プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件 作:雨風 時雨
神山高校の図書室前で白石杏から明確な『宣戦布告(殺意)』を叩きつけられ、こはねの激重な擁護によってさらに退路を断たれた俺は、這うようにして夜の校舎を抜け出した。
時刻はとうに夜の8時を回っている。
まふゆと奏の凍てつく修羅場。こはねと杏の泥沼ユニット崩壊劇。
たった1日の放課後で、俺の
「……帰ろう。とにかく、家に帰って寝るんだ。そうすれば、明日は少しはマシな世界線に……なるわけないよな、クソッ」
夜道を歩きながら、俺は力なく項垂れた。
ミクが提示した『彼女たちを自立させる』というクリア条件。それは、言葉で言うほど簡単なものではないと思い知らされた。
前世のゲーム知識で彼女たちの弱点を知っているが故に、俺の放つ『正論』は、彼女たちの心の最も深い部分に突き刺さってしまう。
そして、過去の俺が築き上げた『絶対的な信頼』というフィルターを通ることで、突き放す言葉すらも「こんなに私のことを見てくれている」という狂信的な愛情へと変換されてしまうのだ。
(これ、詰みじゃないか……?)
ポケットの中で、再びスマホが震えた。
画面を見るのが心底恐ろしかったが、無視すれば後でどんな恐ろしい報復が待っているか分からない。薄目で画面を確認する。
『ねえ! 今日、お弁当作ってきたって言ったのに、どこにいたの!?(花里みのり)』
『……みのりがずっと探してたわよ。明日はちゃんと彼女の顔を見てあげなさい。もちろん、私の顔もね(桐谷遥)』
俺は音を立ててスマホの電源を切った。
そうだ、俺は今日、みのりが俺のために作ってきてくれた愛妻弁当(という名の地雷)から逃亡するために、昼休みを男子トイレの個室で過ごしたのだった。
結果として、彼女たちのヘイトと執着をさらに溜め込むことになってしまったらしい。
(明日はモモジャンのターンか……。もう嫌だ、転生なんてするんじゃなかった。妄想は妄想で、ただ家でプロセカのガチャを回してるだけのオタクに戻りたい……)
重い足取りで、見慣れた住宅街を歩く。
俺の家は、両親が共働きで帰りが遅く、基本的には1人暮らしのような状態だ。
暗い夜道の中で、我が家のアパートが見えてきた。
「……あれ?」
俺は、足を止めた。
真っ暗であるはずの俺の部屋の窓から、ぽうっと温かなオレンジ色の明かりが漏れている。
泥棒か? いや、泥棒が堂々と電気をつけるわけがない。
親が早く帰ってきたのだろうか。それにしては、事前に何の連絡もないのはおかしい。
嫌な予感が、背筋を這い上がった。俺は警戒しながら階段を上り、自宅の玄関のドアノブに手をかけた。
鍵は――開いている。
そっとドアを押し開けると、廊下の奥から、ふわりと良い匂いが漂ってきた。
出汁の効いた味噌汁の匂い。そして、肉を炒める香ばしい音。
そのひどく家庭的で平和な光景とは裏腹に、俺の心臓は警鐘をガンガンと鳴らしていた。
「――あ! おかえりなさいっ!」
リビングの扉が開き、パタパタと小走りで駆け寄ってくる足音。
現れたのは、淡いピンク色のフリルがついたエプロンを身につけた、太陽のように明るい金髪にピンクのメッシュを入れた少女。
「もー、遅いよ! ご飯、冷めちゃいそうだったんだからね!」
天馬咲希。
幼なじみユニット『Leo/need』のキーボード担当であり、神代類にも負けない明るさと元気を持つ、ヒマワリのような少女。
彼女は、まるで新婚の妻のような満面の笑みで、俺を出迎えたのだった。
「さ、咲希……!? なんで、お前が俺の家に……」
「なんでって、合鍵持ってるもん! はいこれ、前にもらったスペアキー!」
咲希は悪びれる様子もなく、エプロンのポケットから銀色の鍵を取り出してチャラチャラと揺らした。
(俺ェェェェ!! お前、女子高生に自宅の合鍵渡してんのかよ!!)
過去の自分のガバガバすぎるセキュリティ意識(という名のフラグ建築)に、俺はまたしても脳内で絶叫した。
どう考えてもアウトだ。親のいない男子高校生の部屋に、他校の女子生徒が合鍵で入り浸って晩ご飯を作っている。こんなの、客観的に見れば完全に付き合っている男女のそれである。
「ほらほら、早く靴脱いで! 今日はね、キミの好きな生姜焼きにしたんだから! いっぱい食べて、今日の疲れをとってね!」
咲希は俺の腕を引っ張り、強引にリビングへと連れ込んだ。
テーブルの上には、2人分の完璧な夕食が並べられている。
彼女の笑顔は、まふゆや奏のような分かりやすい『闇』はない。一見すれば、ただの明るくて家庭的な、最高の幼なじみヒロインだ。
だが、前世の記憶を取り戻した今の俺には分かる。
彼女のこの『完璧な笑顔』の裏に隠された、底なし沼のような依存の重さが。
――天馬咲希は、幼い頃から病弱で、病院のベッドの上で青春の大部分を過ごしてきた。
彼女にとっての最大のトラウマは「自分だけが置いていかれること」。そして「大切な幼なじみたち(一歌、志歩、穂波)の絆が壊れてしまうこと」だ。
本来のゲームの歴史なら、彼女は自らの明るさと強さで幼なじみたちを再び結集させ、バンドとして青春を取り戻していくはずだった。
だが、現世の『無自覚だった俺』は、彼女が退院直後、幼なじみたちの距離感に絶望し、再び孤独の淵に立たされていた時に、最悪の『特効薬』を処方してしまったのだ。
『――咲希。もし、みんなが変わってしまって、君の居場所がなくなったとしても……俺だけは、絶対に変わらないよ。俺が、君の失われた青春を全部取り戻してやる。……君が寂しい時は、俺がいつだって君の特別な場所になるから』
病み上がりの、最も心が弱っていた少女に対する、完全な『精神的包囲網』。
俺は、彼女が本当に必要としていた「幼なじみたちとの関係修復」という困難な道のりを、自らの存在でショートカットさせてしまったのだ。
結果として、咲希はLeo/needを再結成し、表面上は幼なじみたちと仲良くバンド活動をしている。
だが、彼女の心の絶対的な重心は、すでに星乃一歌でも、兄の天馬司でもなく、完全に『俺』へとすり替わってしまっているのだ。
「……咲希。お前、こんな時間まで俺の家にいて、司先輩や両親は心配してないのか」
俺は、出された麦茶を1口飲みながら、努めて冷静な声で尋ねた。
咲希は、俺の向かいの席に座り、両手で頬杖をついてニコニコと俺を見つめている。
「大丈夫だよ! お兄ちゃんには『今日は一歌ちゃんたちの家でご飯食べて帰るから遅くなる』って言ってあるし!」
「嘘ついたのかよ。……それに、一歌たちとのバンド練習はどうしたんだ? 明日、大事なスタジオ練習があるって言ってなかったか?」
俺が問い詰めると、咲希の笑顔が、ほんのわずかだけ……ピクリと動いた。
「練習は、お休みしたよ」
「休んだ? お前が?」
バンド活動(青春)を何よりも楽しみにしているはずの彼女が。
「うん。だって、今日はキミがなんだか疲れてるみたいだったから。……キミがしんどい時に、私だけ楽しむなんてできないもん。私の青春は、キミが隣にいて初めて完成するんだからねっ」
咲希は屈託のない笑顔でそう言った。
だが、その言葉の内容は異常だった。
彼女は、自らの夢であるバンド活動すらも、俺のコンディション1つで天秤にかけ、いとも簡単に捨ててみせたのだ。
「咲希、それは違うだろ」
俺は箸を置き、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
逃げちゃダメだ。彼女のこの明るい『おままごと』の裏にある依存を断ち切らなければ、彼女は永遠に本当の意味での青春を歩めない。
「お前のバンドは、お前自身のものだ。俺のために練習を休むなんて、一歌や志歩たちに対して失礼だろ。俺はお前がいなくても1人でご飯くらい食べられる。……お前は、もっと自分の居場所を大切にしろよ」
突き放す言葉。
まふゆや奏、こはねに言った時と同じ、彼女を俺から切り離すための正論。
咲希は、ぽかんと口を開けたまま、俺の顔を見つめていた。
やがて、彼女はゆっくりと立ち上がり、テーブルを回り込んで、俺の隣へとやってきた。
「……キミって、本当に優しいね」
咲希の細い腕が、俺の首元にふわりと回される。
背後から抱きしめられる形になり、彼女の柔らかい身体の感触と、甘い花の香りが俺の全身を包み込んだ。
「えっ……咲希?」
「一歌ちゃんたちのことまで気にかけてくれて。私の負担にならないように、わざと冷たいこと言ってくれてるんでしょ? そういう不器用なところ、昔から全然変わらないなぁ」
(違う、違う違う違う!!)
俺は内心で絶叫した。
まただ。またしても俺の意図は、過去の俺が築き上げた『絶対的信頼フィルター』によって、すべて彼女への深い愛情と思いやりとして翻訳されてしまっている!
「でもね、ダメだよ」
咲希の声が、耳元で甘く、そしてひどく重く響いた。
「私は、キミがいないとダメなの。病院の真っ白な天井だけを見てたあの頃……私を暗闇から引っ張り出してくれたのは、お兄ちゃんでも、一歌ちゃんたちでもない。キミだったんだよ?」
「っ……」
「だから、私から離れようとしないで。……私、キミが他の女の子のところに行っちゃうかもって思うと、胸の奥がギュッて痛くなって……また、あの病院のベッドに戻されちゃうみたいな気がして、息ができなくなるの」
それは、彼女の
『私を突き放せば、私は再び病に伏せてしまうかもしれない』
そんな呪いをかけられて、どうして彼女を無理やり引き剥がせるだろうか。
「……咲希。俺は……」
「ねえ、約束して?」
咲希は、俺の前に回り込み、その大きな瞳で俺を見つめ上げた。
普段の明るい光はそこにはなく、ただ一途で、狂気的なまでの独占欲がメラメラと燃えていた。
「これからも、ずっと私だけの『特別』でいてくれるって。他の誰にも、キミを渡さないって。……私、キミのためなら何だってするよ。キミが望むなら、バンドだって、学校だって……」
「やめろ!!」
俺はたまらず、叫んでいた。
咲希の肩を掴み、真っ直ぐに彼女を見据える。
「それ以上言うな。……お前が自分の大事なものを捨てるなんて、俺は絶対に望んでない。お前のその笑顔は、俺のためだけのものじゃないはずだ」
俺の悲痛な叫びに、咲希は目を丸くした。
少しだけ、彼女の瞳に理性の光が戻ったように見えた。
「……そっか。キミは、私がみんなと笑ってるのが好きなんだね」
咲希は、ふにゃりと柔らかく笑った。
「分かった。じゃあ、バンドも学校も、ちゃんと頑張る! キミが安心してくれるように、最高の私でいるね!」
「あ、ああ。そうしてくれ……」
俺が安堵の息を吐きかけた、次の瞬間だった。
「その代わり――」
咲希の指が、俺の唇にそっと触れた。
「キミの『1番』は、絶対に私にちょうだいね。もし、他の女の子がキミに近づいたら……私、その子たちのこと、どうしちゃうか分からないから」
ぞわり、と全身の産毛が逆立った。
太陽のように明るい金髪の少女が浮かべた、氷のように冷たく、そして狂おしいほどの愛に満ちた笑顔。
彼女は、俺のために『良い子』を演じることを決めた。俺が他の女に目を向けないという、絶対の条件付きで。
「ほら、ご飯冷めちゃったから、温め直すね! 今日もいっしょに、美味しいご飯食べよっ!」
咲希は弾むような足取りでキッチンへと戻っていく。
リビングには、彼女が口ずさむLeo/needの明るい楽曲のメロディが響き渡っている。
だが、今の俺にとって、それは処刑台に向かうための行進曲にしか聞こえなかった。
俺は、椅子に深く腰掛け、両手で顔を覆った。
外の世界には、まふゆ、奏、こはね、杏が殺意と依存を剥き出しにして俺を狙っている。
そして、唯一の安全地帯であるはずの自宅には、逃げ場のない手料理と笑顔で俺を縛り付ける、激重な幼なじみが陣取っている。
俺の『平和な日常』を取り戻すための戦い。
それは、もはや平和どころか、俺の精神が物理的に崩壊するまでのタイムリミットを刻む、デスゲームへと変貌していたのだった。