プロセカの世界に転生したオタク、過去の俺がヒロインたちに重すぎるフラグを建てすぎていて平和な日常が戻ってこない件   作:雨風 時雨

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第9話

 キーンコーンカーンコーン。

 4時間目の終わりを告げるチャイムが、神山高校の校舎に鳴り響いた。

 

 生徒たちにとっては待ちに待った昼休みの合図だが、俺にとっては処刑台へ登るための死のファンファーレにしか聞こえなかった。

 俺は自分の机の上で、まるで不発弾でも扱うかのような手つきで、カバンから1つのつつみを取り出した。

 

 花里みのり特製、愛情(と狂信)がたっぷり詰まったピンク色のお弁当箱。

 

「……これをどうする?」

 

 俺の脳内で、緊急の対策会議が開かれる。

 

 選択肢1:食べる。

 みのりと遥の包囲網は回避できるが、昨夜「他の女の子のものは食べないで」と笑顔で脅してきた天馬咲希の地雷を木っ端微塵に踏み抜く。

 咲希の耳に入れば、今夜の夕食に毒あるいは睡眠薬が盛られる可能性すらある。

 

 選択肢2:食べずに捨てる(隠す)。

 咲希の地雷は回避できるが、遥が俺のスケジュールを完璧に管理している以上「あなたがみのりのお弁当を捨てたという報告が入ったわ」と社会的に抹殺されるリスクがある。

 みのりがアイドルを辞めるという最悪のバッドエンド直行便だ。

 

「……ッ、どっちも即死じゃねえか!!」

 

 俺は頭を抱え、机に突っ伏した。

 だが、ここで止まっているわけにはいかない。クラスメイトの視線もある。

 

 俺は意を決してピンクのつつみを抱え、教室を飛び出した。

 向かった先は、屋上。

 

 アニメやゲームにおける定番の昼食スポットであり、同時に『誰にも見られずに密会(あるいは証拠隠滅)をするための絶対領域』だ。

 屋上の重い鉄扉を押し開けると、青空と心地よい秋風が俺を出迎えた。

 

 よし、誰もいない。

 

(ここで、誰にも見られずにこの弁当をマッハで胃袋に流し込む! そして咲希には『購買のパンを食べた』と嘘をつき通す! これしかない!)

 

 俺は給水塔の陰に隠れるように座り込み、震える手でピンクのつつみを解いた。

 2段重ねの可愛らしいお弁当箱。

 

 蓋を開けると、タコさんウインナーや、俺の好物である唐揚げが綺麗に並べられていた。

 ご飯の上には海苔でデカデカと『すき♡』の文字が描かれている。

 

「重い……ッ!! 海苔の文字が物理的な質量を持って俺の胃を圧迫してくる……!」

 

 だが、背に腹は代えられない。俺は箸を割り、唐揚げに手を伸ばそうとした。

 

 ――ギィィィッ。

 

 その時。

 背後の鉄扉が、重々しい音を立てて開いた。

 

「――お兄ちゃーん! 忘れ物、届けに来たよーっ!」

 

 俺の心臓が、文字通り口から飛び出しかけた。

 太陽のように明るい声。他校であるはずの宮益坂女子学園の制服。

 

 金髪にピンクのメッシュを揺らす、俺の幼なじみ。

 天馬咲希が、そこに立っていた。

 

「さ、さささささ咲希ィィィィ!?」

 

 俺は悲鳴を上げながら、マッハの速度でお弁当箱を背中に隠した。

 なぜ、他校の生徒が昼休みにここにいる!?

 

「あ、キミだ! えへへ、お兄ちゃんが今日のお弁当箱忘れちゃったみたいで、お母さんに頼まれて届けに来たの! 宮女から走ったらすぐだったよ!」

 

 咲希は俺を見つけるなり、パァッと花が咲くような笑顔で駆け寄ってきた。

 嘘だ。

 

 あの超絶シスコンの天馬司が、愛する妹にわざわざ他校まで弁当を届けさせるようなヘマをするはずがない。

 これは間違いなく、咲希が『俺が昼休みに変な虫(他の女)から食べ物をもらっていないか監視するため』に、兄の弁当を意図的に隠すなどして作り出した強引な口実だ!

 

「そ、そうか! 司先輩なら、さっき食堂の方へ行くのを見たぞ! 早く届けてやれよ!」

 

「うん! でもその前に……キミのお昼ご飯、一緒に食べよっかなって思って!」

 

 咲希は、ニコニコと笑いながら俺の目の前にしゃがみ込んだ。

 その瞳には、一見すると無邪気な光しか宿っていない。

 

 だが、俺の前世の記憶と生存本能が、激しいアラートを鳴らしている。

 

「あれ? キミ、お昼ご飯は? 購買のパンにするって言ってたよね?」

 

「あ、ああ! パ、パン! パンだよ! これから買いに行こうと思ってて……」

 

 冷や汗が滝のように流れ落ちる。

 背中に隠した手には、みのりの愛(激重海苔文字)が詰まったお弁当箱。

 

 咲希の顔が、すっと俺に近づいてきた。

 

「……ねえ」

 

 咲希の鼻先が、ピクンと動く。

 

「……なんか、甘い卵焼きみたいな匂いがするんだけど。それと、フローラル系の、私じゃない女の子の香水の匂い」

 

 終わった。

 犬並みの嗅覚。いや、これは『俺の浮気』を絶対に逃さないという、彼女の中に眠るヤンデレレーダーが極限まで研ぎ澄まされている証拠だ。

 

 咲希の笑顔から、スゥッと温度が消え失せた。

 

「……キミ、背中に何隠してるの?」

 

「な、なんでもない! これはその、違うんだ咲希、これは……!」

 

「見せて」

 

 笑顔のまま、一切の感情を感じさせない声。

 咲希が、ゆっくりと俺の背中へ手を伸ばそうとした、まさにその絶体絶命の瞬間だった。

 

「――ストォォォップ! そこまでだよ、2人とも!」

 

 突然、給水塔の上から、ひらりと軽やかな影が舞い降りた。

 

 フリルのついた可愛らしい制服。ピンク色のふんわりとした髪に、悪戯っぽいウインク。

 神山高校の自由人にして、『25時、ナイトコードで。』の動画担当。

 

 暁山瑞希。

 

「み、瑞希……!?」

 

「やっほー! ボクの特等席で随分と熱烈な修羅場を繰り広げてるから、つい見入っちゃった。……っていうか咲希ちゃん、司先輩ならさっき1階の購買部で『おおお! 焼きそばパンが売り切れているだとぉぉ!』って絶叫してたよ?」

 

 瑞希は、ふんわりと笑いながら、咲希と俺の間に割って入った。

 

「えっ、お兄ちゃんが?」

 

「うんうん。早くお弁当届けてあげないと、司先輩、餓死して未来のスターの夢が途絶えちゃうかもよ?」

 

「そ、それは大変! キミ、ごめんね! 私ちょっとお兄ちゃんのところ行ってくる! ……背中のそれ、あとでちゃんと【説明】してね?」

 

 咲希は、氷点下の笑顔で俺に凄絶なプレッシャーを叩きつけると、慌てた様子で屋上のドアを駆け抜けていった。

 

「はぁぁぁ……助かったぁ……」

 

 俺は、その場にへたり込み、地面に大の字で倒れ伏した。

 命拾いした。

 

 瑞希の機転がなければ、今頃俺はみのりの弁当と共に、咲希の手によってこの世からログアウトさせられていただろう。

 

「あはは、危ないところだったねー。キミ、色んな女の子にフラグ立てすぎじゃない? ボクがいなかったらどうなってたことか」

 

 瑞希は、倒れ込んでいる俺の顔を覗き込み、クスクスと笑った。

 その笑顔に、俺は心底安堵した。

 

 そうだ、瑞希は常識人だ。

 ニーゴのメンバーの中でも空気が読めて、人の心の機微に敏感な、頼れる相談相手。

 

「ありがとう瑞希……本当にお前は俺の命の恩人だよ。お前がいなかったらマジで終わってた」

 

「えー、それだけ? 命の恩人なら、もーっと特別なご褒美があってもいいんじゃない?」

 

 瑞希は、悪戯っぽく唇を尖らせた。

 俺は苦笑しながら身を起こす。

 

「ご褒美って、ジュースでも奢ればいいか?」

 

「うーん、ジュースもいいけどぉ……」

 

 瑞希は、俺の背後に隠されていた『ピンク色のお弁当箱』を、いつの間にかヒョイッと奪い取っていた。

 

 そして、蓋を開けるなり、中に入っていた『すき♡』の海苔文字を見て、ふぅんと目を細めた。

 

「へえ。これ、花里みのりちゃんの手作り? 随分と手が込んでるね」

 

「あっ、おい、返してくれ! それ食わないと、俺の社会的生活が……!」

 

「ダメだよ」

 

 瑞希は、箸でその海苔文字が乗ったご飯を掬い上げると、あろうことか、そのまま自分の口へと放り込んでしまったのだ。

 

「っ!? み、瑞希!?」

 

「もぐもぐ……ん、美味しい。でも、ちょっと甘すぎかな」

 

 瑞希はペロリと唇を舐め、そして――先ほどまでの飄々とした笑顔を、スッと消した。

 見下ろしてくるその瞳の奥には、どこまでも深く、暗い……泥濘のような感情が渦巻いていた。

 

「キミが、他の子の手作りなんて食べる必要ないでしょ?」

 

 俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。

 瑞希のその表情。

 

 それは、まふゆや奏、こはねたちが見せたあの『依存の顔』と全く同じだった。

 

「み、瑞希……お前……?」

 

「キミさぁ、自分が何したか分かってる?」

 

 瑞希は、お弁当箱を地面にポイッと投げ捨てると、俺の胸ぐらを掴み、給水塔の壁へと強引に押し付けた。

 細い腕のどこにこんな力があるのか。逃げられない。

 

 その瞬間、俺の脳裏を『前世の記憶』が駆け巡った。

 

 ――暁山瑞希。

 可愛いものが大好きで、誰よりも自由に見えるが、その実「自分が何者であるか」という性別やアイデンティティの秘密を抱えている。

 

 誰にも本当の自分を理解されないという深い絶望の中にいた。

 

 俺は。

 現世の『無自覚な俺』は、そんな瑞希の秘密を前にして、あろうことか最高の理解者(イケメンムーブ)を演じてしまったのだ。

 

『――男だろうが女だろうが、そんなのどうだっていいだろ。瑞希は瑞希だ。俺はお前のその服、世界で一番似合ってると思うぜ』

 

『……誰が否定しても、俺だけはお前の味方だ。お前の本当の姿を、俺は全部肯定してやるよ』

 

(ああああああああ俺のバカァァァァ!!!!!)

 

 絶望のパズルの最後のピースが、完璧にハマった音がした。

 ただの『理解者』で留めておけばよかったものを、「俺だけは味方だ」「全部肯定する」などという、プロポーズと同義の特大の呪いをかけてしまったのだ。

 

 誰にも言えない秘密を抱えた人間にとって、「無条件で全てを受け入れてくれる存在」がどれほど危険な麻薬であるか。

 前世のオタク知識がある俺なら、分からないはずがなかった。

 

「……瑞希。お前、まさか……」

 

「そうだよ」

 

 瑞希は、俺の耳元に顔を寄せ、甘く、そして逃げ場のない声で囁いた。

 

「キミは、ボクの『秘密』を全部受け入れてくれた。ボクの本当の姿を知っていて、それでも可愛いって言ってくれた。……ボクにとって、キミ以上の存在なんて、この世界にいるわけないじゃない」

 

 瑞希の指が、俺の頬を撫でる。

 その感触は優しいのに、まるで冷たい鎖を巻き付けられているようだった。

 

「だからね、キミがボク以外の女の子に優しくするのは、ルール違反だよ。……ボクたち、2人だけの秘密を共有した『共犯者』でしょ?」

 

「ちが、俺はただ、お前が自分らしく生きられるように……!」

 

「うん、生きられるよ。キミがボクの隣にいてくれるならね」

 

 瑞希は、一切の逃げ道を塞ぐように微笑んだ。

 

「キミがまふゆや奏を気にかけてるのは知ってる。でも、あの子たちにはボクの抱えてる痛みは分からない。キミにしか、ボクを救えないの。……だから、他の子のお弁当なんて食べちゃダメ。キミは、ボクだけを見てて?」

 

 ……終わった。

 他校のヒロインたちからの包囲網を逃れ、神山高校という安全地帯に逃げ込んだつもりだった。

 

 だが、その神山高校の内部にこそ、最も俺の理解者面をして近づき、気づけば逃げられないように絡め取ってくる『最凶の蜘蛛の糸』が潜んでいたのだ。

 

「み、瑞希……頼む、離してくれ……俺は、誰か1人のものになるつもりは……」

 

「えー? そんなこと言っていいの?」

 

 瑞希は、悪魔のように可愛らしい笑みを浮かべた。

 

「キミがボクを選んでくれないなら……ボク、明日から学校に来ないよ? また、あの暗くて狭い部屋に引きこもって、2度と外に出ない。キミがボクにくれた『味方でいる』って言葉、嘘だったんだって思っちゃうもん」

 

 それは、究極の脅迫だった。

 

 彼女(彼)のトラウマの最も深い部分を盾に取った、自傷行為という名の精神的拘束。

 ここで突き放せば、瑞希は本当にニーゴの輪からも外れ、完全に心を閉ざしてしまうだろう。

 

 前世の知識があるからこそ、その結末の重さが痛いほど分かる。

 

「わ、わかった……! 分かったから、頼むから自分を傷つけるようなことは言わないでくれ……!」

 

「ほんと? 約束だよ?」

 

 瑞希はパッと顔を輝かせ、俺の首に腕を回してギュッと抱きついてきた。

 

「えへへ、やっぱりキミはボクに甘いね。……大好きだよ。これからも、ずっとボクの『特別』でいてね」

 

 瑞希の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 屋上の青空はどこまでも澄み渡っているというのに、俺の視界は完全な暗闇に包まれていた。

 

 ――こうして、俺の昼休みは終わった。

 

 咲希の監視から逃れた代償として、みのりのお弁当(=みのりのアイドル生命)を瑞希に食い散らかされ、さらには瑞希という新たな『激重な共犯者』の鎖を繋がれるという、最悪のトリプルコンボ。

 

「……ミク。セカイで、俺を殺してくれ……」

 

 屋上の冷たいコンクリートの上で、俺は静かに涙を流した。

 俺が回収しなければならないフラグは、減るどころか、雪ダルマ式にその質量を増し続けていたのだった。

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