『距離感バグってる年下に懐かれたら、いつの間にか好きになっていた話』 作:かみりあ
最初に変だと思ったのは、動きだった。
敵の大剣が振り下ろされる。普通なら、そこで一歩引くか、ガードを挟むか、せめてスキルの無敵時間に頼る場面だ。けれど、画面の中央にいる筋肉質の大男──いや、大男どころではない、ほとんどゴリラみたいな見た目のキャラクターは、ほんのわずかに横へずれただけで、その一撃を紙一重でやり過ごしてみせた。
次の瞬間には、巨大な斧が振り抜かれている。
ごつい体格。ごつい武器。どう見ても機動力とは縁遠そうな外見なのに、やっていることはやけに繊細で、しかも速い。最短距離で動いて、最短時間で敵の死角を取って、余計な演出みたいな動きをひとつも挟まず、そのまま最大火力を通していく。
「いや、なんでそれで避けられるの」
黒岩みかは、思わず声に出していた。
自室のデスクに肘をつき、ヘッドセットを片耳だけずらしたまま、画面をじっと見る。今プレイしているのは、大型アップデートを目前に控えた人気VRMMO《アーク・フォール・オンライン》。高難易度レイドで知られるゲームで、みか自身もそれなりにやり込んでいる方だ。
だからこそ、分かる。
今の動きはおかしい。
たまたまでもなければ、運でもない。ちゃんと見て、ちゃんと読んで、ちゃんと間に合わせている。
その証拠に、もう一度同じような状況が来たとき、そいつはほとんど同じ動きでまた避けた。
「嘘でしょ」
今度は笑いながら言う。
パーティーメンバー欄に表示されている名前を見る。
キャラクター名とプレイヤー名が並ぶこのゲームで、その奇妙なプレイヤーはこう表記されていた。
【筋肉ゴリラ】(なぎさ)
みかは初めてこの名前を見たとき、さすがに二度見した。見た目はそのまま、筋肉を盛りすぎた大男アバターに、斧。そこに添えられたプレイヤー名が「なぎさ」なのも妙だったし、その丁寧な喋り方も妙だった。もっと言えば、その外見からはまったく想像できないほど、プレイが綺麗なのも妙だった。
要するに、全体的に変だった。
でも、変なのに、嫌じゃない。
むしろ見ていて妙に楽しい。
ボスのHPが残り一割を切る。
パーティー全体に緊張感が走るタイミングなのに、チャット欄は案外いつも通りだった。
【姫みか】:今の避け方なに
【筋肉ゴリラ】:見てからです
【姫みか】:見てからで間に合うわけないでしょ
【筋肉ゴリラ】:間に合っています
【姫みか】:それが怖いんだって
チャットを打ちながら、みかは肩を揺らして笑った。
怖い、は半分本当で、半分冗談だ。実際、このプレイヤーは妙に落ち着いていて、こちらが軽口を叩いてもまったく崩れない。煽りになるほど強い言葉でもなければ、褒められても照れることがなく、常に一定の温度を保ったまま、それでいて会話だけはきちんと続く。
距離が遠いわけではない。
むしろ逆で、やけに会話しやすい。
なのに、主導権を奪えた気がしない。
その感じが、少しだけ面白い。
【筋肉ゴリラ】:次、終わります
【姫みか】:宣言した
【姫みか】:言ったからにはやってもらうけど
その宣言通り、次のフェーズ移行と同時に《筋肉ゴリラ》は前へ出た。
普通ならタンクがヘイトを固定し、近接アタッカーは少し遅れて回る。けれど、筋肉ゴリラはあえてその一歩手前に立つ。敵の視線がわずかに流れる、そのほんの一瞬だけを使って斧を振り抜き、タイミングぴったりにダウン値を稼ぎ切った。大きな体が倒れ込む。味方の火力が一斉に集中する。最後は、斧の叩きつけでボスのHPが消し飛んだ。
レイドクリアのエフェクトが視界を埋める。
緊張が切れた瞬間、みかは深く背もたれに体を預けた。
「いや、やば」
率直な感想だった。
周回用の野良混じりレイドで、ここまで綺麗に締めるプレイヤーは珍しい。報酬画面が開き、パーティーが緩く解散ムードに入っていく中で、みかはなんとなくチャット欄を閉じなかった。
言葉がひとつ残っている感覚がした。
【姫みか】:さっきの最後、気持ちよすぎた
【筋肉ゴリラ】:綺麗に入りましたね
【姫みか】:自分で言うんだ
【筋肉ゴリラ】:事実なので
【姫みか】:そういうとこだよ
また、笑ってしまう。
たぶん、この「そういうとこだよ」は、ここ数日で何度も使っている。ちょっと呆れていて、でも嫌じゃないときの、ちょうどいい言い回しだった。
最初に組んだのは、たしか一週間くらい前だったはずだ。偶然同じ攻略募集に入り、偶然役割が噛み合い、そのまま周回を重ねるうちに、今みたいに普通に雑談を挟むようになった。
名前はなぎさ。
高校生、十八歳。
その情報だけは、もう知っている。
知っているのに、どうしてもその年齢とプレイと話し方が結びつかない。
【姫みか】:ほんとに高校生なんだよね
【筋肉ゴリラ】:はい
【姫みか】:未だにちょっと疑ってる
【筋肉ゴリラ】:疑い深いですね
【姫みか】:だって落ち着きすぎなんだって
【筋肉ゴリラ】:そうでしょうか
【姫みか】:そうだよ
【筋肉ゴリラ】:みかさんが少し騒がしいだけでは
【姫みか】:失礼なんだけど
【筋肉ゴリラ】:すみません、少しだけです
【姫みか】:今の絶対謝ってないでしょ
ほかのメンバーが笑うスタンプを流していく。
みかは画面を見ながら、少しだけ目を細めた。
この感じだ。
軽口を返しても、なぎさは引かない。言い返してくるのに、妙に品がある。こちらを雑に扱わず、でも遠慮もしない。その匙加減がうまい。
そして、妙に楽しそうなのがずるい。
煽っているわけでもなく、本気で笑っている感じでもない。ただ、その場のやり取りそのものを楽しんでいるみたいな余裕がある。
高校生で、それはなんなんだ。
みかは椅子を少し回して、足を組み直した。
窓の外はもう暗い。部屋の中はモニターの光に照らされていて、キーボードの上に置いた指先だけが白く見える。
解散の流れになるかと思ったのに、結局そのあともだらだらとギルドチャットで雑談が続いた。大型アップデートの話。新レイドの予想。追加衣装のデザイン。戦闘の話より、むしろどうでもいい話の方が長いくらいだ。
その中で、ふとシステム告知が流れた。
大型アップデート記念ファンフェスティバル開催決定。
オフライン会場あり。
限定グッズ、ステージイベント、先行体験会──見慣れた文面なのに、チャット欄が一気にざわつく。
【ギルドメンバーA】:うわ行きてぇ
【ギルドメンバーB】:場所どこ
【ギルドメンバーC】:東京かー
【姫みか】:おー
【姫みか】:でかいの来たね
みかは、そこで半分冗談みたいな気持ちで打ち込んだ。
【姫みか】:せっかくだしオフ会でもする?
ギルド全体に投げた、軽い一言。
本気で全員集まるとは思っていない。こういうのは、大抵そこで少し盛り上がって終わるか、せいぜい二、三人が「行けたら行く」と言って流れるものだ。
案の定、返ってきた反応はばらばらだった。
【ギルドメンバーA】:仕事
【ギルドメンバーB】:遠い
【ギルドメンバーC】:その日予定ある
【ギルドメンバーD】:金がない
「でしょうね」
みかは小さく笑いながら、椅子の背にもたれた。
【姫みか】:全滅じゃん
【ギルドメンバーA】:がんばって
【ギルドメンバーB】:みかだけ行って写真よろしく
【姫みか】:なんでだよ
流れとしては、ここで終わるはずだった。
でも、少し遅れてチャット欄に一行だけ追加される。
【筋肉ゴリラ】:行けます
みかは一瞬、画面を見直した。
【姫みか】:え
【姫みか】:ほんとに?
【筋肉ゴリラ】:はい
【姫みか】:フッ軽だね
【筋肉ゴリラ】:必要な移動ですので
必要な移動ってなんだ。
思わず声に出して笑う。
なぎさは、こういうときもブレない。
【姫みか】:じゃあ、なぎさ来るなら成立するか
【筋肉ゴリラ】:二人ですね
【姫みか】:言い方
【筋肉ゴリラ】:事実です
【姫みか】:最近それで全部通してない?
【筋肉ゴリラ】:便利なので
ずるいな、と思う。
軽く返しているだけのはずなのに、会話のテンポが妙に心地いい。二人だけ、という事実を正面から言われても、嫌な感じがしない。普通なら少し身構えるところなのに、なぎさが言うと「そうかもね」で終わってしまう。
それが、少しだけおかしい。
【姫みか】:会場で合流でいい?
【筋肉ゴリラ】:はい、大丈夫です
【姫みか】:じゃそれで
【筋肉ゴリラ】:承知しました
決まった。
あまりにもあっさりと。
みかはそのチャットの流れを見ながら、小さく息を吐いた。
会う。
ゲームの中では毎日のように会っている相手と、現実で会う。
それ自体は珍しいことでもない。長くネトゲをやっていれば、そういうことは一度や二度ある。だから特別な話ではない──はずだった。
なのに。
画面の向こうにいた「なぎさ」という名前が、少しだけ輪郭を持った気がする。
高校生。十七歳。落ち着きすぎ。筋肉ゴリラ。斧。敬語。やたらうまい。こっちが何を言っても崩れないくせに、ちゃんと会話だけは楽しい。
そんな断片が、少しずつ現実の方へ寄ってくる。
(……まあ、会うだけだし)
自分に言い聞かせるみたいに思う。
会って、ファンフェス回って、解散。それだけだ。変なことになるわけもないし、そもそも相手は高校生だ。
そう分かっているのに、チャット欄を閉じたあとも、みかの意識だけが少しだけそこに残った。
椅子から立ち上がり、軽く肩を回す。冷めかけたマグカップを手に取って一口飲んで、それからふともう一度スマートフォンを見た。
通知は増えていない。
でも、指が勝手にトーク画面を開く。
なんとなく、で済ませるには少しだけ分かりやすい動きだった。
【姫みか】:じゃあ当日よろしく
【筋肉ゴリラ】:はい
【筋肉ゴリラ】:こちらこそよろしくお願いします
相変わらず短い。
けれど、それで十分だった。
みかはそのまま画面を見つめて、それからほんの少しだけ笑った。
「ほんと、なんなんだろ」
誰に聞かせるでもない独り言は、静かな部屋にそのまま落ちる。
けれど、その疑問にすぐ答えが出なくても、別に困らない気がした。
どうせ、会えば分かる。
たぶん。
きっと。
少なくとも今は、そう思っている。
そのはずなのに、ベッドに入って目を閉じたあと、レイド終盤のあの動きと、チャット越しの落ち着いた敬語が、何度か頭の中を行ったり来たりした。
筋肉ゴリラ。
なぎさ。
高校生。
妙に落ち着いていて、変で、でも少し面白い。
そうやって並べてみても、まだ実感はない。けれど、その曖昧さごと、なぜか少しだけ楽しみになっている自分がいる。
みかは枕に顔を押しつけるみたいにして、目を閉じた。
「……まあ、いいか」
小さく呟く。
その言葉は、自分を納得させるためのものだったのかもしれないし、もう少し別の何かだったのかもしれない。
その時点では、まだ分からなかった。
ただひとつ確かなのは、会う前からこんなふうに気になる相手なんて、そうそういないということだけだった。