提督が退役しました。これより年金生活に入ります   作:デモステネス

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第56話 真の主 (1)

 世界は、獣の住む暗い森だ。荒くれ猟師が勇躍する狩り場だ。しかし、それよりもむしろ底知れない豊かな海だと考える方が私に向いている。

 それは色とりどりの魚介類にあふれた海だ。それを見た神々すらも漁師となって網を打ちたくなるような海だ。この世界は、それほど奇妙なもの、大きなもの、小さなものに富んでいる。

 ことに人間の世界、人間の海はそうだ。 この海に向かって、今、私は黄金の釣竿を振り下ろし、そして言う。さあ開け、人間の深海よ!

 開け!お前の魚や妖しく光る甲殻類を惜しまず私に抛り出してくれ。今日、私は極上の餌を使って、もっとも風変わりな人間魚をおびき寄せるのだ。

 

 

 既に種は播いた。あの広報でどんな艦娘がやってくるのか。広報班を返した後、柳は、ニーチェの『ツァラトストラはこう語った』を読み返しながら過ごした。

 

 世にも変わった色とりどりの深海魚が、いやこの場合は艦娘だが、あらゆる人間釣り師の中でも最も最も悪意に満ちた釣り師の手にかかるかどうかを見てみたい。

 元来、私はそうした釣り師なのだ。釣る。手繰り寄せ、引き込み、釣りあげる。ということは養成者、調教者、教育者だということだ。かつて私は、我と我が身に『汝自身となれ』と言ったのも、そうした意味合いであった。

 

 ツァラトストラを求めてやってきた最初の者は、二人の王だったか、大地寮に何かを求めてやってくる最初の艦娘は誰か。

 

 期待に心躍らせる一方で諦念も浮かべていた。艦娘が技量を磨き、レベルを上げ、他の鎮守府の艦娘と交流を持つ場となること。それが大地寮の目的である。艦娘が自分個人と関わっても別にいいことはない。むしろ組織のはみ出し者だった自分に関わることは害ですらある。Head masterと自称したのはそういう意味もあった。小中学校の校長というのは、生徒にとって朝礼その他で挨拶している人である。偉い人なのかもしれないが、生徒の日常生活には関係ない。

 主任には吹雪、教頭には白雪といううってつけがいるし、工廠長と明石夕張がいるから怪我してもメンテも問題ない。あまり大人数になると給食が間に合わんが、人を雇えばいい。送迎機パイロットは響と蒼龍で交代要員がいるし、突発的事案は日向が案出してくれる。

 うん、自分、初雪や最上と遊んでいられるんじゃないか?

 

 あくまでも楽隠居の道を諦めない退役提督であった。だからだいたい白雪に丸投げして、三分で収まる簡潔明瞭な挨拶くらいしか自分で考えたものはなかったのだが。

 

 

 

「初雪、SAN値チェックを頼む」

 

 教官、学生が集合したというので挨拶に行って帰ってきた柳は腕をまくって初雪に突き出した。柳の腕を雑巾を絞るように捻る初雪。

 

「いだだだだだっ!現実だ!なんてオーマイガッドな!」

「どうしたの?」

「いるはずのない人を見てしまってな。それも一人や二人じゃなくて、五人もとなるとSAN値チェックでもしなきゃやっとられん。」うめき声をあげて柳は椅子に座りこんだ。

「初雪、現実と向き合うというのは辛いものだな。」

「それ、大淀さんも同じこと言ってると思う。」

「知っていたのか初雪!」

「白雪が喜んでた。労苦を分かち合ってくれる人が来る、って。」

「ブルータス、お前もか」左手で額を支え、頭を抱える柳。

「初雪」

「何?」

「すまんが私に勇気をくれ。」

「・・・ん、わかった。」 近寄ると初雪は柳の頭を撫でた。「よし、よし」

「もうちょっと」

「よし、よし」

 

 落ち込むおっさんを慰める黒髪ぱっつんな中学生女子の姿があった。尊い。

 

「はーっ」

 柳は大きく息を吐くと立ち上がった。気付けが必要だ。お湯を沸かすと、比叡直伝、気合の入った紅茶を作った。飲まなきゃやってられません、とか、飲んどる場合か!とかいろんな台詞が頭をよぎったが気にしない。そして呼び出しを待った。

 

 

 

「お艦」

「お久しぶりです。」

 

 本戦の先に片付けておくか。一番簡単に終わりそうな古巣から来た鳳翔に話しかけた。

「よく皆が手放してくれたな。」

「お願いしたら快く。みんないい子たちですから。」

「店は?」

「龍驤さんにお任せしてきました。」

「そうか。」

 柳は頷いた。鳳翔のお願いを断れる者がいるわけがない。龍驤は、魂の叫びを上げていたかもしれないが。

「よく来てくれた。教官として鳳翔は理想そのものだ。感謝する。」

 対空訓練には艦載機が必要で、正規空母を教官に充てるのは戦略戦術は言うに及ばず、資源的に論外である。技量は聞くまでもない。曲者揃いの空母を束ねる厳しさと優しさを併せ持つすべての空母の母。搭載機の少なさから戦力的には二軍扱いだが、鎮守府の精神的柱石である。まさか来てくれるとは思わなかった。

「ありがとうございます。」

「夕風の顔を見に来たか?」ちょっとからかってみる。

「夕風さんは、今のところここにしかいませんから。」鳳翔はくすりと笑った。「ご心配なく。夕風さんがいなくなっても鳳翔会が責任をもって交代で教官を務めますので。」

「それは心強い。」

 今、さらっととんでもないこと言ってのけなかったか?取り敢えず次。

 

「巴」

「はい、提督」

「卵の殻がやっととれたくらいの子たちだ。ほどほどにな。」

「私は、学生ですが。」

「学生?」

 当惑して相手を見つめた。サムライガール神通改二、Lv99。どういうことだ?

「鳳翔さんと吹雪さんに一か月、存分に試合えるんですよ。」

 神通は輝くような笑顔を浮かべた。「私、どきどきしています。」

「レベルの低い子たちはどうした。」

 佐世八鎮の艦娘は、鳳翔と神通の二人だった。

「学生枠が試合たい娘の勝ち抜き戦になっちゃいました。」

 ペロッと舌を出し、神通は上目遣いに柳を見た。

「あのなあ。」

 

 柳は呆れて神通を見た。世間的には鬼教官で名高い神通だが、黙っていれば美少女川内の妹で、ウザかわ那珂の姉である。合宿に行きたければ実力で勝負とか、ここぞというときに女の魅力を使ってくるとか、さすが二水戦旗艦。勝ちに行く手段にためらいがない。

「それだといつまでたっても枠が空かないだろう。」

「ご心配なく。低レベル艦をどれだけレベル上げしたか勝負ですから。」

「それだと天龍が、ってもう一回やってるな。」

「はい。姉さんも。ですから私です。夕立さんと時雨さんが張り切っていました、この前の雪辱だ、って。」

「うん、それならいい。 総括のハイパーズがいたな。」

「はい。大井さんは教官ですが、北上さんは学生です。」

 大井の欲望もここまで来ると清々しいな。「他に高レベルの学生はいるのか?」

「学生30人のうち10人がLv90以上です。」

 柳は唸った。「三人に一人か。人気者だな、パンツさん。」

「照れますね。」吹雪もまんざらでもなさそうである。

 

「ファーストさん」

「「「はい」」」

「え!?」

 夕張を呼んだつもりが明石と日向も同時に返事してきたのでさすがの柳も驚く。

「明石市子です。明石会の名誉会長しています。どうぞよろしく。」

「日向初代だ。日向会の名誉会長をしている。よろしくな。」

「動機は、聞くだけ野暮ですね。」

 

 最初の艦で名誉会長って、楽隠居の先輩じゃねーか。それがこんな畑のど真ん中に来るか?なんだなんだ、このかぶき者どもは!

「表向きには何の教官をやるんです?」

 裏は知らん。というか、最初の艦に指図できるわけなかろう。だいたい自分、退役している。

「私は、元祖対潜女王よ。」と、最初の夕張。

「技術講習会ですね。」と、最初の明石

「体術一般だな。人型の動きに慣れていないせいで、なんでもないところでこける者が多すぎる。私の実艦を動かすには資源を喰いすぎるだろう。」と、最初の日向。

「なるほど。」

 頷いて大淀を見た。わずかに顔の角度を変えたせいで眼鏡が反射してきらーん、と光ったような気がする。

 

「間宮さん」

「はじめまして」

「鎮守府でもないところにあなたが来るとは、望外の喜びですが。

 大本営的には無線監査艦ということになるのかな?」

「さあ、どうでしょう。うふふ。」

「歓迎しますよ。うちの白雪や響も料理はできますが、常時これだけの人数となると専属の人雇わなきゃ回らないし、通いにしても住み込みにしても来てくれる人いるのかしらん、って思っていたので本当にありがたい。

 さて。」 柳は大淀に向き直った。

「状況把握は済みましたか、提督。」

「おおよその配置は確認できたと思う。 公式の役目はなんだ。」

「一般事務と艦娘の現代化です。建造後まもなくの艦娘は、浮世離れもいいところですから。」

「大本営的には」

「梁山泊の監視と介入です。」

「私は山東ならぬ道東の及時雨か。悪くないな。童貫殿もたまにはいいことを言う。」

 

 童貫は、武官としては最高位の大尉にまで上り詰めた異色の宦官で、といえば聞こえはいいが、賄賂大好き。強きに弱く弱きに強い悪党の典型。北宋が滅亡に至った軍事的失敗は、だいたいこいつが皇帝に媚び諂って能力を超えた攻勢を仕掛けたせいである。

 多くの妻妾と養子を持ち、筋骨隆々にして顎鬚を生やしていたというから本当に去勢されていたのかも怪しい。柳佐理、大本営のお歴々に容赦がなかった。

 

「・・・。どうしてこうなったあ!!!」

 

 柳が勢いよくちゃぶ台をひっくり返した。派手な音を立てて茶碗や皿が割れる。

「自分のせいでしょう、この、クソ提督!!!」

 70db以上の艦娘の怒号を感知して食器が一瞬で復元。ちゃぶ台も元の位置に戻った。

「なんで腕試しになってんだよ、小中学校の補習だったはずだぞ!」ガッシャーン

「吹雪さんだけでも十分なのに、鳳翔さんまで教官なったら当然でしょう!」

「鳳翔を手放すなんて、一時的にもありえんだろう!」ガッシャーン

「夕風さん抱える唯一の提督が何を言いますか!」

 

「始まりましたね。」と神通。

「大淀さんも気合い充分ですね。」と鳳翔。柳とこの大淀の掛け合いは、佐世保第八鎮守府の定例会議みたいなものだったので懐かしさを感じている。

「あれはなんだ?」と、最初の日向。

「佐世保第八鎮守府名物、『ちゃぶ台返しで語る熱い思い』です。」吹雪が説明した。

「思いなのか?」

「拳で語ると司令官の身がもちませんから。」

「なるほどな。」

 騒ぎを聞きつけてどんどん艦娘が集まってきた。

 

 

「どんだけ暇してんだよ大本営!秘書室付き隠居所に寄越すって、バッカじゃねーの!」ガッシャーン

「お黙んなさい!大佐に私の苦労がわかりますか!

 退役してやっと縁が切れたと思ったら!夕張集めて陸軍と談合させるわ。それが終わったら今度は!

 明石と夕張。全鎮守府ですよ、合宿参加希望。内地だけじゃなくて!おまけに日向さんまで!

『アンゼロット、あたしを合宿に行かせて!』って、血涙流しながら秘書室の前に立ってるんですよ!

 明石のワンオペ問題、表沙汰になったでしょうが!なあなあで済ませていたのに。ついでに間宮さんまで!

 教育局の鳳翔教官がお願いしてくるんですよ!鳳翔会で回すから大地寮の教官やらせて、って!

 あっちこっちの鎮守府から、エース艦が合宿行くって騒いでどうにもならないから大本営でガイドライン作れって!

 全部私の目の届かないところで起きているのに、みんな私のところに持ってくるんですよ!人間も艦娘も!」

"That's your business, not mine" ちゃぶ台の上にあったスプーンを大淀目掛けて軽く放り投げる。

「提督なら艦娘を仕切りなさい、この無責任艦長!」

 

 これはちゃぶ台返しじゃおさまらんな。柳は胸の中でごちた。秘書室勤めでよほど鬱憤が溜まっているらしい。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。

「人が集まり過ぎた。表に出ろ、久しぶりに語り合おうじゃないか。」

「望むところです。」




 山東の及時雨(きゅうじう)

 水滸伝の主人公、梁山泊の首領、宋江のあだ名。旱天の慈雨と同義。謂れは、宋江が義侠心に篤く困った人に救いの手をさしのべることから。白露型二番艦は関係ない。
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