提督が退役しました。これより年金生活に入ります   作:デモステネス

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第四話 第五艦隊

「那智さんから通信あり。『ム』」

 

 迎エノ短艇送レ。柳はそう翻訳すると心の中で微笑んだ。今の時代にモールスや手旗信号の略号使わなくてもよかろうに。全く伝統という奴は。

「了解。会合前に本施設上をフライパス。滑走路の評価を求める。座標と方位、送レ」

 帝国海軍風の略語にして送信するのは初雪に任せる。

「会合地点座標、北緯42度55分、東経143度17分。音更町、十勝川温泉アクアパーク。

第一目標、十勝川北岸、十勝ヶ丘放送送信所。紅白のタワー、航空障害灯あり。

第二目標、白鳥大橋。第一目標の南、十勝川にかかる吊り橋。

赤・赤の信号弾と発煙筒で誘導。送レ」

「復唱を確認した。」

「じゃ、迎えに行こうか。」

「わかった。」

 

 

 柳たちが十勝川に向かって約半時間後。草刈り機の何倍の轟音を立てながら零式水偵が東南東から飛来。滑走路に着陸態勢に入り、もちろん水上機が着陸できるわけがないので再び高度を上げて旋回。もう一度同じ動作を繰り返した。今度は滑走路の反対、西北西側から着陸態勢に入り、ゴーアラウンドを2回繰り返すと機首を十勝川の方向に向けて飛び去った。

 

 十勝川のほとり。車を止め、トートバッグを持つと川岸に走る。既に空冷エンジンの音が聞こえており、柳は慌てていた。来るのが早すぎる。釧路から一直線でも120km、途中、俺の家にも寄ってきているから150km以上はあったはず。エンジンの暖気運転とか入れたらどんなに早くても1時間かかると思ったのに20分は早いぞ。どれだけ喉乾いているんだあいつらは。巡航速度じゃなくて最高速度出してきたんじゃないのか?

 信号弾を構えて撃つ。二発目が十分に高度を上げる前に向こうが翼を振ってこちらに気付いたのを知らせてきた。発煙筒を焚き、水上機の着水という、提督稼業していても滅多に見ることのなかった光景を楽しむ。川の中央に機が降り立ち、二、三度軽くバウンドして着水。こちらを向いた。手旗を手に取り岸に誘導。冷却のため、きっかり5分エンジンを回している間に吹雪と初雪がフロートに取りつき、自動車用の牽引ロープを左右の主桁に巻いて岸に引き寄せる。

 エンジンが止まると風防が開き、縄梯子が放り出され、後部座席の木曾が伝って主翼に降りる。続いて中間座席から阿武隈。パイロットの那智は最後に降りてきた。

 どちらからともなく右手を上げ、ハイタッチする柳と木曾。

「お疲れ」

「おう」

「真正面は」柳は芝の向こうに見える建物を指さした。

「十勝川温泉だ。入浴上陸、行って来い。1時間半後にロビーで会おう」

 吹雪が入浴セットの入ったトートバックを渡す。歓声を上げて三人は走り去った。

「すまんが二人は機の向き変えて引き揚げてくれ。」

 

 いかな妖精さんの謎技術があったとしても、バックができる飛行機は不可能であった。それが小型水上機ともなればどうしても人の手作業になる。それでも景観に配慮して玉砂利が浮き出しているコンクリ板を敷き詰めた緩斜面のおかげで下手な砂地よりも作業は容易であった。見かけは中学生の女の子二人が、兵隊が五,六人掛りでやっていたことを軽々とやってのける姿に軽い感動を覚える。

「作業完了です。」

 ぴしっと敬礼する吹雪と初雪。初雪はまだ現役だが、自分と吹雪はもう引退したんだかがなあ。心の中で苦笑しながら答礼する。

「じゃ、私たちも行こうか。日本どころか世界でも何ヶ所しかない天然モール温泉。お肌ツルツルだぞ。」

 

 

 風呂から上がり、自動販売機であれこれ適当に買い込んでロビーに向かった。女は男に比べて長風呂なものだし、髪の手入れもある。特に阿武隈の手の込んだ髪型ではなお、と思って一時間半と言ったのだが、相手は早寝早起き早飯が美徳で五分前集合の帝国海軍の軍艦であった。既に艦娘たちは風呂から上がって談笑している。提督、おっそーい、とからかわれながら飲み物を配る。

 

「提督よ、私はとても不満だぞ」怖い顔して那智。「なぜこんな所を今まで秘匿していた」

「秘匿?」

「突堤何本もあって、静水面があって、川岸どころか川の中まで緩斜面のコンクリの護岸済みで、これが水上機基地以外のなんだというのだ。しかも目の前は温泉ときた。」

「陸上機だって、あのゴルフ場使えば十分滑走路になる」眼帯の怖い方が付け足す。

 さて、どうして説明したものか。柳はボリボリ頭を掻いた。

「ここは、元々渡り鳥の越冬地なんだ。」

「渡り鳥?」

「川のそばに温泉が湧いていて冬でも凍らん。それで白鳥とか鴨が冬にな。

 で、渡り鳥で観光客を呼び込んで観光のてこ入れにしよう、って突堤作って静水面を大々的に拡大したんだ。ちっちゃなお子さまが、パン持って白鳥に餌やりしたら白鳥に囲まれて泣き出すとか、そういうライトな観光地なんで軍事観点で考えたことは、

どうした、阿武隈?」

「怖くなんかないんだから、って強がる暁ちゃんが浮かんで」

 皆、釣られて笑い出した。あー、あるある。ついでに長門が慰める姿も。一気に場が和んだ。ありがとう、小さなレディ。

「水鳥にとって良い場所は、水上機にとっても良い場所だった、ということか。思い当たらなかったよ。

 北方哨戒はどうだった?」

「今更遅れをとるものか。」

「カスダメは喰らいましたけどね。全然OKです。」

「戦闘より行き帰りの道中の方が大変だったよ。漁船が付いてきてなあ」

 

 日本海側の小樽在住だった創造力豊かなプロレタリアート作家と違い、オホーツク海側、根釧地方の漁師は第五艦隊亡き後、辛酸を舐め続けている。労働者の天国からやってきた彼らは、日本の漁師は、遠方からやってきた人民の前衛に心掛けが足りないと感じると20mm機関砲を打ち込み、混獲した外道や規格外は漁業法違反の現行犯逮捕。科料という名の身代金を身内が用立ててくれなければ監禁は何年でも続き、しまいには収容所が足りなくなって日ソ友好の名目で日本側の資金で施設を建てたほどであった。なにしろソ連邦は元祖数値目標、ノルマの国である。メンテする者もない船は、漁具と共に抑留先の港で朽ちていった。

 心掛けの目標が並みの網元に手が出せない数値に達し、暫くは太いパイプを持つという政治屋の尽力により税金から補填されたが、その政治家がキックバックを要求しすぎて汚職で逮捕されると、残ったのはやのつく自由業の方々。最新の各種機器を搭載し、50ノットという魚雷も追いつけないスピードで夜の海を疾走する特攻船にはさすがの同志たちも手の打ちようがない。そこでわざと哨戒に隙を見せ、一般の漁師が誘惑に負けて入り込んだところを敢えて数回見逃す。漁師という魚ががっちり釣り針に喰いついてきたのを拿捕。今までの証拠を揃えて日本政府に賠償を迫る。

 水の上にどうしようもない壁がある。それが第五艦隊亡き後のこの海域の現実であった。 だが、それでも。深海棲艦にとって喰われるよりはマシだった。

 

「途中まででいいからって、二隻付いてきたから、まあいっか、って思ってたら、あっちこっちの漁港から出てきて付いてきてなあ。根室沖過ぎるころには、もう、春のサケマス船団だよ。サンマ漁のこともあるから無碍にもできないし」

 

 この世界では、秋になると全鎮守府がサンマ漁に傾注するのが掟である。艦娘の誰もが漁は素人なので、その節は漁師さんには大変お世話になる。

「近寄られると危なっかしくてなあ。普段が独航だから全然船団航行できないし。とにかく気ぃ、遣ったよ。多摩ねえが随分頑張って誘導してたけどな。」

「そういえば多摩は?」

「海の底でお休み中」

「海の底?」

「ああ。釧路港が漁船で一杯で入港面倒だったから沖に実艦、沈座してきた。

多摩は実艦の中でお休みにゃ」と、口癖を真似る那智。

「沈座ぁ?」

「海の底に沈んでいれば流されようもないからなあ。あっはっは」と、木曾。

「小破未満だったからできたことですけどね。」と阿武隈。

 

 どこのラバウルの伊36潜だよ。君たち、稲葉艦長と面識あったっけか。入港も接岸も省いてくればそりゃあ到着するのが早かったわけだ。

 

「うちの滑走路はどうだった」

「野戦飛行場としては申し分ない。常設となると、そうだな。贅沢言ったらキリないが、A-PAPI欲しい。」

「エーパピ?」

「着陸誘導装置だ。進入角度が適切なら白色灯しか見えないが、左右にぶれすぎたり、高すぎたり低すぎたりすると、赤色灯が見える。」

「なるほど。計器誘導装置は?」

「あればあるにこしたことはないが、運航するのがアントノフだからなあ。意味ないよ。それより舗装が先だな。」

「舗装する予定だったが、そんなに問題なのか?」

「大ありだ。離陸距離が縮まるし、なによりトラブルが減る。」

「トラブル?」

「ペラが滑走路上のゴミを巻き上げて、機体に当たったり、細かいごみを吸い込んだりするんだ。結構バカにならん。」

「グラスで牛の糞なんか落ちてた時は悲惨だよ。もう、機体洗浄が大変で」

「狐や兎が穴掘ってたりすると、穴に落ちてヒヤっとするんですよね。」

「なるほどな。」空軍じゃないから知らなかった。

「それより提督、吹雪に気合入れられたんだって?」

「うわ、勘弁してください」

 

 雑談をひとしきり終えると、那智は立ち上がった。

「じゃ、いつまでも長居もしてられんからな、そろそろ戻るよ。またな」

「戻る?バカ言うな。酒飲んで飛行機飛ばせられるか。」

「ふん。ビールごとき、酒の内に入らん」

「どこの世界に飲酒運転を見逃す上司がいる。今日はここに泊れ。」

「しかし」

「温泉付きの特別上陸なんて、うらやましーなー」思いっきり吹雪が棒読みする。

「機関不調じゃ停泊して点検するのも仕方がない。」と初雪。

「えっと、ハイ。そうなんです。」すかさず阿武隈が空気を読む。

「ありがてえ、提督。恩に着る」

 那智は、木曾と阿武隈の顔を交互に眺めてからうれしそうに言った。

「そうか、それじゃあ今夜は飲ませてもらおう。」

 

 

 後で話を聞いた多摩が、一生の不覚にゃ、と地団太踏んで口惜しがっていたとか。

 




 那智(艦これ)
 妙高型重巡洋艦二番艦。ビールやジンは酒の内に入らない呑兵衛ズ筆頭。色々残念美人なのは前世からの因縁なので仕方がない。

 キャプテン・キソー(艦これ)
 球磨型軽巡洋艦五番艦。眼帯の怖い方。濃すぎる姉4人に気苦労の絶えない末娘。気が付けば、呑兵衛ズの仲間入りして色物オブ色物の重雷装巡洋艦になっていた。

 阿武隈(艦これ)
 長良型軽巡洋艦六番艦。甲標的で先制雷撃。水上機を飛ばして大発を発進させるif仕様のてんこ盛りの強襲揚陸巡洋艦。
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