プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件   作:雨風 時雨

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第4話

 夕陽が沈みかけ、周囲の景色が徐々に藍色へと沈んでいく逢魔が時。

 

 普段なら生徒たちの笑い声や部活動の掛け声が聞こえてくるはずのこの場所は今、完全な真空地帯と化していた。

 

 俺の右腕の袖を、白魚のような指で強く、絶対に逃がさないとばかりに握りしめている朝比奈まふゆ。

 

 そして俺の正面に立ち、息を切らしながらも、すがるような瞳でこちらを見つめている宵崎奏。

 

「……まふゆ。どうして、君が彼に触れているの」

 

 奏のひどく掠れた声が、夕闇の空気に溶け込む。

 

 普段は引きこもりで、パソコンの前から動くことすら稀な彼女が、わざわざ俺を探して他校の裏門までやってきた。

 

 その事実だけでも異常事態だというのに、彼女の瞳に宿る執念は、普段の儚げな姿からは想像もつかないほどに重く、昏かった。

 

「……それはこちらのセリフ。彼は、私のものよ」

 

 対するまふゆの声は、氷のように冷徹だった。

 彼女の顔には、学校で見せる「優等生」の仮面は微塵もない。

 

 一切の感情を削ぎ落とした、虚ろで、底なし沼のような瞳。

 彼女にとって今の俺は、自らの自我を繋ぎ止めるための『唯一の命綱』なのだ。

 

 それを横取りしようとする存在への、静かな、しかし確かな敵意。

 

(ちょっと待て……これ、どうすればいいんだ)

 

 俺は2人の間で完全に硬直していた。

 胃がキリキリと痛み、背中を冷や汗が滝のように流れていく。

 

 この2人は、俺の愛したゲーム『プロジェクトセカイ』において、同じ音楽サークル『25時、ナイトコードで。』のメンバーだ。

 

 本来であれば、奏の曲がまふゆを救い、まふゆの存在が奏の曲作りの理由になるという、尊くも危うい共依存関係にあるはずなのだ。

 

 だが、現実はどうだ。

 その共依存の間に『俺』という猛毒が入り込んでしまったせいで、2人の関係性は完全にバグを起こしている。

 

 奏は「俺」がいなければ曲を作れないと信じ込み、まふゆは「俺」がいなければ自分の感情を保てないと思い込んでいる。

 

 結果として、彼女たちのベクトルは互いへ向かず、1点集中で俺へと突き刺さっているのだ。

 

 俺は必死に頭をフル回転させた。

 ここで疑問が生じる。

 

 ――記憶を取り戻す前の『無自覚だった俺』は、一体どうやってこの致死量の修羅場を凌いでいたんだ?

 

 だってそうだ。俺がこの2人を依存させたのは、今日や昨日の話ではない。

 数か月、あるいは年単位で徐々にフラグを建築し続けてきたはずだ。

 

 その過程で、この2人が鉢合わせる機会なんていくらでもあったはずじゃないか。

 その時、俺はどうやって破滅(バッドエンド)を回避していた?

 

 俺は、先ほど『Untitled』をタップして蘇ったばかりの、過去の記憶の引き出しを乱暴に漁った。

 

 ……あった。数か月前。

 俺とまふゆが一緒にいるところに、偶然にも買い出しに出た奏が遭遇してしまった時の記憶。

 

 あの時、今のまふゆと同じように虚ろな瞳で奏を牽制した彼女に対し、記憶を取り戻す前の『俺』は、驚くべき行動に出ていた。

 

『――2人とも、そんな悲しい顔をしないで』

 

 記憶の中の俺は、一切の悪気も、下心もない、純度100パーセントの『聖母のような微笑み』を浮かべていた。

 

 そして、あろうことか、まふゆと奏の両肩を同時に抱き寄せ、こう言い放ったのだ。

 

『まふゆには俺が必要でしょ? そして、奏にも俺が必要だ。だったら、選ぶ必要なんてない。俺は、君たち2人とも絶対に1人にしない。まふゆの心を満たすために奏の曲が必要だし、奏の曲を届けるためには俺がまふゆの隣にいなきゃいけないんだから。……ね? 3人で、一緒にいよう』

 

「――――ッ!!?」

 

 現在に戻ってきた俺は、危うく自らの舌を噛み切りそうになった。

 

(頭おかしいだろ過去の俺ェェェェ!!!!!)

 

 なんだその狂気の全肯定論理は!?

 一見すると2人を気遣っているように見えて、その実、2人とも『俺』という鎖で繋ぎ止めた上で、「俺がいないとあなたたちはダメなんだよ」という呪いをさらに強固にコーティングしているだけじゃないか!

 

 しかも、一切の打算なく、本気で彼女たちを救おうと思って放った言葉だからこそ、タチが悪い。

 

 彼女たちからすれば、「彼は私のすべてを受け入れてくれた上で、もう1人も救おうとしている慈愛の化身」にしか見えなかったはずだ。

 

 だからこそ、この綱渡りのような三角関係が今日まで奇跡的に維持されていたのだ。

 

 だが、今の俺は違う。

 前世のゲーム知識と、オタクとしての真っ当な倫理観(と保身の念)を取り戻してしまった、ただの男子高校生だ。

 

 あんなサイコパスまがいの狂気ムーブ、正気に戻った今の俺にできるわけがない。

 

 もし今、同じように2人を抱きしめて「3人でいよう」なんて言えば、俺自身の精神が耐えきれずに発狂するか、あるいは彼女たちの依存が限界を突破して俺を監禁しにかかるかの2択だ。

 

「……ねえ、まふゆ」

 

 俺が過去の自分の所業に絶望している間にも、現実の修羅場は進行していた。

 

 奏が、1歩だけ前に出る。

 彼女の細い腕が震えているのが分かった。

 

「あなたの苦しみは、分かってるつもり。……でも、彼だけは譲れない。彼がいなくなったら、私はもう、誰を救う曲も作れなくなる。私の世界から、音が消えてしまうの。……それだけは、ダメなの」

 

「……」

 

「だから、彼を返して」

 

 奏の懇願。

 それは、文字通り彼女の生存本能からの叫びだった。

 

 しかし、まふゆはその言葉を聞いても、表情1つ変えなかった。

 ただ、俺の袖を掴む力をさらに強め、冷たい声で返す。

 

「……奏。あなたの曲には、確かに救われている。……でも、それは『彼』がいるから、聴こえるだけ」

 

「……え」

 

「彼がいないと、私は息の仕方も分からなくなる。味がしない。音が聞こえない。……自分が生きているのかどうかも、分からなくなるの。だから、彼を渡すことはできない」

 

 まふゆは、そう言って俺の腕にすり寄るように身体を密着させた。

 

 彼女の体温が制服越しに伝わってくるが、俺の背筋は凍りつく一方だった。

 

(ダメだ。これ以上2人に会話させたら、取り返しのつかないことになる!)

 

 彼女たちは今、互いの存在を否定し合っているわけではない。

 互いの苦しみを理解し合っているからこそ、「それでも私には彼が必要だ」という地獄のようなマウントの取り合いをしているのだ。

 

 依存の脱却。

 ミクが言った、平和を取り戻すための唯一の手段。

 

 俺は、震える足に力を込め、口を開いた。

 

「……2人とも、やめてくれ」

 

 俺の声は、自分でも驚くほど低く、掠れていた。

 まふゆと奏の視線が、同時に俺へと向く。

 

 俺は、まふゆの指を、ゆっくりと、しかし強い力で引き剥がした。

 

「……え」

 

 まふゆが、信じられないものを見るような声を漏らす。

 俺は彼女から1歩距離を取り、そして、すがるような目を向ける奏からも目を逸らした。

 

「俺は、君たちの『すべて』にはなれない」

 

 心臓が早鐘を打つ。

 彼女たちを突き放すことが、どれほど残酷なことか分かっている。

 

 前世で彼女たちのストーリーを読み、涙を流した俺にとって、自らの手で推しを傷つける行為は、魂を削られるような苦痛だった。

 

 だが、ここで甘やかせば、彼女たちは永遠に俺という『代用品』に縋り続けることになる。

 

「まふゆ。君は、自分の本当の気持ちを、自分自身で見つけなきゃいけない。俺に依存して、俺の言葉を自分の感情の代わりにしているうちは……君は、永遠に空っぽのままだ」

 

 まふゆの肩が、ビクンと跳ねた。

 虚ろだった瞳に、初めて『動揺』という色が浮かぶ。

 

「奏。俺がいなきゃ曲が作れないなんて、嘘だ。君の曲は、君自身の想いから生まれるものだ。俺が君の才能の理由になっちゃいけない。君は、自分の力で誰かを救えるんだ」

 

 奏の目が見開かれ、彼女は自分の胸をギュッと掴んだ。

 

 言った。言ってしまった。

 これは、ゲームの主人公なら絶対に選ばない選択肢。

 

 ヒロインの好感度を急降下させ、最悪のバッドエンドへと直行する、最も冷酷な『正論』だ。

 

 だが、この狂った依存関係をリセットするには、一度この劇薬を注射するしかなかった。

 

 沈黙が降りた。

 風の音さえも消え失せたかのような、完璧な静寂。

 

 俺は、2人がどう出るか、息を殺して待ち構えた。

 泣き崩れるか。怒り狂うか。あるいは、完全に心を閉ざしてしまうか。

 

 ……しかし、俺の予想は、またしても甘かった。

 

「……ふ、ふふっ」

 

 最初に沈黙を破ったのは、まふゆだった。

 彼女はうつむいたまま、喉の奥で小さく笑い声を漏らした。

 

 そして、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……そうだよね。君は、いつも正しい。私の空っぽなところを、全部見透かしている」

 

 まふゆの瞳には、先ほどまでの動揺は消え去っていた。

 代わりにそこにあったのは、熱に浮かされたような、狂信的な光だった。

 

「だからこそ……君を手放しちゃいけないんだ。君だけが、私の醜いところも、空っぽなところも、全部知ってくれている。私を突き放そうとするその優しさすら……愛おしいよ」

 

「……は」

 

「君が私を嫌いになっても、構わない。私が君を離さないから。……絶対に」

 

 背筋に悪寒が走った。

 依存が解けるどころか、俺の『正論』すらも「彼女を深く理解している証拠」として脳内変換され、執着の度合いが一段階引き上げられてしまったのだ。

 

「待って、まふゆ。彼を独り占めしようとしないで」

 

 さらに、奏がふらつく足取りで1歩前へ出た。

 彼女もまた、俺の言葉に傷つくどころか、どこか恍惚とした表情を浮かべていた。

 

「私の曲は、私自身の想いから生まれる……。君は、そう信じてくれているんだね。私の才能を、誰よりも信じてくれている」

 

「違う! そういう意味で言ったんじゃ……!」

 

「君がそこまで言ってくれるなら……私はもっと、もっと君のためだけに曲を作る。君が私から離れられなくなるような、世界で一番の曲を。……だから、見捨てないで」

 

 ダメだ。

 言葉が通じない。

 

 俺の放った『自立を促す正論』は、無自覚タラシだった過去の俺が作り上げた『絶対的な信頼感』というフィルターを通すことで、すべて『俺からの極上の愛情表現』へと変換されてしまっているのだ。

 

 難易度激ムズどころの話ではない。

 これはもはや、バグでクリア条件が消失したクソゲーだ。

 

「……2人とも、今日は帰ってくれ。俺は、もう……頭が痛いんだ」

 

 俺は半ば逃亡するように背を向けた。

 これ以上ここにいれば、本当に物理的に監禁されかねない。

 

 まふゆと奏は、俺を追いかけようと1歩踏み出したが、互いの存在が牽制になり、その場に立ち尽くした。

 

「……明日の朝、迎えに行くから。絶対に、待っていてね」

 

 背後から投げかけられたまふゆの言葉に、俺は返事をすることなく、逃げるように走り出した。

 

 神山高校の裏門から遠ざかり、ようやく息を整えたのは、駅前の大きな交差点に差し掛かった頃だった。

 

 夕闇はすっかり夜の帳へと変わり、街頭のネオンがチカチカと瞬いている。

 

「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」

 

 膝に手をつき、荒い息を吐く。

 なんとか最初の修羅場は凌いだ(凌げていないかもしれないが、少なくとも物理的な拘束は免れた)。

 

 だが、これはまだ序の口だ。

 俺がフラグを乱立させたヒロインは、彼女たちだけではないのだから。

 

 震える手でポケットからスマホを取り出す。

 画面には、未だに数10件の未読通知が溜まっていた。

 

 そして、その中で一番上に表示されたメッセージを見て、俺の心臓は再び急降下した。

 

『今日、合同委員会の仕事で遅くなるって言ってましたよね? ……もう、終わりましたか? 私、ずっと待ってるんですけど』

 

 送信者:小豆沢こはね。

 

 俺は天を仰いだ。

 

 神山高校と宮益坂女子学園が合同で行っている、地域の音楽イベントの実行委員会。

 そういえば今日、俺とこはねはその集まりに参加する予定だったのだ。

 

 さらに言えば、こはねが絡むということは、彼女の相棒であり、俺に対して並々ならぬ敵意(あるいは別の感情)を抱いているであろう白石杏の存在も忘れてはならない。

 

「……嘘だろ。まさか、合同委員会の会議室の前で待ってるのか……?」

 

 俺はさっき、学校から逃げ出してきたばかりだ。

 もし、彼女がまだ神山高校の校内にいるのだとしたら。

 

 そして、俺が委員会の仕事をすっぽかして逃げ帰ったことを知ったら、どうなる?

 

 スマホの画面が、無機質に光る。

 俺の『平和な日常』を取り戻すための戦いは、まだ始まったばかり――いや、むしろ絶望の底へ向かって、絶賛加速中だった。




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