プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件   作:雨風 時雨

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第3話

『ねえ。ねえ、どこにいるの? 私、もう……あなた以外、何も信じられないよ』

 

 スマホの画面を埋め尽くす、朝比奈まふゆからのメッセージ。

 ウイルスのように増殖し続けるその文字列を見つめながら、俺は神山高校の男子トイレの個室で頭を抱えていた。

 

「……クソッ!!」

 

 絞り出すような罵倒が、タイル張りの壁に虚しく反響する。

 つい先ほどまで俺が立っていた、あの真っ白な『セカイ』。

 初音ミクの冷ややかな視線と、鏡音リンの嘲笑がまだ網膜に焼き付いている。

 

『ここはあなたの「想い」から生まれたセカイ。あなたが、彼女たちの孤独を甘い言葉で埋め、自分なしでは1日も過ごせないように教育してきたから、彼女たちはあなたを求めるの』

 

 ミクの言葉が、呪いのように脳内でリフレインする。

 そうだ、全部俺が悪い。

 

 前世の俺は『プロジェクトセカイ』というゲームのオタクだった。

 この世界に転生した現世の俺は、その記憶が曖昧なまま、困っている彼女たちに「ゲームの知識」という名のカンニングペーパーを使って、無自覚に寄り添ってしまった。

 

 彼女たちのトラウマの核を正確に突いた、甘く、優しい言葉。

 それは彼女たちを救ったのではない。

 彼女たちの痛みを麻痺させ、俺という存在なしでは息もできないほどの『依存状態』に陥らせただけだ。

 

「……逃げるしかない。いや、距離を置いて、少しずつ依存を解いていくんだ」

 

 俺は震える手でスマホを制服のポケットにねじ込み、個室のドアを開けた。

 洗面台の鏡に映る自分の顔は、青ざめていてひどく情けない。

 

 だが、ここで立ち止まっていれば、いずれ俺は彼女たちの重すぎる感情に押し潰されて死ぬ。

 物理的にも、精神的にも。

 

(平和な日常を取り戻す。そのためには、今日から心を鬼にして、彼女たちを『自立』させなきゃいけないんだ)

 

 決意を胸に、俺は足早に校舎を出た。

 すでに放課後の時間は過ぎ、夕陽が校庭をオレンジ色に染めている。

 生徒の数もまばらだ。

 

 裏門からこっそりと抜け出し、足早に家路につこうとした、その時だった。

 

「――やっと、見つけた」

 

 神山高校の裏門近く。

 人通りの少ない通学路の曲がり角に、その少女は立っていた。

 

 宮益坂女子学園の指定の制服。

 淡い紫色の髪を揺らし、一切の感情を削ぎ落としたような虚ろな瞳が、俺を真っ直ぐに射抜いている。

 

「ま、まふゆ……?」

 

 俺の足が、コンクリートに縫い付けられたように止まる。

 朝比奈まふゆ。

 才色兼備の優等生にして、その内面は母親の過干渉によって完全に削り取られ、空っぽになってしまった少女。

 

 彼女がなぜ、他校である神山高校の裏門にいるのか。

 理由は考えるまでもない。

 

「メッセージ、どうして返してくれなかったの?」

 

 まふゆは、静かな足取りでこちらへ近づいてくる。

 その声のトーンは一定で、怒っているのか悲しんでいるのかすら分からない。

 ただ、逃げ場を塞ぐような、濃密で重苦しい気配だけが彼女から放たれていた。

 

「あ、いや……ちょっとスマホを見てなくて。ごめん」

 

 俺は引きつった笑みを浮かべながら、1歩後ずさる。

 だが、まふゆは俺のその1歩分、正確に距離を詰めてきた。

 そして、俺の制服の袖を、白魚のような指先でギュッと掴む。

 

「……嘘。画面、見てたでしょ」

 

「えっ」

 

「既読、ついてた。ずっと待ってたのに。君からの言葉がないと、私、どうしていいか分からなくなっちゃうんだよ」

 

 心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

 まふゆの指先から、尋常ではない熱が伝わってくる。

 彼女の瞳の奥底で、暗く濁った感情が渦を巻いているのが分かった。

 

 脳裏に、記憶を取り戻す前の『無自覚だった俺』の行いがフラッシュバックする。

 ――あの日。

 

 母親からの重圧に耐えかねて、雨の公園で1人立ち尽くしていたまふゆを見つけた俺は、あろうことか彼女に傘を差し出し、こう言ってしまったのだ。

『良い子になんて、ならなくていい。俺だけは、まふゆの本当の姿を知ってるから。……俺が、君の全部を受け止めてやるよ』と。

 

 今思い出しても、床を転げ回って悶絶したくなるほどの痛いセリフだ。

 だが、母親の「ロジックハラスメント」によって自我を奪われていたまふゆにとって、その言葉は劇薬だった。

 

 母親の支配から逃れるための、唯一の安全地帯。

 本当の自分を探すのではなく、「俺が肯定してくれる自分」こそが彼女のすべてになってしまったのだ。

 

「まふゆ、聞いてくれ。俺は……」

 

 俺は、震える声で紡ぎ出す。

 ここで優しく甘やかしてはいけない。

 依存を解くための、第1歩を踏み出さなければ。

 

「俺は、いつまでも君の隣にいられるわけじゃない。君は、自分で……自分自身の足で歩けるように、ならないと……」

 

 それは、正論だ。

 だが、俺が一番、言ってはいけない言葉でもあった。

 

 瞬間、周囲の温度が数度下がったような気がした。

 まふゆの指に込められる力が異常なほど強くなり、俺の袖がミシリと嫌な音を立てる。

 

「……なに、それ」

 

 まふゆの瞳から、完全に光(ハイライト)が消え失せた。

 

「君が、言ってくれたのに。私のこと、全部受け止めるって。私が『私』でいられるのは、君が隣にいてくれる時だけなのに……それを、奪うの?」

 

「違う! そういう意味じゃなくて、君には君の世界が――」

 

「私に世界なんてない。君がいない世界なんて、全部消えてしまえばいい」

 

 狂気。

 まさにその言葉が相応しい眼差しで、まふゆは俺の胸ぐらを掴むようにして顔を近づけてきた。

 甘いシャンプーの香りと共に、彼女の冷たい吐息が首筋にかかる。

 

「どこにも行かないで。私の隣で、ずっと私を見ていて。……ねえ、そうしてくれるよね?」

 

 逃げられない。

 言葉の通じないバッドエンド直前のイベントスチルを見せられているような絶望感。

 俺は自分が作り出した『依存という名の怪物』の恐ろしさを、身をもって思い知らされていた。

 

 どうすればいい? 

 無理やり引き剥がせば、彼女の心は完全に壊れる。

 かと言って肯定すれば、一生この泥沼から抜け出せない。

 

 頭をフル回転させ、必死に言葉を探していた、その時。

 

「――見つけた」

 

 夕闇の迫る通学路に、もう一つ、ひどく掠れた声が響いた。

 俺とまふゆは同時に声のした方へ視線を向ける。

 

 そこに立っていたのは、足元がおぼつかない様子でフラフラと歩いてきた、ジャージ姿の少女だった。

 足首まで届くような長い銀髪。病的なまでに白い肌。

 

 宵崎 奏

 基本的に引きこもりであるはずの彼女が、息を切らしながら、俺たちの方へと歩み寄ってくる。

 

「か、奏……!? なんで外に……」

 

「……君が、ずっと返事してくれないから。……探しに、来たの」

 

 奏は、まふゆが俺の袖を強く握りしめているのを見て、ピタリと足を止めた。

 その青い瞳が、すっと細められる。

 

「……まふゆ。どうして、君が彼に触れているの?」

 

「……それはこちらのセリフ。彼は、私のものよ」

 

 まふゆの声もまた、零下まで冷え込んでいた。

 バチバチと、目に見えない火花が2人の間で散っているのが分かる。

 

 奏の才能と曲作りに無責任に寄り添い、「俺が君の曲の最初のリスナーであり続ける」と誓ってしまった、あの日の記憶。

 奏にとっての俺は、曲を作り続けるための『唯一の動機(エンジン)』になってしまっていた。

 

 俺を中心にして、2人の激重ヒロインが睨み合っている。

 神山高校の裏門は、今や完全に地獄の最前線と化していた。

 

(あ、終わったわこれ)

 

 俺は心の中で、ミクとリンに泣きついた。

 平和な日常を取り戻すためのバッドエンド回避RTAは、開始わずか数分で、俺の処理能力を遥かに超える大修羅場へと突入していた。

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