プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件   作:雨風 時雨

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第8話

 神山高校に到着した俺は、朝のホームルームが始まるなり、激しい胃痛を理由にトイレへと駆け込んでいた。

 

 息を潜め、個室の鍵を閉める。そして目を閉じ、意識を深く沈め――自らの『想い』が生み出した真っ白な空間、セカイへと逃げ込んだ。

 

「……はぁ。また来たの?」

 

 白い空間の中央に置かれたカフェテーブル。そこで優雅にティーカップを傾けていた初音ミクが、心底呆れたような視線を俺に向けた。

 

 その向かい側では、鏡音リンが腹を抱えて笑い転げている。

 

「あははははっ! 見た見た!? 朝の駅前のヤバい修羅場! アイドル2人に挟まれて、逃げ場なくお弁当押し付けられてたね! ウケる!」

 

「笑い事じゃない……! 俺は本気で命の危機を感じてるんだぞ!」

 

 俺はテーブルに両手をつき、ミクに向かって泣きついた。

 

「なあミク! どうすればいい!? 俺の手元には今、みのりから渡された愛妻(?)弁当がある。でも、昨日の夜、俺は咲希から『他の女の子のものは食べないで』って釘を刺されてるんだ! もし俺がこの弁当を食べてるのを咲希に見られたら、俺の命はないし、みのりに返せば彼女はアイドルを辞める! 詰んでるだろこれ!」

 

 俺の悲痛な叫びに、ミクはコトリとティーカップを置き、冷ややかな瞳で俺を見据えた。

 

「だから言ったじゃない。あなたが中途半端に彼女たちの孤独を埋めた結果がこれよ。彼女たちは、あなたという『精神安定剤』を独占するために、ありとあらゆる手段を使ってくるわ」

 

「そんな……じゃあ、俺はどうやってこの依存を解けばいいんだよ! 突き放せば『愛のムチ』として喜ばれるし、正論を言えば『私のことを一番分かってくれてる』って好感度が上がる! バグゲーだろこんなの!」

 

「……バカね」

 

 ミクは、ふうっとため息をついた。

 

「あなた、全部1人で解決しようとしてるじゃない。前世の知識があるからって、自分が彼女たちの『唯一の理解者』だとでも思ってるの?」

 

「え?」

 

「彼女たちには、本来の居場所があるはずでしょ。家族とか、ユニットの仲間とか。……あなたがその絆を上書きしちゃったのは事実だけど、その周囲の人間からアプローチして、彼女たちの目を『あなた以外』に向けさせることくらいはできるんじゃない?」

 

 ――ッ!

 

 俺は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 

(そ、そうか……!!)

 

 女の子たち(ヒロイン)の好感度がカンストしてバグっているなら、彼女たちの暴走を止めるために『まともな第三者』に助けを求めればいいのだ。

 

 神山高校には、俺の知り合いであり、彼女たちと深い関わりを持つ『まともな男たち』がいるじゃないか!

 

 例えば、こはねと杏のユニットメイトである東雲彰人。

 例えば、咲希の兄であり、シスコンの鑑である天馬司。

 

 彼らは、俺が前世でプレイしていたゲームの中でも、熱い想いと常識を持ち合わせた頼れる男たちだった。

 

 彰人に事情を話し、ビビバスの崩壊を防ぐためにこはねを説得してもらえばいい。

 司先輩に泣きついて、妹が他人の家に合鍵で上がり込んでいるという異常事態を止めさせればいい!

 

「ミク……お前、天才か!!」

 

「……あなたが愚かなだけよ。まあ、せいぜい足掻いてみなさいな」

 

 ミクの冷たいエール(?)を背に受けながら、俺は希望に満ちた顔でセカイから現実へと帰還した。

 

「……味方になるなんて一言も言ってはないんですけどね」

 

 ***

 

 1時間目の休み時間。

 俺は1階の廊下で、目当ての人物――オレンジ色のメッシュを入れた鋭い目つきの男子生徒、東雲彰人を発見した。

 

「彰人!」

 

「……あ? なんだお前か。クソッ、顔見るだけでイライラしてくんな」

 

 俺が声をかけると、彰人はあからさまに舌打ちをして、俺の胸ぐらを掴むなり、人気の少ない非常階段の踊り場へと強引に引きずり込んだ。

 

 ガンッ! と壁に押し付けられる。

 

「痛っ! な、何すんだよ!」

 

「何すんだじゃねえよ! お前、昨日うちのユニットに何しやがった!?」

 

 彰人の眼光は、本気の怒りに満ちていた。

 

「今日の朝練、最悪だったぞ。杏のヤツは般若みてえな顔してマイク握り潰しそうになってるし、こはねはこはねで『先輩が厳しいから、私もっと頑張る』とか言って、杏のこと完全にガン無視でひたすら壁に向かって歌い続けてる。……おかげで、俺と冬弥まで胃に穴が開きそうなんだよ!」

 

「そ、それだ! 彰人、聞いてくれ! 俺はこはねを自立させようとしたんだ。でも、こはねの俺への依存がヤバすぎて、杏まで俺に殺意を向けてる! お前から、2人に言ってやってくれ! 『ストリートの夢はお前ら自身のものだろ』って!」

 

 俺は必死に訴えた。

 

 彰人なら分かってくれるはずだ。伝説のイベント『RAD WEEKEND』を超えるという、彼らの熱い夢。俺みたいな部外者の男1人にユニットをかき回されるなんて、彰人が一番許せないはずなのだ。

 

 だから、彰人は絶対に俺の味方になって、こはねを引き離してくれる――そう、確信していた。

 

 だが。

 

「……は? お前がこはねを引き離す?」

 

 彰人は、信じられないものを見るような目で俺を睨んだ。

 そして、掴んでいた俺の胸ぐらをさらに強く締め上げた。

 

「ふざけんな。お前、こはねのメンタルが今、何で保たれてると思ってんだ」

 

「えっ……」

 

「あいつはな、お前に認めてもらうためだけにストリートに立ってんだよ。今、お前が完全にこはねを突き放したらどうなるか……あいつ、完全に心が折れて歌えなくなるぞ」

 

「で、でも! それじゃ杏が……!」

 

「杏の機嫌は俺と冬弥でなんとかする! だからお前は、さっさと責任取って、こはねのプロデューサー(彼氏)になれ!!」

 

 ――は?

 

 俺の頭の中が、真っ白になった。

 

「責任を取れ……? お前、正気か!? 俺とこはねがくっついたら、ビビバスはどうなるんだよ!」

 

「知るか! こはねが歌い続けて、俺たちの歌が『RAD WEEKEND』を超えるなら、お前がこはねの彼氏だろうがプロデューサーだろうがどうでもいいんだよ! 俺たちの夢を、お前のその中途半端な『突き放し』で壊されてたまるか!」

 

 彰人の目は、完全に血走っていた。

 

 彼は彼で、必死なのだ。自分の夢を叶えるために不可欠な才能(こはね)が、今まさに俺のせいで崩壊しかけている。

 

 その崩壊を防ぐための最も手っ取り早い手段が、『俺がこはねの依存を完全に受け入れること』だという狂った結論に行き着いてしまっていた。

 

「だから、お前はこはねを甘やかして、気分良く歌わせろ。……もし次、お前が変にこはねを突き放してあいつを泣かせたら、俺が直々にテメェをシメるからな」

 

 ドサッ、と壁に投げ捨てられ、彰人は苛立ちを隠せない足取りで去っていった。

 

(……ウソ、だろ?)

 

 俺はへたり込んだまま、絶望に打ち震えた。

 

 彰人は常識人だと思っていた。俺を助けてくれると思っていた。

 だが、彼の『夢に対する異常な執念』が、見事にこはねの依存を肯定する方向へと作用してしまったのだ。

 

 男友達(仮)すらも、ヒロインの依存を後押しする敵(システム)だったという事実。

 

「ま、待てよ……まだだ。まだ、あの人がいる!」

 

 俺はフラフラと立ち上がり、2階の教室へと向かった。

 

 天馬司。

 神代類と並ぶ、神山高校が誇る変人にして、咲希の兄。

 

 彼なら、いくらなんでも「妹が他人の家の合鍵を持って上がり込んでいる」という異常事態を許すはずがない。あの極度のシスコンが、そんな不純異性交遊を認めるわけがないのだ!

 

 休み時間の終わり際。

 廊下の中心で「フハハハハ!」と高笑いをしている金髪の先輩を見つけ、俺はすがるような思いで駆け寄った。

 

「司先輩!! 助けてください!!」

 

「む? おお、お前は! 我が妹がお世話になっている……いや、未来の義弟(ブラザー)ではないか!!」

 

「……はい?」

 

 俺の足が、ピタリと止まった。

 未来の、義弟?

 

 司は、周囲の生徒が振り返るのも構わず、俺の両肩をガシィッと力強く掴み、満面の笑みで俺を見下ろした。

 

「いやぁ、咲希からすべて聞いているぞ! お前が、あの病弱だった妹の心を救い、暗闇から引っ張り出してくれた光なのだとな!!」

 

「ちが……あれは、その……!」

 

「謙遜するな! 咲希は昨夜、涙ながらに俺に語ったのだ。……『彼がいないと、私、またあの冷たい病室のベッドに戻っちゃうかもしれない』と!」

 

 ゾワァッ、と全身の血の気が引いた。

 

 咲希のやつ、俺への依存を正当化するために、兄の最大のトラウマ(妹の入院)を盾にして交渉しやがったのか!

 

「司先輩、誤解です! 咲希は昨日、俺の家に合鍵で上がり込んで、ご飯まで作って……こんなの、高校生として絶対に間違ってます! 先輩からも、咲希に怒ってやってください! 『そんなに依存しちゃダメだ』って!」

 

 俺の必死の懇願。

 

 シスコンの兄なら、ここで激怒して「俺の大事な妹に何をしている!!」と俺を殴り飛ばし、咲希と俺を引き離してくれるはずだ。

 

 だが、天馬司という男の『妹への愛』は、俺の想像を遥かに超えるバグを起こしていた。

 

「――なぜ怒る必要がある?」

 

「えっ」

 

「咲希が、それほどまでに心から安心できる居場所を見つけたのだ! 兄として、これほど喜ばしいことがあるだろうか!!」

 

 司は、感動の涙を拭うような大仰なジェスチャーを見せた。

 

「あの咲希が、誰かのために手料理を振る舞い、健やかに笑っている……。その事実だけで、俺は感無量だ! お前は真に誠実な男だ。もしお前が咲希を突き放せば、咲希の心は再び病魔に侵されてしまうかもしれない……だが、お前はそれを受け入れてくれたのだろう!」

 

「受け入れてない! 俺は帰れって言ったんです!」

 

「フッ、照れるな照れるな。……安心しろ、俺は頭の固い親父たちとは違う。お前と咲希の関係は、この天馬司が全面的にバックアップしてやろう! 合鍵? 大いに結構! なんなら今度、我が家にも晩御飯を食べに来るがいい!!」

 

「……ッ!!」

 

 声が出なかった。

 

 天馬司の瞳には、一切の曇りがない。

 彼は本気で「妹の笑顔(と精神の安定)」を第一に考えた結果、「この男に妹を全力で託すのが正解」という、保護者としての最悪のルート(外堀の埋め立て)を完了させてしまっていたのだ。

 

「頼んだぞ、義弟よ! 咲希を泣かせたら、この未来のスターが許さんからな! ハァーッハッハッハ!!」

 

 高笑いを残して、司は教室へと戻っていった。

 廊下に残された俺は、魂が抜けたようにその場に崩れ落ちた。

 

 ダメだ。

 第三者に頼る作戦は、完全に大失敗だった。

 

 彰人は「夢」のためにこはねの依存を肯定し。

 司は「妹の笑顔」のために咲希の執着を全力支援する。

 

 男友達も、先輩も、誰1人として『俺の平穏な日常』を気にかけてくれる人間はいなかった。彼らにとって重要なのは、「ヒロインたちが壊れないこと」だけなのだから。

 

 ジリリリリリッ!

 

 無情にも、予鈴のチャイムが鳴り響く。

 俺は虚ろな目で、重い身体を引きずって自分の教室へと戻った。

 

 外堀は、完全に埋まった。

 もはや、この神山高校という要塞の中にすら、俺の味方は1人もいない。

 

 そして、時計の針は残酷にも進んでいく。

 午前中の授業が終われば、やってくるのは『お昼休み』だ。

 

 俺の机の横には、カバンの中に押し込まれた、花里みのり特製の『ピンク色のお弁当箱』が鎮座している。

 

(……これを食べれば、咲希の包囲網(監視)に引っかかり、確実に刺される。かといって食べずに捨てれば、みのりがアイドルを辞めて、遥が俺の社会的生活を抹殺しに来る)

 

 逃げ場のない2択。

 時限爆弾のカウントダウンは、もう残り数時間まで迫っていた。

 

「……ミク。アンタの言った通りだ。俺、どうやら完全に詰んでるみたいだよ……」

 

 ノートの端に意味のない文字を書き殴りながら、俺は1人、絶望の淵で虚しい涙を流すのだった。

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