提督が退役しました。これより年金生活に入ります   作:デモステネス

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第42話 退役提督の課外講座 2

 東雲湖は然別湖の東にあるこじんまりした湖である。火山の火口ともカルデラ湖ともあり、一般人としてはどちらでも構わないのだが、元の山体が小さく、土砂に埋もれてしまったため水深は最大でも僅か2m。周囲も1km未満で、これを湖と呼ぶのは満濃池を池と呼ぶくらい違和感がある。元は然別湖の東にある沼だから東小沼という安直どストレートな名前だったのだが、センスのある人が東雲湖と命名。以来、北海道三大秘湖筆頭と称されて現在に至る。然別湖からの山道が唯一のアクセスで、湖の周囲にごろごろ岩の積み上がったガレ場がかつてここが火山であったことを示すよすがとなっている。

 

 桟橋跡から無心に歩けば20分そこらなのだが、歩いているより止まっている方が長い柳のアウトドア講座のせいで小一時間かかった。ピッ、ピッ、と澄んだ鳴声が響き、木立ちが切れ、ようやく畳ほどもある岩がそこらかしこに散らばったガレ場に到着する。

 

「とーぉちゃーく。お疲れさん。」

 

 最上が艤装スロットからアウトドア用の折り畳みテーブルと椅子を取り出すとテーブルに緋毛氈を掛け、野点傘を差しかけた。初雪がその横で何枚も黒塗りの板を取り出し、手馴れた様子で組み立てるとそれは御園棚であった。ポケットストーブに平べったい薬缶を掛け-さすがに釜は時間がかかり過ぎる-竹籠から野点用具一式を順序良く並べる。最後に白雪が提重を取り出し、重箱と皿をテーブルの上に並べた。柳は左右を見回し、一呼吸置くと言った。「いただきます」

「いただきまーす!」

「はい提督、一献どうぞ。」

「うむ。」

 

 艤装の制服が和服の蒼龍は野遊びによく似合う。スロットに冷蔵機能はないし、揺れるので炭酸やワインは不可。振っても問題ない常温のカクテル、ということで御屠蘇である。

「凄いわね、本漆じゃない。」黒漆に蒔絵が施されているお重を見て衣笠が感心した。

「本来の伝統的な日本の野遊びは、こういうものなんだよ。」

 

 武家が家来、商家が使用人、御隠居が長屋の店子を連れて花見に行く時は、仕出し屋に作らせた料理を提重に入れて出かけたものなのだ。安ぼったらしい器なんかに入れたら料理のうまいまずい以前にしみったれの恥さらしで体面にかかわる。

「金持ちにそういうノブレス・オブリージュがなくなったね。」

 

 学校教育で野外といえば焼き肉かカレーライスにするせいで、そういうものだ、と刷り込まれてしまっているせいもある。

「それにしても漆塗りの蒔絵細工なんて。」

「うん。最初はアウトドア用のアルマイトの食器セットを使っていたんだけど、どうにも我慢できなくてね。妖精さん様様だな。」

「へえ、家具妖精さんってこんな細工物もできるんだ。」

「工廠妖精さんよ、作ったの。」と夕張。

「はいーい!? 家具妖精さんじゃなくて?」秋雲が首を傾げた。

「下瀬火薬の低速爆轟防ぐのに弾殻の中に漆塗ってたでしょ。」

「ああ・・・」

 

 ピクリン酸は、金属と接触すると爆発する。このため他国では調合して塩にしていたのだが、帝国海軍は爆発力低下を嫌って弾殻に漆を塗り、隙間にワックスを充填してピクリン酸単体の下瀬火薬を使用していた。

 鋭敏すぎて自爆・誘爆しやすいピクリン酸は、第一次世界大戦中にTNTに代替されていったのだが、原料の問題で帝国海軍は相変わらず下瀬火薬を使用していた。TNT製造にはトルエンが必要だが、トルエンは工業的にはガソリンの接触改質かエチレンの接触分解で生成される。前者は原油が必要で、後者はコールタールの副産物なのでコークス生産量に依存しており、つまり粗鋼生産量を増やさないと増産できない。基礎工業力が低いのを職人芸でカバーする、いつものパターンである。

 

「それにしたって優雅よね。」

 

 伸びやかに蔓を伸ばして六枚花びらの花を所々にあしらう。とても普段は兵器を作っている工廠妖精さんの手による物とは思えない。

「そりゃあ佐世保の工廠妖精さんですから。」

 得意気な顔の夕張に衣笠は実艦の夕張が佐世保工廠生まれなのを思い出した。

「近所が佐賀藩だからね、チートの。他とはちょっと違うよ。」

 

 自力で産業革命起こした日本は世界史の特異点だが、その中でも佐賀藩は特異点である。

 科学技術機関(精錬方)を設立。江戸時代に製鉄所を建設し、実用蒸気船を建造して電信機を生産。鉄製の大砲を製造していた。藩校を単位制にして、25歳までに単位とれないと任官拒否、と事実上の公務員試験を実施して門閥廃止の行政改革。医師の免許制を始めたのも佐賀藩なら種痘を衛生事業として実施したのも佐賀藩が最初。牛痘法は佐賀藩から京都大阪、江戸藩邸から関東一円に広まり、仏教伝来と同時期に死病として伝わった天然痘を日本から駆逐する先駆けとなった。

 戊辰戦争では近代化済みの佐賀藩士40名余は他藩の1000名に匹敵すると評価されており-どこのモロッコの恐怖と愉快な仲間たちだ-、維新後は北海道開拓に乗り出し初代開拓使長官に就任。更に満州開拓、オーストラリアの鉱山開発を提言。

 知れば知るほどのチートっぷりに10代藩主鍋島直正。実は転生者だったんじゃないのか、と柳は半ば真剣に疑っていた。本家本元ですら牛になる、と嫌がっていた牛痘法を話を聞いただけで実例も見ずに嫡男に接種。藩内の疑念を払拭するなんて、江戸時代の殿様としての常識がなさすぎる。

 

「そういえば、唐津有田の佐賀藩だったわね。」

 模範的な感想を述べる衣笠。さもなくば化け猫というのが一般的な鍋島藩のイメージである。

「ふむ。」

 柳はリュックからプラスチックケースを取り出すと、蓋を開け、巻いたタオル地を外して白いマグカップを見せた。青海波の地に窓が白くぽっかりと開いており、柳の木が描かれている。

「それを言うなら鍋島焼の鍋島藩だね。」

「え、えぇぇぇ!? 鍋島なの!? 見せて見せて。」

 意外なことに秋雲が食いついてきた。

「ほうほう、地は転写だけど絵は手書きじゃん。もしかして注文品?」

「記念にね。日頃の感謝を込めて大宴会もいいが、形で残る物になるものを、ってことで奮発してみんなに配ったんだ。」

「配った?」

「うん、ボーナス2年分吹っ飛んだな。大量発注ってことでだいぶん安くしてくれたけど。」

「うわっちゃー、マジで。」

 

 唐津は陶器。有田は磁器。有田焼には伊万里、柿右衛門といった色々なブランドがあるが、鍋島は藩が贈答用に採算度外視で作った最高級ブランドで普及品はない。四色50ページ200部の何倍よ。それをタダで配ったのか。脳内変換した同人作家が呆れていた。

 

「まあ、さすがに全部手描きは無理なんで一部だけなんだけど、数があるからねえ。

 私は判じ絵で柳の木にしたけど、似顔絵が多かったかな。」

 黙ってたら黄色のTの字になるところだったんだ、と笑いをとってみる。

「ちなみに秋雲は?」

「冷えピタシール貼って左手にペンタブ。」

 たまらず漣が吹き出す。

「なんで!」

「大丈夫。栄養ドリンクじゃないから。」フォローを入れる柳。

「じゃあ、衣笠さんは?」

「赤いキャップかぶって左手の艤装がサイコガン。」

「ヒューッ!」 うん。だいたい知ってた。

「漣は、ご主人様」

「イチゴ」

 今度は秋雲が吹き出した。

「大丈夫。花も葉っぱも描いてあるから。」フォローを欠かさない。「ウサギは卯月だから仕方ないね。」

「じゃあ吹雪教官は?」

「私は、私のイラストですよ。」

「何を期待しているんだ。職人が白地を白地のままにしておくわけがないだろう。」

 

 柳が漣をたしなめた。田舎出の粗忽者のこと。どこにどう頼めばいいのかさーっぱりわからん、と注文を組合に丸投げしたのだが、応じた窯元の中に良く訓練された者がいた。

 例えば吹雪のマグカップは平戸焼の定番、唐子絵で吹雪が唐子になっているのだが、顔を描き分けたせいで高がマグカップが七人唐子になっており、赤や青の法被を着たり、黄色のパーカーに熊手を持って潮干狩りしていたから吹雪も笑うしかなかった。

 

「えー、じゃあ白雪さんは?」

「私は、私と七人の妖精さんですね。」

「初雪教官は?」

「雪輪文。」

 

 蒼龍は龍雲に青龍。最上は文字で芭蕉の句。青葉は花鳥文でホトトギスと鰹。夕張は緑色の網目文様にオレンジ色のリボン。

「うう、なんも言えねえ。」

 

 聞いた広報組が落ち込んでいた。なんでウチらだけネタなの?なんでリテークださなかったの、佐世八鎮のあたし。

 なお、大地寮の色物枠は、特別な瑞雲の日向と機動戦士の格好でお握りを頬張る響だったが別行動中である。

 

 

 お重が空になると柳は14時まで自由行動を宣言した。岩にしみいる太陽の恵みが心地良いんだよね、と最上は平べったい畳大もある岩に寝そべり岩盤浴。茶道具を片付けた初雪がそれに続いた。

 柳は辺りを見回し、皆からちょっと離れた場所にある積み上がった岩に歩み寄ると、ポケットから来る途中で摘んできたヤマツツジの花を並べた。席に戻り、青葉と秋雲に個人装備着用を命じる。

 

「何なに?なんですかぁ?」

「秋雲にイラスト発注ですか~?」

「珍しい物を見せてやるから広報用に写真撮ってくれ。

 総員、注目。あそこの岩、ツツジの花が置いてあるところ。落ち着いて座ったまま、三分間、待つのだぞ。」

 と、花を並べた岩を指差す。皆が言われるまま岩を見守っていると、ハムスターによく似たネズミみたいな動物が小走りしては一旦止まって周囲を見回し、ということを何度か繰り返して岩を駆け上がるとこちらを向き、花を咥えてむしゃむしゃ食べ始めた。

 

「かわいい~」

「ナキウサギだ。」

 

 柳はナキウサギを見据えたまま言った。「さっきからピッピ鳴いているのは鳥じゃなくてナキウサギだ。大陸じゃ普通種だけど、日本じゃ北海道のごく一部しかいないレアもんだよ。」

「その割にはホイホイ餌につられて出てきましたね。」

「役者がカーテンコールに応えて出てきたんだから、花束を用意するのは礼儀だよ。

 野生動物に餌やりはご法度なんだが、許容範囲ということにしてくれ。物は現地調達でビスケットやピーナッツやってる訳でもないし、根こそぎ取ってきたわけでもない。」

 

※ リアルでは絶対しないでください。自分一人くらい、とやっているうちに人間の前では無警戒になった個体を人間舐めたキツネやカラスが人間の目の前で掻っ攫います。

 

「役者、ですか」

「そうだよ、それもかなり気難し屋の。私だからこうやって簡単に出てきてくれているけれど。脅かさないように、多少ならゆっくり動いてもいいぞ。

 写真がとれたら声を掛けてくれ。」

 

 柳の視線はナキウサギに向けられたまま他に目もくれなかった。ナキウサギの方も花を食べ終わると柳の方を向き、様子を窺っている。

 

 さてと、お仕事お仕事。

 

 といっても角度を若干変えて望遠で写真を撮るだけなんだけど。デジタルカメラの時代で良かった。手ぶれピンボケを気にせず何枚でも撮ってその場で画像を確認できる。

 二人が広報の仕事を始める一方、柳はうさちゃん、うさちゃん、にらめっこしましょ。あっぷっぷ、と動物相手ににらめっこを始めた。艦娘たちは、笑うかツッコミを入れたいところだったが、ナキウサギを脅かすかもしれない、とじっと我慢していた。

 

 ナキウサギは、こちらの様子を窺っている・・・。

 ナキウサギは、こちらの様子を窺っている・・・。

 ナキウサギは、こちらの様子を窺っている・・・。

 

「Headmaster,青葉、撮影終了です。」

「秋雲もこれくらいでいいかなあ。」

「そうか。ウサギさん、ありがとう。」

 礼を言って頭を下げる。その瞬間、ナキウサギは岩から走って岩の隙間に飛び込んだ。

「撮影会終了。みんな、楽にしていいよ。」

「ご主人さま、ドリトル先生だった!?」

「そんな大層なものじゃないけど。」 ナキウサギがいなくなって、ようやく柳は、艦娘の方を向いた。

「なんか警戒されないんだよね、私。ナキウサギに限らず。人畜無害な存在だ、ってことが動物にもわかるみたいだね。」

「人畜さん?」

「人畜さん!誰のことだ、それは!」

 

 

 せっかくなんかいい話になりそうだったのに。やっと私のターンが来た、と張り切る夕張に皆、肩をすくめた。




 提重

 イメージは、黒漆塗鉄線蒔絵提重(所蔵 徴古館) 
 籐のバスケットを持ってイギリス人がピクニックに出かけていた頃、日本人はこれを持って野遊びしていた。ただし荷物持ちの下男が必要で、国が豊かになり、住み込みの奉公人がいなくなると姿を消した。
 自家用車がこれだけ発達した現代なら復活してもいいんじゃないかしらん。

 吹雪の顔の描き分け

 艦これ吹雪は、公式主人公だが、主人公(笑)、ふぶなんとかさんの時期が続き、てこ入れで作画がかなり変わっており、大和撫子七変化扱いになった。

 唐子絵

 佐世保がある平戸藩の御用窯、平戸焼の伝統柄。江戸時代は何人描くかでグレードが決まっていた。七人:将軍家、朝廷用の献上品。五人:大名、公家用。三人:一般用。


 雪輪文

 文化の中心地が雪があまり降らない京都だったせいで、日本人が雪を六角形の結晶と認識したのは江戸時代後期。その前は円から多角形を繰り抜いた雪輪文で雪を表現していた。

 ナキウサギ
 
 岩場の隙間に住む。ぱっと見はハムスターで動きはリスだが、頭の形が全体的に丸く、ネズミのように尖っていないし、耳が後ろについているので良く見るとウサギ。後ろ足はウサギのようにぶっとくないのでうさぎ跳びはしない。
 北海道にしかいないのになんで標準和名にエゾがつくのかと思ったら、大陸のキタナキウサギの亜種のせいだった。
 頗る優秀な物欲センサーが付いているらしく、筆者の経験では出てくるときは4~5mくらいまで近付いてきたことがあるが、大抵は声しか聞こえない。
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