天使と異邦人   作:何もかんもダルい

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恐ろしいほど久しぶりにお迎えしたいと願ったキャラに限って来てくれない悲しみを妄想とボーイミーツガールを読みたい欲求に混ぜて焼き上げました。
書けば出る(素振り)
出るまで書く(素振り)


1/3 天使が出会った異邦人

「結婚したんだ。昨日、届を出してきた」

「まぁ……! おめでとうございます!」

 

 担当の旅路がひと段落したことを契機に、先日()()したトレーナー。相手は近隣の生花店の店長であり、ピサにとっても顔馴染みの相手。

 二人そろって彼女の献身を支えると公言していたことも相まって関係は非常に良好であり、”繋ぐ”ことに並々ならぬ想いを見せる少女にとってはこれを祝わない理由はない。

 周囲にいつの間にか居た彼女の同期や友人達も集まり、カフェテリアの一角は大所帯と化していた。

 

「そろそろかなとは思ってたけどさ、やっぱちょっとびっくりするもんだね~」

「ゆ、指輪はその場で嵌めたりしたんですか!?」

「花束とか、薔薇とか送ったりしたのか!?」

「その、そのっ! プロポーズの言葉はどのようなものだったのですか……!?」

「待って待って、いっぺんには答えられないって!」

 

 トレーナーの指に嵌まった初々しい銀色を温かな視線で称えながら、紅潮した頬で当時の心境やらプロポーズの言葉やらと次々質問攻めにする少女達。どれほどの修羅場を超えようとも中身は思春期真っただ中であり、きゃあきゃあと騒ぐ声が止まない。

 それはヴィクトワールピサという少女が何よりも欲した繋がりの象徴であり、人の輪という言葉そのものであり。喜びを堪え切れないとばかりに両手を口に当ててころころと笑っていた。

 

 根掘り葉掘り聞き出されて恥ずかしいやら嬉しいやら。そんな状態のトレーナーは、目に涙を浮かべるくらいに喜色満面の担当へ一度くらい反撃しておきたいと話題を投げる。

 

「そういえば、結構前だけどピサって幼馴染が居るって言ってたよね。キミの方はどうなの!?」

 

 ぴたりと止んだ喧騒。何それ知らないとばかりに目を丸くする少女達。

 甘酸っぱい話題を期待していたトレーナー。

 

 だが、当の本人は頬の赤みをすっと引っ込め、耳を思い切り絞ってそっぽを向き。

 

 

「嫌いです。あんな人」

 

 

 カフェテリアは、たった一言で静寂に包まれた。

 ヴィクトワールピサ。無私の献身の果てに、幾度の暗闇を超えて人々の輪を繋いだウマ娘。聖女や天使とすら揶揄される彼女。

 

「顔も見たくないです。大っ嫌いです」

 

 そんな彼女の口から、一切の逡巡なく吐き捨てるように放たれた一言。それは場を凍り付かせるには十二分に過ぎた。

 

 

 1秒、2秒。どうするんだこれという空気が漂い始め、視線は当然のように元凶たるトレーナーへ。

 時限爆弾か地雷を処理するような心持で、男は少女の胸中を問う。

 

「……えーっと。その、どの辺が嫌いとか――――」

「聞いてくださりますか!?」

「えっあっはい!」

 

 普段の彼女を知る人間からすれば何かが乗り移ったかと見紛うような乱暴さで机を叩き、ずいと身を乗り出す。眉を顰めて目を吊り上げる姿はそうそう見るものではなく、手の甲には血管すら浮かぶ。

 そこに居るのは天使でも聖女でもなく、いったい何処にどれほど溜め込んでいたのかというほどの憤怒を炸裂させた一人の少女であった。

 

「あの人最低なんです!!」

「あっそうなの!?」

「そうなんです!」

 

 ――――初手でとんでもない言葉が飛び出した……!

 普段から誰かに対して怒ると言うこと自体が極めて稀であるヴィクトワールピサ。そんな彼女からの驚くほどストレートで強烈な罵倒に、トレーナーは素っ頓狂な返事を返すことしかできない。

 

「私と約束したくせに! 『繋がりを手放さない』なんて手を握って言ったのに!」

「わぁ情熱的」

「私からお電話をしないと連絡の一切を寄越さないのは酷いと思うんです!」

「……おや?」

 

 いの一番に違和感を察したのはトランセンド。情報通としての勘が何かがおかしいぞと告げている。

 鬱憤晴らしに夢中になっているヴィクトワールピサにはそんな様子は分かる筈もなく、怒涛の口撃は止むところを知らない。

 

「こちらからの連絡には1秒待たずに出てくれるくせに向こうからは音信不通もかくやとばかり! メッセージを送れば適当なスタンプ1個でお返事をした気になって! そうであればと何枚も手紙を(したため)めても返ってくるのはやっぱりスタンプ! 挙句の果てには電話で話す内容だってまるで子供をあやすようなことばかり! いつまでも小さい子のままだと思ってるんです! 最低なんですあの人!」

「分かる、分かるよピサちゃん……!」

「分かってくださるのですかブエナさん……!」

「おっと……」

「ちょっと不味い共鳴が始まったな……」

 

 幼馴染、それもおそらく異性と来たことでブエナビスタが共鳴し発奮を開始。両手を確りと繋ぎながら愚痴と惚気(きずな)の輪が出来上がっていた。

 

「ドキドキすることばっかり言ってくれるのにそんな気全然なくて!」

「釣った魚に餌をあげないような意地悪ばかりして!」

「どれだけアピールしても知らんふり!」

「酷い人です!」

「酷い人だよね!」

 

 ――――お兄ちゃん。君の幼馴染(たんとう)、だいぶ不満貯まってるぞ。

 ――――あんたの幼馴染だろ、なんとかしろよこれ。

 ピサのトレーナー、同期、そして友人。紫色の執念(よっきゅうふまん)を燃やす少女二人を前に、その思惑は完璧に合致していた。

 

「まぁ落ち着けってピサ。そうカッカしてちゃ何にも分かんねぇ」

 

 二人だけの世界で紫色が真っ黒に変わる前にどうにかせねばと使命感半分、諦観半分で手を挙げたのはルーラーシップ。心に女帝(クイーン)を仁王立ちさせて暴れ回る騎兵(ビショップ)を抑えに掛かる。

 脳裏に浮かぶ幾枚もの手札、使い切れば抑え込むことなど容易いと己を奮い立たせた。

 

「それにしたって、ブエナビスタの方はともかく、ピサの幼馴染についてはまるで聞いた事が無かったんだが」

「話してませんでしたので」

「……何で話さなかったんだ?」

「嫌いですので」

「いや、その怒り方で嫌いはちょっと無理が」

「き ら い で す の で」

「…………はい」

 

 史上最速のチェックメイト。

 これまでになかった領域レベルの圧で押し切られて作戦が完全崩壊、ルーラーシップはカフェテリアの隅で置物と化した。

 それを見てヴィクトワールピサはようやく己の有様を悟ったのか、籠っていた熱量が急速に冷めていく。後に残されるのは失態を前にどうすべきかとおろおろするばかりの思春期の学生。

 自身のまいた種とはいえ流石に放置はできず、助け船を出すような心持でトレーナーが口を開く。

 

「ピサ、気軽に話題振った俺が悪いけど、一度落ち着いて」

「トレーナーさん……」

「君がその子の事をどう思っているかはこの場のだれも分からないし、そもそもその子がどういう子なのかも俺たちは知らない。だから……嫌じゃなければだけど、一から話して欲しい」

「いいえ、嫌など……ですが……」

 

 ローズキングダムやエイシンフラッシュも似たようなことを考えていたのか、追加で口を出そうかとトレーナーへ目配せするが、それを彼は制する。

 これは、大人で、そして彼女を支えると決めた自分の仕事だから、と。

 

「嫌いって言うけれど、さっきから逐一気に掛けているようなことを言ってるじゃないか。何より君の友人だ。悪い子だとは思えない」

「……」

「教えて欲しいんだ。俺たちの知らない、君の繋がりを」

 

 だからとりあえず座ってと穏やかに告げれば、ばつの悪そうな、しかし喜びを隠せない表情でトレーナーの対面へ戻るヴィクトワールピサ。

 周りも周りで静聴するつもりで付近の席を陣取り始める。気が付けば聴聞会じみた空気感が形成され、ヴィクトワールピサとトレーナーの周囲だけがスポットライトで照らされているかのような幻覚すら発生し始めた。

 

ルーラーシップはまだ凹んでいた。

 

 

 

「彼を強く意識したのは、あの火災があった日からでした。と言っても、面識自体はその前からあったのですが」

 

 懐かしむように、或いは何かを噛み締めるように、そう口火を切ったヴィクトワールピサ。

 あの、と言われて心当たりがあるトレーナーは、確かめるように声を上げる。

 

「君の原点、トレーニング施設での火災のことだよね」

「はい。トレーニング施設ですから、そこにいる子供というのは殆どウマ娘です。それ以外となると、兄弟であったり、付き添いの友人であったり……それでも母数自体が少ないですから、彼は殊更目立つ子でした」

「目立つ、というと……外見か?」

 

 ローズキングダムからの問いかけに、ヴィクトワールピサはゆっくりと視線を向けて頷く。その瞳に浮かぶのは、如何ともしがたい感情の渦。

 懐かしさとともに喜怒哀楽の全てが混在し、どういう想いを抱いているのかがはっきり読み取れない。現役の最中でも見せたことのなかったそれを前に、ぴんと張り詰めたような空気が漂い始める。

 

「金髪に、桃色の瞳。日本で、それもウマ娘でもない男の子となればかなり珍しいですよね? なのですぐに目についたんです。ですが、一番の違和感は目つきでした」

「目つき、ですか?」

「ずっと、ずっと……木の虚みたいな目で、周りを眺めていたんです。火災が起こるまではなんだか怖くて近寄れなかったんですよ」

 

 何故と少年の行動を問われても、ヴィクトワールピサは首を振るばかり。彼は何を考えているのか分からないような顔をして、彼女が知る限りずっとトレーニング施設に屯していたのだという。

 

 子供というのは他者の感情に鋭敏だ。ともすれば大人が無意識に抱くものですら嗅ぎ分ける。そんな子供たちにとって、ただ沈黙して同じ場所にずっと佇む同年代など不気味以外の何者でもなかった。

 

「そんな感じでしたから、いつも居るというのは分かっても近づく勇気が持てなかったんです」

「……それじゃあ、あの火事の日に何が起きたの?」

 

 トレーナーからの問いに、唇を引き結ぶヴィクトワールピサ。固く目を閉じ、悔やむように眉根を下げながら、あの日の光景を想起する。

 

「初めて見る、建物を燃やす大きな炎――――誰もが怯えて立ち竦んだその中に、彼は単身突っ込んでいったんです」

「はぁ!?」

 

――――何を……ちょっと君!?

――――待ちなさい! よすんだ、止まれ!!!

 

「頭から水を被って、ずぶ濡れのまま全速力で火の手に向かって行く姿は……その、とてもショッキングでした」

 

 見慣れた大人たちが出した、怒号にも近い叫び。当時の彼女はすっかり委縮してしまい、両親に抱えられる形で炎から逃れた。

 台所で肉や野菜を焼く自然現象。その中に人間が突っ込んでいったらどうなるか……誰もが最悪の想像をして、それを振り払った。その妄想は忘れなければ壊れてしまいそうだったから。

 

 しかし、幸か不幸か少年はそんな周囲の予想を裏切ることになる。

 

「彼は軽い火傷を負った程度で帰ってきました。蹄鉄の付いたシューズをその手に持って」

「…………いや、待て、待てよピサ。まさかソイツ」

 

 いつの間にか復帰していたルーラーシップが、脳裏を過った極めて嫌な予感に柄にもなくどうか外れてくれと願いながら詰め寄る。トレーナーですら思い浮かび、そして同時に有り得るわけが無いと叫びたくなったその蛮行の理由。

 

「はい。たった一足のシューズを炎の中から取り戻す。そのためだけに、自らの命を躊躇いなく放るような真似をしたんです」

「…………冗談でしょ、って言えれば良かったんだけど」

「彼は本気でした……困ってしまいますよね」

 

 ――――私の靴、燃えちゃうよぉ……!

 

 怯え竦んで、一番遅く逃げ出したウマ娘。その幼い悲鳴を聞いた瞬間に水を被って駆け出し、靴の在処をおおよそで予測して最短最速で回収して生還した。

 勇敢などという言葉で済ませていいはずがない。それが出来るだけの頭があることが問題なのではない。あまりにも破滅的な行動は、もはや生物として異質だった。

 

 小首を傾げて曖昧に笑むヴィクトワールピサ。全身煤に塗れながらも無表情だった少年を思い出して、何年も経って尚感情の整理が付けられていない。

 駆け付けた消防士に両肩を掴まれて問い詰められながらも、彼は平然としていたと続ける。

 

「『死ぬより先に取り戻せるからやった』、真顔でそう言い切ったあの子に、周囲は何も言えなくなりました」

「確かに褒められた性分じゃないね」

 

 命があることの大切さを切に思い知ったからこその重苦しい沈黙に、絞り出すようなトランセンドの声だけが響く。死なないならそれでいいともとれる言葉は彼女たちには到底受け入れられるものではない。

 

「当時は訳が分からなくて、ひたすら怖くて……靴を持ち出してもらった子も、感謝よりも先に恐怖で泣き出して遠ざかっていく始末で。でも、その子は何でもない顔をして佇んでいました」

「……顔に出なかっただけではないのか」

「はい。靴を手渡した後、どうでも良くなったかのように周囲に興味を示さなくなって。まるで、一仕事終えただけのような顔でしたね」

「死ぬかもしれない一仕事、ねぇ」

 

 何を考えていたんでしょうか。そう言い、ヴィクトワールピサは窓の向こうを見る。

 広がる青い空はどこまでも続いて世界を繋いでいることを予感させる爽快さで、照らす日差しは木陰を生む。

 

 あの日の少年が、彼女の視線の先にはまだ佇んでいた。

 

「その後、通うのが怖くなったウマ娘の子が沢山出て……施設は寂れていきました。ですが、どれだけ人が減っても彼は全く同じ木陰に立ち尽くして周囲を眺めていたんです」

「それは……」

「不気味、ですよね。正直私ですらそう思ってしまいました」

 

 翌日も、その次の日も。毎日毎日、ずっと同じ木陰に佇んで施設を眺めていたと語る。

 ヴィクトワールピサの証言からは、少年の意図がまるで読めない。特定の条件で反応する現象とでも言われた方がまだ納得のいく異様さは、確かに意識するには十分に過ぎる。

 

「ある日、どうしても気になって声を掛けたんです。どうしていつもそこに居るの、って」

「その様子だと、納得のいく答えは貰えなかったみたいだね」

 

 トレーナーの言葉に彼女は頷いた。

 両手を組んで祈るように握り締め、悔いと不可解を表情に張り付かせながら、引き結んだ口を開く。

 自分では分からなかった答えをどうか見出してほしいと、トレーナーへ縋るような瞳がそこにあった。

 

 

「————雨が降るのを待っていた、と。そう言ったんです」

 

 

 

 

「雨?」

「はい」

 

 幼き日の彼女は、つられるように空を見上げる。突き抜けるような青空は雨とは無縁で、あと1週間は晴れが続くだろうと天気予報で言っていたことを少女は思い出した。

 

「どうして、雨が降るのを待っているの?」

「そうすべきだからです」

「???」

 

 少年の回答は端的で、かつ要領を得ない。

 首を傾げる少女を一瞥すると、少年は興味を失ったように周囲の観察に戻った。

 

「どうして、ここで待ってるの?」

「そうしたいと思ったからです」

「さっきから何言ってるか分かんない!」

「すみません」

 

 暖簾に腕押しとは違う感覚。はっきりと問いに対して回答を返されているのに、肝心の答えがまるで意味不明なせいで少女の裡には不満が溜まっていく。

 

 絞られた耳と癇癪に潤んだ瞳を一瞥して、少年はもう一度口を開いた。

 

「君は何を思いましたか」

「何に」

「この景色に」

 

 再び戻された少年の視線の先を追う少女。

 ほんの数日前の賑わいが嘘のように閑散としてしまったトレーニング施設の姿。

 胸中に浮かぶのは、未来で彼女の原点となる情動。それゆえに、さほど時間を掛けずに答えを出す。

 

「……繋ぎたい(さみしい)

「そうですか」

 

 問い返すこともなく、少年は相槌だけを返した。

 木陰に吹く風を全身に感じながら、言葉が吐き出される。

 

「俺は待っています」

「雨を?」

「はい」

「だから、どうして?」

「そうすべきだからです」

「どうして雨を待たないといけないの」

 

 先程と同じ答えに対して、少女は噛みつく。分からないから教えてと問い詰める。

 三度目の一瞥の後、顎に手を当てながら少年は回答を導いた。

 

「木は、水が無ければ枯れます。だから雨を待っています。俺もそうするべきだからです」

「……わかんない」

「耐えているんです。ただその時が来るのを」

「その時って何?」

「分かりません。分からないから、耐えています」

 

 答えは要領を得ないというのに、少女はそれを覚えていないといけない気がしていた。いつか分かる日が来るだろうという不思議な予感があった。

 

「木が雨というものを知る術がなくとも、雨から水を得るように。俺の水を得られる日を、ずっと耐えて待っています。そうするべきだから」

 

 

「その、何と言いますか……」

「不思議な子、もといちょっと変な子ですよね。もしも彼がウマ娘で中央(ここ)に来ることができたのなら少しは馴染めたのか、なんて思うこともあります」

「いや、うーん、それは……どう、なんだ……?」

 

 苦笑し、エイシンフラッシュの意見を代弁するヴィクトワールピサ。

 いつの間にかトレーナーが持って来ていたにんじんジュースで一息入れて、過去の回想は続く。

 

「ともかく、それからも細々と交流は続きました。施設に行けば彼は必ず同じ場所に居ましたから、いつだって探すまでもなく見つけられました」

 

 晴れの日も、雨の日も。雪が降って尚、少年はそこに佇んでいた。

 不気味な子、何を考えているか分からない、怖い――――数多の声を受けても微塵も揺るがずにただそこで耐えている。ずっとずっと、()()()()()で耐え続けている。

 

 そこまで聞いて、ああそうかとトレーナーは納得した。

 繋がりを、絆を一心に求め続けたヴィクトワールピサにとって、それが見ていられないものであったのは間違いがなくて。

 

「放っておけなかったんだ、その子の事」

「……はい」

 

 図星を指され、何やら悔しそうな顔でそっぽを向く。認めてしまったら負けのような、そんな複雑な乙女心をこれでもかと反映した顔は同級生たちの心をくすぐるには十二分すぎた。

 頬を染めた年相応の拗ね方に思わず噴き出すように笑ったトレーナーを、ヴィクトワールピサは半眼で睨む。

 

「……仕方ないじゃないですか。ただでさえ寂しいと感じていた時期に、いつだってそこに居て、それで声を掛ければ普通にお話をしてくれるんですから。懐くのだって当然だと思うんです」

「口ぶりから察するにその彼は賢かったように思うが。勉強を教えてもらうなどという一幕もあったのではないか?」

「……ありましたけど。すごく分かりやすかったですけど」

「好きな本とか教えてもらって読んだり?」

「しました、けど」

「木陰でお昼寝とか!?」

「…………私だけ寝てしまって、上着を掛けてくれたりしました」

「夏の飲み物交換とか冬のマフラー交換とかは~?」

「………………はい」

  

 先程までの重苦しい空気はどこへやら。一瞬にして場は黄色い悲鳴が支配する思春期の場へと様変わりを遂げる。

 あれやこれやと質問されて、YESとNOのどちらで答えても内情をまるごと暴露されていく。着々と進む幼き日の思い出の解体ショーに、遂にヴィクトワールピサの我慢は限界を迎え、頬を膨らませたまま一言も喋らなくなってしまった。

 

 勢い余ってやり過ぎたかとなりつつあるところに、トレーナーは一番最初の疑問へと立ち返る。

 ヴィクトワールピサの様子からして、件の少年の事は憎からず想っているとみて間違いない。であれば、当初のあの有様は一体何が起きたのか。

 今日の話に至る前にトレーナーが聞いたことのある情報は、『異性の幼馴染が居た』というただそれだけのもの。それ以上の事情はまるで知らず、彼女の言い分からしても少年の言動を予測するのは困難を極めている。

 

 それだけトレーナーには少年が異質に思えた。中央トレセン学園にも不思議な言動をする生徒は数多く存在しているが、その大半はレース、あるいは走ることへと関連付けることが可能だ。ゆえにこそ、共通の衝動や願望というものがない少年の行動はまったく読めない。

 その読めなさゆえに――――あるいはその関係性ゆえに――――彼女の怒りを買っているのだろうが、どうにも連絡をくれないことだけが原因だとは彼には思えなかった。

 

 今こそそれを問おうと口を開きかけ……しかし。

 その答えは当人の口から語られることになる。

 

「……でも嫌いです。トレセン学園に入学するって言った翌日から、二度と顔を合わせなくなったので」

「えっ」

「は?」

「なに?」

「んん~??」

「あぁ……」

 

 たった一つだけ。だが、トレーナーが納得するには十二分に過ぎた。

 繋がりを大切にし、輪が切れることと孤独を何より好まない彼女にとって、それはまさしく()()だろう。

 

「電話をしても5分と立たず切られます。メッセージを送ってもお手紙を送っても既読代わりのスタンプしかくれません。お誕生日も……顔を合わせていた時はおめでとうって言ってくださったのに、なんにも言わなくなってしまって、今どこにいるかも分からなくて……だから嫌いです。大っ嫌いです、あんな人」

「おー、っとぉ……」

「これは……」

 

 愛憎反転、というほどでもないが。幼き日、決意が輪郭を帯びた時期の彼女にとっては手酷い裏切りにも思えたのだろう、とトレーナーは冷静に分析する。

 だが、やはり動機が不明だった。行動が突発的で、自己完結している。他者に対してそれを開示する必要性をまるで感じていない。

 木陰に佇む理由を聞かれた時もそうだ。問われたから答えた、分からないと言われたから説明した……その程度の、つまりは内面というものが見えてこない。

 

「異邦人みたいだな……」

「アルベール・カミュのですか」

「エイシンフラッシュは流石に知ってたかな。何というか……どこが、というよりも、全体的な雰囲気がどうにもそんな風に感じられてね」

 

 トレーナーの呟きに素早く反応したエイシンフラッシュ。その速さからしてほとんど同じことを考えていたのだろうと思いながら、彼はヴィクトワールピサに向き直る。

 

「ピサ、何でもいい。彼が話してくれたことをもっと聞かせて欲しいんだ」

「ですが、ご迷惑ではないでしょうか……我ながら、ほとんどが愚痴のようなものですし……」

「それでもいいんだ。君から見た彼の事を、君が思う彼の姿をもっと知ってみたい」

 

 彼女が数多の絆を重んじ、輪を繋いだように。トレーナーもまた彼女の繋がりを重んじたいと、これまでのように行動を起こした。

 

 

 

 

「……結局、なんの手掛かりも無しか……」

 

 自室で独り、トレーナーは項垂れていた。

 彼女の話を聞き続ければ、もしかすればヒントの一端でも掴めるのでは。トレーナーの胸中にそんな期待があったのは事実だった。

 だが、どれほど聞いてもやはり内面、動機の類が見えてこない。出来るからやった、やりたいからやった、問われたから答えた、詰められたから説明した。何処まで行ってもそこ止まりで、根幹にある想いや願いといったものが完全にブラックボックスと化している。

 

「自分を隠すのが上手すぎる、個人情報がまるで見えてこない」

 

 金髪に桃色の瞳という目立つ容姿でありながら、どこに住んでいて何をしているのかが一切不明。同年代、つまりは学生であるのだから学校には行っているはずなのだが、まさか探偵まがいの方法で他校の生徒を総浚いするわけにもいかない。

 まさか本当に地縛霊か何かなのでは、という考えが彼の脳裏を過り、自身を殴り飛ばす勢いで否定する。それは担当への冒涜であり、彼にとって何より許しがたい行いだった。

 

「どうにかして、見つけてあげたいけど……」

 

 せめて居場所くらいは。そんな思いは簡単に裏切られた。なんの助けにもなれなかったと、自己嫌悪が彼の心を支配する。

 

 本当に何もないのかと、彼はヴィクトワールピサが照れくさそうに話してくれた内容をもう一度脳内で整理する。

 

――――勉強を見てくれた。同年代のはずなのにずっと難しい事を先行してやっていた。

――――傍に誰かが居ること自体は嫌がらなかったが、沈黙に耐え兼ねて相手の方が離れてしまった。

――――質問に対してなら答えるが、自発的には全く喋らない。

――――隣で本を読んでいたら眠ってしまった彼女に上着を掛け、目が覚めるまで彼女の両親を制していた。

――――言葉遣いは丁寧というよりも詩的で、端的な表現の方が分かりづらいことが多々あった。

――――全く同じ時間に来て、全く同じ時間に帰路につく。

 

「強い隠蔽気質、自分を意識無意識を問わず隠している……けど、同時に外からの求めには必ず応じる。自分を他者に伝えることに意味を見出していない。それと……たぶん、()()()。融通が利かないとはちょっと違う気がする」

 

 昼間と同じように脳裏を過る異邦人。常識が無い訳ではないが、判断の基準点がズレているような感覚。掴めそうなのに掴めない、自分たちと違う視点を持っているから予想する行動とまるで異なることをする。そんな印象をトレーナーは抱く。

 そうして、その胸中に引っかかるのは突如として姿を消したこと。応えこそするが自分からは決して繋がろうとしないその在り方は、彼に担当と真逆の気質を思い起こさせる。

 

「疎遠になろうとする理由が無い。多分だけど……()()()()()()()()()()()()()()はずなんだ。そんな気がする。じゃあ、何で……?」

 

 一見すると衝動的でも、その裡にはおそらく彼なりに納得のいく理屈が存在している。それこそ『そうすべきだから』『そうしたいから』に繋がるものがある。必ず存在している。その確信めいた思考だけが、トレーナーの頭に残される。

 

 あと少しで答えに辿り着く……その思索は、着信を知らせるメロディによって寸断された。

 時刻は既に夜更け。誰だろうかとスマートフォンの画面を見ると、まるで知らない番号からの通話だった。

 

「間違い電話かな……?」

 

 一コール、二コール。三、四、五……いつまで経っても、呼び出し音は途切れない。間違っていないという確信を持って掛けられた通話であることを予期させるには十分過ぎた。

 不用心だと怒られるかもしれない。けれど、これに出なくてはいけないとある種の義務感に背を押され、トレーナーは画面に指を押し付けた。

 

「もしもし」

『ヴィクトワールピサ様のトレーナー様のお電話でお間違いなかったでしょうか』

「……はい」

 

 若い男性の声。低めだが成人してはいない、十代の少年のものだろう声色だった。不審でしかないソレに、しかし彼は臆さず問い掛ける。

 

「今もまだ、雨を待ってるの?」

『はい。伝えて欲しい事があります』

 

 

――――間違いなく、彼だ。

 

 

『明日、雨を待ちに行きます、と』

「うん。確かに伝えるよ」

『お手数をお掛けします。よろしくお願いします』

 

 ぶつり、と。何のためらいもなく切られた通話を暫し呆然と眺めながら、トレーナーは天を仰いだ。

 突拍子の無さ、行動原理の不明さ、そして疑問を挟まない言動。此方が怪しいから受けられないと言えばそのまま通話を切っただろうと容易に想像がつき、こんな人間が複数人いるものかと彼の裡で呻きが上がる。

 

 メッセージの内容は分かりづらいが、おそらくは……

 

「『会いに行く』……って意味だよね、これ」

 

 どういう思惑なのかはやはり分からない。

 だが、言葉が意味するところはつまり、住所不明、音信不通だった彼が自ら此方へ出向くという意味であるのは察せられた。

 だが、そんなことより。

 

「たぶん……怒るよね、ピサ……」

 

 彼が絡むと滅多にない喜怒哀楽のマーブル模様を描く担当を思い起こし、間違いなく機嫌を損ねるであろうと想像し。女の子を宥める方法について妻に相談するべきかと頭を抱えた。

 

 

 

 

 翌日。

 休日故に私服を見に纏い校門へ現れたヴィクトワールピサは極めて不機嫌であった。

 いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべながら、耳を限界まで引き絞り尻尾を振り回し、周囲は一体誰が何をしたのかと慄く。

 

『――――はい?』

 

 朝一番に伝言を伝えた際、スピーカー越しに聞こえてきた優しい声にトレーナーは震え上がった。

 単独でこの怒りに直面するのは愚策と判断、丁度店が定休日であった妻に懇願し、せめてもの抑止力としてこの場に帯同させている。無いとは思うが衝動的にビンタなど炸裂させた日には何の冗談でもなく一人の少年が路上を吹き飛ぶかもしれない。

 

 愛しさ余って憎さ百倍とばかりの態度は、抱えていた慕情の裏返しなのだということはトレーナーにも察せられた。だが、それを差し置いて尚この怒り方は怖い。今後妻を怒らせることは絶対しないと誓うレベルである。

 

 そして、そんな様にただならぬ気配を感じたヴィクトワールピサの友人達も当たり前のように周囲に潜んで様子を伺っている。

 

「ヤバいな、ピサってあんなキレ方するのか……」

「積み重ねたもの故の怒り方だろうな、あれは」

「たーぶん普通に接してたら絶対しないやつだよ」

「……私もお兄ちゃんに放っておかれたらあんな風になるかも」

「おいマジか」

 

 聞きたくなかった予備軍の存在に戦慄しながら、その時を待ち続ける三人。

 数分ほどすると、遠方から靴音が聞こえてくる。さらに混じって聞こえてくる話し声は男女のもので――――絞られていたはずのヴィクトワールピサの耳が一気に跳ね起きてそちらを向いた。

 

「来たの、ピサちゃん?」

「はい、間違いありません」

「あれ、隣にいるのって……」

 

 近づくことで明瞭になるシルエット。

 淡い黄色の上着を纏った小柄な少女と、臙脂色の上着を羽織る上背の高い少年。

 片や二人と居ない学園の有名人で、片や二人と居ないだろう特徴的な外見。

 

「いやぁあの時は助かったよ。君が追いかけて来てなかったら飛行機を寝過ごすとこだった」

「貴方を追っていればいずれは此処に着くと思っていましたので」

「はは、前も聞いたけど、私みたいなのをコンパス代わりにする度胸は凄いな」

「遠回りであろうと着くなら同じです」

 

 

「…………そうですか」

「ピサ??」

「ええ、ええ、そういう事ですか。そうですね、真逆ですね、私と、()()()()

 

 みしり。めきり。

 空間から嫌な音が鳴っていると錯覚するほどの超重圧が漏れ出す。トレーナーはああこれ見たことあるな、グラスワンダーのトレーナーがやらかした時に彼女が見せてたあの笑顔だなぁと明後日の方向の現実逃避を始める。

 何とかしてほしいと愛する伴侶に目をやれば、担当の肩に手を載せて親指を首に沿わせていた。トレーナーは絶望した。

 

「ピサちゃん、あれはギルティよ」

「はい」

 

 満面の笑みである。背後の友人たちも青ざめる。ブエナビスタだけはシャドーボクシングをしていた。

 

「……っと。お迎えがちゃんと来てるじゃないか。ほら、行ってやりなよ」

「はい。ここまでありがとうございました」

 

 そうこうしているうちに少年と少女――――ステイゴールドが校門前に辿り着く。

 ステイゴールドは手をひらひらと振りながら、まるで気に掛けていないかのような調子で校門を通り過ぎて寮へと向かう。

 

 少年が足を止めると、ヴィクトワールピサは一歩前へ。すわ修羅場かと緊張が走る。

 

「――――!」

 

 ばちん。

 見ている側ですら痛くなるほどの甲高い平手打ちが響く。少年の頬に赤みが残り、少女の手にも反動とばかりの微かな紅が差す。

 だが、それ以上に、彼女の目元は真っ赤になっていた。

 

「どうして急に会わなくなったんですか」

「そうすべきだったからです」

「どうしてまともに返事をしてくれなかったんですか」

「そうすべきだと思ったからです」

「何で、私に電話してくれなかったんですか」

「そうすべきではなかったからです」

「……寂しかったです」

「……」

 

 重い沈黙。

 数多の事が起きた三年間、彼はヴィクトワールピサの旅路に一切関わることをしなかった。ほとんど居ないものであるかのような振る舞いを続けた。

 寂しい。その一言に込められたものは、その場の全員を揺さぶるのに十分過ぎた。

 

 せめて説明を、と全員の非難の視線が少年へ突き刺さる。

 それでも、彼は身じろぎ一つなく佇んでいて。

 

「……俺は、君が分かりません」

 

 開いた口から出た言葉は、冷え切った鋼のような質感を帯びていた。

 

「誰かと居たいと思ったことがありません。寂しいと思ったことがありません。誰かと繋がりたいと思ったことがありません。君の願いが、想いが、何一つ分かりません」

「……なら、どうしてあんな約束をしてくれたのですか」

「そうすべきだと思ったからです」

 

————約束します。

————俺は、君との繋がりを手放しません。

 

 淀みなく答えられた定型句に対し、少女の脳裏に浮かぶ昔日の約束。真一文字に結ばれた少女の口から叫びが漏れるより先に、少年は再び言葉を紡ぐ。

 

「分からなくとも、君がそれを大事にしていることだけは分かりました。俺にとって理解できないとしても、君にとって無類の価値があるとしたら――――それは、俺にとって()()()()()()()です」

「―――――」

「ですが。同時、君の事を理解できない俺が傍に居ても、君の旅路を無意味に揺るがすのみだと確信しました。だから距離を取りました。()()()()()()()()()()()()

 

 異邦人。その言葉がまたしてもトレーナーの脳裏を過る。

 周囲と違う行動原理を持つ者。内輪に入れぬ者。それはある意味で正解であり、同時に大きな誤りでもあった。

 理解できなくても、分からなくても、彼は彼なりの方法で寄り添おうとしていた。

 

「なら、どうして今になって姿を見せたんですか」

「そ――――」

「そうすべきだと思ったから、というのは分かりました。どうして、私に会いに来てくれたのですか」

「……」

 

 沈黙する少年。

 顎に手を当て、考え込んで。

 

 ああ、そうか、と。間の抜けるような言葉と共に、答えが出された。

 

「俺は、君に会いたかったようです」

「……推測なんですね」

「初めての感情なので、分かりませんでした」

 

 どことなくアニメのロボットを想起させるその言い回しに、ヴィクトワールピサはようやく笑った。堪え切れないとばかりに涙目のまま笑って、笑って。

 

「私は、ずっと貴方に会いたかったんですよ?」

「そうでしたか」

 

 蜘蛛の糸よりもか細かった繋がりは、ここに来てようやく輪を紡いだ。

 




書くから出て(懇願)
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