は帰らんあだ波の よるこそ契れ夢人の あけてくやしき浦島が 親子の契り朝汐の 浪の底に沈みけり 立つ波の下に.入りにけり」
舞台左奥、シテ柱に見立てた椅子の横に控える吹雪。日向が後を引き取って謡を謡い、初雪の鼓と共に締めくくる。
「封印されて、公式にはいないことにされた吹雪を弔う者は誰もいなかった。だから亡霊になってこの世に留まり続けていたんだよ。そしてこの世でただ一人、自分の事を思いに懸けている我が子がやってきたと知って、その前に現れた。
どうだね。意味深長だろう。」
港湾棲姫と飛行場姫は、深く頷いた。国のため、国民を守るために命を賭けて任務に当たり、遠い異国の海で沈没。やがて忘れ去られ、後を訪れる人もなく。
ただうろうろ歩き回っているだけのこのダンスにそんな意味があったとは。なるほど、ロ級が艦娘になってしまったわけだ。
「吹雪が舞ったのはここまでだが、玉之段には続きがある。興味はあるかね。」
「ウム」
「オネガイ」
「両姫殿下のご所望だ。大儀だが続きを頼む。」柳は声を掛け、吹雪たちは準備のために一旦引き下がった。
日向「ご追善の御事は懇ろに申しつけて候。まずまず残しおかれたるご手蹟をご披見あろうずるにて候。
さては亡母の手蹟かと開きて見れば、魂黄壌に去って一十三年。屍を白砂に埋む日月の算を経。冥路昏々として我を弔う人なし。君孝行たらばわが永闇を助けよ。げにそれよりは十三年。
さては疑う所なく、いざ弔らわんこの寺の。志ある手向草。花の蓮の妙経。色々の善をなし給う。」
「フブキノ イショウガ カワッタナ。ナゼダ。」
神風の女学生風の制服、緋色の振袖に桜色の袴から飛鷹の神職風の制服、千早風のドレスと緋の袴に着替え、法華経の巻物の代わりに飛行甲板の巻物を手にしている。
「吹雪は、ジョブチャンジして龍女、ドラゴンレディになったんだ。」
「どらごんれでぃ?」
深海棲艦にわかりやすいように表現を変えたのだが、暁や天龍が喜びそうなフレーズだな。自分で言っておいて微笑んでしまう。
吹雪「あら有難の御弔いやな。この御経に引かれて五逆の達多は天王記別を蒙り、八才の龍女は、南方無垢世界に生を受く。なおなお転読し給うべし。」
「人型をしたドラゴンの上位種だ。種を越え、更に上位種にクラスチェンジした。
その喜びがこの舞だ。」
「ドラゴンニ コロサレタノニ ドラゴンニ ナッタコトヲ ヨロコンデイルノカ。」港湾棲姫が不思議そうに首を振る。
「そう。ドラゴンは人間を超越した存在だ。船にとって三角波は非常に危険だ。三角波が起きる場所には近づかないか、近づいたなら可及的速やかに退避するしかない。しかし、空を飛ぶ飛行機には何の害もないだろう。文字通り次元が違うのだよ。」
「ナラバ ドラゴンハ ナゼ タカラノタマ ヲ ウバッタ。」
「犬猫が綺麗な玉を見つけて玩具にしているのを見かねたようなものだったのだろう。それが血みどろになって取り返しに来るなんて思いもしなかっただろうさ。」
日向「深達罪福相。偏照於十方。微妙浄。法身具相。三十二。以。八十種好。」
吹雪「用荘厳法身。」
日向「天人所載仰。龍神咸恭敬。あら有難の御経やな。」
吹雪が立ちあがって舞い始めた。気がつけば夕風が初雪の鼓に合わせて膝を打っている。なんとね。この娘には商売人が乗っていたのか。道理で吹雪の舞を見て艦娘になったわけだ。
仕舞となり、港湾棲姫と飛行場姫は暫く押し黙っていたが、港湾棲姫が口を開く。
「ユウカゼ、ト イッタナ。」
「はい」
「イヅレ センジョウデ マミユル ヒモ アロウ。ソレマデ セイゼイ タンレンヲ オコタルナ。」
「イチゲキデ シズム ナンテ ツマラナイコト、ユルサナイワヨ。」
「私が責任を持って訓練しよう。そのための大地寮だ。」
「ヨキニハラカエ。 コタビノギ、マコトニ ダイギデアッタ。」
「有り難き幸せ。」