提督が退役しました。これより年金生活に入ります   作:デモステネス

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第8話 一航戦 (on-off)

 蠅も止まりそうなくらいスピードを落とすと、アントノフは赤城に着艦した。着艦の瞬間、機首が上がりエンジンが唸る。フックがワイヤに引っ掛かり、つんのめって後ろに引き戻される。せいぜい50km/hくらいしか出ていなかったので使った甲板はせいぜい30m、自動車が急ブレーキかけた時くらいの衝撃で済んだ。そういや車輪がついてて走って曲がって止まるから飛行機も車だ!って言ってた工学部がいたね。

 整備妖精さんが駆け寄ってきてワイヤを外したのを確認してからテキシング開始。中央エレベーターで停止。いや、リフトだな、と柳は思い直した。リフトが格納庫に下り、機から降りると赤城と妖精さん数名が整列しており、号笛が響く。

 

「本艦へようこそ、提督」

「ありがとう」 背筋を伸ばして答礼する。

「しかし、退役した身としてはいささか光栄に過ぎるかな。」

「将旗を掲げることはとても誇らしいことです。機会は見逃しません。」

 

 退役しようが死のうが艦娘を率いた者は提督。艦娘が生きている限り、その事実は変わることがない。ああ、赤城。全くその通りだよ。

「そうか。では艦橋に案内してくれるか。士官たる者、Always on deckだ。」

「かしこまりました。こちらへどうぞ。」

 

 蒼龍と響は、ちょっと整備と補給の事で、と妖精さんと打ち合わせ。白雪は妖精さんにお菓子もって来たので、と格納庫にそのまま居残ったため柳一人が赤城に先導されてその場を去る。赤城と柳の姿が見えなくなるまで見送ると三人は一斉にため息をついた。

 

「まったく『隙がない赤城さん』は」三人、見事にハモった。

「あー、もう。なんかじれったい。」

「なんだか本当にご飯御馳走になるのを楽しみにしていたような気がしてきたよ。」

「隙を見せても全然反応しませんけれどね、司令官。」

「それそれ」

 

 海と空しか見えず、娯楽のない環境で無聊を慰めるのにはヘル談は欠かせぬもので、艦時代にさんざん聞かされて艦娘は例外なく耳年増である。そして船乗りのよもやま話というのは何度も繰り返し語られ聞きたがられるものだし、大きい艦には多少の娯楽設備があるが小さい艦にはそんな余裕はないから、長生きした駆逐艦ほど耳年増になっていく。戦後、ソ連に賠償艦として引き渡された響ともなると更に日ソ二カ国分に増えるから千人斬りでも全然足りないくらいだ。

 

「ふーん」 柳の反応は薄いものだった。

「そりゃ凄いね。」柳は響を一瞥して言ったものである。「親愛なる同志ラブレンチー・パーヴロヴィチなら、喜んで耳を傾けるだろうな。」

 

 この世の邪悪を一身に集めたチェキストの名を耳にして響は文字通り震え上がった。怖れを振り払うのにはウォトカ3本を要し(うち1本は柳に付き合わせた)、以来自分の見かけに合わせた言動をするように心がけている。

 

「offが限られてるところはホント似てるよねーあの二人。」

「仕事だからしゃべってるけど、そうでなかったら個室に閉じ込めてもお互い黙っているんじゃないかな。」

「イギリス人みたいですね。」

 

 その頃艦橋では。

 

「釧路に向かうんじゃないのか」

「釧路に向かう途中で敵潜水艦と思われる交信を傍受しました。磯風を差し向けましたが、探知できませんでした。北方哨戒任務で対潜兵装を用意していませんでしたから。」

「そうか」

「待ち伏せの可能性があり、予定変更。十勝川沖に沈座します。」

 柳は眉をしかめた。木曾は冗談めかしていたが、赤城まで沈座すると言い出すとは。

「で、本当のところは、くれは」

 赤城と二人だけの時の呼びかけに切り替える。

「あんな危なっかしいところに停泊できるわけないじゃない。大破して曳航されてるとか、浸水止まらないとか、そんな場合でもなきゃ這ってもずっても他所まで行くわよ。

 しかも余計なおまけ湧いてくるし。あんただってわかってるでしょ」

 

 商業港としてはさておき、軍港として見た場合の釧路港は下の下である。

 北米航路の目と鼻の先に位置しており、港の入口は遮るものとてなく外洋に開けっ広げ。高地のない平原に位置しているためレーダーの探知範囲に限界があり、5月末~9月中旬は恒常的に濃霧が発生してエアカバーが外れる一方で霧笛が鳴りっ放しになる。

 通常航路航行中、ちょっと行がけの駄賃に寄り道して濃霧にまぎれて港湾襲撃かけられても探知した時には相当に接近を許しており、濃霧で攻撃機は発進できず、霧笛で敵を港湾入口まで正確に誘導、となりかねない。

 立地条件が劣悪な上に政治的な問題もあった。無人の単冠湾に鎮守府あるのに道東最大の釧路港に鎮守府ないのはおかしい、と地元議員が無駄に政治力を発揮して鎮守府誘致活動しているのである。その一方で釧路港軍港化絶対反対!と活動家も折に触れて全国から集まってくるのが恒例化しており、海軍としてはどちらも等しく大迷惑であった。

 

「まあ、そうだな」

「どうして恵庭とか千歳にしなかったかなあ、北海道で陸軍のお膝元っていうなら。

室蘭なら安心して停泊できるのに。下野する時までケチがつくなんて、さすが下がる男」

「下がる男いうな! 隠居所に艦隊が遊びに来るなんて、誰が思うよ。」

 言い返しながら柳は確信した。この件については赤城は白だ。主犯ではない。

「はわー。隠居した、って思ってるのあんただけだからね、柊」

「はい?」

「万能過ぎて逆に特技がない最先任。資材倉庫の鼠の仔の数まで把握してる経理妖怪。発明マニア。おまけに工廠長まで引っこ抜いて、バターから大砲まで扱う武器商人の店構えさせておいて何言ってるの。」

「ちょっと待て。俺、そんなことになってるのか」

「うん。不死鳥に不思議ドラゴン侍らせて航空火力教布教中、って一体何やらかすつもりなんだ、って」

「よせよ。」

 げっそりしながら柳は弁解を試みた。

「白雪は知らんけど吹雪は俺の成年後見人押しつけられて、工廠長は武者修行の旅に寄っただけ、って聞いたぞ。

 明石は、間宮の甘味の材料の仕入れに営業所が十勝に欲しかったみたいで、夕張は蕎麦打ち、響はまともなボルシチ喰いたさに」

「柊、本当はそうだとしても他人はそう受け取らないんだよ。付いてきたのが初雪だけだったら信じられたかもしれないけどね。

 陸軍の縄張りに引っ越したのも海軍のあてつけだと思われてるよ。」

「それは全くそのとおりだ。海軍部の奴らにちょっかい出されるのが嫌で退役したのにどうしてコウナッタ。」

「そんなこともあろうかと電が手打ったから安心してていいわよ。

 ところで今日のご飯は?」

 

 元締めは電だったのか。あっちゃー。いらぬちょっかいを出してきた有象無象に柳は心よりご哀悼申し上げた。大本営の陰の黒幕大淀とか、隠れてないサイコパス龍田とか、敵に回してはいけない艦娘は色々いるが、一番やっちゃいけないのが電である。できれば敵も助けたいのです、という心やさしい駆逐艦を怒らせて生きている者はいない。伝説となった艦娘は色々いるが、単艦無疵で戦艦ル級改flagshipをスクラップにしたのは黒化した電(プラズマと呼ばれている)だけなのだ。

 心の中で主の祈りとアヴェ・マリアを三遍唱えて柳は、赤城のリードに従い世間話モードに移行した。

「もちろんカレーだ。そのために金曜日に来たんだろうが」

「トッピングはカツ以外にもあるんでしょうね」

「当然だ」

「デザートは」

「飲み物とアイスクリームだな。」

「まさかラクトアイスじゃないわよね。」

「お前はトンカチ持った女神様だったのかよ、くれは」

「なんなら破魔矢を撃ちかけて根性叩き直してあげようか?」

 

 仕事で上司部下になる前のネット時代に戻り、わかる人にしかわからないマニア同志の会話に興じる二人であったが、妖精さんが赤城に近づくと一言二言。

「蒼龍たちが来たようです、提督。」

「では演習報告の口上書を作らせよう。」

 たちまちonに戻る二人であった。

 

 

 

 十勝川沖。各艦は艦首を風上に向けて停止、投錨。艦娘たちは自艦から海に飛び降りると水上を駆け、赤城の飛行甲板に集まってきた。短艇をいちいち出す必要がないので集マレの信号を送ってから10分もたっていない。

 

 やたら上機嫌な金剛の歌声を聞くや否や、赤城と加賀は弓を構えて矢を番え、榛名磯風はアンカーチェーンを握りしめる。やれやれ。柳は首を振ると金剛に歩み寄り、息がかかるような距離で正面で向かい合うと金剛の手をとり手の甲にキスして古いミュージカル映画の歌を歌い初めた。

 

 手を離し、金剛の頬っぺたをぷにぷにつっつく。金剛の右手をとり、柳が金剛から離れた瞬間、加賀の矢が金剛の腕を狙ったが、金剛は柳と手をつないだまま腕を上に持ち上げこれを回避。くるりと一回転して柳に向き直ってデュエットを始めた。

 

 歌詞を聞いて熊かよ、とちょっと怒ったふりをした柳が小走りで離れる。それを追いかける金剛。榛名と磯風が振り回していた錨を鎖鎌の分銅よろしく金剛に投げつけたが、金剛が急に立ち止まったせいで錨は前に外れた。また小走りして柳に寄り添うと手を取る。きゃ、あたし恥ずかしい、といった風に慌てて離れたところに赤城の放った矢が通り過ぎた。

 おどけた表情で歩み去る柳。二呼吸おいて追う金剛。立ち止り、向き直った柳の両手を取って左右に体を揺らす二人。片手を離し、柳から少し離れてステップを踏む金剛を再び加賀の矢が狙ったが、金剛は倒れこんで柳に抱きかかえられ、矢は虚空を過ぎた。

 

「ハラッショー」

「相変わらず姐さんのキレッキレじゃのう。」

「それにあわせる司令官も大概ですよね。」

 

 いちゃつきたいのはわかりますけど時と場所を選んでください、とあちこちから言われた結果がこの『金剛の舞』であった。金剛は、ワタシの本気、魅せてあげるネ。文句があるならかかってくるとイイヨ、と啖呵を切ったものだから

 

・本気には本気をもって応えなければなりませんね

・提督に気があるわけではないけれど、目の前でいちゃつかれるとむかつくわ

・あたしだっていちゃいちゃしたいのにお姉様ズルイ

・男女のむつみあいすら武芸の鍛錬とは日々是鍛錬極まれり

 

 などと、割と本気で襲われているのだが、金剛はすべてを回避。もはや殺陣の域にまで達しており、佐世保第八の舞姫、踊る金剛の異名は大本営にまで知れ渡っている。

 

「堪能したヨー」

「どういたしまして」

 

 一曲踊ったところで腰を落とし、スカートをつまむ動作をしてお辞儀した。本当はもう一曲踊りたかったけれど一人一曲。提督独り占めするのはよくないネ、という金剛なりの気遣いである。

「後任とは踊ったのか。」

 金剛は肩をすくめた。「誘ったら真っ青な顔で断られたネ。大本営で何か聞いてきたみたいダヨー。」

 

 事は舞姫・踊る金剛の異名が中途半端に知れたことに始まる。柳の鎮守府運営は、大本営から積極的でないと評価されており、そこに戦艦が踊りに現を抜かしている、と聞き及んだからにはもはや捨て置けぬ、と急遽抜き打ち監査が決まった。

 障子の桟を拭うような枝葉末節を小突きまわす意地の悪い監査なところに、貴様のところの戦艦は踊りが巧みなそうだな。戦時にもかかわらず提督が優雅だと部下も優雅になるものだ。自分もその踊り、見てみたいものだな、と嫌みたっぷりにあてこすってきて金剛の堪忍袋が切れた。自分を悪し様に言われるのは構わないが、提督が侮辱されるのは我慢ならない。

 田舎の鎮守府でろくにおもてなしもできませんがどうぞご覧ください、と踊り始めた。項荘とは異なり、剣は手にしていなかったが図演用の棒を得物にしていた。表情をなくした金剛に気付いた初春がどれ、妾も一差し舞おうかのう、と金剛と監察官の間に割って入り、手にした扇子で金剛の攻撃を払うも到底支えきれずたじたじとなっているところに、おもしろそうなことしてるのね。あたしも混ぜて、と龍田が長刀を手に加わる。

 

「どうです。うちの艦娘たちは。金剛が一等飛び抜けていますが、他の娘の踊りもなかなかなものでしょう。」

 

 監察官は金剛の踊りが何なのかを悟ったが、柳が泰然自若としていかにも楽しそうに語るので悲鳴をあげることも逃げることもできない。暫し眺めていた柳は、ご婦人の相手をするのは紳士の義務、と言って立ち上がり棒を手に取って金剛達の輪に加わると、金剛に力負けしていた初春と龍田がぱっと退いた。提督どいて。そいつ殺せない。金剛の目はそう語っていたが、数合打ち合って諦めたらしい。柳に手を取られて腰を落とし、お辞儀する。

「いかがでしたか。」

「あ、ああ。」

 

 緊急案件が発生した、と来た時と同じくらい慌ただしく監察官が引き揚げて行ったのは当日の午後であった。艦娘が襲ってくることにも、それを柳が軽々と優雅に収めることにも耐えられなかったらしい。

 

 

「ま、歌って踊れる提督になるには年季がいるからな。」

「Boyにはまだまだ無理ネ。」

 

 少壮の少将捕まえて新兵扱いかい。柳は思わず噴き出した。英国海軍を模倣するのに汲汲としていた時代を知る金剛にとって、五誠に象徴されるくそまじめなだけの士官は、例えそれが大将であろうと半人前なのである。海軍士官たる者、いついかなる時も沈着冷静にして困難時にあっても決してユーモアを忘れないものなのだ。

「金剛にかかっちゃ山本元帥もyoung manだったろうし。」

「むー。そこはかとない悪意を感じマース。海軍最年長の大佐で少将だった提督に言われたくないデース。」

 

 咳払い。「沈座してください、金剛さん。」

 

 加賀が声をかけた。金剛の提督依存はどこの鎮守府でももてあまし気味なのだが、柳の鎮守府では加賀が突っ込み役になっていた。本来は秘書艦か聯合艦隊旗艦の長門の役目なのだが、柳の秘書艦は金剛だったし、長門も同じ戦艦の最先任にはどうしても迫力負けしていた。

「アイアイ、マム」

 実艦の方に向くと手旗信号を送る。戦艦金剛が海水を押しのけ、静々と沈んでゆく。

「魂消たなあ」

 

 どこにも損傷のない船がツリムを保ったまま海に没してゆく。3分で甲板を波が洗い、5分後には主砲が見えなくなり、10分後には静かな海だけが残った。トン数を考えれば急速潜航といってよいだろう。なるほど、これは十分に離れて一隻ずつやらないと押しのけた海水で横転するな。

 そしてアントノフを発艦させるために赤城一隻が海上に残った。

「では私も」

 

 赤城が艦首の方に向き、両手を広げて朗々と船よ、隠れよ、と舞台のような声を張り上げて号令をかければ、ラーイ!と、柳がすかさず雄叫びをあげて跳び上がり、辺りからパーリィの呼び声、メーロンのムシデン、とつぶやきが漏れる。

 

「総員、連絡機に搭乗」

 

 アントノフは赤城を発艦した。

 

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