『距離感バグってる年下に懐かれたら、いつの間にか好きになっていた話』   作:かみりあ

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知ってます

 帰りの電車に揺られながら、みかはほとんど窓の外を見ていなかった。

 

 目の前には夜の景色が流れている。ビルの明かりが線になって、駅に近づけばホームの白い光が一瞬だけ視界を塗り替える。何度も見慣れているはずの帰り道なのに、今日はそのどれもほとんど頭に入ってこない。

 

 入ってこない代わりに、さっきまでの会話ばかりが繰り返し浮かんでくる。

 

 映画のあとで隣に座った時間。

 なぎさが、嬉しい方が先に来るから慌てないのだと言ったこと。

 歩きながら、かなり可愛いです、なんて何のためらいもなく口にしたこと。

 そして、最後に交わした「待ってるから」という一言。

 

 あれを言ったのは自分だ。

 

 言った瞬間に、少しだけ照れくさくなった。けれど、取り消したいとは思わなかった。むしろ、あのときのなぎさの顔を思い出すと、ちゃんと言ってよかったと思う。

 

 それなのに。

 

「……なんか、足りない」

 

 小さく口に出した声は、電車の音にすぐに溶けた。

 

 足りない。

 

 たぶん、それが一番正確だった。

 

 好きだと認めた。

 なぎさも、それを受け取った。

 次に会うことも、もう自然に決まっている。

 

 そこまで来ているのに、まだどこかだけ収まりきっていない。言葉が一つ分、きちんと置かれていない感じがする。会話はずっと続いてきたし、意味も十分に通じている。それでも、まだ最後の一枚だけがきれいにはまっていないみたいな感覚が残っていた。

 

 みかは吊り革を持つ手に少しだけ力を入れ、それから深く息を吐いた。

 

「……ああ、そういうことか」

 

 自分で思い当たってしまった。

 

 たぶん、ちゃんと言っていないのだ。

 

 “好きなんだと思う”じゃなくて。

 “だいぶそう”でもなくて。

 もっと、逃げ道のない形で。

 

 そこまで認めて、ようやく全部が綺麗に揃う気がする。

 

 それに気づいた瞬間、今度は別の意味で落ち着かなくなった。

 

「いや、今さら?」

 

 遅い。

 だいぶ遅い。

 でも、だからといって今さら言わなくていい理由にはならない。

 

 むしろ、今までこうして少しずつ積み上げてきたからこそ、最後だけ曖昧なままにしておきたくないのだと思う。

 

 家に着くまでのあいだ、みかは何度もスマートフォンを取り出そうとして、結局そのたびにしまい直した。

 

 電車の中で送るのは違う。

 駅のホームで送るのも違う。

 歩きながら打つには、たぶんちゃんとした言葉にならない。

 

 だから、家に帰って、ちゃんと座って、それから考えよう。そう決めたところで、少しだけ呼吸が整った。

 

 でも、それで終わるほど簡単でもなかった。

 

 部屋に入って、靴を脱いで、バッグを置いて、リビングの電気をつける。いつもと同じ流れで家の中を進みながら、みかは自分の鼓動が少しだけ速いことを自覚していた。

 

 別に今から大事件が起きるわけじゃない。

 相手はなぎさだ。

 ここまで来て、少し言葉を足すだけだ。

 

 そう考えているのに、どうしてこんなに落ち着かないのか、自分でもよく分からない。

 

 ソファに座る。

 例によって、少しだけ隣にスペースを残す。

 

「……いや、もうそこはいいんだけど」

 

 誰に向けるでもなく呟いて、みかはスマートフォンを開いた。

 

 トーク画面の一番下には、別れ際のやり取りが残っている。

 

【姫みか】:じゃあ、また

【筋肉ゴリラ】:ええ。また連絡します

【姫みか】:待ってるから

【筋肉ゴリラ】:待たせすぎないようにします

 

 その一文を見ただけで、少しだけ胸の奥が熱くなる。

 

 ずるいのだ、やっぱり。

 軽い言い方をしているのに、残る。

 ちゃんと届く位置へ、当たり前みたいに言葉を置いてくる。

 

「ほんとにさぁ……」

 

 ぼやきながらも、口元は少しだけ緩んでいた。

 

 それから、みかは入力欄に指を置く。

 

 何を書けばいいかは、分かっている。

 

 でも、分かっていることをそのまま打てるほど、今の自分は潔くない。

 一度書いて、消す。

 また書いて、止まる。

 短くしようとして、結局それだと足りない気がしてやめる。

 

 気づけば五分以上、同じ画面のまま固まっていた。

 

「……だめだな、ほんと」

 

 小さく笑う。

 

 ここまで来ても、まだ格好つけようとしている。

 

 でも、なぎさ相手にそれをやる意味は、たぶんもうない。

 

 あの子はどうせ分かっている。

 分かった上で、急かさず、でも逃がしもせずに待っている。

 

 そこまで見えているのなら、自分の方がちゃんと腹を括るべきなのだろう。

 

 みかは一度目を閉じて、それからゆっくり息を吐いた。

 

 画面を見直す。

 そして、今度は消さずに打ち込んだ。

 

【姫みか】:ねえ

 

 送る。

 

 たったそれだけの一言なのに、心臓が少しだけ強く鳴る。

 

 既読は、すぐについた。

 

【筋肉ゴリラ】:呼ばれました

 

 その返しを見た瞬間、みかは思わず額を押さえた。

 

「こういうときもそれなんだ……」

 

 でも、笑ってしまう。

 

 助かる。

 こういうときでも、ちゃんといつもの温度で返ってくるのは、かなり助かる。

 

【姫みか】:その返し、ほんと好きだね

【筋肉ゴリラ】:気に入っていますので

【姫みか】:知ってる

【姫みか】:ていうか今ちょっと大事な話しようとしてる

【筋肉ゴリラ】:それは失礼しました

【筋肉ゴリラ】:では、少しだけ真面目に構えます

 

 みかはその文を見て、少しだけ目を細めた。

 

 そういうところだ。

 

 軽くしてくれる。

 でも、軽くしすぎない。

 こちらが大事だと言えば、ちゃんとそこへ合わせてくる。

 

 だから、余計に言わないままでいられなくなる。

 

【姫みか】:今日さ

【筋肉ゴリラ】:ええ

【姫みか】:ずっと考えてたんだけど

【筋肉ゴリラ】:かなり良い傾向ですね

【姫みか】:そこは一回黙って

【筋肉ゴリラ】:承知しました

 

 みかは少しだけ笑って、それから画面を見つめた。

 

 ここで、もう一度逃げることはできる。

 冗談にして、別の話題にすることもできる。

 でも、今夜それをしたら、たぶん明日の自分が面倒くさい。

 

 だったら、今言うしかない。

 

【姫みか】:私さ

【姫みか】:昨日も今日も、たぶん結構ちゃんと好きなんだって思ってたんだけど

 

 そこまで打って、少しだけ止まる。

 けれど、今度は指が逃げなかった。

 

【姫みか】:たぶんじゃなくて

【姫みか】:もう普通に好きだわ

 

 送信した瞬間、みかはスマホを少しだけ遠ざけた。

 

 心臓が、さっきよりはっきりうるさい。

 

「うわ……」

 

 声が漏れる。

 

 言った。

 ちゃんと言った。

 

 勢いではない。

 冗談でもない。

 逃げ道もない。

 

 そこまでいって、ようやく胸の奥のざわつきが少しだけ静かになる。

 

 でも、その代わりに別の緊張が来る。

 返事が来るまでの数秒が、やけに長い。

 

 既読はついた。

 

 そのまま、少しだけ間がある。

 

 なぎさなら、もう少し早く返してきてもおかしくない。なのに、一拍置いている。そのことが逆に、ちゃんと読んでいる感じを強くして、みかは思わず呼吸を浅くした。

 

 やがて、画面に文字が増える。

 

【筋肉ゴリラ】:知ってます

 

 その一言を見た瞬間、みかはしばらく動けなかった。

 

「……っ、ああもう」

 

 思わずソファに沈み込む。

 

 ずるい。

 ずるいのに、嬉しい。

 予想していたはずなのに、真正面からそれを言われると、やっぱり効く。

 

 知っていた。

 分かっていた。

 それでも待っていた。

 

 その意味が、たった四文字に全部入っている。

 

【姫みか】:だと思った

【姫みか】:でも言うなぁ……そこ

【筋肉ゴリラ】:かなり良いタイミングだと思いましたので

【姫みか】:その自信ほんとすごい

【筋肉ゴリラ】:褒め言葉として受け取ります

 

 みかは笑いながら、少しだけ目元を押さえた。

 

 大げさに泣くような感じではない。

 でも、何かがきちんと収まったあと特有の熱っぽさが、目の奥に少しだけ残っている。

 

 そのとき、画面に続けてメッセージが表示された。

 

【筋肉ゴリラ】:ですが

【筋肉ゴリラ】:それを、みかさんの言葉で聞けて嬉しいです

 

 息が止まる。

 

 そして、そのあとの一文が、少しの間を置いて届いた。

 

【筋肉ゴリラ】:私も好きです

 

 今度は、みかは本当にしばらく何もできなかった。

 

 スマートフォンを持ったまま、ただ画面を見つめる。

 その文字が妙に静かで、妙にまっすぐで、なのにちゃんとなぎさらしい。

 大げさでもない。

 気取ってもいない。

 けれど、ちゃんと真ん中に落ちてくる。

 

 私も好きです。

 

 たったそれだけなのに、今までの全部が綺麗に繋がる気がした。

 

 イベント会場での初対面。

 小さかったことへの衝撃。

 隣にいるのが自然になっていった時間。

 会っていないと妙に静かな部屋。

 家に行ったときの落ち着き。

 そして、今日の、あの穏やかすぎる映画のあと。

 

 全部が、そこへ向かっていたのだと思うと、少しだけ笑えてしまう。

 

「……ほんと、そうなんだ」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

 スマホの画面はまだ明るい。

 そこにある文字だけが、やけに現実味を持っている。

 

 みかはゆっくりと息を吐いて、背もたれに体を預けた。

 

 今の自分は、たぶんかなりひどい顔をしている。笑っているのか、困っているのか、自分でも分からない。でも、どちらでもいい気がした。

 

【姫みか】:そっか

【姫みか】:それはだいぶ嬉しい

【筋肉ゴリラ】:それはよかったです

【姫みか】:いやほんとにね

【姫みか】:普通にだいぶ

 

 送ってから、みかは少しだけ首を傾げる。

 

 こういうとき、もっと綺麗な言い方があるのかもしれない。

 でも、今はこれが一番自分らしい気がした。

 

 そして、なぎさもたぶん、そういうところごと受け取る。

 

【筋肉ゴリラ】:みかさん

【姫みか】:なに

【筋肉ゴリラ】:今、かなり可愛いと思います

【姫みか】:やめろ

【筋肉ゴリラ】:本音です

【姫みか】:知ってるから困るんだって

 

 笑ってしまう。

 

 こういうところだ。

 告白の直後でも、ちゃんといつもの会話が続く。

 温度は上がっているのに、空気が変に重くならない。

 だから、安心する。

 

【姫みか】:ねえ

【筋肉ゴリラ】:何でしょう

【姫みか】:これで、どうなるの

【筋肉ゴリラ】:どうしたいですか

 

 その返しに、みかは少しだけ目を細めた。

 

 またこっちに選ばせる。

 でも、そのやり方が嫌じゃない。

 

【姫みか】:また会う

【筋肉ゴリラ】:ええ

【姫みか】:今までよりちょっと近くても文句言わない

【筋肉ゴリラ】:それはかなり助かります

【姫みか】:ただし調子には乗らないで

【筋肉ゴリラ】:努力はします

【姫みか】:信用できないな

【筋肉ゴリラ】:かなり正しい判断です

 

 みかは吹き出すように笑った。

 

 やっぱりだ。

 こういう空気になる。

 

 好きだと認めても、私も好きですと返されても、そのあと急に別人みたいになるわけじゃない。

 ちゃんとこの二人のまま、少しだけ意味が変わる。

 

 それが、すごく良かった。

 

【姫みか】:じゃあ次会ったとき

【姫みか】:少し覚悟しておいて

【筋肉ゴリラ】:何にでしょう

【姫みか】:私もそのくらい返すかもしれないから

【筋肉ゴリラ】:それはかなり楽しみです

【姫みか】:その顔見なくても分かるの腹立つ

【筋肉ゴリラ】:かなり笑っています

【姫みか】:見える気がする

 

 やり取りはしばらく続いた。

 今までと同じように軽く、でも前より一段深く。

 明日の話。

 次に行きたい場所の話。

 映画の続きを家で見てもいいかもしれないとか、もう少し静かなカフェを探してもいいとか、そういう少し先の未来が、当たり前みたいに会話の中へ入ってくる。

 

 そのたびに、みかは少しだけ嬉しくなった。

 

 今までも次はあった。

 でも、これからの“次”は、たぶんもう少し違う。

 

 それが怖くない。

 むしろ楽しみだと思えている。

 そこまで来てしまっている。

 

 スマートフォンを胸の上に置いて、みかはソファの背に深く沈んだ。

 

 部屋は静かだった。

 でも、その静けさはさっきまでとは全然違う。

 

 何かが足りないのではなくて、次に欲しいものがはっきりしているだけだ。

 会いたい。

 話したい。

 隣に座りたい。

 そのうえで、今までより少しだけ、ちゃんと好きな相手として見たい。

 

 そういう欲求が、もう隠れなくなっている。

 

「……そっか」

 

 小さく呟く。

 

 それは確認で、納得で、少しだけ照れくさい了承でもあった。

 

 好きだった。

 向こうも好きだった。

 だったら、もう十分だ。

 

 スマートフォンがもう一度震える。

 

【筋肉ゴリラ】:みかさん

【姫みか】:なに

【筋肉ゴリラ】:今日はちゃんと眠れそうですか

【姫みか】:さっきまでよりは

【筋肉ゴリラ】:それはよかったです

【姫みか】:なぎさは? 

【筋肉ゴリラ】:私もです

【筋肉ゴリラ】:今は、かなり落ち着いています

【姫みか】:そっか

【姫みか】:じゃあ今日はちゃんと寝よ

【筋肉ゴリラ】:ええ

【筋肉ゴリラ】:次に会うときのために

 

 その一文を見て、みかはまた笑った。

 

 最後まで、それだ。

 

 でも。

 

 最後まで、それがいい。

 

【姫みか】:うん

【姫みか】:次会うの、かなり楽しみ

 

 送信してから、少しだけ悔しくなった。

 

「うわ、使った……」

 

 あんなに便利便利と言っていた言い回しを、自分で使ってしまったのだ。でも、その悔しさまで込みで、今は少しだけ楽しい。

 

 すぐに返事が来る。

 

【筋肉ゴリラ】:知ってます

 

 みかはその一文を見て、しばらく笑いが止まらなかった。

 

 呆れる。

 ずるい。

 でも、たしかにそうだ。

 

 知っていて、言う。

 分かっていて、待つ。

 そのくせ、ちゃんと嬉しいことは嬉しい顔で受け取る。

 

 そういう子を、好きになったのだ。

 

「……まあ、いいか」

 

 ソファの上でそう呟いて、みかはゆっくり立ち上がった。

 

 今日はちゃんと眠れそうだった。

 明日が来るのが楽しみな夜なんて、そうそうない。

 でも、今はその珍しさすら悪くないと思う。

 

 電気を少し落として、寝る準備をする。

 歯を磨いて、顔を洗って、ベッドへ向かう。

 横になって目を閉じると、最後に浮かんだのは、やっぱり少しだけ嬉しそうに笑う小さな顔だった。

 

 知ってます。

 私も好きです。

 

 その二つの言葉が、静かに胸の中へ落ちていく。

 

 ちゃんと届いた。

 ちゃんと返ってきた。

 そしてそのあとも、いつもの二人のままで笑えた。

 

 それが、何より良かった。

 

 みかは枕に顔を少しだけ押しつけて、小さく笑う。

 

「ほんとに、ずるいなぁ……」

 

 でも、そのずるさごと、もう好きだった。




中途半端な終わりだけど、一応ここで終わり。
かなりを多用しました。
年の差要素もあまりなかったと思うし、イチャイチャも少なかったような気がするのですが、まぁ、うん。
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