提督が退役しました。これより年金生活に入ります   作:デモステネス

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第61話 北風と太陽 (4)

「新型磁気感知魚雷開発責任者に会いたいのです。」

「連絡は受けておりませんが・・・。よほどお急ぎですか。」

「はいなのです。」

「なるほど。少々お待ちください。」

 

 年嵩の衛兵が電話を掛け、若い方の衛兵がどうぞお掛けください、と椅子をすすめる。いざとなればごり押しするつもりだったがその必要はなかったらしい。まずは一安心。電は、皆さんでどうぞ、と浦賀で買ってきた饅頭を差し出した。

 おお、艦娘の差し入れだ!と若い方の衛兵は喜び、電話中の年嵩の衛兵に睨まれてありがとうございます。ご馳走になります、と言い直した。

 案内が来るまで少々お待ちください、と和やかに雑談すること暫し。

 

「はーい、お待たせ?工作艦、明石、到着いたしました!

 あんまり似てなかったですかね。」

 

 照れ笑いをしながら今日は私が案内しますよ。どうぞ、と先に立つ。二人の艦娘が十分離れるのを見計らってから若い方の衛兵が安堵の溜息を漏らした。

「本当に何もありませんでしたね。」

「軍艦の化身だぞ。兵隊に無茶するわけないだろう。」

 

 主計や研究員は、弾除けの肉壁のように思っていたようだが、艦長にお土産忘れても先任伍長に忘れちゃいけないのが海軍である。暗黙の了解に先任伍長への敬意を新たにする二年兵であった。

 

 

 ちょっと事務室寄りますね、と、明石は電を廊下に待たせるとすぐに男を連れて出てきた。工務係長です、と紹介する。いささか当惑する電にじゃ、所長室から行きますか、と工務係長が先に立って歩き出した。ノックもせず名乗りもせず、いきなり中に入っていく二人にびっくりしながら電が後に続いて入室する。

 

「御覧の通り、所長は、進水式出席で横須賀に出張していて不在です。」

「ということで電さん、せっかくですから所長席座ってみませんか」

「はい?」

 戸惑う電に明石は所長席に向かうと無造作に座った。机に両肘を立てて寄りかかり、顔の前に両手を組んで俯く。

「問題ない。・・・あれえ、皆さんに大ウケなんですけどね。」

 

 逡巡する電に明石は机の引き出しを開けると分厚い本を取り出して見せた。

”THE FOUR NOVELS AND THE FIFTY-SIX SHORT STORIES COMPLETE BY SIR ARTHER CONAN DOYLE"とある。

「推理小説がとっても好きで、こうやって机に隠してこっそり読んでるんですよ、うちの所長。いつも不愛想な顔してますけどね。推理小説の話を向けるととってもうれしそうな顔するんです。かわいいでしょう。

 もし会う機会があったら、試してみてくださいね。」

「るんるんとっとさんだったのです?」

 

 席を立ち、ほらほら、滅多にできない経験ですよ、と電を促す。電がちょこん、と所長席に腰掛けると工務係長が前に立って写真を撮った。

「話のネタに。」ウィンクしてみせると携帯あります、と尋ねデータを転送した。

「じゃ、次行きますか。」

 

 明石に促されて行ったのは理学研究部長室。

「魚雷開発は理学研究部の管轄ですが、部長は学会出張で不在です。では次」

 

 部長の空席巡りさせられてだんだん不機嫌になってくる電を伴って明石と工務係長は最初の部屋、庶務課に戻ってきた。止めに庶務課長も会計課長も不在なのを確認させる。

 

「ということで私が着任順で最先任ですので代わりにお話を伺います。」

「エエ・・・」

 

 親撲を深めようとしたら司令部全滅だったのです。ドン引きする電を応接スペースに案内して座らせると、工務係長は自分も向かいに座り、明石はお茶淹れてきますね、と席を外した。

「魚雷開発主任に緊急面会の要ありということですが、一体何があったんです?」

「これをどうぞ」

 電は報告書のうち、黒潮の雷撃処分の部分を取り出して工務係長に渡した。

「私が読んでもよいので?」

「全部隊に周知されるべきなのです。」

「なるほど。では失礼して」

 

 工務係長は、最初はさも初めて知るふりをするのに気を取られていたが、調定諸元の入った図面に射法計画を読み進めるうち、技術の敗北を突き付けられ技術屋の一人として忸怩たる思いであった。全部読み終えて、書類をトントンと叩いて揃える。コーヒーの濃厚な香り。頃合いを見計らって明石が戻ってきた。

「コーヒーブレークですよ。どうぞ。」

 舶来の高級品に電が目を丸くする。

「といってもコーヒー飲料なんですけどね。さすがにこのご時世、本物のアラビカはとてもとても。でも。」明石はくるくる表情を変化させた。

「ベトナム産のロブスタをベースにウチの研究所が開発したフレーバーコーヒーです。

 ロブスタは苦くてカフェインが強くて目覚ましにはいいんですけど、長いこと飲んでいるとどうしても味がね。結構自信作なんですよ。」

 

 海軍研究所ってそんなこともしているのですか。隠し場所からお茶請け持ってくる明石に呆れて尋ねれば、誰が売ってると思っているんです、と悪びれるどころか胸を張られ、工務係長は工務係長でお茶も出さないで帰したなんて部長に知られたら叱られますよ、とまるで気にしていない。

 このご時世、コーヒーは高級品だし、かをりのレーズンサンドは大好物である。電は気遣いをやめた。

 

「明石さんも読んだ方がいい。

 最初はね、ハワイコナとかブルーマウンテンみたいに本当に幻になったコーヒーを再現しようとしたんです。

 ところで電さん、コーヒーの香り成分ってどこくらいあると思います。」

「さあ」電は小首を傾げた。

「約700から800。これがどのくらいすごいかというと、お茶が約300で倍、ワインが約200ですから3倍以上なんですよ。」

「へえー、そうなのですか。」

「香り成分は、全部が解明しているわけでもありませんし、効きもモノによって違います。そして焙煎や淹れ方で全然味が変わってしまう。考慮すべきことが多すぎました。」

 工務係長はお手上げだとばかりにちょっと上を向き、明石は報告書を読む傍ら合いの手を入れた。

「風味に強く影響するのは30種類から60種類というのはわかっています。しかし、これでもまだ多い。味付けが甘い辛い、って塩や砂糖を入れていったら、食べられた物にならなくなるでしょう。それが最低でも30種類。

 変数30で焙煎や淹れ方やらで係数つけて方程式作ってはみたんですが、感知器がねえ。二酸化炭素とか一酸化炭素とか、そういう気体単体ならともかく、コーヒーの香りみたいなものにはまだまだ対応できなくて。

 なんといいますか、機械は木を見るのは得意ですが森を見るのは苦手なんです。」

 

 工務係長が技術屋にありがちな技術を語って聞かせましょうをやり、電が今はそんな話を聞いている場合じゃないけど、話をぶった切るのも失礼なのです。コーヒーとお菓子ごちそうになってるんだし、と内心葛藤。明石は報告書を見つつ、体内時計で時間を見計らって窓の電の肩越しに外を眺めた。発光信号が煌めく。

 U W(ご安航を祈る) 宜しい。

「新型魚雷の主任研究員は、夕張なんですけど出張中なんです。」

「出張?」 電が口調も低くなる。

「ご存じだと思いますが、北海道にできた柳提督の寮に行っちゃいまして。」

「ああ。こちらもなのですか。」

 工廠妖精さんが騒ぎ出して、明石と夕張がどっちが引率していくかでやりあっていたのを思い出す。

「いい機会です。あたしと夕張が大集合していますから対策を検討させましょう。

行きますよね、電さん。」

 電は頷いた。技術バカを吊るし上げたいのは山々だが、突然使い物にならなくなるものを何とかするのはもっと重要である。

 

 

 本部棟を出て暫し歩く。年季の入った建物の入り口に『夕張研究室』と書かれた表札。扉の横にあるテンキーを明石は眺めた。

「今日は10日だから」 手早く数字を打ち込む。

”ぴろろ~ん。ヨーロッパといえば”

「第一角法」

”インチねじは”

「青い箱の中」

”ヤードポンド法”

「駆逐英米」

 

 カシャン、と金属音。明石はドアノブを横に引いた。

「引き戸?」精神的にずっこける電。

「押しても引いても開きませんからね。コロンブスの卵ですよ。20mm高張力鋼板ですから引き戸にしないと建付けが大変なんです。」

 20mm鋼板?いったい何を防ぐつもりなのです。そして中には類稀なる空間把握能力と記憶力を持つ者だけが入室を許される空間がそこにあった。

「警報装置切ってきますんでちょっとお待ちください。」

 電を留めると明石はケンパ、ケンパ、ケンケンパ、と床が見えているところに跳んでは積みあがったファイルを慣れた手で引き抜いては中身を見て戻し、デスクにたどり着くとキーボードを叩く。

”ぴろろぽーん”

 明るいチャイムの音が鳴ると明石はケンケンして入口まで戻った。

「掴まってください。警報は切ったんですけど慣れないと歩きづらいので。」

 

 雑品屋さんだって台車通る通路はあるのです。電は、汚部屋という言葉では到底物足りないカオス加減に呆れながら明石の艤装のクレーンのフックに手を伸ばした。デスクに辿り着いてモニタを見ればショートカットやら付箋やらで画面が一杯。明石が慣れた手つきでファイルの検索を始めた。

「ここからデータ落とすのでちょっと時間かかります。1時間は見てほしいんですが、一緒に見ます? そっちに休憩室あるんですけど休憩室で待ちます?」

 

 シャワーがありますよ、と言われ心の中で毒づきながらも電は奥の休憩室に向かった。この汚部屋を目にする1分1分ごとになんかこう、体の表面に埃を被るとか錆付いていくような気がする。整理整頓の海軍精神を叩き込むにもここまでひどいと手遅れ感しかない。生ごみとかそっち系の悪臭がないのを良しとすべきなのですか。

 シャワー室の前にゴミ箱が置いてあって中を見たら使い捨ての紙の下着だった。隣は太陽燈室で前に「災害時用 紙製女性下着(使い捨て)」と書いた段ボールが無造作に置いてある。ここの夕張さんはどうしても洗濯したくないのですか。いえ、ここで洗濯物干したらカビるか生乾きの臭いでひどいのです。まるで潜水艦なのです。

 シャワーを浴びるとハンモックで上から下から太陽燈に照らされながら電は明石が呼びに来るのを待った。

 

「いやあ、すいません。だいぶん手こずっちゃいまして」

「いえ、ご苦労様なのです。」

 

 この汚部屋の主に相応しいとっちらかったファイル構成ではとても目当てのファイルを探せたとは思えない。PCごと持ち出せるわけもなし。明石が非協力的で、どうぞ存分にご覧ください、とほっぽり出されたら脅して探させるほかなかった。

 XT13 3101とかXTa 102とか、知らない者が見る分には中身の想像もつかないアルファベットと数字の名前のファイルが並んでおり、明石はそのいくつかを開きそのファイルは間違いなく魚雷関係で無関係なものではないことを電に確認させた。そして電が頷くとフォルダを暗号化。パスワードを口述した。

 キャビネット一杯の機密資料がこんなもの一つに収まってしまうのですか。電は、軽い感動を覚えながらあらためて明石に礼を言い、門まで送ってもらうと浦賀で買ってきたどら焼きを渡して去った。

 

 明石は、電を見送ると一旦工作室に寄って装備を整え夕張ラボに引き返した。ラボの前には衛兵詰所からぷらずま通過の連絡を受けた面々が集まっており、皆、無言で親指を立てると明石に頷いて見せた。暗証番号を打ち込み、合言葉を唱えて扉を開く。

「ひどいな、話には聞いていたが」

 初めて中を見た衛兵司令が顔をしかめている。警報を切ると皆を部屋の中に招き寄せた。

「これが浪漫でお約束の自爆装置です。」

「手間いらずでいいですね。」

「お約束にはお約束で返さないとならんですね。」

「何じゃ、こりゃ。」

 装置を調べていた工廠長が不満の声を上げた。「粉末消火器にカセットコンロって何だ、夕張のは。らしい、ちゃ、らしいが」

「何なんです?」

「粉塵爆発狙ったんだろうよ。こんなゴミ積みあがった部屋で粉塵でもガスでも部屋中に充満するかい。まったくロマンロマンいう癖に詰めが足りん。

 明石の」

「はい、工廠長」

「例によって例の如く何とかするぞ。みんなも手伝ってくれ。」

 

 

 破壊工作を終えると大事をとって部屋の外へ。ぽちっとな、と明石がリモコンを押す。

「自爆装置が作動しました。ここは3分後に爆発します。至急、脱出してください。繰り返します。自爆装置が作動しました。ここは3分後に爆発します。至急、脱出してください。」

 

 警告音が鳴り、カウントダウンを開始する。お約束に忠実な夕張であった。そして工廠長の奇妙なピタゴラスイッチが作動を開始した。コードを束ねたタコ足配線のテーブルタップに定格以上の電流が流れ、周りには充電式の電気製品が転がっているとか日常生活でやっちゃいけないシリーズに次々とスイッチが入っていったからたまらない。一つ一つだけでは燻るばかりだったろうが、すぐに火が付いた。直火に当たってサラダオイルのプラスチックボトルが熔け、中身が流れ出して発火。隣にあった瓶か熱膨張で割れ、酒がサラダ油に混じり火のついた油が飛び散る。

「5,4,3,2,1,自爆します」

 粉末消火器の中身はテルミットや金属マグネシウム粉末。一気に火勢が上がり発火点を超えたガラクタが一斉に燃え出した。

 

 研究所夕張。現場が膳立てしてやれば彼女の試作品はなかなかの威力を発揮するのである。




 るんるんとっと

 カール・ルドルフ・ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥のこと。
 「最後のプロイセン軍人」の異名を持つドイツ陸軍の長老。ヒトラーも頭が上がらなかった偉い人だが、日本の一駆逐艦娘の知ったことではないので電は、名前すらまともに憶えていない。
 ドイツには元帥なのに連隊長と呼ばれるのが好きで階級章も大佐の階級章つけていて、執務室でコソコソ推理小説を隠れて読んでる変な元帥がいる、というエピソードだけ知っていた。
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