プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件 作:雨風 時雨
午後の授業中、俺の意識は半分以上、三途の川の河川敷を彷徨っていた。
黒板の文字は完全に古代の象形文字にしか見えず、教師の声はお経のように脳内を滑り落ちていく。
昼休みの屋上。
瑞希という『神山高校内部の特大地雷』を自ら踏み抜いてしまった絶望感に加え、俺の机の中には、綺麗に洗われた『空のピンク色のお弁当箱』が鎮座している。
(『あははっ、ごちそうさま! 洗っておいたから、せいぜい上手く言い訳しなよ、共犯者くん♪』じゃねえよ……悪魔かあいつは……)
瑞希は俺から奪ったみのりの手作り弁当を完食した後、水道で洗ってご丁寧にハンカチで拭き、俺に押し付けて去っていった。
一見すれば「全部食べた空の弁当箱」だ。みのりに返せば「完食してくれたんだ!」と喜ぶだろう。
……普通なら、だ。
相手は、俺のスケジュールを分単位で把握し、俺の交友関係を徹底的に管理しようとしている桐谷遥である。
彼女のプロデュース能力を舐めてはいけない。「お弁当の味がどうだったか」「どこで食べたか」「その時誰かといなかったか」等々、アイドルの記者会見もかくやという激しい尋問が待っているに違いないのだ。
(少しでも矛盾が生じれば、遥の冷たい瞳に社会的に抹殺される……。かと言って『瑞希に食べられました』なんて言えば、みのりは泣き崩れてアイドルを引退し、咲希の耳に『俺が他の女と屋上で密会していた』という情報が入って俺は刺される)
逃げ場ゼロ。
正解の選択肢が存在しないクイズ番組に強制参加させられている気分だ。
キーンコーンカーンコーン。
やがて、本日の全カリキュラムの終了を告げる放課後のチャイムが鳴り響いた。
周囲の生徒たちが「部活行こうぜ」「カラオケ寄ってく?」と青春を謳歌し始める中、俺はマッハの速度でカバンに荷物を詰め込んだ。
(とにかく、今は逃げる! 神山高校から脱出して、みのりたちとエンカウントする前に、どこか安全な場所……いや、そんな場所もう日本中探してもねえよ!!)
半ば自暴自棄になりながら、席を立とうとした瞬間。
――バァァァンッ!!
教室の前方のドアが、蹴り破られんばかりの勢いで開け放たれた。
「ヒィッ!?」
俺は反射的に身をすくめた。
クラス中の視線が一斉にドアの方へ向く。
そこに立っていたのは、星柄のジャケットを着崩し、腰に手を当てて般若のような形相を浮かべる少女――白石杏だった。
「アンタ。ちょっと面貸しなさい」
杏は、クラスメイトたちの「お、おい白石さんキレてないか?」「あいつ何かしたのかよ……」というヒソヒソ声を完全に無視し、一直線に俺の席まで大股で歩み寄ってきた。
「あ、杏……! ま、待ってくれ、俺は今から急いで帰らなきゃ――」
「昨日言ったわよね? 『私がアンタを叩き潰して、こはねの目を覚まさせてやる』って」
杏の瞳には、一切の妥協も慈悲もなかった。
昨夜の図書室前。こはねの異常なまでの俺への依存を見せつけられ、相棒としてのプライドを粉々にされた彼女の怒りは、一晩経って冷却されるどころか、マグマのように煮えたぎっていた。
「さあ、来なさい。逃げたらアンタのクラスで大声で『この男、うちの純情なこはねをたぶらかしたサイテーのクズです!』って叫んで社会的に抹殺してやるわよ」
「それ遥と同じこと言ってるから!! なんでヒロインたちはすぐ俺を社会的に抹殺しようとするんだよ!!」
俺が半泣きで抗議するも虚しく、杏は俺のネクタイを強引にグイッと掴み、まるで引きずられる子犬のように教室の外へと連行し始めた。
クラスの男子からは「お前……どんまい」と同情と諦めの視線が送られる。
東雲彰人が「さっさと責任取れ」と俺を見捨てたように、このクラスの連中も誰一人として狂犬モードの白石杏を止めようとはしなかった。
「ちょ、待って! 首! 首締まってるから! 自分で歩くからネクタイ離して!!」
「うるさい! アンタなんかこれくらい乱暴に扱ってちょうどいいのよ! アンタのせいで、今日のこはねは……こはねは……!」
杏の声が、怒りから一転、微かに震えた。
俺はハッとして杏の横顔を見る。
彼女の目尻には、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
「……こはねが、どうしたんだ?」
「……アンタに認められたいからって、昼休みもご飯食べずにずっと大声で発声練習して……私が止めても『先輩のためだから』って、全然私の声、届いてないのよ……!」
ギュッと、杏の握る拳が白くなる。
相棒であるこはねの隣に立っているのに、こはねの瞳には杏の姿は映っておらず、俺という幻想だけが映っている。
それは、誇り高きビビバスの杏にとって、これ以上ない屈辱と悲しみだったに違いない。
(……俺の、せいだ)
自立させるための「愛のムチ」のつもりが、こはねをさらに追い込み、杏を傷つけてしまった。
俺はネクタイを掴まれたまま、抵抗するのをやめた。
もし杏が俺を殴って気が済むなら、何発でも殴られよう。それが俺の払うべき負債だ。
だが、運命という名のデスゲームのシステムは、俺にそんな綺麗な贖罪すら許してはくれなかった。
「ちょっと! そこの彼女、彼をどこへ連れていくつもり!?」
昇降口を抜け、校庭に出ようとした瞬間。
校門の前で腕を組み、仁王立ちしている2つの影が、俺と杏の行く手を阻んだ。
「――っ! み、みのり! 遥!」
俺は息を呑んだ。
そこにいたのは、宮益坂女子学園の制服を着た、アイドルユニット『MORE MORE JUMP!』の2人。
花里みのりと、桐谷遥だ。
「あ! キミーっ!!」
みのりは俺の姿を見つけるなり、パァッと顔を輝かせて駆け寄ろうとした。
しかし、俺のネクタイを握りしめている白石杏の険しい顔を見て、ピタリと足を止める。
「……何、あんたたち」
杏が、チッと舌打ちをして2人を睨みつけた。
ビビバスの狂犬 vs モモジャンの狂信。
全く交わるはずのなかった別ユニットの激重ヒロインたちが、俺という最悪のハブを通じて、今ここで正面衝突を果たしてしまった。
「それはこちらのセリフよ。あなたが神山高校の白石杏さんね。……彼に何の用かしら?」
遥が、冷たく、そして圧倒的なアイドルのカリスマを放ちながら一歩前へ出た。
彼女の瞳には、俺を『自分の管理下』だと認識している絶対の自負がある。
「用? こいつはうちの相棒の心をかき乱した最低のクズよ。今から私がこいつをシメて、うちのユニットの問題を解決しに行くの。部外者は引っ込んでて」
「部外者?」
遥の眉が、ピクリと動いた。
周囲の空気が、まるでシベリアの寒気団でも流れ込んできたかのように凍りつく。
「部外者なんてとんでもない。彼は、私たちの大切な『専属ファン』よ。彼のスケジュールは、今日から私が分単位で管理しているの。あなたみたいな野蛮なストリートの娘に、勝手に連れ回される筋合いはないわ」
「はあ!? 専属ファンだか何だか知らないけど、こいつのせいでこはねがぶっ壊れそうになってんの! 大体、そっちこそ宮女のくせに他校までしゃしゃり出てこないでよね!」
「彼が約束通り、私たちのお弁当を食べてくれたかの確認に来たの。……それとも、あなたが邪魔をするというなら、彼があなたたちにどんな迷惑をかけたのか、学校側に正式に抗議させてもらってもいいのよ?」
バチバチバチッ!!
目に見えない高圧電流が、杏と遥の間で激しくスパークしている。
杏は武闘派だが、遥は社会的な立ち回りと交渉術に長けている。この2人が本気で争えば、学校を巻き込む大惨事になるのは火を見るよりも明らかだった。
「ひぃぃ……キ、キミ……なんか凄いことになってるよぉ……!」
みのりが、怯えたように俺の背中に隠れる。
「お、おい2人とも! 一旦落ち着こう! 俺が悪かったから、ここでケンカするのは……!」
俺が慌てて仲裁に入ろうとすると、遥の鋭い視線がギロリと俺を射抜いた。
「そうね。彼から直接聞けば早い話だわ。……ねえ、お弁当、どうだった?」
――キタ。
俺の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
この修羅場の真っ只中で、時限爆弾のタイマーがついにゼロを迎えたのだ。
「え、えっと……」
「キミ! 全部食べてくれたかな!? タコさんウインナー、上手にできてた!?」
みのりが、期待に満ちたキラキラの瞳で俺を見上げてくる。
その純粋な瞳の奥にある『もし残してたらアイドル辞めるね』という見えない脅迫が、俺の胃壁をゴリゴリと削っていく。
「あ、ああ……! すっごく、美味しかったよ! 残さず全部食べた! 弁当箱、洗って返そうと思ってて……」
俺は引きつった笑顔で、カバンから空のピンク色のお弁当箱を取り出して見せた。
瑞希が綺麗に平らげ、洗ってくれた完璧な『証拠』だ。
「わぁっ! ほんとに全部食べてくれたんだ! えへへ、嬉しいなぁ……! 明日も絶対作ってくるね!」
みのりが飛び跳ねて喜ぶ。
よし! 第一関門突破!
咲希には絶対にバレないように、あとで「購買のパン食べたよ」とLINEを送っておけばなんとかなるはずだ。
そう安堵の息を吐きかけた、次の瞬間だった。
「……待って」
遥が、すっと俺に顔を近づけてきた。
透き通るような青い瞳が、俺の表情、瞳孔の開き具合、そして制服のシワまでを舐め回すように観察する。
「……あなたの服から、甘い柔軟剤のような……いや、これは『別の香水』の匂いがするわね」
「っ!?」
「それに、お弁当の洗い方。あなたは普段、水滴を拭き取る時にペーパータオルを使っているはず。でも、このお弁当箱は『布のハンカチ』で拭き取られた形跡があるわ」
(こええええええええええ!!!)
名探偵か!? いや、ただのガチのストーカーだ!
俺の洗い物の癖まで把握してるってどういうことだよ!
「誰と、食べたの?」
遥の声が、地を這うように低くなった。
みのりの笑顔が、ピタ、と静止する。
「まさか、他の女の子と一緒に……私の作ったお弁当を、食べたの?」
みのりの瞳からハイライトが消え、彼女の周囲から希望が消失していく。
「ち、違う! 違うんだよ遥、みのり! これはたまたま近くにいた奴が、ちょっとハンカチを貸してくれて――」
「ええい、鬱陶しい!!」
修羅場が限界突破しようとしたその時、痺れを切らした白石杏が、俺の腕を強引に引っ張った。
「あんたらの痴話喧嘩に付き合ってる暇はないの! こいつは私が借りる! 文句があるならビビストまで来なさいよ!」
「あっ、待ちなさい!!」
遥の制制止を振り切り、杏は信じられない馬力で俺を引っ張り、走り出した。
「うわあああああ!! 杏、待って! 腕! 腕抜けるゥゥ!!」
「うるさい走れ! アンタをこはねの前に引きずり出して、土下座させてやるんだから!」
背後からは、遥の「逃がさないわよ……! あなたの明日のスケジュール、全て白紙にして私の監視下に入れるから!」という恐ろしい宣告と、みのりの「キミーーーッ! 明日のお弁当は絶対に一人で食べてねええええ!!」という叫びが響き渡っていた。
俺は、杏に引きずられながら、夕日に染まる神山高校を後にした。
――そして。
俺はまだ、気づいていなかった。
杏が俺を拉致した先、ストリートの音楽が響く『Vivid Street』の路地裏で。
俺の放った『正論』によって、完全に洗脳状態に陥り、己の限界を超えて歌い続ける『小豆沢こはね』という狂信者が待ち構えていることに。
俺のデスゲームは、一つの地雷を回避するたびに、さらに凶悪な地雷原へと強制スクロールされていくのだった。