その剣は無明にて閃く。
チェーンデスマッチ企画ノベル!
竹刀を振るう。
その度に、頭の中から色々なものを濯いでいく。
春の朝の冷たい風が、頬を冷やす。それが心地よく。
丁寧に、丁寧に何度も上げては振り下ろし、心地よさも、悩んだことも、楽しかったことさえも今は全てを排して。
ひたすらに振る。
どこかへ至るべく。名前なんて付けられない、ただ先へ。
アタシの剣は如何なる時にも十全に振るえることを是とする天然理心流。
その剣技に迷いなど、余念や無駄などはあるべきではない。
ふと、剣筋が歪んだ。
歯噛みする。
今日はここまでだ。
「はぁ……」
昔から冒険譚や英雄譚と言われるような物語が好きだった。
男の子みたいと言われても、好きなものは好きだ。剣道を始めた理由はまたちょっと違うけれど、自分はかわいいものよりも、かっこいいものにこそ惹かれた。かわいいものに憧れがないわけでは、ないけれども。
絵本でも、漫画でも、むつかしい小説に手を伸ばしたときでも。いつだって、自分はかっこいい非日常に目を輝かせていたのだ。
だからこそ大好きな兄がやっている祓魔師という仕事の話は、聞くたびになんだか自分をワクワクさせてくれた。日常ばかりの飛鳥の世界に舞い込む現実の非日常だったから。
今、自分は兄と同じ、いや正確には兄とは違って非正規なれども祓魔師をしている。
それは間違いじゃない。いろんな人と出会って、いろんなことを経験して、自分は今人生で一番濃密な日々を送っていると、青春をしていると胸を張って言える。
だが、アタシの剣は未だ応えない。
その先を垣間見ることも、ない。
□
白業女学園は短い春休みを迎えていた。
歴史古く由緒正しき私立白業女学園高等学校は二期制を取っており、苦しい学年末テストを経て自由を勝ち取った少女達は皆思い思いに青春を謳歌するのだろう。
そんな白業女学園生の一人である柴原飛鳥は、白の制服姿で街を一人歩いていた。肩には竹刀バッグをかけて、ぴょこんと銀髪を揺らしながら歩くその姿は快活な剣道少女そのものだ。……とは言えそもそも彼女の部活は剣道部ではないのだが。
街中を歩いているのに、予定だとか、特に強い理由はない。強いていえばただ何か胸騒ぎがした。それだけのことだった。
柴原飛鳥は一般人だ。だが、一般的な一般人とは間違いなく逸れている。
彼女は学生であると同時に非公認ながら祓魔師であった。
白業女学園が十六不思議「旧校舎の謎の部活」、これに遭遇し、紆余曲折あって『オカルト調査部』に所属することとなった飛鳥は、これまでに幾つかの怪事件を学生ながらに解決して見せている。
そんな彼女の胸をざわつかせる何かがすぐ近くにあった。
「ちぇ、ほっちゃんはなんかバイトって言ってたし、剣士先輩はいないしぃ……」
ほっちゃんとは飛鳥の学友である狐宮穂津実のことであり、同じ部活に所属する少女祓魔師。そして剣士先輩は部活の先輩にあたる謎多き祓魔剣士だ。
胸騒ぎがしてすぐ、飛鳥はその二人に連絡を試みた。しかし前者はアルバイトに、後者は連絡すら繋がらない。
境界対策課祓魔隊に所属している兄に話してみようかとも考えたが、このところ忙しそうな兄の手を煩わせるのも気が引けた。
よって飛鳥はこうして一人、胸騒ぎの元を探すべく祭具を担いで歩いているわけだ。
「ま、アタシ一人でもなんとかやってみるっきゃないね!」
手にはトランシーバーを改造したような見た目の機械。オカルト調査部部長からもらった『霊探知奇』、霊力の少ない飛鳥の物は霊的バッテリーが備わっており半月はバッテリーを変えずに使える優れ物だ。
胸騒ぎの正体が、これに捉えられる物なら話が早い。飛鳥はむしろ何も反応がなければ良いと、杞憂であってほしいと思いながら、路地裏で霊探知奇のスイッチを入れる。
霊探知奇が微かに震え、赤く灯る。
微弱な反応。界異そのものではない、もしくは極めて存在強度の低い存在。
ほっと一息。これなら自分一人でもなんとかなりそうだ。霊探知奇の反応を頼りに歩いていく。そこから数分もしないところにあったのは、取り壊し予定の廃ビルだった。
「たしか部長が言うには、こういう廃ビルにもよく出る、んだったかな?」
周囲を軽く見回すと、立ち入り禁止のテープを躊躇いがちに踏み越えながら飛鳥は廃ビルに突入した。
□
「閃刀衆か」
廃ビル5階。一人の老人が、八人ほどの仮面の集団に囲まれていた。
一人の老人とは言ったが、その男は身の丈六尺と五寸、2メートル近い背丈に着物を押し上げるほどの筋肉に覆われた肉体を持った、怪人の如き翁であった。
男は最高位の甲級神祇官にして環境庁神祇政務官を務める傑物、袴問孔利である。
袴問は深く皺の刻まれた顔に余裕を滲ませながら、相対する集団の一人に視線を向けた。
剥き出しのコンクリートが声を響かせる。
「して、斯様な場所に我を呼び出した、その要件を聞いてやろうか、国賊よ」
「老害め、知れたことを」
「呵々、言うに事欠いて老害か。まったく、近頃の戦を知らぬ青二歳はすぐ我々を負の遺産と思う。嘆かわしいことだ」
閃刀衆、国家公安委員会大名府お抱えの刀使達。
大名府とは書いて字の如く、大名を管轄する組織だ。第99代徳川幕府に、そしてこの国に忠を尽くす武士達である。
閃刀衆はその大名府に属し、幕府の命により国内で起こり得る危機を未然に排除する者達……と言えば聞こえはいいが、実際は戦狼組や境都見廻組、剣非違使のように、上の命に従い不穏分子を排除する辻斬り集団だ。
幕府と袴問孔利の因縁は深い。それこそ二度目の大戦にまで遡り、彼らの因縁はこの永慈の世にまで続く。
「まあ良い。そのように意気揚々と剣気を振り撒いていれば、我以外にも引き寄せるであろう。誰かが来るまで遊んでやろうぞ」
「その誰かが見るのは、貴様の死体だけだ」
「笑止。やってみせろ、ひよっこ」
言葉を最後に、八人のうちの三人が斬り掛かる。
閃刀衆は、刀剣の扱いにおいてのみではあるもののいずれもがA+に匹敵する祭具運用能力を持つ、万夫不当の歴戦の猛者。要は棒振りとしては剣豪と言われるような上澄み達だ。
その剣士達が八人がかりで斬らんとする袴問孔利はどうか。彼もまた祭具運用能力は閃刀衆に伍する戦闘者。しかし、一人で閃刀衆八人全員を退けられるほどの力は無い、と言えるであろう。
それに袴問は無手。騎士ならば無手にて死ぬことはないかもしれぬが、その老人は兵士であって騎士ではない。
少なくとも、今の状況では袴問は屍を晒すのみであろう。
「御免!」
「背中が空いているぞ」
鮮血が舞った。
今まさに袴問に切りかからんとしていた剣士の背から。
致命傷ではない。それを免れたのは、一言にその剣士が修羅場を幾度も潜り抜けた暗殺者であり、ビルより遥か彼方から自らの背に迫り来る剣気、絶死の一撃に気がついたからだ。
「ほう? やるではないか」
「く……鬼丸国綱か……!」
一歩後退して苦しげに膝をついた剣士が、袴問の周囲で宙を切って旋回する刀を睨み付ける。
それは、“鬼丸国綱”と呼ばれる一振りの刀。かつては一人でに動き、主人の危機を救ったというインテリジェンスウェポンとしての逸話を持つ退魔の刀だ。
主人の手に無くとも、自らを空に漂わせ、主人と連携して戦闘を行うことができるフローティングソードでもある鬼丸国綱は、夷狄確滅総合戦闘術と呼ばれる空手を基礎にした中近距離戦闘スタイルを得意とする袴問孔利と極めて相性が良い。
実質的に袴問という兵士は一人で二人分の戦働きを可能とし、そして袴問一人が相手をできる閃刀衆は四人。つまり無理矢理な理論ではあるが、袴問はこれにて彼らと互角となったのだ。
「さあ、来い。ここにいるのは老耄た兵士一人ぞ」
「……各員、死合いの時だ。気張れ」
「「「了」」」
仮面の下で剣士達の顔が強張る。
手の内の精錬黒不浄刀を握り締め、八人全員が一斉に切り掛かった。
「むん!」
「……無手で黒不浄に触れるとはな。なるほど、その様子を見るに……」
黒不浄とは、濃密な穢れの塊だ。人体には非常に有害であり、狩衣無しで触れたならば深刻な穢染を引き起こして命を縮めるだろう。
袴問の和装は狩衣などではなく、ただの着物に過ぎない。しかし、黒不浄の刃を片手で摘んで受け止めた袴問は全く影響を受けていないかのように反撃の拳を振るう。
まるで袴問の内から溢れた正常な気が悪しき穢れを中和しているかのように。迫る拳を引き戻した刀で弾いた男は顔を顰める。
「っ、各員攻勢を緩めるな!」
この部隊のリーダーである男剣士が周囲の三人に指示を出す。剣士達は一言もなく、ただ袴問に斬りかかることを応えとして、男の命に従う。
三人がかりで振るわれる三刀連携の斬撃を手刀で弾き、時に反撃の正拳突きを放つこの老人は、なるほど確かに戦闘者として規格外であり八人がかりで斬ろうとするも妥当だろう。余裕も見える、底が知れない。
そして片や、卓越した剣士の如き技の冴えで空間を飛び回る鬼丸国綱と、それを相手にするだけで精一杯となっている四人を見遣って。
男は納刀すると腰を落として剣気を研ぎ澄ます。この状況を打開する一手を放つべく。
「……タクティカルシン陰流」
それは、シン陰流または柳生新陰流に端を発する格式高き流派。
相手を殺めるでなく、力で押すでなく。その気勢を削いで克つ。まろばし、相手を受け入れ進ませる克人にして活人の剣。
その技の中には、居合のものも含まれる。
剣禅一如。元は剣の極地と悟りの境地の同一視を指し、それは悟りに至るほどの修練の末に導き出される剣士の最終回答の一つである。
閃刀衆はいくつもある剣技の極地、剣士の境地の中でこの剣禅一如をこそ尊んだ。
精神を鎮め、ただひたすらに剣気を研ぎ澄まして刹那に斬る居合の剣法、それは実に理に適った剣士にとっての禅であるとも言えよう。
「ほう……」
高められる気に袴問は思わず感嘆する。
元より格下とは思っていないが、その練り上げられた剣への執念、剣技への熱量は天晴れ。
剣技は型にありて、型とは即ち術師でいうところの儀式手順に相当する。
そう言った型、術理を剣戟の最中に即興で組み立ててしまう型破りな剣聖もいるが、教科書通り、伝承通りの型を十全に扱いこなす者もまた剣聖に他ならない。後者の在り方において、集団の隊長であった男は剣聖と言って然るべき存在であろう。
「む」
「無境剣」
無境剣。
境界に切れ目を入れることで曖昧にし、また境界在る物を結ぶ縁を切って無に返す境縁切りの斬。
地を蹴り、肉薄の後に抜刀。速度を乗せた斬撃は、しかし袴問には容易く躱されて。しかし、確かにある物を断ち切った。
それは袴問孔利の体内に埋め込まれ、彼に半永久的に無限に近しい霊力、加護を与え続ける霊動力炉【第六霊導機関(ハジュン・リアクター)】。それと袴問自身の霊体とを繋げる実体なき霊力のパス。
「嘻嘻、やる喃。まさか我が半身を切り離されるとは思わなんだぞ」
「今だ!」
声に弾かれるように剣士達が袴問に殺到する。
もはや黒不浄の穢れを中和する術をこの翁は持たない。一撃一撃がこの老獪を殺し得る。その確信、絶対的な優位を見逃す剣士はここにはいない。
剣士達の斬撃が袴問を切り裂く、その瞬間であった。
「これを抜かせるとは喃」
袴問が懐から取り出した符を握り潰す。
振り抜くように腕を払えば、突如として現れた刃が剣士達を吹き飛ばした。
携行祭具殿・符型(ハンディアーセナル・タリスマン)。
結界術の応用により、物理的容量以上の格納スペースを与えた祭具携行用支給装備。物理法則すら無視するための縛りによって祭具しか収めることはできないが、逆に言えば祭具であればどのような場所、状況であっても携行祭具殿にさえ触れられるならば手元に召喚できる。
符型はその高価な使い捨て版とも言うべきものだ。一度使えば効果を失う。しかし、符に登録された安全な祭具殿から、どこにいても祭具を取り出すことができる。
「っ、実休光忠……!!」
隊長が歯噛みした。伝承に名高く、しかして初めて目にするその存在感に気圧される。
それは長船派始祖である長船光忠の手になる刀、彼の織田信長が死を共にした名刀。後、これを手にして太閤と呼ばれるようになる男の手に渡り、そしてその絶頂の終焉と共に姿を眩ましたソレは、激動の時代に強者と共にあり共に潰えた栄枯盛衰を知る天下人の剣である。
「つい先日手に入れてな。もう一世紀、いや半世紀早く我の手に在れば……いや、言っても詮無きことか」
「ぐぁあっ!?」
袴問が実休光忠を振るう。それだけで、精鋭が一人腹を掻っ捌かれて自ら吐き出した臓腑の中に沈んだ。
実休光忠は天下人の剣だ。それは担い手に絶頂と共に破滅を齎す。日が昇るように、日が落ちることもまた天下人の宿命。
袴問の懐で真っ黒に染まった形代紙が一枚、ひらりと地面に落ちる。
「七枚形代でなくば満足にその力も振るえぬ、とんだじゃじゃ馬だ」
「起藝! くそっ、形代が効いていない……絶死の類か!」
境界対策課の祓魔師に作戦行動のため配布される形代紙は七枚。
これは儀式的誓約による七枚という制限によって、ありとあらゆる死と存在消失、存在歪曲、変質、その他もろもろを肩代わりすることを可能とする定められた枚数である。この七という数字は形代の効果を最大限に保ちつつ、一枚でも多く携行できる黄金の数字なのだ。
ゆえに形代は七枚組で初めて最大の効果をもたらし、ありとあらゆる異常から持ち主を護る最大の盾となり得る。
実休光忠は、その七枚構成の形代紙であっても一振りしか耐えられぬ神秘を秘めていた。
それはもはや概念の領域にも達した特異性の発露。
「迂闊ではないか。形代は七枚以下でなければ、その力、薄まるだけであるぞ」
「その規格外を振り翳しておいて、何を言うか」
「っ、起藝の仇……! ハァァッ!!」
剣士は、形代を10枚携行していた。
閃刀衆は致命傷を考えない。対人のみを主眼に置いた彼らはむしろ形代紙を肉体再生のための手札として携行している。死からの完全な蘇生は保険でしかない。
それでもなお、10枚尽くを以てしても一撃で屍を晒すこととなったのは、一言に実休光忠の秘めた力ゆえだ。
「大業物……それも最上大業物か」
「御明察、実休光忠は最上位の刀剣であるからして、死の肩代わりなどという奇術は容易く斬りふせるものなり」
極まった技術によって鍛えられた刀、太古から積み重ねられた神秘を持つ刀、人々の畏怖によってその業を象られた刀。そういった刀は業物と呼ばれ、なんらかの力を宿す。
その業物の中でも一際鋭い大業物などと呼ばれるような刀は、時折その刃に絶死を秘める。
形代や不死性などといったものを無視して因果ごと斬り捨てる、その斬撃そのものが五号級境界異常にも匹敵するものだ。
今し方死んだ剣士、その名前を呼んで袴問を仇と指した女剣士が斬り掛かる。
鬼のような形相を浮かべる女剣士の心中は如何程か。袴問にとっては察してやる義理はない。
「ぐぁ……ッ!?」
「青いな。なぜ連れてきた」
刃でなく柄頭で剣士の腹を殴り昏倒させた袴問は、冷たく剣士を見下ろして隊長に問いかけた。
「貴様が、女子供の命は取らぬからだ」
「……そうか。卑怯と言うつもりはない」
袴問は事実、手ずから女子供の命を奪うことはほとんどない。必要が無いならば。
それは単に彼の心境、矜持によるものだが、この在り方を逆手に取るような相手に対して袴問が怒りをあらわにするようなこともない。
ただ、どこか遠くを見るように、老練の末に飲み込んだ昔のものを想う目をして。袴問は口を開いた。
「女も子供もこの国を未来に繋げるための大切な存在だ。だが、女子供が戦場に出なければならないこともあれば、自らそう望むこともあるだろう。我はそれを否定はせぬ」
「奇妙な」
「奇妙と断じて結構。我が行く道は地獄で待つ同胞と、この国を愛する八百万のみが裁定する。だが、それは貴様らではない」
話は終い。
袴問は右手に実休光忠を、左手に呼び寄せた鬼丸国綱を握り締める。
二振りの大業物を携えた怪物を前に、剣士達の顔に冷や汗が滴った。
□
「……っ、またこの感じ」
廃ビルの階段を駆け上がる飛鳥は時折上階から感じる、ぞくりとした感覚に足を止めた。
柴原飛鳥には特別な力などはない。ただ彼女に備わるある才覚は相当のものであった。
飛鳥は自分が何を感じているのかもわからぬまま、歩みを早める。
「アタシを、呼んでる……?」
あるいはそれは自らを呼ぶ声のようにも思えた。
飛鳥は竹刀バッグをかける肩紐を握る手にぐっと力を入れる。
ふと、そんな彼女の背に声がかけられた。
「待ちなさい、お嬢さん」
鈴の音のように澄んだ声。そう表すのがこれ以上なく当て嵌まるような、そんな女性の声。
階段を駆け上がらんとする飛鳥を止めたのは、銀糸のような髪を一本に編んだ女。翠碧の装いに、携えた笙と琴の合わさったような大きな弦楽器が目を引く女だ。
「ぇ、あ? も、ももも、もしかしてこのビルの管理人さんですか!?」
「え、あぁ、いえ。そういうわけではありません」
管理人かどうかと問われればまあそうではない。素性を明かすべきかと悩み、歯切れが悪い回答。
とはいえ隠すものでもないかと女は口を開く。
「私は鳶田尋嗣、境界対策課に所属する祓魔師だ」
「きょ、境界対策課……」
途端に焦る。まさか本職、プロが来てしまうとは。
まあ、であれば彼女に任せてしまうのが早いのだろう。
しかし飛鳥にはこれを放置できない理由があった。正当なものではなくとも、この胸騒ぎの正体を確かめたいという青い衝動が。
「そ、そうですか……じゃ、じゃあ、お先にどうぞ……!」
「いや、ここから先は危険だ。民間人は帰りなさい」
「ぅ……」
向こうはプロの公務員で、こちらは素人の学生だ。どうしたって説き伏せること、説得するようなことはできないことくらい理解している。
しかし、それでも。
そして斯く言う尋嗣もまた、目の前の少女が単なる民間人でないことはわかっていた。所作、間合いの取り方、得物への意識、それらは目の前の少女が若くして剣豪の域に足を踏み入れようとしていることを容易に察しさせた。
こういった手合いがキツく言って聞かせたところで素直になることはない、ということも。それは尋嗣自身がそうであったから。
「……はぁ、わかった。だが、自衛はするつもりでいろ。それと、何を見ても気を確かに持つこと。私も守るつもりだが、この上にいる者達の剣気はかなりのものだ」
「……はい! あ、アタシ、柴原飛鳥って言います! よろしくお願いします!」
「飛鳥だな、良い名だ。さ、行くぞ」
尋嗣は境界対策課前線部隊に名高い祓魔班、その中でも自由を是とする十班に所属する旅の祓魔師。
今日この場、廃ビルにいたのは完璧に偶然だった。
尋嗣と飛鳥、二人がこの場にいたのは必然であったかもしれないが。
剣気が、剣士を呼ぶのだ。
未だ未熟な飛鳥はそれが単なる胸騒ぎであるとしか思えなかったが、尋嗣にはそれがなんであるかわかる。
優れた剣士は境界と霊体、世界の形を認識し、己の剣気を振り撒いて誘いをかける。それはすなわち死合を求める刀修羅のやり方。
それが八つ。この廃ビルに剣士を求めるように放たれていた。今は七つとなったが。
「五階だ、急ごう」
「は、はい! というか、分かるんですか?」
「ああ、わかるとも。むしろ君こそわかるのか?」
「いえ、その、胸騒ぎがしたので……」
「ふっ、なるほどな。良い感だ」
むしろ、この歳で剣気を感じ取れるのならそれは間違いなく才能だろう。
この子は将来相当な剣士になる。今から楽しみだ。尋嗣は飛鳥の技を受けるその日を思い微笑む。
そしてまた一つ消えた剣気に、心を逸らせる。
「飛鳥、それは得物だな? すぐに抜けるようにしておきなさい」
「あ、そ、そうですね!」
戦場はもうすぐ。尋嗣が孔雀色の眼でチラリと飛鳥の背負う竹刀袋を見遣る。それが飛鳥の得物であることは容易に察することができた。
しかし、彼女がどのような得物を使うのか。それが気になってしまったのは、背中を預ける可能性がある者として、そして剣士として仕方がないことだろう。
飛鳥は急かすような視線にたじろぎながら、そそくさと竹刀袋の口を広げて中からソレを取り出す。
「……! 電子妖刀か、それも最新型の牙折包丁だな」
「え、あ、これってそういう名前なんですね!」
姿を現したのは質素な竹刀袋とは対照的に、最新鋭、という言葉が似合う機械刀。
飛鳥が所属するオカルト調査部、その部長である少女が特殊な力で界異の残骸から生み出したソレ。飛鳥の今の愛刀であるその刀剣の名は『電子妖刀・牙折包丁』。
少なくとも、このような民間人の少女が持っていて良い代物ではないのだが、その祭具についてこれ以上詮索するつもりは尋嗣にはなかった。
正直この少女と今すぐ斬り合ってみたい、高め合いたいという欲の方が強かったが、それすらも飲み込んで階段を上がる。
「ここだな」
剣と剣がぶつかる音が疎らに聞こえる。
もう既に剣気は二つしか感じない。剣士達がどのような別れ方をしていたのかは分からぬが、この戦いは佳境だろう。
尋嗣は己の祭具をいつでも抜けるようにし、五階に飛び込む。飛鳥もまた電子妖刀の柄を握り締め、気を張り詰めさせながらそれに続いた。
「境界対策課だ、剣を収めよ!」
尋嗣の制止に二つの人影が一瞬歩を止める。
隙だ。生じた明確な隙に、片方の影が踏み込んだ。
「御免!」
「ぬ、ぅ……っ!?」
バッサリと黒不浄の刃が着物の上から巨漢を深々と切り裂く。袴問孔利が斬られたのだ。
そして次の瞬間、尋嗣が止めに入るより早く、対していた男剣士が信じられない行動に出た。
「すまぬ、皆。この機を逃すわけにはいかぬのだ」
「ま、待てっ」
「ぅ、ぐぁ……っ! 堪忍ッ!!」
膝を折って座すと着物の上をはだけ、鞘より引き抜いた短刀、呪具を垂直に自らの腹に突き立てる。切腹だ。
そのまま容赦なく掻っ捌けば、当然、血と臓物が溢れ出す。男はあっけなく死ぬ。
「ぅ……ぉぇ……」
「気を確かに持て、飛鳥!」
飛鳥には何もかもが未知だった。思わず地面に吐瀉物を撒いて、顔を蒼白にする。
人の死体。人の死ぬ姿。周囲を見てしまえば堪えなど利かない。周囲には七つの転がった人影、そのうちいくつかは死んでいるのが一目でわかる有様、まさに死屍累々の惨状。
「す、すいません、大丈夫です……」
「無理はするな」
尋嗣は恐る恐る、膝をついて肩で息をする老人に近寄って具合を確かめる。
この傷なら無理をしなければすぐに死ぬことはないだろう。
「貴様、祓魔師か……遅かったではないか」
「む。あまり喋るな、傷は深い」
「構うでない、我はこの程度では死なぬ。それよりも気をつけよ。あの剣士、呪具を使いおった。何か来るぞ」
「なに……?」
訝しげに眉を顰める。
女祓魔師尋嗣は剣士として、実際に界異を祓う祓魔師としての戦闘能力はかなりのものだが、反面、呪具や儀式などに特別明るいわけではない。普通の祓魔師並の知識止まり。超専門的な見識は持たない。
袴問もまた専門家ではないが、少なくとも甲級神祇官の位を賜るだけあって、これまでに見てきた術や儀式は多く、その類型を看破することもできる。
老人の頬に斬られた痛みとはまた別の理由で汗が滴る。その儀式が何を意味するのか、それを薄々理解していたがゆえに。
「祓魔師、それと小童!! 生きてる者を退かせ!!」
「っ、承知!」
袴問の声に弾かれるように、疑問を呈するより早く尋嗣が動く。血の海に沈む者達とは別の、まだ息がある剣士二人を抱えて飛ぶ。飛鳥もまた自らに声がかけられたことを理解すると、慌てながらも近くに倒れていた剣士をズルズルと引き摺って退かす。
その時であった。
廃ビルが良からぬ気配に蠢く。ぶわりと穢れが吹き上がり現世と幽世の境界を引っ掻く。切腹した剣士を中心として穢れが渦巻き、周囲に転がる死体は粒子となって分解されて霊力へと変換される。
渦巻いた穢れの奔流が空間を満たす。
花吹雪のように刃の破片が煌めいて、花と刀の紋様が宙に浮かぶ。
それが閃刀衆、それも彼らが頭目と仰ぐ存在を示す紋様であることを袴問は知っていた。
袴問の皺の額から汗が滴り落ちた。
「なるほどな。己らを憑代として歴代の刀花仙を呼び起こす術か」
「……刀花仙?」
「こやつら閃刀衆の頭目だ。とはいえ今その役に就いているものではなかろう。文字通り歴代の誰かであろうな。確実に我の息の根を止める詰めの手だろうさ」
「受肉型の界異のようなものか。そこまでして命を狙われるとは、貴方は一体」
「……境界対策課の祓魔師であるというに、我を知らぬか。……なるほどな、貴様、放浪班か」
第十班のことは聞き及んでいた。このようなタイミングで駆けつけることのできる最適かつ柔軟な戦力、人手不足に喘ぐ境界対策課にはない。
だが、そもそも最初から偶然でそこに居たのならば話は別だ。
第十班のことは聞き及んでいる。
後ろめたい事情や脛に傷のある者、人理に害を及ぼす可能性のある危険な存在、はたまた単なる風来坊、そういった者を班員として、それらを束ねる班長には彼の五号級界異の最上位に名を連ねるシン群である【アラハバキ】の一柱をその身に封印せし疑惑のある女が就いている。
組織的禁忌の度合いとしては袴問自身が管轄するL63程ではないまでも、自由度の高さと属性的扱いにくさ、保有する厄介ごとは時に比肩し得る存在。
普段ならば眉を顰めるところだが、この襲撃を大ごとにするつもりがない袴問にとってはむしろ都合が良かった。
「環境庁神祇部、神祇政務官及び甲種神祇官である我、袴問孔利が貴様らに命じる。やつを倒せ。良いな、放浪者に小童」
「……御意」
「ぇ、あ、わかりました……!?」
袴問は致命に近い傷を負った体を酷使し、ゆっくりと立ち上がる。この程度の傷はいくらでも負ってきた。
それよりも、男剣士が今際の際に呼び出さんとしたソレこそ、今は優先するべきモノだ。
恐らくは周囲に転がっていた閃刀衆の剣士全員を依代とする必要がある高度術式。
ならば八分の三を取り込ませなかったが故に儀式は失敗するかとも思うが、どうやらそうではないらしく。
「ぅ、な、何が何だかわかんないけど、やらなきゃ……!」
「落ち着きなさい、飛鳥。貴方は私たち大人が守ります」
飛鳥にとっては何が何だかわからない状況。
先の死体を見た時の動揺はおさまりつつあったが、今度は別の緊張感、渦巻く剣圧に気圧されてしまう。
「……来るぞ」
短く袴問が警告した瞬間、収まった奔流が人の形を取った。したいは綺麗さっぱり取り込まれたようで、周囲には血痕と黒不浄が転がる。
それは影がそのまま浮き出て人の形を取ったかのよう。その顔はのっぺりとしていて、不気味ではあるが外見だけでは何の圧も感じない。
だが影が地面に転がっていた黒不浄刀一振りを拾い上げて下段に構えた瞬間、対する三人の体に重く圧がのしかかる。
影が極めて小さな予備動作の後に踏み込めば、袴問は間一髪で実休光忠を間に滑り込ませて受け止めることに成功する。
「っ、シン陰流か」
『……旭光』
ノイズ混じりの女の声。
やはり微かな予備動作の後に放たれたのはタクティカルシン陰流が奥義、【旭光】。
朝日が昇り、光を差す。跳び上がりながら振り上げた剣は円を描き、まろばしの極意と共に振り下ろされる。
剣禅一如の内が一つ。
片手であること、深い傷を負っていること、それらによって振り上げに対応しきれず、袴問の実休光忠がかち上げられた。致命的な隙。円を描きながら、空いた胴に振り下ろしの本命。
万事休すか、袴問が奥の手を切ろうとしたその時、翠碧が舞った。
「はぁっ!!」
『……』
きぃいんっと金属音が響き、振り下ろしが弾かれる。弾いたのは他でもない鳶田尋嗣、彼女が携えていた楽器────否、それを鞘として秘められていた『奏剣・風哭野分』の剣閃。
『奏剣・風哭野分』と銘打たれたそれは、野太刀型の仕掛け黒不浄。鳶田尋嗣という剣士の剣術を最大限に補助する特異なカスタマイズが施された業物である。
「……強き者よ。私にも付き合ってもらうぞ」
強気に笑うと、尋嗣は刀を納めて独特の構え。優美に弦を鳴らして修羅場に音色を奏でる。それに合わせて楽を舞うような身のこなし、足捌きで彼我の距離を詰める。
「韋駄天神楽────風果斬舞」
『……』
抜刀。先よりも疾くなった居合を影が受け止める。そのまま反撃の斬を放とうとすれば、まるで霞のように尋嗣の姿はそこにはない。くるりと衣装をはためかせながら体勢を整え、再びの肉薄。迫り来る高速の抜刀斬を影が再度弾くが、やはり尋嗣は次には絶妙に間合いの外へと下がっていた。
響き続ける場違いな程に洒落た音楽は妙な力を秘めていた。音色が鳴るたびに周囲の穢れが清められ、尋嗣が舞うたびに霊力が少しずつ練り上がる。風が吹いた。
袴問が感心したように、その舞の、否剣舞の洗練されし閃きに笑う。
「ほう。神楽舞……それも鹿島祓シン流分派か。なかなかどうして雅やかな剣技よのう」
「綺麗……でも、それだけじゃない? 振るたびに剣速が早くなってる……!」
飛鳥の指摘に袴問は面白そうに眉を上げた。
日の本を背負って立つ後進の出来が良いことは素晴らしいことだ。
「小童、目は良いらしいな。その通り、アレは舞であり正しく儀式よ。剣術と神楽の融合、鹿島祓シン流を下地にしているからこそ成り立つ超高度儀礼剣術、日の本に継いでいくべきものであろう」
「???」
「……要はアレは舞と剣技が融合した特異な剣術というわけだ。さあ、小童。我らも加勢するぞ」
「な、なるほど! い、行きます!」
影を翻弄する尋嗣、彼女の神楽演奏に発生するごく僅かな隙。彼女はそれを組み合わせた体術によりカバーするが、相手が並大抵でないならばそれは致命を差し込まれ得る間隙となる。
ただ刃を受けるばかりでなく、むしろ相対する楽剣士の旋律を乱すように攻めの姿勢を取った影は、予備動作がほとんど生じない独特の歩法から一息に迫ると鋒で突く。
「させんわ! 小童ァ!」
「せぃっ!」
此度も間一髪。今度は袴問が尋嗣を助ける番となった。両手で握った刀を振り上げて、突きを上に弾く。
そこにすかさず飛鳥が平正眼に構えた電子妖刀で斬り払う。その斬撃は、なるほど確かに彼女もまた剣豪の卵であることを頷かせるほどに見事な一太刀であった。
しかしそれすら見切った影は最小限の動作で斬撃を躱すと、刀を引いて距離を取る。
見事に飛鳥、尋嗣、袴問の三人の間合いと円をぶつけ合うような巧みな位置取り。これでは三人は互いの間合いで互いに邪魔になる。
容易に攻め込ませない多対剣戟の妙。
「ふっ、ふっ……」
「落ち着きなさい、飛鳥。私とこの老剣士、二人ともあなたを守って戦うことくらいわけない」
「甘いな。剣士なら自分の身は自分で守るつもりでおれ」
「……っ、はい!」
優しい先達の声と、厳しくも的を得た声。その二つに返事すると、飛鳥は些か落ち着きを取り戻して手の内の愛刀の存在を確かめるように握りしめる。
尋嗣の掻き鳴らす音色を合図に、今度は影が斬りかかる。
その目標は袴問孔利。己を呼び覚ました者の願いを叶えるべく、一歩にて間合いを詰め切った剣士の影が下段から高速の斬を振りあげる。
「っ、ぬぅん!」
刻一刻と死に近づく身体に顔を顰めながら、交差した二刀でかろうじて受け止め、流す。
追撃の上段振り下ろしを左手の鬼丸国綱で無理矢理に弾き、下段からの掬い上げるような突きを実休光忠の剣先で神業の如く弾いた。
この間一秒にも満たぬ三連撃、袴問が全てに対処して見せれば生じた猛攻の切れ間に尋嗣の神楽抜刀、風果斬舞が迫る。守りのなくなった腹を正確に狙う高速の斬撃は並の剣客ならば打つ手無し、然りとて影は慌てず左手の籠手を斬撃に押し当ててその軌道を逸らしてみせる。
逸らされた斬撃は影の頬を掠めて浅く切り裂くに留まる。
「む……っ!」
「ぁ、尋嗣さんの剣を!?」
深く追うことなく退がらんと足を戻し、風哭野分を引き戻そうとして、がちりと万力のような力がそれを妨げた。
影が風哭野分の刃をその手で掴んだのだ。そのまま刀を奪い取ろうとする影にそうはさせまいと全力で抗すれば引き寄せられる。業を煮やした影は、ならば尋嗣を斬り殺さんと黒不浄を振り下ろした。
形代を一枚、二枚持っていかれるのは痛いが、得物を奪われるよりはマシだ。瞬時に取捨選択をした尋嗣は敢えて身体をぶつけることで影の態勢を崩しながら、その斬撃を受け止める。
鮮血と共に胸元をバッサリと切り捨てられた形代が二枚舞い散る。
「っ、無茶苦茶をする……ッ!」
「厄介だのう」
痛みに顔を顰めつつ、影の手から己の得物を取り返した尋嗣。一歩引いて、体勢を整える。
静かに袴問が口を切る。
「……見たところ穢装等級はⅡ、二号から三号級程度の界異だが……」
「ふっ、笑わせるな。これが三号級か?」
尋嗣はその分析に笑いそうになった。
この孔雀の女剣士は境界対策課の中でも上澄みだ。単騎で三号級、いや相性次第では四号級すら屠り得る、そういう単体戦力である。
だからこそ、その分析の何と馬鹿げていることかと。そう感じた。
界異の等級を分ける基準にはローゼンフェルド・スケールが国際的に用いられることが多い。
目の前の剣霊は界異としては二号級から三号級程度、個体では大した被害も出さないだろう。穢装も柔らかく、黒不浄刀程度の剣があれば問題なく切れる。ソレは怪物でなければ、災害でもない。確かに間違いない。
この界異は後にも先にも二号級、よくて三号級としか分類されないだろう。
だが、どうだ。三人が感じているのは四号級、ともすれば五号級を相手にしているかのような気配だ。飛鳥に至っては次元の一つ違う戦闘に目で追うのが精々といったところ。
剣士とは生まれ持った身体能力や才能、修練、そして何より技を以って測られることが多い。それは界異の強さを測る上では重要視されることはない。例えば、四号級を単騎で屠れるからといって、尋嗣がそのまま界異になっても四号級界異と同等の存在などと分類されることはない。
ローゼンフェルド・スケールはあくまで界異が人理に及ぼす被害想定と推奨される祓滅規模が基準となる。
構造的な欠陥だ。剣豪は界異になっても、ただ剣豪でしかない。
「まあ、仕方あるまい。どうにかせねば死ぬのみ」
「概ね同意だ、やるぞ」
二人の剣士が踏み込む。影がそれを受け止める。
二対一、本来ならば多対一の戦いは絶対的に数的不利が生まれるが、技巧頂く剣士はその限りではない。先のように間合い、位置取りを掌握すれば容易に踏み込ませることなく、常に一対一の剣戟を強いることができる。
仮にこれが長年連れ添った比翼連理の二人の剣士などであれば話は違うが、袴問も尋嗣も今日初めて顔を合わせたばかり、互いの剣術や息遣いなど知る由もない。
「ちぃ、やりにくい! ぐぉっ……!」
「袴問殿! くぅっ!?」
『……』
袴問の斬撃が止まる。同刻に放たれた尋嗣の斬撃とかち合うからだ。
当然、振り下ろそうとして止めた刃を引き戻し、再び構えてからの次の行動までには大きな間が生まれる。そこを狙って影が蹴りを放てば、ガラ空きの胴を蹴り穿たれた老剣士が地面に転がる。
尋嗣も袴問の斬撃とかち合うことを嫌って自身からも斬撃を止めようとした迷いのために、その一太刀には驚くほどに精細が欠けていた。
斯様な一撃では影を切り伏せることは不可能、むしろ難なく弾かれ、返された斬が尋嗣の形代一枚を持っていく。
互いの息を知らないがゆえに、手探りな遠慮が却って相手を利する。
「スイッチオン……! せやぁ!」
「飛鳥、迂闊だ!」
加えて、二人の動きは守りを意識した動きであり、今一つ攻め手そのものにも欠けていた。
電子妖刀のスイッチを入れる。刃に霊力が回り、その切れ味を引き上げる。三回まで使える飛鳥の愛刀の秘めたる奥の手だ。
しかし、切れ味が上がろうとも当たらなければ意味が無い。
打ち合いもなくあっさりと躱されただけでなく、緩んだ防御に命を狙う一撃が差し込まれる。
「世話が、焼けるのぅ!!」
それをカバーすることもまた先達二人の役目であるがゆえに。
如何なる攻撃も飛鳥には届かず、反面、二人の体には傷と疲労が蓄積していく。
「くっ……」
飛鳥の中で蟠る。
自分が明らかに足手纏いになっている、なまじ聡い飛鳥にはそれがわかるゆえに。
剣を握る手の内がじとりと汗ばんだ。自分は剣士だ。ここで行かずしてどうするか。その一念、使命感が飛鳥を突き動かした。
それを後押しするように、二人の剣士が弾き飛ばされ危機に陥る。行くしかない。
その青い衝動が天然理心流にあるまじきモノであるとも知らず。
「て、てやぁあ!!」
「ぬっ、小童、よせ!」
ここまでの斬り合いで全員の間合いは掴んでいる。技量差などは目で誤魔化す!
これまでも界異を相手にそうして戦ってきたのだから。人を斬るのには抵抗があるが、相手は影の界異。人ではない。
大丈夫、行ける。せめて二人のために隙を作るくらいはこなしてみせる! それだけに集中すれば!
「せぃっ!!」
『……』
焦りの見える太刀筋でも、その動きは教科書に倣ったように綺麗なもの。それだけは褒められるべきだが、それ以外は全てが悪手だった。
「へ?」
「飛鳥……!」
腕が飛ぶ。切り飛ばされた手が機械刀を握りしめたままくるりくるり。次いで呆けた顔が、そのまま胴体と泣き別れる。視界が二転三転。
下段振り上げ、返す太刀の振り下ろし。二撃が飛鳥という少女剣士を一瞬で解体してみせた。
「ぁ」
悲運にも部長から与えられた形代が持ち主の死を感じ取って、その身を復活させる。
死の経験はこれが初めてではなかった。だが、痛みすら感じず、己が死んだということを理解するなどという経験は初めてのことだった。
動きが止まる。それを見逃す影ではなかった。
太刀がブレる。ぱしゃりと血が飛び散る音。無情な斬撃が無防備な飛鳥をてっぺんから爪先まで膾斬りにする。一度に二枚減って、形代三枚目。
「飛鳥、逃げなさい!」
尋嗣の声に弾かれたように、後ろに跳んで後退しようとするも、すぐに距離を詰めた影がその身体を正面から刺し貫いて、切り上げ切り下ろしにて両断する。
さらに二枚減って、形代五枚目。
「ひっ……」
死ぬ。もはやなすすべなく、殺される。実感が追いついてしまった。
自分がこのまま殺され切ることをやっと理解した飛鳥は、初めてその顔を恐怖に歪めた。それも仕方のないことだろう。飛鳥はまだ十七の少女ゆえに。
恐怖に足がもつれて地面に転ける。
しかし影は止まることなどない。躊躇いなく、確実に一人目を仕留めるために黒き刃を振り下ろした。
鮮血が弧を描いて飛び散る。
「ぐふっ」
飛鳥は無傷だった。
巨老が膝をつく。目の前で顔面を蒼白にした老剣士を見上げて、彼が自らを身を挺して庇ってくれたのだと理解してやっと声が出る。
恐怖の色が塗り替わる。
■
「ぇ、ぁ……」
「小童、戦場で情けのう声を出すな……!」
喝を入れるように袴問が声を張り上げる。だがその声には先までの覇気はない。
そこにこれ幸いと追撃を加えようとする影、それを制するように尋嗣の斬撃が差し込まれた。
「袴問殿……! 飛鳥、ここは私が受け持つ。彼を退がらせろ!」
「ぁ、は、はぃ……」
袴問に肩を貸して、引き摺るように部屋の隅まで退避する。
影がそうはさせんと、邪魔をするなと、さらに苛烈に刀を振り始めれば、尋嗣がいくつも小さな傷を受けながらも完全にそれらをいなしてみせる。足取り軽く縦横無尽に舞いながら剣を振るう尋嗣にらしくない、しっかりと構えた守りの剣技。長くは持たないことも尋嗣にはわかっていた。
「っ、アタシのせいだ……」
荒く息をする袴問を地面にゆっくりと寝かせる。その顔は土気色でもはや死人のよう。
このままではこの人は死ぬ。自分が殺したのと同義だ。
途端に自責の念に苛まれて、焦点すら合わなくなることを誰が責められようか。
青さ、若さが目を曇らせることは往々にしてある。それが重大な失敗となって自分や仲間を殺すこともまた同様に。
涙さえ浮かべる飛鳥の目元を、硬く冷たい指先が拭った。
驚いて目を見開く。
「小童、泣くでない。我は貴様のことなど知らぬが、それは貴様とて同じこと。妙な真似は止せ」
「で、でも……ア、アタシが……っ」
言っても聞かぬ、呆れたものだ。
小童ゆえに致し方のないことか。
ふと優しげに微笑んだ老人が、少女の名を問うた。
「はぁ。小童、貴様の名は」
「ぇ、し、柴原飛鳥、だけど」
「飛鳥か、良い名だ」
震える手が飛鳥の頭をぽんぽんと優しく撫でる。
人の頭を撫でることなど慣れていなさそうな、不器用な手つきだった。
「────ならば飛べよ、鳥。鳥は何にも縛られず、ただお前の在り方を貫け。その手の豆は、鍛えた技は、お前が飛ぶための翼であるのだろう」
「……!」
声が、飛鳥の背中を押すかのように。
今日初めて会ったばかりの老人の言葉は、しかし飛鳥という少女に、きっかけを与えた。
奥義とは剣理の体現。それ即ち、剣術流派の真髄を垣間見、理念をその剣に宿すこと。
九割九部の修練とほんの一握りの才能、それは飛鳥が既に持っていたものだ。
後は、些細なことで良かった。ただ殻を破る、壁を超える意識。
超える。
「……ん、ありがとうお爺さん。アタシ、やれる」
「呵呵、それでいい。子供は夢を見ろ。無茶をしでかせ。地獄に目を曇らせるにはまだ早い」
晴れ晴れとした顔。
覚悟を決めた顔。
祓魔師や剣客達には成長の壁と呼ばれるものがある。それは緩やかに収束する成長曲線の中で立ち塞がる、絶対の存在。
それを超えた時、初めて剣客は奥義を己のものとできる。
「はぁ……近う寄れ」
しかしそれだけではあの剣士には届かない。
なにも完封しろとは言わぬが、決めるのは一撃。その一撃を確実に届かせなくてはならない。
飛鳥の身体に皺が刻み込まれたような手が触れる。
瞬間、飛鳥の総身に霊力が流れ込んだ。それと同時に見たことのない景色も。
「こ、これ……なに……?」
「我は明確には剣士ではないが、この使い道のない霊力といい、少しくらいは役にも立とう」
それは袴問の身体に宿る第六霊導機関、今はパスが切れてただ無尽蔵に湧き上がるだけの霊力、そしてそれに乗った袴問の剣士としての世界。
普通ならば何の意味もないものだろうが、目の良い飛鳥にとっては違う。
「ふっふーん、柴原飛鳥はレベルが上がった!」
「調子の良い童め」
「まあ、見てて。アタシのできること、ぶつけてみるから」
それに応えることなく。老人は微笑むと、目を閉じた。
地面に転がっていた己の愛刀を手に取る。
視界はクリアに。
ただひたすらに斬るのみ。
平正眼に構え、一歩を踏み出す。驚くほどに体が軽かった。
視線の先には、苦しげに顔を歪める尋嗣と相も変わらず美しいまでの剣を披露する影。
薄氷の上の剣戟が今まさに破られんとした。
「っ、ぁっ」
『……「ちょっと待ったぁあ!!」……!?』
今度こそ目障りな翠色を赤く染めんと振り下ろした全力の刃は、影が取るに足らぬと断じた少女剣士によって打ち払われる。
いなすでもなく、真っ向から打ち払う。
異常事態に影が一度距離をとる。その隙に飛鳥は尋嗣に手を差し伸べた。
「あ、飛鳥……!?」
「尋嗣さん、まだ行けます?」
「……無論。韋駄天神楽、止めるにはまだ早い」
何が何だかはわからぬが、飛鳥の雰囲気が変わった。ならば先達としてもはやそれを信じてやる他あるまい。
立ち上がると、抜き放った風哭野分を構えて、飛鳥と背を合わせる。
柴原飛鳥、形代二枚。
鳶田尋嗣、形代三枚。
ここが最後の踏ん張りどころ。命なんぞはくれてやる。
だから、あの頂の一角に立つ剣士を斬る!
「戦術的天然理心流。柴原飛鳥!」
「鹿島祓シン流分伝、韋駄天神楽。鳶田尋嗣!」
『……!』
二人の女剣士の声が重なる。
覚悟が剣気となりて渦巻き、三者の間に剣圧が領域を生み出す。
「「いざ尋常に」」
名乗りは縛り。高い次元の式法使いが、己の祓魔術の開示による誓約強化を行うのと等しく。
名乗り上げることは己の道を示し、この斬り合いにおける不退転の意を示す。
よってよもやこの場に立つ三者は、双方のうちどちらかが躯を晒すまで、その剣を納めることなどできないのだ。
「「────勝負!」」
真剣勝負、死合。
お前は我が剣に斬られてこそ相応しい。
『……』
先に動いたのは影だった。
妙に焦りが見えたのは飛鳥の気のせいか。尋嗣には見えなかった。ならば。
否、飛鳥の目にはもはや影の剣士が正体不明の剣客ではなく、果ての見えぬ超絶技巧の剣士にしか見えていなかった。
だからこそ、その感情、その焦りも今はわかる。
(そっか。これだ)
見えただけの剣が、今なら打ち合える。アタシよりも強い剣士二人相手にほとんど無傷で立ち回れる剣士相手に、今なら。
いや違う。元から打ち合えたんだ。アタシには目があるから。
技はもうある。身体はいつだって鍛えている。手の内は、確かにアタシに応えてくれる。
影の高速の剣、シン陰流剣法が何度でも殺してやろうと飛鳥の体に迫り、その度に飛鳥によって打ち払われた。
下段切り上げ、斬り返し、突き、ゆらりとゆらめいてからの暗殺剣。
その全てを、初めて見たはずの技でさえも、飛鳥は知っていた。袴問という剣士が見た世界をその目は覚えているから。
「……すごいな」
尋嗣が思わずと言った風にこぼした。舞剣士もまたそのからくりに勘付いていた。
あれは10代の少女が到るには極めて高い次元。それを引き出すのはあの目だ。
よもやその目は音に聞きし最新にして最年少の剣聖、彼女を思わせる天稟の才。
「ふっ」
負けてはいられない。
尋嗣もまた弦を鳴らすと音に乗る。剣戟の波長に乗って、軽やかに踏み込む。
「飛鳥、合わせる」
「いーえ、アタシが合わせます!」
「なに」
もっと、もっとだ。もっとこの先を見たい。少しでも多く、少しでも長く、この先にあるものを!
貪欲な剣士の渇望。しかし今の飛鳥にはそれすら御すること容易く。
尋嗣が打ち込んだ剣をさばいた影、その本当に一瞬の間隙に飛鳥の剣が振るわれる。影の胸元を浅く切り裂いたそれは、しかし確かに影を捉えた。
今度は飛鳥が誘うように斬撃を放ち、その誘いごと切り捨てんとした影の斬撃を紙一重で身体を逸らして避ければ、視線を一つ尋嗣に。意図を察した舞剣士が影の振り下ろした刀をさらに上から押さえつけるように風哭野分で打ち据える。完全に得物を引き戻すタイミングを失った影を飛鳥が下段から切り上げた。
「……末恐ろしいな。だが、心強い!」
飛鳥の目と、戦術的天然理心流……「千変万化臨機応変」の極意にて、実戦に於いては如何なる状況に於いても臨機応変に技を繰り出す事を教える剣術流派は相性が良かった。
続く技と駆け引きの応酬。
しかし影も然る者で、致命傷は全て避け、着実に当たる斬撃を放つ。飛鳥と尋嗣の傷は目に見えて増えていくが、消耗という概念がない影には些細な傷は無意味。
尋嗣の脳裏にジリ貧という言葉が浮かぶ。だが、飛鳥に焦りは無かった。
(まだ)
冷たく、命を狙う剣先の如き視線。
勝負は一回。失敗は許されない。失敗はしない。
自然体で良い。いつもの自分で良い。届くから。
だから、あの剣に克つイメージを。
(まだだ)
影と尋嗣が鍔迫り合う。斬撃が彼女の身体を深く切り裂く。形代が一枚散る。
落ち着け。まだ死んでない。死なせない。
思い浮かべるのは、理想。迷いじゃない。追い求める自分こそが平常であった。
(まだ、まだだ)
飛鳥の剣が影を切り裂き、返しの剣が飛鳥の左腕を切り飛ばす。形代で回復……しない。
無理に態勢も立て直さない。痛いけれど、あと少し、あと少し。
あと少しで。
見えた。
「今だ……!」
トドメを刺すことを狙った影の返しの太刀、それを見切り、態勢を立て直すついでに身体を捻りながら透かす。
手の内で電子妖刀のスイッチを入れる。全てを懸ける。
左腕はいい。この技はアタシが真に使い手なら応えるから!
「見ろ、アタシの全力ッ!! 戦術的天然理心流、奥義」
影が防御に回るよりはやく、振り上げた刃が閃く。
それはまるでこの戦場の光明のように。
この流派の奥義を極めた者はあらゆる状況に平常心と日頃の稽古の成果をもって望み、全く動ずる事が無いという。
それ即ち、全てを切り捨てる無心に非ず。柴原飛鳥という少女の自然体こそが最後の鍵となるということ!
「────【月影剣】ッ!!」
月影剣。
夜間の雲間に出る月の様に相手の不意に出る技。
その振りは変則的でありながら理に適ったものであり、刃に振り回されることのない剣士にのみ扱える一撃。
飛鳥の理想。奥義に、遂に到った。
『……ァ!?』
初めて影が声を出した。飛鳥の覚悟が、死した者の完結した技巧を上回る。
一対一ならこうはならなかった。あらゆる条件を排した純然な技の出し合いなら勝負にすらならなかった。今後も同じ条件で戦ったとして勝てる確率は低いだろう。
だが、今回は紛れもなく飛鳥の勝ちだ。
影剣士の胴が深く切り裂かれ、黒不浄を握る右腕が切り飛ばされる。苦しげに影が膝をついた。
間違いなく勝負アリ。
だが、勝負アリなどというのは大いに思い違い。
相手は剣豪であると同時に界異であった。
「っ、飛鳥!!」
「ぇ、ぁ……っ!?」
異変。飛鳥ではない、最初に気がついたのは尋嗣であった。
胴を切り裂かれ、繋がっているのが不思議な状態でも、影は己に与えられた役目をこなすべく障害を排除する。
影が己の右手と共に宙に舞った黒不浄を左手で受け取り、そのまま振り下ろす。瞬時に電子妖刀を滑り込ませて受け止めるが、その守りごと飛鳥の胴が断ち切られた。
「ぐ、ぅ……ッ!」
今度は飛鳥が膝をつく番であった。
切られた胴も、失った左腕も形代によって戻ったが、残る形代は一枚。愛刀は半ばから断たれている。
これ以上なく明確な絶体絶命。
今度こそ殺す。そんな殺意すら感じさせて、影が独特な構えを取る。
それがなんであるか、飛鳥は記憶を辿り、それより早く断頭の太刀が飛鳥に容赦なく振り下ろされた。
「させん!」
「わっ!?」
剣が首を断ち切るより先に飛鳥の身体がぶんと遠くへ投げられる。鋼が打ち合う音が響いた。
その構えを誰よりも知っていたのは他でもない鳶田尋嗣だった。
鹿島祓シン流。それは旧く鹿島シン流に端を発する祓魔剣術。
悪シンを祓い清めるために生まれたとされ、その技の多くは型に沿って初めて効果を成し、太刀筋に霊を斬る力を与える。標準的なクラシカル祓魔剣士の流派の一つであり、別名「天狗の太刀」。
本来ならば極めて祓魔師向けの剣技であるが、この流派にはある奥義がある。
【天狗兵法・弐】
正当なるイチノタチに次ぐ、ニノタチ。対象の霊的弱点への攻撃。
この斬撃は対象が最も守り難く、最も嫌う部位への攻撃となる。極まった仮想は初見の相手の弱点すらも見抜くとされる。
受ければ形代すら意味を為さぬ、文字通り確殺剣。
「人斬りよ、私の勝手ではあるが、その使い方は好かん……!」
閃刀衆がこのニノタチを暗殺剣として使っていることは、免許皆伝者として容易に察することができた。
だからこそ、己の剣技に誇りを持つ祓魔剣士である尋嗣は憤りを露わにする。
「私がこの場にいたこと、災難だったな!」
『……ッ』
影に確固たる感情があったならば腸が煮え繰り返るような思いであったろう。この女の前では如何なる鹿島祓シン流の剣も見切られると、そう理解してしまったために。
しかしまだ終わりではない。構えをシン陰流に戻して、袴問だけでもと剣を構える。
その考えを見透かしたかのように尋嗣が笑う。
「飛鳥、立ちなさい。まだ終わっていない」
「で、でも、剣が……!」
「ふっ、問題ない」
そして尋嗣にもわかっていた。今この場でトドメを刺すべき存在が自分ではないことを。
「袴問殿!!!」
「聞こえておるわ!!」
そちらを向くことなく老剣士の名を呼べば、応えと共に何かが投げ放たれる。
袴問という巨漢の膂力で投擲されたそれは、まるで弾丸の如き速さで飛鳥の下へと届き。
「飛鳥ッ!」
「小童ァ!」
「……!」
弾丸の速さすら見切る目がソレを────実休光忠の柄を確と握りしめた。
瞬間、身体にのしかかる重圧。
お前は器ではないと、不遜であると言われているかのように錯覚する重み……否、事実そうなのだろう。
飛鳥という少女はちょっと目が良いだけの剣道少女で、その人生の中で覇道を歩むなどということはない。
(でも、こんなアタシでも。死ぬ覚悟で振るなら一度くらい許して)
死境剣。
祓魔の剣士は、その生涯の果てで一度だけ。
生と死の狭間に、現世と幽界の総てを透徹する、剣理の頂きに立つという。
さながら飛鳥は未だ至らずの死境剣、未到。
「だから、これがアタシのほんとにほんとの最高の技……!!」
「キミこそ、ちゃんとやってくれないと困るよ!!」
両の手で握りしめる。そこから全身を、霊体を焼くような熱が飛鳥を苛んだ。
だが、今はそれが心地よい。
死地にて剣士は大活するのだ。
「受けよ、影の剣豪!! これなるは、剣士柴原飛鳥の一世一代、大秘剣! おかわりだけど!!」
『……!!!』
影の剣士が飛鳥を止めんと踏み込む。それこそ読み通り。飛鳥はその瞬間をこそ待っていた。
まるでノーモーションからの一太刀、それを可能とする極端に小さな予備動作の理屈を見抜く。
膝の関節の柔らかさ。一瞬の完全脱力からの、強靭な踏み込みを両立させる仕掛け。ならば、その仕掛けを不全にする。
そんなこと、そんな挑戦、全てが決するここでするべきではない。
だが、そうでもせねば勝ちは得られない! ならば必定、するしかないでしょう!
「気合い一本踏み込み、縮地、抜刀閃刃!! 我が剣、貴様に見切れるか!!」
一か八かの大勝負!
危険を冒してこそ、冒険譚!
強きを超えてこそ、英雄譚!
今この時こそ捲土重来、為せずして柴原飛鳥に非ず!
「戦術的天然理心流、絶刀奥義!!」
その踏み込みは音を超え、距離を圧縮し、刃を届かせる。
今まさに踏み込まんとしていた影より速く、彼我の距離を詰め切った飛鳥が平正眼より刃を、絶死の剣を閃かせた。
自身が得意とする足回りの器用さすら超えて見せた飛鳥に、冥府より呼び起こされた影は最後に何を思ったか。
「────【無明剣】、三段突きィッ!!!」
三度の高速突きが影目掛けて放たれる!
突いては引き、横に薙ぐ。三度繰り返す。
それはほぼ同時に放たれし三本の剣閃にすら見えるほどに洗練されし速剣。
正確無比な斬突は影の篭手と胴と面とを、影のその霊体核ごと寸分の違いなく穿ち貫いた。
『……』
「へへ、最後にいいもの見たでしょ」
戦術的天然理心流最奥義、【無明剣】。
通称「三段突き」。
篭手、胴、面と三回に渡り素早い突きを繰り出し、それぞれ引く度に横に払う技。その速さは三度の突きを一度の突きであると誤認するほど。
影の剣豪が、遂にその身を穢れの粒子と解く。己を現世に繋ぎ止める霊体核を貫かれたならば、もはやこの世に留まることはできぬ。
最後に、残心する飛鳥を何処か悔しそうにも見遣った影はアスファルトの地面に借り物の黒不浄を突き立てて、最初からそこに何もなかったかのように消えていった。
「天晴だ、飛鳥」
正に絶刀絶技。
飛鳥はこの時、一瞬なれども秘剣に至り、遥か高みの剣豪を斬り伏せた。
「ぅ、ま、まず……」
無論、身の丈を遥かに超える大物を下す下剋上の、その代償は重い。
お膳立てにお膳立てを重ねられた末の勝利であることを飛鳥もわかっていた。
実休光忠を振るった代償を肩代わりした最後の形代が散る。
酷使し過ぎた脳と身体が限界を超えていることを訴える。
「ぐぎぎ……」
「あ、飛鳥、大丈夫だ。少し休め、あとのことは私と袴問殿で処理する」
「ぅ、ぐ……」
十代の少女が出してはいけない奇妙な唸り声に尋嗣が苦笑いする。
しかし飛鳥にも気を失うわけにはいかない理由があるのだ。
(あ、アタシが非公認で祓魔師やってるってバレたらやば、やばいって……こ、根性〜〜!! うぐ……)
ここで意識を手放すべきわけにはいかない。飛鳥得意の根性で堪えようとするが、しかし飛鳥が人間である以上は限界もある。
飛鳥の意識はそこで途切れた。
■
結論から言えば、飛鳥の心配は杞憂であった。
鳶田尋嗣は直属ではないまでも上司である袴問孔利に事の処理を任せ、快諾した袴問はこれを隠蔽した。
神祇政務官である己が、大名府直属の暗殺部隊に襲われたなどと記録に残すのは極めて難しいことであったゆえに。
……後は、単に袴問の情のようなものであろう。この日の本をこれから担う新芽に出会い、しかし彼女らのことをこの仄暗い暗闘の記録に残すことで巻き込むことを嫌ったのだ。
だからこそ、この一件は柴原飛鳥、鳶田尋嗣、袴問孔利が知るのみ。
「ねー、ほっちゃん! 明日から学校始まるよ!? 始まっちゃうよ!?」
それから一週間が経って。
飛鳥は自分の部屋で今時の女子高生らしく、親友と長電話に興じていた。
携帯越しの声は呆れを滲ませていて、飛鳥なんだかそれが嬉しかった。
「え、なんか元気だって? そりゃもう! アタシは元気が取り柄ですから!」
結局、あの日のことはまるで夢だったかのようで。それが夢でないことは真っ二つになった愛刀だけが静かに証明していた。
しかし、飛鳥の胸中は晴れ晴れとしていた。
理由などは今更考えるまでもない。
「えー、聞きたい? もー、ほっちゃんだけだよー?」
「へへ。アタシ、わかったんだ。アタシの剣は無心になることが全部じゃないって」
「アタシの在りの儘、それこそが一番重要な剣の理ってことなんだよ」
「えー? ほっちゃん真面目に聞いてないね!? もう! せっかく話してあげたのに!」
ぷんぷんと口に出しながら怒りを表す。向こうからからからと笑い声。それすらも心地が良い。
理解を必要とは思わなかった。
アタシのことはアタシが一番知っている。だから、アタシの剣はアタシだけにしか到れぬものであるのだ。
それが知れたことが、飛鳥にとってこの春一番の成長であった。
これからも柴原飛鳥の冒険は続く。
それがどのようなものであるかは、ここでは語るまい。
無明の剣────完。
スペシャルサンクス
魔剤海豹さん(柴原飛鳥さん)
堕魅闇666世さん(鳶田尋嗣さん)