提督が退役しました。これより年金生活に入ります 作:デモステネス
”ワレ トウカツニゼンリョクデコウタイチュウ”
第5鎮守府が全力出撃してきたから何事かと問い合わせればこの始末。自虐めいた返電に柳は、Bon Voyage、平文でいいと大淀に指示した。佐世保は統括が人間派だからこれで済んでいるが、同じく人間派の大湊以外はろくなことになっていないのは間違いない。
「金剛」
「ハイ、テートク」
「意見具申を求める。」
「出撃ネ。第一海軍区と第二海軍区がガラ空きなはずデース。第四海軍区は、当座は問題ナッシング。」
秘書艦と現状認識と意見を擦り合わせした。兵器派の横須賀と呉は、控えめに言っても混乱状態にあるだろう。大本営は、横須賀で手を余しているはずだ。舞鶴管区の日本海は対馬海峡を佐世保、津軽海峡と宗谷海峡を大湊が蓋をしているから当面の問題はない。
「命令。
第2第3第4艦隊は現時刻を以て現在遂行中の遠征任務を中止。
第3艦隊帰投。第1艦隊出撃。
新任務は、、第一保護海域、関東海面。野島崎を境に東西200海里の哨戒。
第2艦隊は西、第4艦隊は東に速やかに移動。第2艦隊は第1艦隊、第4艦隊は第3艦隊が交代するまで哨戒に当たれ。以後、第1と第2、第3と第4が二交代で哨戒。
目標は、本土に接近する深海棲艦。目的は、沿岸航路の通商破壊、本土攻撃する深海棲艦の撃退。撃沈は要せず。中破以上の場合、現場の状況判断による撤退を許可する。大破進軍は厳禁する。
編成は各艦隊空母1、戦艦1、重巡1、軽巡1、駆逐艦2。
軽巡と駆逐艦は対潜装備。軽巡がキラー、駆逐艦がハンター。
まともな機動部隊だったら尻尾撒いて逃げろ。残りの艦隊で釣り野伏にしてやる。」
「関東だけデスカ?」
「すべてを守らんとする者はすべてを失う。」柳は、フリードリッヒ大王を引用した。
「薄く広く展開したら、二会戦は問題ないだろうが、三会戦目で自衛用を除いた燃料弾薬が尽きる。全艦無疵な訳がない。最悪、全艦隊帰投でがら空きになる。
トリアージだな。一番重要なところを守らなければならん。よそは悪いが深海棲艦の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持してもらう。
最大1週間我慢すれば統括か大本営が交代よこすだろう。本土なんだし。
それまでせいぜい尻拭いしてやるさ。」
「テートクぅ」
「なんだ。」
「Americanizeしてるヨ」
行動開始は、尻を上げろ。もたついているのは尻が重い。急がせるには尻を蹴り上げろ。目障りな物、邪魔で余計なものは、尻の出来物。アメリカ人は尻に関する語彙が豊富である。
「Oh,sit!」
* * *
「4日目から横須賀鎮守府が機能し始めたので、正味三日だったんですけどね。」
と吹雪。「深海棲艦を関東地方に一歩も寄せ付けない分、第二海軍区に流れて呉の統括司令官が戦死しちゃいました。まあ、自業自得なんですけど。」
「天罰ってあるんだ、って青葉も実感しました。呉の娘がみんな深海棲艦に感謝してましたからね。変な話ですけど。」
「ええ?!」
「新造した方が時間も資材も少なくて済むのに、なんで入渠させなきゃならないんだ、って中破艦を解体する人ですから。」昔を知る古参が若者に説明する。
「うそぉ!」
「大規模作戦中に中破艦が出て、おまえだけ解体させてなるものか、って大破進軍して連合艦隊が壊滅してます。」
「マジで!」
「さすがに大本営でも問題になったらしくて、解体やめたかわりに人事交流だ。ベテランを後送して新人の教育に当たらせるんだ、って中破艦を管区鎮守府に押し付けて中堅どころの娘を自分のところに引き抜き。」
「きったねー!」
「資材は手当てしたそうですけどね。引き抜かれた方は、暫く出撃できないか、出撃しても新米ばかりで戦果をあげられなくなって、逆に統括は、常に戦果をあげられる。」青葉は首を振った。
「他所からいくらでも引き抜けるのにどうして自前で用意しなきゃならん、ってホントに言ってたそうですよ。
それで皆さん、そんな提督の下で戦うのが馬鹿馬鹿しくなって、わざと中破するようになって管区全体が稼働率低下して。
大本営で問題になって、見敵必戦すぎました、って言い訳して今度は艦隊温存主義。管区鎮守府に攻撃させて、後詰めでおいしいところだけもっていく。」
「昔の兵器派って・・・。」衣笠が呆れていた。「そんなクズだったのね。」
「あれは、兵器派でも特別製のクズですよ。」と吹雪。「物だ兵器だという割には体求める兵器派の連中に”接待”させていたそうですから。」
「ええーっ!」まるでウス=イ本の悪党じゃない。
「人間派にも俺の女だーって、勘違い男もいましたし、兵器派にも普段からきちんと整備しないといざという時に役にたたん、っていう人もいましたから、そう単純な話じゃないんですけれどね。でも」青葉は往時を思い出していた。「おまえらのかわりなんていくらでも建造できるんだ、って陸助と同じこというのは必ず兵器派でしたね。」
* * *
「転科です。」
「転科?」
「艦娘科は、もう勤まらないんですから転科するしかないでしょう。」
春子女王にネジを巻かれた海軍省では各局長、部長が集められて女に逃げられた勘違い野郎をどう処遇するかで押しつけ合いしていた。もとより艦娘や妖精を忌避しないという、ただその一点で軍人にしていたのである。人間側も艦娘・妖精さん側も情勢が切羽詰まり過ぎていて、鋼鉄はいかにして鍛えられたか的な選別によるしかないとされたせいで提督には学校も試験も何にもなかった。無試験で公務員。艦娘専用軍人から役人に職種変更するには能力的に不安があり過ぎた。
「軍務局長」
「彼らは、六法を読んだことがあるんですか?国際条約の正文でもいいですが。」
艦船の行動は、ほとんどが公海上である。一兵卒ならさておき、士官なら国際法を知悉していて当然なのだ。東郷平八郎は艦長時代、ちっぽけな極東の国の野蛮人が、と尊大な英米船の船主を激怒させて訴訟沙汰となり本国政府をうろたえさせたが、国際法上正当である。イギリス海軍の薫陶を受けて日本海軍が国際法を理解していることは誠に喜ばしい、と評価され大いに国家としての面目を施した。そして多国間条約は20世紀以降、英文を正文とするのが通例である。
者と書けば「しゃ」と読んで自然人、法人を指し、物と書けば「ぶつ」と読んで物体を指す。権限(けんげん)、権原(ごんぱら)。
学校で教わってくることで仕事で一々教えることではない。文書の読み合わせをしたところが滅茶苦茶な読み方をされて何度もこんがらがった覚えのある人事局長と法務局長がそうですね、とすかさず同意した。
「ピアソンのカイ二乗検定とはいわんですが、せめてaverageとmedianとmodeを使って説明できないのでは出師準備はできませんよ。」
兵備局長が予防線を張れば、軍需局長と経理局長も必要以上に大きく頷いた。一次関数の交点で何でも説明した気になる意識高い系と、やたらめったら係数と変数を増やしてどんな結果でも後出ししてくる数字に強い系には散々仕事を邪魔されている。
「部下に見捨てられた者に教官が勤まるとでも?」と教育局長。
「医学部出身がいるので?」と医務局長。
「図面を書ける者がいれば引き取ってもよろしいですよ」と建築局長。「もっとも、mm単位の収まりをなんとかしたり、構造計算できることが条件ですが。」
「測量できるならm単位でも構わんです。」と水路部長。「あるいは気象図が書けるなら。」
案ずるより産むが易しとはよく言ったもので残留希望者は少数だった。女に囲まれ、危ない現場や面倒事は部下任せ。ハンコ押していれば大抵の仕事は回る立場から、自らも体を動かし、部下を前にやってみせなければならないおっさん職場への配置変えである。
ただでさえ一般大学卒は評価が低いところに艦娘に逃げられたという履歴持ち。情報部がその事実を指摘してやるとかなりの人数が依願退職届を出し、残りは二度の職種変更試験で大体が不合格となり任期終了で退職となった。試験勉強している暇もなかっただろうが、試験自体は各科の通常の資格試験でわざわざ問題を難しく作ったわけではない。しかし、舫い結びもできなければ、平文のモールスも読めない人間が海軍軍人するのは無理があった。
艦娘提督が階級のインフレしていたせいで、免官になった将校の数は海軍単体としてはスターリンの大粛清を超えて-当時の労農海軍の規模は小さかった-堂々の世界一位。おそらく今後も破られることはないだろう。
* * *
( 案 )
艦娘の私権享有に伴う取扱いについて(通達)
[ 法務省民事局長通達 法務局長,地方法務局長宛て ]
第1 民法関係
艦娘の建造、ドロップは、民法(明治二十九年法律第八十九号。以下「法」という)法第三条の出生とみなす。建造日、ドロップ日が定かでない場合は、艦籍登録日をもって出生日とみなす。
法第二百三十九条第一項により、鎮守府は、ドロップした艦娘を原始取得するとした通達は(○○XX年X月○日法務省民商第○○号)、○○XX年9月30日をもって廃止する。
艦娘の成年について、艦娘は、出生時において既に意思能力、事理弁識能力を有しているが、艦種により行為能力に差があることが認められることから、法第四条によることなく政令で定める。
未成年者の艦娘の法律行為について、艦娘に父母は存在しないことから、法第五条の法定代理人は、提督を法定代理人とする。
精神上の障害により事理の弁識する能力を欠く常況にある艦娘の後見開始請求について、姉妹艦は、法七条の四親等以内の親族とみなす。姉妹艦がない場合、前級艦、後級艦を四親等内の親族とみなす。姉妹艦、前級後級のいずれもがないか、着任していない場合、同艦種の最先任艦を親族とみなす。憲兵は、検察官とみなす。
・・・・・・
「辛うじて逐条解説にならなかった・・・。」
「こんな長い通達案書いたの初めてだよ。史上最長じゃないか?」
官房長官肝煎りで始まった仕事がついに終わり、法務省民事局の面々が燃え尽きていた。海軍のバカがやらかしたおかげで普通、20年単位で見直しかける法改正を一カ月でやる破目になったのである。国会だの有識者会議だのなんだのにかけている暇はなかった。兵器派を悪者にして人間派が艦娘を懐柔している間に形にして示さなければならない。
いずれ機会を作って法政大学に行ってボアソナード像を拝んでこよう。そう心に誓う法務官僚たちであった。
何せ艦娘ときたら20世紀前半からタイムスリップしてきた存在なのである。現代の常識がない。
鉛、カドミニウム、クロム、有機水銀といった金属中毒も知らなければ放射線障害も知らない。最近元気がないから精のつく物を、と生活習慣病患者に卵やバターをふんだんに使った料理を食べさせ、栄養ドリンクの代わりに覚醒剤を打ち、うさぎ跳びやアヒル歩き、空気椅子が筋力トレーニングで、バテるから運動中に水は飲まない時代の人である。
自然科学的にもひどいが、社会科学的には更に深刻であった。憲法といえば明治憲法なので男女同権をまるでわかっていない。
『男女七歳にして席を同じうせず。食を共にせず。』→『キモオタに隣に座られたくない。食事でもどうですか?→身の程を知れ!』のように一周回って復活したものもあるが、男女は仕事を棲み分けするものだと思っていて、女の仕事に口を出した、と本気で怒るか、男にも劣ると評価されたと落ち込む。或いは男の癖に情けないと芯から提督を罵倒し軽蔑する。
そういうのを取り敢えず置いて、日常業務をやらせると確かに生まれたその日から報告書を書いてくるかもしれないが、舊仮名遣ひ、舊字の仕候文に縦書き漢數字という、現代人にとって検算不能の表をつけてくる。
外務省や海軍省は、児童の権利に関する条約やジュネーブ条約による少年兵禁止を免れるために艦娘の出生=成人とすべきであると主張したが無理があり過ぎた。外見もさることながら中身もupdateしないと危なっかしくてしょうがない。
文部省は、艦娘を日本国民とするなら義務教育を受ける義務が発生すると主張したが、教育現場からは水の上を走り三角関数を使いこなして標準偏差を計算する児童をどうやって教育するんだと苦情が上がった。
選挙権、被選挙権について、普通選挙を制限する理由がないとして賦与したい政府と、軍に属して現代社会をよく知らない艦娘が選挙権、被選挙権を得た場合、政府の統制下におかれるだけで政権強化を目的とする以外の何物でもないとする野党が対立していた。
すべての権力をソヴィエトに、って気概がないのかね、とバカにしていたのは識者だけではないが、野党が伝統芸能に拘り続ける限り艦娘の味方になることはないので、一理はあった。
民事局は、叩き台を作ったことでとりあえず仕事は終わったが、省庁間の戦いが収束をみるにはややしばらく時間がかかった。
「先週とどこがどう変わったか教えなさい。長門が待ちわびてるのよ!」
女王殿下の省庁回りは八週間に及んだ。
* * *
「大本営的には、責任取らせたかったんでしょうけど。」と吹雪。
「ウチが横須賀が空けた大穴塞いだから東京は無事で済みましたけど、呉は、統括司令官戦死で第一鎮守府壊滅しましたからね。」
「世が世なら梅田庄、桜井庄、松井田庄と小田原城を賜るところです、って恩賞要求しましたからねー。」
青葉が柳の図太さを思い出して呆れながら付け加える。「佐世保の鎮守府が横須賀のお膝元で殊勲、って無理筋もいいところですけど、あの時帝都を守ったのはウチですし。
でも演出が下手でしたね、今から思えば。」
「演出?」
「少々やられた後にヒーロー登場、ってやればよかったんです、後知恵ですけど。
ウチが深海棲艦寄せ付けなかったから横須賀は何にも起きなくてよかった、って寝ぼけたこと言ってましたし、大本営は口封じに三号20cm砲よこしましたからね。」
「三隈砲?」
「昔は貴重品だったんですよー。アレがないばかりに、あたしたち重巡洋艦は存在意義をとやかく言われていた時期もあったんです。」
「へー、そうなんだ」
「もっともそれで出世の裏街道入りしたんですけどね。大粛清であれだけポスト空いたのにずっと大佐据え置きでしたから、司令官。」
ああそれで。長波に伝言を言付かっていたのだ。退役して暇になったんだから、会に顔出せ、ってサリー大佐に言っといてって。なぜ提督が長波会の名誉会員なのか不思議に思っていたが、確かに長波好みの提督ではある。
梅田庄、桜井庄、松井田庄と小田原城
「いざ鎌倉」の語源、鉢の木物語から。鎌倉武士の鑑、佐野源左衛門が執権北条時頼から賜ったとされる恩賞。
陸助
海軍の陸軍罵倒用語。露助とかアメ公的な、敵扱い。
フルメタル・ジャケットのハートマン軍曹がわかりやすい例だが、教育担当の鬼軍曹が新兵を罵り、しごくのはどこの国の軍隊でも同じ。
帝国陸軍の内務班は、貴様らなんぞは一銭五厘(召集令状の葉書代)でいくらでも集まるんだ。軍馬や鉄砲の方が貴様らより高価で大切だ、と物未満扱いして、負け戦のストレス発散に因縁つけては新兵を殴りまくり、怪我人どころか障碍者や死人まで出しても処分されなかったというので著しく評判が悪い。
もちろん海軍も新兵いじめしていて、それも陸軍が建前上はいじめを禁止していたのに対し、海軍は『海軍精神注入棒』なるバットを常備していじめを公認していた。しかし、元々の母数(海軍の5~10倍)も違えば年期も違う。(陸軍15年に対して海軍4年)水兵は、船員としての能力が必要で、殴るばかりではなく訓練もしていたので、専ら陸軍が悪玉扱い。戦後の海軍善玉論の論拠になった。
新兵、予備役、後備役の評価が低いのは日本に限ったことではないし、戦時で即戦力を一人でも欲しい時に数合わせに役立たずをあてがわれて、これでなんとかしなければならない、と苦悩するのは古今東西の職業軍人の宿命である。
そして困難任務は、英陸軍のSAS、海軍のコマンドー、独空軍のヴィルデ・ザウのように戦争のプロである職業軍人の中から精鋭を集めて志願を募るもので、戦争が終われば一市民に戻る徴集兵にやらせるものではない。
特別攻撃隊を少年兵や新兵にやらせた帝国陸海軍の職業軍人としてのモラルのなさは弁解のしようがない。