プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件   作:雨風 時雨

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第7話

 翌朝。

 俺は、鉛のように重い身体を引きずって、自宅の玄関を出た。

 昨夜の出来事は、思い出すだけでも胃液が逆流しそうになる。

 

 俺の自宅で完璧な『おままごと』を演じ切った天馬咲希は、俺がなんとか宥めすかして終電前に家に帰らせた。

 もちろん、その際も「明日の夜も来ていい?」という強烈な圧をかけられたが、必死に誤魔化した。

 

 だが、彼女が去った後のテーブルには、綺麗に洗われた食器と共に、可愛らしい文字で書かれた置き手紙が残されていたのだ。

 

『キミの胃袋は、これから毎日私が満たしてあげるからね! 他の女の子のものなんて、絶対に口にしちゃダメだよ? ――キミの【一番】より♡』

 

 それは、ただの幼なじみからのメッセージではない。

 明確な『マーキング』であり、他のヒロインたちに対する宣戦布告だった。

 

「……ハハッ、今日一日、生き残れる気がしねえ……」

 

 乾いた笑いを漏らしながら、通学路を歩く。

 咲希の牽制がある以上、俺は今日、迂闊に他の女からの施しを受け取るわけにはいかない。

 

 もし咲希の耳に入れば、彼女の『太陽のような笑顔』がどう歪むか、想像するだけで寿命が縮む。

 だが、運命という名のデスゲームは、プレイヤーの都合など一切考慮してくれない。

 

 神山高校の最寄り駅。

 改札を抜け、多くの生徒が行き交う駅前の広場に出た瞬間だった。

 

「――あ! 見ーっけ!」

 

 パッと花が咲くような、明るく弾ける声。

 その瞬間、周囲を歩いていた他校の男子生徒たちが、吸い寄せられるように声の主へと視線を向けた。

 

 無理もない。そこに立っていたのは、宮益坂女子学園の制服に身を包んだ、目を奪われるほど可憐な少女だったからだ。

 

 明るい茶色のショートヘア。少しドジっぽいが、誰からも愛される天性のアイドルオーラ。

 花里みのり。

 

 彼女は、俺の姿を視界に捉えるなり、満面の笑みで小走りに駆け寄ってきた。

 その手には、可愛らしいピンク色のつつみに包まれた『お弁当箱』がしっかりと握られている。

 

(うわあああああああ出たァァァ!!)

 

 俺は心の中で絶叫し、反射的に踵を返して逃げようとした。

 だが、遅かった。

 

「おはよう! 昨日はどこに行ってたの? お昼休み、ずっと探したんだよ?」

 

 みのりは、俺の正面にサッと回り込み、逃げ道を塞いだ。

 周囲の男子たちから「おい、あの子めちゃくちゃ可愛くないか?」「彼氏かよ、いいなぁ……」という嫉妬の視線が突き刺さる。

 

 だが、俺に言わせれば「お前ら代わってくれ、命の危険があるんだよ」という切実な悲鳴しかなかった。

 

「お、おはようみのり……。昨日はちょっと、急用があって……」

 

「そっかぁ、急用なら仕方ないね! でも大丈夫、私、諦めないから!」

 

 みのりは、胸を張ってえっへんと笑った。

 

「昨日のお弁当はダメになっちゃったから、今日の朝、もう1回作り直してきたの! だから、今日こそ一緒に食べよ!」

 

 差し出されるピンク色のつつみ。

 咲希の『他の女の子のものなんて口にしちゃダメ』という呪縛が、俺の脳裏をよぎる。

 これを物理的に受け取れば、俺は咲希の地雷を踏み抜くことになる。

 

「あ、いや……本当に気持ちは嬉しいんだけど、今日はちょっと、購買でパンを買おうかなって……」

 

 俺がやんわりと断ろうとした、その時。

 みのりの笑顔が、ピタ、と静止した。

 本当に、映像のポーズボタンを押したかのように、頬の筋肉の動き一つすら完全に止まったのだ。

 

「……え?」

 

 みのりの瞳から、スゥッと光が消えていく。

 

「……また、いらないの?」

 

「いや、いらないんじゃなくて! その、俺なんかのために、アイドルのお前がそこまでしてくれるのは申し訳ないというか……」

 

「アイドル?」

 

 みのりが、コテンと首を傾げる。

 その仕草はアイドルのように可愛いが、彼女から放たれる気迫は、完全に獲物を追い詰める肉食獣のそれだった。

 

「私がアイドルでいられるのは、キミが『私だけのファンでいてくれる』って約束してくれたからだよ?」

 

 ――ズキリ。

 またしても、過去の『無自覚だった俺』の特大のやらかしが、脳裏にフラッシュバックした。

 

 あれは、みのりが何度オーディションに落ちても諦めず、それでも心が折れかけて一人で泣いていた日のこと。

 前世の俺は、彼女のひたむきな努力を知っていた。

 

 だからこそ、泣いている彼女を励ますために、致命的な言葉を投げかけてしまったのだ。

 

『――世界中がみのりを不合格にしても、俺だけは絶対にみのりから目を離さない。俺がお前の、世界で最初の【専属ファン】になってやる。だから……俺のために、笑ってよ』

 

(何が専属ファンだ俺のバカヤロウ!!)

 

 彼女が欲しかったのは、「誰かに希望を届けるためのアイドル」という夢だったはずだ。

 だが、俺のその言葉のせいで、彼女のアイドルの定義は完全に狂ってしまった。

 

『みんなに希望を届けるアイドル』ではなく、『たった一人の専属ファン(俺)に笑顔を向けるためだけの偶像』へ。

 

「ねえ、なんで受け取ってくれないの?」

 

「っ……」

 

「私のお弁当じゃ、ダメ? 私の笑顔じゃ、キミの心を満たせない? ……それなら、私、今日でアイドル辞めるね」

 

 ニコリと。

 底抜けに明るい笑顔のまま、みのりは自らの夢を人質に取った。

 

「お、おい! 辞めるって、そんな簡単に……!」

 

「だって、私のたった一人のファンが私を見てくれないなら、歌って踊る意味なんてないもん! アイドル辞めて、キミの隣にずっといられる普通の女の子になるよ。そっちの方が、キミも嬉しいでしょ?」

 

 逃げ場のない狂信。

 

 「希望を届ける(MORE MORE JUMP!)」という本来のコンセプトが、俺への「重すぎる自己犠牲(MORE MORE 重い!)」へとすり替わっている。

 

「……みのりを悲しませるなんて、感心しないわね」

 

 背後から、凛とした、だが絶対零度の声が響いた。

 振り返ると、そこにはもう一人の少女が立っていた。

 

 透き通るような青い髪。誰もが振り返るほどの洗練された美貌と、完璧なプロポーション。

 元・国民的アイドルにして、現在もその圧倒的なカリスマで周囲を支配する少女――桐谷遥。

 

「は、遥……」

 

「おはよう。……随分と、私たちの『希望』を蔑ろにしてくれているみたいね」

 

 遥は、俺の隣に並び立つと、ジロリと俺を睨みつけた。

 彼女の瞳には、かつての仲間を傷つけてしまったというトラウマを乗り越えた強さがある。

 

 だが、その『強さ』のベクトルが、今は完全に俺の『管理』へと向けられていた。

 

 過去の俺の罪。

 トラウマに苦しみ、アイドルを辞めてしまった遥に対し、俺は無責任にもこう囁いたのだ。

 

『――背負いすぎなくていいんだよ。お前が誰かの希望になれなくて苦しいなら、その苦しみごと、俺が背負ってやる。……お前は、ただ俺の前でだけ、素顔の遥でいればいい』

 

 結果。遥は俺への依存を『アイドルとしての完璧な自己管理能力』でコーティングし、俺という存在を自分のプロデュース対象(所有物)として認識してしまった。

 

「遥ちゃん! 聞いてよ、この人、また私のお弁当受け取ってくれないの!」

 

「そう。……昨日、私たちの前から逃げ出して、他の女のところに行っていた報いを受けさせる必要があるわね」

 

 遥は、スッと俺の顔の前にスマホを突き出した。

 そこには、俺の今日の時間割と、放課後の行動予定らしきものが、分刻みでびっしりと書き込まれていた。

 

「えっ……なんだこれ、俺のスケジュール……?」

 

「あなたの交友関係、委員会の時間、帰宅ルート。すべて私が完璧に管理(プロデュース)してあげる。そうすれば、昨日みたいに、どこの馬の骨とも分からない女に誑かされることもなくなるわ」

 

 遥は、一切の悪びれる様子もなく、当然の権利のように言い放った。

 ストーカーだ。完璧に洗練された、アイドル流のストーキングである。

 

「遥、お前……そんなことまでして、自分のアイドル活動はどうするんだよ! お前たちには、もっと広い世界で輝いてなきゃいけないんだ!」

 

 俺は必死に、ミクから教わった『依存を解くための正論』をぶつける。

 ファンを見ろ。世界を見ろ。俺という狭い世界から抜け出してくれ。

 

 だが、俺のその叫びは、二人のアイドルにはまったく届かなかった。

 

「……広い世界?」

 

 遥が、ふっと冷笑を漏らす。

 彼女は一歩踏み出し、俺のネクタイを指先でクイッと引き寄せた。

 

「私にとっては、あなたが私の世界のすべてよ。あなたが私の苦しみを背負ってくれると言ったあの日から……私のステージは、あなたの瞳の中にしかないの」

 

「遥……っ」

 

「だから、私たちを失望させないで。……私がその気になれば、世間の目を使って、あなたを『私がいなきゃ生きていけない人間』に仕立て上げることだってできるのよ?」

 

 背筋が凍った。

 遥の恐ろしいところは、その気になれば本当に社会的な力を動かせるだけのカリスマと行動力を持っていることだ。

 

 そしてみのりもまた、俺の腕にギュッと抱き着きながら、爛漫な笑顔で追撃をかける。

 

「そうだよ! 私、キミに振り向いてもらうためなら、なんだってするもん! オーディションに100回落ちても諦めなかった私だよ? キミが私を受け入れてくれるまで、毎日お弁当作って、毎日家まで行って、毎日『好き』って言い続けるからね!」

 

 絶対に折れない不屈の精神。

 それが、100%の純度で『俺へのストーキングと依存』に振り向けられている恐怖。

 

(……詰んだ。これも完全に詰んでる……!)

 

 距離を置く? 自立させる?

 そんな生易しい手段が通用する相手ではない。

 

 彼女たちは『アイドルとしての強靭なメンタル』を武器にして、俺というたった一人の観客を物理的・精神的に縛り上げに来ているのだ。

 

「さあ、受け取って」

 

 遥の静かな、しかし絶対的な命令。

 みのりが、満面の笑みでピンク色のお弁当箱を突き出してくる。

 

 これを受け取れば、俺は咲希との約束を破ることになり、今夜の自宅での夕食が地獄と化す。

 だが、受け取らなければ、今ここでみのりがアイドルを辞め、遥が俺の社会的生活を完全に包囲するだろう。

 

 まさに、逃げ場のない究極の二択(デスゲーム)

 周りの生徒たちからは「朝から両手に花で羨ましい」などという呑気な声が聞こえてくるが、俺の胃袋はすでにストレスでちぎれそうだった。

 

「……わ、わかった。もらうよ。ありがとな、みのり」

 

 俺は震える手で、お弁当箱を受け取った。

 その瞬間、みのりの顔がぱぁっと輝き、遥も満足そうに頷いた。

 

「えへへ、やったぁ! じゃあ、お昼休みにまた来るね! 絶対、一緒に食べようね!」

 

「……逃げたら、どうなるか分かっているわね? あなたのスケジュールは、私が握っているのだから」

 

 二人は、まるで勝ち誇ったように微笑み合い、そして連れ立って宮益坂女子学園の方へと歩き去っていった。

 残された俺は、手の中にあるずっしりと重い『愛(という名の爆弾)』を見つめたまま、駅前で完全に石化していた。

 

 朝比奈まふゆの、空虚な独占欲。

 宵崎奏の、生存本能に直結した依存。

 小豆沢こはねの、絶対的服従。

 白石杏の、殺意と復讐。

 天馬咲希の、笑顔の裏に隠された狂気。

 そして、花里みのりと桐谷遥の、完璧な包囲網。

 

 まだ朝の8時だというのに、俺の『平穏な日常』はすでに完膚なきまでに破壊されていた。

 

「……誰か、助けてくれ……」

 

 俺の弱々しい呟きは、朝の喧騒に呆気なく吸い込まれて消えた。

 セカイのミクが見たら、腹を抱えて笑うだろう。

 

 無自覚にばら撒いた『聖人ムーブ(救済)』の代償は、俺の想像を絶する重さとなって、俺の喉元にナイフを突き立てていたのだった。

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