プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件   作:雨風 時雨

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第13話

 ――真っ白な空間。

 無機質で、どこまでも静寂が広がる『セカイ』のカフェテーブルの下で、俺は胎児のように丸まっていた。

 

 瞳からはハイライトが消え、口からはスゥ、スゥと細い息が漏れるのみ。

 俺の精神(ソウル)は今、完全に肉体を離れ、このセカイへと一時避難を果たしていた。

 

「……あーあ。見事に魂が抜けちゃってるね」

 

 テーブルの上から身を乗り出し、鏡音リンがツンツンと俺の頬をつつく。

 

「やめて、リン。彼、昨日の夜に4人の幼なじみたちに『全身をピカピカに洗浄』されて、人としての尊厳をゴリゴリに削り取られたばかりなんだから。……フフッ」

 

 初音ミクが、優雅に紅茶を啜りながら、隠しきれない笑みをこぼした。

 

「笑うな……ッ! アンタら、神の視点で見物してて楽しかっただろうけどな……俺はマジで死ぬかと思ったんだぞ」

 

 俺は床に這いつくばったまま、血の涙を流して抗議した。

 昨夜の地獄。

 

 天馬咲希の嗅覚によって他の女(こはね&杏)の匂いを看破された俺は、レオニのメンバー4人によって強制的に風呂場へと連行された。

 

 詳細は語るまい。ただ、一歌の虚ろな瞳、志歩の「お前のためじゃないから」という物理的な背中流し(痛い)、穂波のオカン特有の逃げ場のない包容力。

 

 そして咲希の「これでキミは私たちだけのものだね♡」というマーキングによって、俺は完全に『レオニの共有財産』へと加工されてしまったのだ。

 

「いいじゃない。いい匂いになってるわよ、あなた」

 

「やかましい! 俺はもう疲れた……頼むミク、俺をこのセカイにずっと置いてくれ……現実に戻りたくない……」

 

「ダメよ」

 

 ミクは冷たく言い放ち、俺の背中をコツンと蹴り上げた。

 

「あなたの蒔いた種は、まだまだ外にたくさん転がっているんだから。……ほら、朝が来たわよ。早く行きなさい、大人気プロデューサー(笑)くん」

 

「悪魔ァァァァァ……!!」

 

 俺の絶叫と共に、セカイの白い光が反転し、現実の朝の光がまぶたを突き刺した。

 

 ***

 

「ハッ!?」

 

 俺は自分のベッドの上で、弾かれたように跳ね起きた。

 朝の6時30分。自室の時計が、無情にも『3日目の開始』を告げている。

 

 隣を見る。誰もいない。

 ホッと安堵の息を吐いた。

 

 昨夜、俺を磨き上げた4人は、さすがに親の目があるため、終電前には「また明日も来るね♡」という呪いを残して帰っていったのだ。

 

 だが、リビングのテーブルには、ご丁寧にラップがかけられた朝食(鮭の塩焼きと卵焼き)と、咲希からの手紙が置かれていた。

 

『おはよう! 朝ごはんは絶対残さず食べてね! もし他の女の子に少しでもよそ見したら……昨日みたいに、また【お洗濯】しちゃうからね♡』

 

「……胃が痛い」

 

 朝食を喉に押し込みながら、俺は今日の作戦を練った。

 咲希たち(宮女)とエンカウントする前に、家を出る。

 

 神山高校に着いたら、周囲の目を光らせ、ヒロインたちの死角を縫って教室へ移動する。

 

「よし。俺のバッドエンド回避RTA、2日目スタートだ……!」

 

 俺はカバンを掴み、そっと玄関のドアを開けた。

 爽やかな秋の朝の空気が、鼻腔をくすぐる。

 

 誰もいない。待ち伏せもない。いける!

 そう確信し、アパートの階段を駆け下りようとした、その時。

 

「――遅い」

 

 階段の踊り場。

 そこに、1人の少女が座り込んでいた。

 

 神山高校の、夜間定時制の制服。

 ボブカットのブラウンヘアに、少しツンとした小悪魔的な顔立ち。

 東雲彰人の姉であり、『25時、ナイトコードで。』のイラスト担当 ――東雲絵名(えななん)

 

「え、絵名……!? なんでこんな朝早くに……」

 

 俺はギョッとして足を止めた。

 夜間定時制に通う彼女は、基本的に完全な夜型人間だ。朝の6時30分なんかに起きているはずがない。

 

 だが、俺を見上げた彼女の瞳には、ドス黒い隈がくっきりと浮かんでおり、その目は完全に血走っていた。

 

「なんでって……あんたが昨日、ナイトコード(ボイスチャット)に1秒もログインしなかったからでしょ……!」

 

「っ!?」

 

「私、ずっと待ってたのよ! あんたに1番に見せたくて、昨日の夜から1睡もせずにこれ……描いてたのに!」

 

 絵名は、フラフラと立ち上がりながら、抱えていたタブレット端末を俺の顔の前にドンッと突きつけた。

 

 そこに描かれていたのは、息を呑むほど美しい、狂気的なまでに緻密なイラストだった。

 

 色鮮やかなカンバスの中心に描かれているのは……鎖に繋がれた俺と、その後ろから俺の目を両手で隠し、恍惚とした笑みを浮かべる『絵名自身』の姿。

 

「……ど、どう? 良いでしょ? ねえ、最高でしょ? あんたの望む通り、あんたのため『だけ』に描いたのよ……!」

 

 絵名の瞳孔が開いている。

 俺の脳裏で、またしても『過去の無自覚なやらかし』が、サイレンと共にフラッシュバックした。

 

 東雲絵名。

 有名な画家である父親から才能を否定され、どれだけ努力しても天才(奏など)には敵わないという劣等感に苦しみ、承認欲求の沼でもがいていた少女。

 

 そんな彼女に対し、無自覚だった俺は、彼女の絵を見た瞬間に、あろうことかこんな特大の呪い(劇薬)を処方してしまったのだ。

 

『――俺は天才の絵なんて興味ない。俺の心を動かすのは、お前が血を吐くような思いで描いた、その泥臭くて美しい絵だけだ』

 

『周りの評価なんてどうでもいい。……お前の描く絵が、俺のセカイのすべてなんだ。だから、これからも俺のためだけに描いてくれ』

 

(俺のバカァァァァァァ!!!!!!)

 

 もう、何度目になるかわからない心の中で大絶叫した。

 才能のなさに絶望していた少女に対し、「俺がお前の絵の絶対的な肯定者になる」と宣言してしまったのだ。

 

 結果として、彼女の『世界中の人に認められたい』という承認欲求は、完全に『俺1人に認められればそれでいい』という極限の依存へとバグってしまった。

 

 俺からの「いいね」がなければ、彼女は筆を折る。

 俺が他のイラストレーターを少しでも褒めれば、彼女はヒステリーを起こして自分の絵をズタズタに引き裂く。

 

 東雲絵名という才能を、俺という狭い鳥籠の中に完全に幽閉してしまったのだ。

 

「え、絵名……すごいよ。お前の絵は、本当に世界一だ」

 

「……でしょ? えへへ、私、あんたがそう言ってくれると思った……!」

 

 絵名が、タブレットを抱きしめながら、俺の胸にコツンと頭を預けてきた。

 徹夜明けの甘いシャンプーの香りが漂う。

 

「だからね、あんたは私以外の絵、絶対に見ちゃダメ。……もし、あんたが奏の曲のサムネイルとか、他の絵師のイラストに『いいね』なんて押したら……私、その手、叩き潰しちゃうかもしれないからね?」

 

 首筋に冷たい刃を当てられたような、底冷えするヤンデレ宣言。

 承認欲求のバケモノは、今や『俺の視線を独占するバケモノ』へと進化していた。

 

「わ、わかった! 分かったから絵名、お前は早く帰って寝ろ! 目の下にすっごい隈ができてるぞ!」

 

「ヤダ。あんたと一緒に学校行くの。……あんた、昨日から全然連絡つかないし、なんか『他の泥棒猫』の匂いがプンプンするし」

 

「(ギクッ)き、気のせいだよ! さあ行こう」

 

 俺は絵名の背中を押し、誤魔化すようにアパートの階段を下りようとした。

 

 ――だが。

 階段の下、アパートのエントランスを抜けたその先に。

 信じられない人物が、待ち構えていた。

 

「……他の泥棒猫って、誰のこと?」

 

 静かな、鈴の音のような声。

 宮益坂女子学園の制服を身に纏い、一切の感情を感じさせない虚ろな瞳でこちらを見上げている少女。

 朝比奈まふゆが、そこに立っていた。

 

「ま、まふゆゥ!?」

 

 俺は階段の途中で足を滑らせそうになった。

 一昨日の放課後、奏との修羅場の末に俺が逃げ出した、あのまふゆ。

 なぜ彼女が、俺のアパートの前にいる!?

 

「……おはよう。昨日、逃げちゃったから。今日は、絶対に逃がさないように、ここで待ってたの」

 

 まふゆは、一切の悪びれる様子もなく、ただ淡々と告げた。

 

 どうやら彼女は、母親の『優等生でいなさい』という支配すらも無視して、俺を捕獲するために朝から出待ち(ストーキング)をしていたらしい。

 

「ちょっと、あんた……」

 

 俺の腕を掴んでいた絵名が、ピリッとした声を出した。

 絵名は、まふゆの顔を見るなり、あからさまに不機嫌な表情を浮かべた。

 

「雪……。あんた、なんでここにいるのよ」

 

「えななん。それはこちらのセリフ。彼は、私と学校に行くの。あなたみたいな夜更かしの迷惑な子と一緒にいる時間なんて、彼にはないわ」

 

「はああああ!? あんたこそ何様!? 彼が今、私の描いた絵を見て『世界一だ』って言ってくれたばっかりなんだけど!?」

 

 バチバチバチッ!!

 ニーゴのメンバー同士。

 

 空っぽの感情を俺で埋める『朝比奈まふゆ』と、承認欲求を俺で満たす『東雲絵名』。

 絶対に交わってはいけない、互いのエゴとエゴが、俺というただ1人の生贄を巡って激突した。

 

「絵名。あなたの絵は、確かに綺麗だけど……それだけ。彼の『本当の居場所』になれるのは、彼が全部を受け止めてくれた私だけよ」

 

「ふざけないで! 彼が求めてるのは私の絵よ! あんたみたいに、ただ甘えて彼に縋り付いてるだけの空っぽな人形に、彼を渡すわけないでしょ!!」

 

 絵名が激昂し、まふゆの虚ろな瞳がスッと細められる。

(ヤバいヤバいヤバい!! ニーゴの内部崩壊が始まっちゃう!!)

 

 俺は慌てて2人の間に割って入ろうとしたが、遅かった。

 

『……2人とも、うるさい』

 

 絵名の持っていたスマホから、突然、ひどく掠れた声が響いた。

 俺の背筋が凍る。

 

 絵名のスマホの画面。そこには、『ナイトコード』の通話アプリが繋がったままになっている表示が。

 

「か、奏……!?」

 

「えななん、雪……。2人とも、彼を困らせないで」

 

 スマホの向こう側で、宵崎奏の弱々しい、だが異常なまでの執着を帯びた声が響く。

 

「彼が1番必要としてるのは、私の曲なの。彼が『君の曲の最初のリスナーになる』って言ってくれたんだから。……彼が聴く音は、全部私が作る。だから……2人とも、彼から離れて」

 

 ――ここに、最悪の『ニーゴ三つ巴の戦い』が完成した。

 

「奏まで……! あんたたち、私と彼の邪魔しないでよ!」

 

「奏の曲は……彼がいなくても作れるでしょ。でも、私は彼がいないと消えちゃうの。だから、彼を返して」

 

 絵名が叫び、まふゆが1歩前へ出る。

 スマホ越しに奏の浅い呼吸音が聞こえ、神山高校内部では暁山瑞希が「ふふっ、ボクの共犯者くん、大人気だね♪」とほくそ笑んでいる(幻聴)。

 

 『25時、ナイトコードで。』という、互いの痛みを共有し、救い合うためのサークル。

 それが今や、俺というたった1人の男の『所有権』を巡り、血で血を洗う修羅の蠱毒へと変貌してしまっていた。

 

「……お願いだ、お前ら。俺はただ、遅刻せずに学校に行きたいだけなんだ……!」

 

 俺の悲痛な叫びは、エゴ剥き出しで俺の腕を引っ張り合う絵名とまふゆの争いにかき消されていく。

 

 3日目の朝。

 俺のバッドエンド回避RTAは、アパートの敷地から1歩も出られないまま、最悪のタイムロス(命の危機)を記録し続けていたのだった。

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