天使と異邦人   作:何もかんもダルい

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書けば出ると言いながらなんか絵描いたり漫画に挑戦したりして短編投げ出してた間抜けが居るらしいですわね。
はい、私です()
パソコンやタブレットを前にすると創作意欲が消し飛ぶので基本紙とペンで文字も絵も書くんですけど、似たような経験ある方いらっしゃるんでしょうか?

それはさておき第二話ですわよ!


2/3 異邦人が見た星

「おとうさん、縫い針がみえる」

「縫い針ではなく待ち針だね。触ってはいけないよ」

「どうして?」

 

 幼き日の思い出。息子の突拍子もない言葉を疑う様子もなく、訂正さえした父親は、親子でよく似た桃色の瞳を細めていた。

 だが、その表情は酷く作り物めいている。まるで()()()()()()()()()()口角を上げているような、強烈な異物感を伴う笑みだった。

 

「世界に自分を留めておくためのものだからだ、息子。私たちにだけ見えるそれを抜いてしまえば、おまえという存在は世界から浮いて、雨や風に流される。忘れ去られてしまうんだ」

 

 少年は父親の名前を知らない。父親もまた、少年の名前を知らない。それは現代日本においてまずありえないことだ。

 

 だが、彼らはそういう血筋だった。

 ある日、迂闊にも触れてしまった待ち針。それが僅かに抜けた時、父親は妻を見失い、自身と息子の名前を未来永劫思い出せなくなった。新たな名前を付けることも出来ない、何度呼ぼうと書類で確認しようと忘れてしまう。

 そうして父親は理解した。自身の父親も、祖父も、更に前の先祖も、そうやって自分と他人の待ち針に触れて忘れ去ってしまったのだと。

 

 だから、父親は笑っているのだ。生まれを呪うことも、周囲を羨むことも諦めて、ただただ非現実的な現実を受け止めて微笑む。

 

 せめて息子だけは、この()()()()()()()()()()()()から逃がしたいと一心不乱に祈りながら。

 

「何で僕のだけ少し浮いてるの? 触ってないよ」

「世界に留まる理由が薄いからだ、息子。お前はまだ小さいから、留める生地が薄い。厚さの分だけ浮いているように見えるだけだ」

「じゃあどうすれば厚くなるの?」

「ふむ……」

 

 己の説明をいとも容易く飲み込んだ息子に、父親は答えるのを僅かに躊躇する。自分の時はどうだったかと思い出そうとして、もはや家族の顔が誰一人思い出せないことに苦笑した。

 

 また後で、あるいは、今すぐか。親馬鹿を差し引いても息子が聡明であるように思えた父親は、きっと後でと言ってもすぐに自分なりに答えを出してしまうだろうと判断する。

 

「前にフェルトを見せたな、息子。あれは羊の毛を厚く重ねて絡ませて作るんだ」

「覚えてる」

「おまえはお前の布を、感情という羊毛で厚くしていくんだ」

「……感情」

 

 自身から視線を逸らし、手に刺さった待ち針を見つめる姿を、父親はじっと見守る。

 貼り付いた笑みを浮かべ続ける己とは違い、徹頭徹尾無表情の息子。今その裡で渦を巻く思考がいったいどのようなものであるのかが想像できてしまうから、それを邪魔しない。

 

 父親がそうであるように、息子もまた感情の機微に疎い。心の中央にブラックホールのような虚空が居座っている。自身を動かした心の動きに対して、『~だったらしい』と逐一付けなくてはならないほどに、自分自身の感情というものが掴めない。嬉しい、悲しい、嫌だ、好き――――息子の年頃であれば輪郭程度は掴めるだろうそれを、7歳になって尚うまく把握できていない。

 

 ある程度の時間が過ぎると、息子の首は次第に傾いていく。薄布どころか形すらあるかわからないそれを厚くしていくのだと語られたところで、今の息子にはきっと理解が困難だったのだろうと父親は結論付けた。

 

「おまえには分かりづらいようだな、息子。だがそれでいい。いつかおまえが納得できる形を見つけるまで、言葉だけを覚えていればいいんだ」

「うん」

「沢山感情を感じなさい。それが、お前を強く留めるから……」

 

 愛する我が子の名前を呼ぼうとして、思い出せないことを思い出して。諦めたように微笑んで、息子の頭を優しく撫でた。

 

 

 胸元に入構証を提げた少年はヴィクトワールピサに付き添われる形で構内を進み、中庭のベンチに二人そろって腰かけていた。

 

「……」

「……」 

 

 ―――――どうしましょう

 

 会話もなく沈黙すること数分。休日とはいえ自主練などで顔を出している生徒はそれなりの数おり、そろそろ彼女であっても視線が辛くなってきた頃合い。そんな中でヴィクトワールピサの胸中を満たすのは、ひたすらの後悔だった。

 

「……ごめんなさい、いきなり叩いてしまって」

「構いません」

 

 幾年ぶりに会えたことへの歓喜、自分よりも先輩と話していた方が明らかに口数が多かったことへの嫉妬、そして理由も話さず何処かへ行ってしまったことへの怒り、悲しみ。そして、幾度とあった苦難に駆け付けることも応えることもしてくれなかったことへの八つ当たりじみた感情。

 全ての感情が混ぜ合わされながら一瞬に凝縮された結果、彼女から真っ先に飛び出したのは言葉ではなく手だった。

 

 ウマ娘がそれなりに本気になって振り抜いた一撃をまともに受けて平然としているのは、偏に彼の身体が少女が知るよりもずっと強く完成されていたからに他ならない。並の人間であれば脳震盪で沈んでいたかもしれない。

 

「……」

「何か用事があるのですか」

「あ、い、いえ、特には」

「そうですか」

 

 ウマ娘の一撃に耐えた肉体。それを意識した途端に吸い寄せられる視線。自身へ向けられたそれに対し、機械的に少年は問いを返す。ヴィクトワールピサは慌てて返事をした後、一度は逸らした視線を再び少年へと向けた。

 

 伸びた髪を背後で大雑把に纏めており、木の虚のようだった目はいくらか精悍になって猛禽類を思わせる。

 臙脂色の上着をはじめとした衣類は擦り切れや解れが目立つものの、決してみすぼらしくならないように手入れされており、少年の旅路に長く付き添ったことを物語る。

 そうやって一つ一つを観察するように視界に収め、自分よりひと回りは太いであろう首筋に目を向け……生唾を飲み込んだ。

 

(あの頃は私と同じくらいの体格だったのに……)

 

 がっしりとした体格、座っていてなお頭一つは大きな背、ごつごつとした指。何もかもが自分と正反対で異性というものを暴力的に意識させてくる。

 自身のトレーナーに対しては歳の差と彼女がいるという事実が働いて鳴りを潜めていた、湿り気を帯びた熱っぽい感情。同年代であるという事実を想起する度にそれは湧き上がって、凝視せずにはいられない。

 

 触れたい、抱き付きたい、あわよくば匂いも嗅ぎたい。そんな()()()()()欲求が脳裏を過り、流石に駄目だろうと頭を振って必死に追い払う。嫌いだと口で言ってはいても、幼い時分から慕情を抱いた相手がすぐそこにいるという事実は、僅かに桃色がかった欲望を際限なく溢れさせていく。

 

 そんな内心を誤魔化すように、彼女は問いをぶつけた。

 

「今まで、どこに居たのですか」

「中学を出た後は、世界中を旅していました」

「……どうしてですか?」

「探せる距離に居れば、貴女が来てしまうかもしれなかったので」

 

 そんなことはない、と言いかけて少女は口ごもる。ある日突然いなくなり、コミュニケーションを取ろうにもまともな答えが返ってこない。居場所さえ分かれば突撃したのにと思ったことは何度もあったからだ。

 見透かされた気分になったことに悔しさが滲み、僅かに上ずった声で反論を試みる。

 

「ご両親は、許可を出してくれたのですか?」

「はい。と言っても父が、ですが」

「お母様は……」

「いません。父子家庭です」

「……どうして、今まで黙っていたのですか」

「教える意味がなかったからです」

 

 きっぱりと言い切られた言葉には温度を感じない。理解できないと断言された瞬間がヴィクトワールピサの中で想起され、突然目の前に地割れが広がったような気分になる。少年ばかりを見て足元にずっと存在していたその亀裂から目を逸らしていたのではないかと、気づく機会は無かったのかと想いを巡らせる。

 

 ――――今から走って来るから、見ててね!

 ――――はい

 

 ――――あ、お水……

 ――――どうぞ。俺の分は別にあるので

 ――――ありがとう、ございます

 

 ――――あれ、夕方……?

 ――――熟睡しているようでしたので放置していました

 ――――……上着、ありがとうございます

 

 ――――寒くないですか? いつも同じ格好ですし……

 ――――問題ありません

 ――――これ、あげますね。私が編んだんですよ?

 ――――ありがとうございます 

 

 思い出の中の少年は、いつだって木陰にいた。

 語り掛けられれば必ず応え、少女が座っていれば視線を合わせるように腰を下ろして。たった一人との繋がりで彼女が感じた孤独を癒しきることなど出来はしなかったが、それでも一人の少女として慕情を抱くには十分な数の記憶があった。

 

 もっと早く聞けばよかったのか、踏み外すことを覚悟で地割れの向こうへ行くべきだったのか。今も尚わからずとも、彼女には吐き出すべき言葉が確かにあった。

 

「あの日、いなくなってしまって……寂しかったです」

「そうでしたか」

 

 ――――私の走りで、皆を繋ぎたいんです

 ――――分かりました

 

「何を理解したのか、どうしてそんな返事だったのか。それを説明することなく貴方は居なくなってしまって……電話を掛けても、手紙を出しても、相槌しか打たなくなってしまって。何か可笑しなことをしてしまったのか、嫌われてしまったのか、って。ずっと、寂しかった」

「君は孤独を嫌っていましたね」

「…………分かっていたのなら、どうして」

 

 勝手に居なくなったのかという言葉は続かなかった。声にする前に喉が詰まり、瞼は熱くなって感情が零れそうになる。

 それを一瞥して、しかしやはり無表情なまま。少年は、何らかの必要性を感じたのか自ら口を開いた。

 

「物心ついた時から、俺は寂しいと思いませんでした」

「それは」

 

 どういう、と言葉を発しかけたヴィクトワールピサを遮るように、いつになく饒舌になる少年。彼の中で、それは多くの言葉を使って説明するべき事だった。

 

「一人で居ることの苦痛が分かりません。どうして()()()()()()()で誰もが悲しむのか理解できませんでした。他人に見て欲しいとも思えませんでした。ですが、周囲の子供たちは違うということも理解できました」

 

 自分がそうだから他人もそう。それが大半の子供の心理だ。

 だが少年は違った。自分がそうでも、きっと他人は違うのだという前提で思考を巡らせる。父親からそういう風に躾けられたという前提を差し置いても、彼は幼少期から自他にきっぱりと境界線を敷いていた。

 

 そして、その上で。

 他人と同じものを自分も感じたいと、少年は願った。

 

「寂しいとは何なのか。輪に入りたいとはどういう心理なのか。さっぱりわかりませんでした。だから、それを感じようとしました。感じたいと思いました」

「だから、あの施設に居たのですか?」

「はい。俺という子供がより強く異物になる場所に行けば、いつか寂しさを感じられるのではないかと期待しました」

 

 あの日の謎は、ヴィクトワールピサの中でいとも容易く氷解する。

 誰かと関わりたい、一緒に居たい……すなわち、「寂しさ」を発端とする他者を求める感情を探し求めて、果てに辿り着いたのが彼女も居たあの施設だった。

 

「当然俺はあの場において異物です。その視線に晒されれば、いつか……と、思ったのですが。結局、君の怯えるような視線すら極めてどうでも良かったです」

「……今更ですけれど、凄くきっぱりと言いますよね」

「誤魔化す理由がないので」

 

 頬を膨らませながら拗ねて出てきた言葉にも、少年はまるで動じない。そこに不満を感じながらも、ヴィクトワールピサは昔日の答え合わせをしていく。

 

「火災の日、どうして貴方は命を賭けたのですか」

「そ……あの少女が悲しそうにしていたからです。靴が燃え尽きれば彼女は取り返せない悲しみに覆われたでしょう。それが嫌でした。悲しい記憶は無いに越したことはないでしょう。そして、死ぬ前に取りに行ける確信がありましたので、実行しました」

 

 『そうすべきと思ったから』と定型句を言いかけ、先ほど遮られたことを思い出して、少年は言葉を端折ることを止めて子細を吐き出す。

 感情的にならない訳では決してない。衝動的、突発的に見えて、彼の中でははっきりと根拠が生じている。その上で、それを外部に対して伝える意味を見いだせていない。

 伝えなくてもいいと思っているから伝えない。その一方で、相手が大切にしているものであれば大切にするべきだと、利己的に利他性を発露する。

 

 ヴィクトワールピサが思ったことは、たった一つだった。

 

「優しいんですね、やっぱり」

「そうでしょうか」

「はい」

「分かりませんね」

 

 ()()()()調()()に戻ってしまった少年に、少女は苦笑する。電話をしていた時とまるで同じ、話を聞いているのかどうかも分からない相槌。適当に流しているのだと思っていたそれにも、彼なりの理解を込めようとしていたのだと今になって理解して、それが嬉しくてヴィクトワールピサは笑む。

 

 が、それはそれとして。彼女には今だからこそ言わなければいけないことがあった。

 

「二度とやらないでくださいね」

「約束しかねます」

「掛け金を取り返せる確信があるからと命を賭けていい訳ではありません」

「……俺が命を賭けたら、君は悲しみますか」

「はい。怒りますし、泣きます。ぶつかもしれません」

「分かりました」

 

 やはり機械じみたその判断に僅かな不満を感じつつも、それ以上に自分の事を確りと見てくれているのだと分かって、少女ははにかむ。

 ガラスのような瞳でそれをじっと見つめてから、少年の独白は続く。

 

「結局、最後まで寂しさとは何なのかは分かりませんでした。貴方の想いも、きっと半分も理解できていませんでした」

 

 ――――何故、君は走るのですか

 ――――私が走っていれば、いつか皆も戻ってきてくれるかな、って。そう思ったんです

 ――――そうですか

 

「どうして見ていて欲しかったのか。なぜ皆に戻ってきて欲しいのか。何日も何日も考えましたが、結局よく分かりませんでした。ですが、それを君がとても大事にしているようでしたので、()()()()()()()()()()()()と思いました」

「……」

「ですので、繋がりを手放さないと約束しました。そして、君の旅路に俺が居ると邪魔になると思ったので身を隠しました。君の願いをまったく理解できない俺が身近にいては、きっと君は必要以上に戸惑うことになると思いました。一心不乱に自分のために駆け抜けて欲しくて、だから俺の事を忘れて笑顔を浮かべていて欲しくて……」

 

 ああそうか、と。捲し立てるような言葉の羅列を溜め息にも似た声で中断して、少年ははっきりとヴィクトワールピサと視線を合わせる。

 

「あの時、君の傍に俺が居ると、君が不幸になると思いました。まず君自身が幸せになってから、残った余白で俺について考えて欲しかったようです」

「それは……」

「君に幸せになって欲しかった。それがあの日の俺の答えでした」

「…………そ、ぅ、ですか……」

 

 真っ直ぐに伝えられた想いに噓偽りは微塵もなく。それ故に妙に照れ臭くなって、ヴィクトワールピサは赤面したまま俯いてしまう。

 

(本当に、相手を思い遣る方法が遠回りというか……)

 

 彼にとって、他人の幸福は自分自身よりも優先されるべきこと。そこに自分が居ることは、幸福を取り逃す一因になると信じて揺るがない。

 

 約束が無かったのなら、少年はきっと全ての繋がりを断って二度と現れなかっただろう。

 だが、繋がりが途絶えてしまうことを何より悲しむと知っていたから約束をした。()()()()()()()()()二律背反を受け入れた。

 

――――俺は、君に会いたかったようです

 

 二度と顔を合わせなくても良かったはずの少年の心に生まれた1つの感情、その発露。それを思い起こして、ヴィクトワールピサの裡にも熱が灯る。

 それはもしや、彼自身が気付いていなかっただけで……と。

 

 想い、焦がれ、顔を上げた直後。

 

「あわよくば俺を忘れて好きな人でも出来ていればと、そう思ったのですが――――」

「はい?」

「不躾な話でした。そもそも出会いがあるかどうかも怪しい」

「はい?」

 

 

 

 ――――何で今地雷踏んだの?

 その一言は、遠巻きに見守っていた人々の総意だった。ほんの数瞬前までとてもいい雰囲気であったというのに、突如として眼前に見えていたラインを全力で踏み躙ったのだ。

 

「うわぁ……凄い顔……」

「いつもの笑み……いや違う細目だあれ。ものすんっっっごい細ーく目開いてる」

「えぇ……いや、えぇ……? 今なんで不利行動(しゃがん)だ……??」

「…………さいてー」

「あれは、酷いな……」

 

 学生たちは本気で困惑しながら同情し。

 

「どう見る?」

「アレはガチだな。自分が隣で幸せにするとかそういうの一切ないよ」

「エイプリルフールに彼氏できましたとか言おうもんなら本気で祝福するタイプね……」

「つまりヴィルちゃんとこのトレーナーか」

「本人居る前でそういう事言う??」

「だって言うでしょアンタ」

 

 大人たちはとても既視感のある光景を冷静に分析し。

 

「…………」

「……ねぇ」

「言わないで。俺も自覚はあるから。滅茶苦茶似たようなこと言って君にヘッドロック喰らったのよく覚えてるから……!」

「似たような男を引き寄せちゃうのかしらね、あの子……」

 

 ヴィクトワールピサのトレーナーとその妻は身に覚えのありすぎる有様に頭を抱えた。

 

 

 

 ヴィクトワールピサは激怒した。必ず、かの邪知暴虐(クソボケ)を分からせなければならぬと決意した。

 ヴィクトワールピサには恋愛がわからぬ。彼女はウマ娘である。芝と砂を駆け、友と語らい、トレーナー夫妻と笑いあって暮して来た。けれども孤独に対しては、人一倍に敏感であった。

 

「言いましたよね、私。寂しかったって」

「はい。ですが、それも友人や恋人が居れば……」

「その前に何処かへ消えてしまった男の子が居るんですよ」

「……」

「女の子に散々優しくして一緒に居てくれて、その子の心にしっかり刻まれて、そしてその子の事をちゃんと考えてくれていたのに何処かへ行ってしまった酷い男の人がいるんですよ」

「……」

「……」

 

 笑顔と、無表情。さしもの少年も、今余計な事を言ってはならないということくらいは察することが出来た。()()()()()()()()()()眼前の彼女が先ほどの対面よりも余計に怒っている。さて何を言えばいいのかと顎に手を当てて真面目に考え始めると、視界の端に映った少女の耳が極限まで絞られる。

 

 どうしろと。そう言いたいのをぐっと堪え、少年は分析を続ける。

 自惚れでも何でもなく、眼前の少女は自身に常ならぬ感情を抱いているのだろう。それはそれとして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 少年には共感能力が欠落している。優しくされたから好意を持つ、という程度の答えに辿り着くのにも無限遠の時間がかかる。

 

 果てに口から零れ落ちたのは……

 

「君を不幸にするような男が、どうして君から好かれると」

「はい?」

 

 ――――キレそう。ヴィクトワールピサが初めて抱いた感情であった。

 だがしかし。伊達に長く付き合いのある間柄ではない。こういう時はまだ続きがあるのだろうと推測する。

 

 貼り付けた笑顔で少年を見続けること数分。思考の整理がようやく終わったのか、少年は再び口を開いた。

 

「俺が君に会おうと思ったのは、君がちゃんと幸せであるか確かめたかったからです」

「はい」

「俺を忘れてしまえるほど幸福であるのなら、もう二度と会わなくても大丈夫だろうと安心したかった」

「はい」

「……そのはず、です。ですが……」

 

 理解できない自身の胸の裡に、少年は瞠目する。初めて抱いたその刺々しい感情は、どうにも良いものとは思えず、それゆえに困惑がとめどなく襲い掛かる。

 

 

「…………何故でしょう。俺は、君に不幸であって欲しかったようです」

 

 

 綴られた言葉は、上辺だけをなぞるのなら酷い暴言。しかし、そこには悪意など微塵もなく、ただただ混乱だけが編みこまれていた。

 

「君に想い人が出来たのなら、きっと君はこれからもずっと幸福でいられるのに。その幸福を排除したいと願う自分が居ます……初めてこんなことを思いました」

「――――っ、そ、れは…………」

 

 それを、人は嫉妬と呼ぶ。

 だが、少年にとっては今初めて理解した未知の情動。自分自身を突き刺し、そしてそれを向ける相手すら刺し傷だらけにしそうになる茨じみた感情。こんなものがあっていいのかと、ただただ動揺することしかできない。

 

「やはり、俺は居るべきでは――――」

 

 そうして辿り着いてしまう結論。()()()()()()()()()()()――――それに躊躇うことなく従い、すぐにでも少女から距離を取ろうとして。 

 

 

「大丈夫」

 

 

 消え去ろうとしたその手を、今度こそ確りと掴んだ。

 

「――――ぁ」

「……どうしましたか」

「い、いえ、なんでも。なんでもないんですよ?」

「そうですか」

 

 ぶわり、と。少年の右手に触れた瞬間に全身の温度が跳ね上がるような感覚に包まれて、少女は僅かな間前後不覚になる。

 幾度となく誰かの手を取ってきたはずのその仕草が、この瞬間に限って覚束なくなる。

 

 力はどの程度込めれば良いのか。

 手汗は酷いことになっていないだろうか。

 いいやそもそも、急に手を取られて困ってはいないか。

 意識したこともない、今意識するべきではないようなものが無限に気になって仕方がない。

 

 それに、何より。

 

「…………手、大きいん、ですね」

「男性と女性では当然違うでしょう」

「その、でも、だって……私の、ぜんぶ……」

 

 少年は力を込めていない。手指を動かしてすらいない。少女が一方的に握っているのだ。

 だというのに、彼女の細い手はすっぽりと収まってしまう。何もされていないはずなのに、むしろ行動したのは自分のはずなのに、触れた瞬間大きな温度で包み込まれてしまったような錯覚を引き起こす。

 

 有馬の疾走を思い起こさせるほどにばくばくと脈打つ心臓は、少女の心を更にかき乱していく。

 それをどうにか宥めすかして、咳ばらいをひとつ。穏やかでも、決して消えない灯を宿した瞳で、ヴィクトワールピサは少年を見据えた。

 

「そんな程度で、私は不幸になんてなりません」

「……」

「きっと、貴方は独りでも生きていけてしまうのでしょう。私のように寂しさを覚えて、繋がりを求めなくとも……一生、孤独なままでも過ごせてしまう人。だから、誰かを思い遣った時に真っ先に自分を排そうとする」

 

 誰かの抱いた理想に共感できない人間。生きる理由を自分一人で完結させているから、他者の存在を必要としない人。それが彼なのだと、ヴィクトワールピサは理解する。

 だが、その上で。

 

「分からないから、傍に居てはいけないなんて道理はないんです。居るだけで不幸にしてしまうというのなら、その不幸を小さくすることのできる人達が私には沢山居ます。だから……これ以上、独りになろうとしないで」

 

 何よりも伝えたかった事。孤独なまま生きていけることは、そう生きていかなければならないと言う事ではないということ。

 

 少年はやはり理解が出来ないという顔で少女を見据えている。しかし、その表情は明確に歪んでいて、痛みを堪えているかのようで。

 

「……君は」

「はい」

「君の、灯を必要とする人が、沢山居ます。俺が、その一つを受け取ってしまえば……本当に必要な人に、届かないかもしれない。俺は、それが嫌です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……本当に、優しい人」

 

 利己的でありながら、その発露が徹底して利他的。自分のために率先して自分を擲つような矛盾した行い。その根底にあるのは、彼女自身とどこか似ている優しさで。

 だからこそ、猶の事握った手を離す訳にはいかないと彼女は手に力を込めた。

 

「そんなものを許すくらいなら、俺が代わりに傷つきます。どれだけ傷ついても、俺なら一人で歩けます」

「貴方が傷つくと悲しいと思う人が、少なくとも此処に居ます」

「なら、傷ついた事を君に気付かれない場所へ行きます」

「そういう行動が、何よりも誰かを傷つけるんです」

「誰かと歩幅を合わせられないのなら、最初から隣に立つべきではありません」

「なら、私が貴方に合わせに行きます」

 

 孤独を感じられない、コミュニティを必要としない人間として破綻した精神性は、少年に頑迷さを植え付けてしまった。

 他者に理解を求めない。一度決めたら譲らない。言い訳でも痩せ我慢でもなく言葉通りに出来てしまう。そうするべきと思えば迷わない。たとえ迷い悩んでも、それを差し置いてするべきと思ったことを実行できてしまう。そして、それ故に孤立する。

 

 それが何よりも放っておけないからこそ、ヴィクトワールピサは握った手を思いきり引いて少年に抱き付いた。

 

「貴方が何処にもいかないと約束するまで、離しません」

「何故、俺に固執するのでしょうか」

「貴方だからです」

 

 あの日、ずっと木陰に居た少年。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、不思議な子。

 寂しさに耐えかねて近寄れば、いつだって自分を受け入れてくれた男の子。

 それが十分な理由になると言うことが、少年には分からない。

 

  だが、それでいい。受け取ってくれないのなら此方から照らしに行くと、穏やかでありながら揺らぐことのない表情で、少年を見つめる。

 

「たとえこれが一方通行だとしても構いません。貴方が分からないと零すのなら、()()()()()()()傍に居ます。分からないままでも、ずっと居ます」

 

 ――――貴方のことが好きだからとは、まだ恥ずかしくて言えないけれど。

 上気して耳まで真っ赤になっているのではないかというほどの体の火照りを感じながら、少女は微笑んだ。




少年のヒミツ
実は、イメージははムルソー(リンバス)人格被ったヴァルゼライド総統閣下。
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