『距離感バグってる年下に懐かれたら、いつの間にか好きになっていた話』 作:かみりあ
その日、みかはなぎさの部屋のソファに座りながら、自分の立場について真剣に考えていた。
理由は単純で、状況があまりにも想定と違ったからだ。
「……なんで私、こんなに甘やかされてるの?」
半分呆れた声でそう言うと、隣からすぐに返事が来る。
「かなり自然な流れかと」
「自然じゃないと思うんだけど」
みかは横を向いた。
そこには、いつも通り――いや、いつも以上に機嫌が良さそうななぎさがいる。姿勢は相変わらずきれいで、動きも丁寧で、それなのに距離だけはまったく遠慮がない。
今日もまた、肩が軽く触れている。
いや、軽くどころではない。みかが少し体を預ければ、そのまま支えられるくらいには近い。そして実際、ついさっきからそうなっている。
「ほら、また近い」
「ええ」
「否定しないんだ」
「事実ですので」
「開き直ったなぁ……」
みかは苦笑しながら、マグカップに手を伸ばした。中身はなぎさが淹れてくれたミルクティーで、甘さが少し強めに調整されている。
その“少し強め”が、絶妙にちょうどいい。
「これもさ」
「ええ」
「甘くしてるでしょ」
「みかさんが好きそうでしたので」
「そういうのも普通に言う」
「正直にいく方針です」
なぎさはさらりとそう言って、隣で少しだけ笑った。
楽しそうだ。
本当に、楽しそうだ。
付き合う前から機嫌がいいタイプではあったが、ここまで分かりやすく“嬉しい状態”を維持しているのは初めてかもしれない。しかも、それを隠すどころか、むしろ共有してくる。
それがまた、じわじわ効いてくる。
「ねえ、なぎさ」
「何でしょう」
「今日、ずっと楽しそうじゃない?」
「かなり」
「やっぱり使うよね」
「便利ですので」
「ほんと好きなんだな、その単語」
みかが呆れ気味に言うと、なぎさは少しだけ肩を揺らして笑った。
「今日は特にです」
「理由、聞いてもいい?」
「もちろんです」
なぎさは、ほんの少しだけ言葉を選ぶように視線を落としてから、やわらかく続けた。
「みかさんが、かなり素直になってきているので」
みかの動きが止まる。
「……どのへんが」
「今の距離です」
視線を落とすと、自分がなぎさの肩にもたれているのがはっきり分かる。
言われるまでもなく、自覚はあった。
でも、指摘されると一気に恥ずかしくなる。
「これは……その」
「ええ」
「ちょっと楽だから」
「嬉しい理由です」
「だからそういう言い方なんだよ」
みかは思わず顔を逸らした。
でも、体は離れない。
離れようと思えば離れられるのに、そのままでいる方が楽だと分かってしまっている。
それがまた悔しい。
「それと」
なぎさが続ける。
「先ほどから、こちらに寄る頻度が増えています」
「観察するな」
「つい」
「ついで済ませるな」
「ですが、かなり良い傾向です」
「だから評価するなって」
みかは思わず笑った。
もう、完全にペースを持っていかれている。それでも嫌ではないのが一番困るところだ。
「ねえ」
「ええ」
「こういうのさ」
みかは少しだけ声を落とした。
「普通、逆じゃない?」
「何がでしょう」
「甘やかすのって、私の方じゃないの?」
言いながら、自分でも少しだけ違和感がある。
なぎさは小さいし、年下だし、見た目だけなら守る側に回る方が自然だ。だから、付き合う前まではなんとなくそういう役割になると思っていた。
ところが、実際はこれだ。
完全に甘やかされている。
しかも、かなり自然に。
「そういう形もあると思います」
なぎさは穏やかに答えた。
「ですが、今はこの方が合っているかと」
「合ってるって……」
「みかさんが、少しだけ力を抜いてくださるので」
その言葉に、みかは一瞬だけ黙った。
たしかに、力は抜けている。
無理に強がる必要がない。変に格好をつける必要もない。少し困っても、そのまま言えばいいし、照れても誤魔化さなくていい。
それが、思ったより楽だ。
「……ずるいよね、ほんと」
「どのあたりがでしょう」
「全部」
なぎさは、その返しに嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「良い意味として受け取ります」
「都合よく変換するな」
みかはそう言いながら、ほんの少しだけ体重を預ける。
なぎさの肩は、相変わらず安定している。
小柄なのに、妙に頼りになる。
「……ねえ」
「何でしょう」
「これ、やばくない?」
「何がでしょう」
「このまま、ずっとこうしてられる気がする」
なぎさは少しだけ目を細めた。
「それはかなり良いことかと」
「そうなんだけどさ」
「ええ」
「ダメになる気もする」
「何がでしょう」
「私が」
なぎさは一瞬だけ考えるような顔をしてから、静かに笑った。
「では、少しだけ支えます」
「軽いなぁ」
「重くする必要がありませんので」
その言い方が、また絶妙だった。
依存させるわけでもなく、突き放すわけでもない。ちょうどいい位置で、軽く支える。その距離感が、やっぱり上手い。
「みかさん」
「なに」
「今日は、もう少しだけ甘えていただいても大丈夫です」
みかは、少しだけ顔を上げた。
「許可制なの?」
「お願い制です」
「どっちにしてもおかしいでしょ」
「ですが、嬉しいので」
「……ほんと、それだよね」
みかは小さく息を吐いた。
そして、ほんの少しだけ迷ってから、もう一歩だけ距離を詰める。
肩だけでなく、腕も軽く触れる位置。
さっきよりも、明らかに近い。
なぎさの呼吸が、ほんの少しだけ変わる。
「……みかさん」
「なに」
「今日は、本当に危ないです」
「なにが」
「嬉しすぎます」
みかは思わず笑った。
「さっきも聞いた」
「更新されています」
「更新するな」
そのやり取りが可笑しくて、また笑いがこぼれる。
こうして笑っているうちに、距離のことなんてどうでもよくなってくる。触れていることも、近いことも、全部まとめて自然に感じる。
それが、少し怖くて、でもやっぱり心地いい。
「なぎさ」
「ええ」
「もうちょっとだけ」
「はい」
「このままでいい?」
みかがそう言うと、なぎさは一瞬だけ目を丸くして、それからとても嬉しそうに笑った。
「もちろんです」
「かなり」
「使ったな」
「必要な場面でしたので」
みかはその返しに肩を揺らして笑った。
結局、この空気が好きなのだ。
甘い。
でも軽い。
ちゃんと楽しくて、ちゃんと落ち着く。
その全部が、今はちょうどいい。
ソファの上で、二人はそのまま少しずつ沈み込むように寄り添う。会話は途切れない。けれど、無理に続ける必要もない。沈黙すら、ちゃんと共有できる。
それが、前とは違う。
「……ほんと、やばいね」
みかがぽつりと言う。
「ええ」
「このままダメになるやつだ」
「少しだけなら」
「調整する気ある?」
「必要に応じて」
「信用できないなぁ」
そう言いながらも、みかは目を閉じた。
隣にいる。
触れている。
それだけで、十分だった。
付き合ったあとも、距離はやっぱりおかしい。
でも、そのおかしさが、今は一番正しい。
そんなふうに思ってしまうくらいには――
もう、完全に甘やかされていた。