『距離感バグってる年下に懐かれたら、いつの間にか好きになっていた話』   作:かみりあ

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後日談③  外で会っても、結局ずっと甘やかされている

 待ち合わせの十分前に着いてしまった自分に気づいたとき、みかは駅前のガラスに映った姿を見て、かなり本気でため息をついた。

 

 別に急いだつもりはない。家を出る時間だって普通だったし、電車の乗り継ぎもたまたま良かっただけだ。だからこれは不可抗力であって、自分が「少しでも早く着きたい」と思っていたわけではない──と、言い切れたらどれだけ楽だっただろう。

 

「……いや、まあ、会いたいけど」

 

 小さく呟いてから、みかはすぐに口元を押さえた。

 

 誰も聞いていない。聞いていないけれど、そういう問題でもない。自分で言って、自分で認めてしまった感じが少し悔しいのだ。

 

 付き合い始めてからまだそこまで日は経っていない。それなのに、会う頻度だけは付き合う前よりもむしろ自然に増えていた。会わない理由が特にないからだろうし、連絡を取るのももうほとんど習慣みたいになっている。

 

 ただ、それとこれとは話が違う。

 

 休日の外デートに向かう前から、こんなふうに落ち着かなくなるのは、もう少し先の段階で起きることではないのかと思う。

 

「……まあ、でも」

 

 否定しきれない。

 

 楽しみなのは、本当だった。

 

 そのとき、スマートフォンが震える。

 

 画面を見るまでもなく、誰からかは分かっていた。

 

【筋肉ゴリラ】:到着しています

【筋肉ゴリラ】:みかさんは、まだでしょうか

 

 みかは一瞬だけ目を細め、それから負けたように笑った。

 

「このタイミングで来る?」

 

【姫みか】:もう着いてる

【筋肉ゴリラ】:見つけました

 

 そこで顔を上げると、少し離れた位置に立っているなぎさと目が合った。

 

 やっぱりすぐ見つかる。小さいのに、妙に目に入る。今日のなぎさは白に近い明るめのトップスに、落ち着いた色のスカートという、柔らかいのにきちんと整った服装だった。大人っぽく見せようとしているわけではないのに、立ち姿に無駄がないせいで、やっぱりどこか落ち着いて見える。

 

 でも、こちらに気づいて笑うと、ちゃんと年相応だ。

 

 その感じが、ずるい。

 

「こんにちは」

 

 近づいてきたなぎさが、いつもの調子でそう言う。

 

「こんにちは」

 

 返すだけで、さっきまで胸の奥をざわつかせていた落ち着かなさが少しだけ静かになる。顔を見ると安心する、というのは、もう認めるしかないところまで来ていた。

 

「今日はかなり早いですね」

 

「そっちもでしょ」

 

「みかさんの方が、少しだけ先に着いていそうな気がしていました」

 

「なんで分かるの」

 

「楽しみにしてくださっているときの動きに見えますので」

 

 みかはそこで少しだけ言葉に詰まる。

 

「……そういうの、最初に言う?」

 

「本当でしたか」

 

「聞くな」

 

 言いながら、みかは笑ってしまった。

 

 なぎさも楽しそうに肩を揺らす。

 

 もうこの時点で、だいぶだめだ。会って数十秒なのに、空気がすっかりいつもの調子になっている。

 

「今日はどこ行くの?」

 

「今日は、みかさんに少しだけ甘い日になる予定です」

 

 あまりにも自然に返ってきたその一言に、みかは思わず立ち止まりそうになった。

 

「……なにそれ」

 

「そのままです」

 

「そのまま言われても困るんだけど」

 

「困っていますか」

 

「ちょっとね」

 

「では、良い出だしです」

 

「何が!?」

 

 みかが本気で言うと、なぎさは声を立てて笑った。

 

 外でこういう笑い方をするのは少し珍しい。けれど、それだけ今日のなぎさは機嫌がいいのだろう。その楽しさに、みかまでつられる。

 

「まずは、少し歩きませんか」

 

「いいけど」

 

「そのあと、私が気になっていたお店にご案内します」

 

「お店?」

 

「ええ。みかさんが好きそうだと思いまして」

 

「……またそれか」

 

「かなり確信があります」

 

 並んで歩き出す。

 

 休日の街は明るく、程よく人がいて、どの店も少しだけ浮き足立って見える。そんな空気の中なのに、二人の会話は不思議と落ち着いていた。賑やかな場所にいても、隣の気配の方が強く意識に残る。

 

 歩きながら、みかはふと気づく。

 

「……近い」

 

「ええ」

 

「いや、認めるんだ」

 

「もういつもの距離ですので」

 

「付き合ったあと、遠慮なくなってるよね」

 

「少しだけ」

 

「その“少しだけ”便利だなぁ」

 

 なぎさはくすっと笑って、ほんのわずかにこちらへ寄った。

 

「ですが、みかさんも離れていません」

 

「そこ言うのやめて」

 

「事実ですので」

 

 実際、その通りだった。

 

 人が多いから、という理由もある。けれど、それだけではない。もうこの距離が不自然ではなくなっていることを、みか自身もちゃんと知っている。

 

 そういう自分に気づくたび、少しだけ胸が落ち着かなくなる。けれど、その落ち着かなさすら今は嫌ではなかった。

 

 なぎさが連れていってくれたのは、駅から少し離れた場所にある、小さな焼き菓子の店だった。ガラス越しに並んだクッキーやパウンドケーキ、スコーンがどれも丁寧に並んでいて、店に入る前から甘い匂いがほんの少し漂ってくる。

 

「……うわ、好きそう」

 

 思わず漏らすと、なぎさが嬉しそうに笑った。

 

「予想通りで安心しました」

 

「なんで分かるの、ほんとに」

 

「みかさん、こういう“ちゃんとしてる甘いもの”好きですよね」

 

「言い方が妙だな」

 

「間違っていないかと」

 

 店内は静かで、棚の間を動くのもゆっくりになる。みかは自然と歩幅を落とし、並んだ焼き菓子を一つずつ眺めていった。素朴な見た目なのに、ちゃんと美味しそうなのがずるい。派手な装飾がない分だけ、素材そのものの匂いや色がよく見える。

 

「どれがいいと思う?」

 

 みかが聞くと、なぎさはすぐには答えず、少しだけ真面目な顔でショーケースを眺めた。

 

「みかさんは、見た目で言うとこちらが好きそうです」

 

 指したのは、表面にざらっとした砂糖が軽く乗ったレモンのパウンドケーキだった。

 

「でも、実際に食べて一番好きなのは、たぶんこっちです」

 

 次に示したのは、少し地味な見た目の発酵バターのスコーンだった。

 

 みかは思わずそちらを見比べる。

 

「……なんで二段階なの」

 

「みかさんは、最初の印象と、実際に好きになるものが少し違うので」

 

「分析するなぁ」

 

「好きな人のことは見ますので」

 

 その言い方が、静かな店の中だと余計に響く。

 

 みかは一瞬だけ視線を逸らしてから、結局笑った。

 

「じゃあ両方買う」

 

「その判断はかなり良いと思います」

 

「なぎさも食べる?」

 

「もちろんです」

 

「じゃあ、半分こね」

 

 何気なく言ったつもりだった。

 

 でも、なぎさがそこで少しだけ目を細める。

 

「それはかなり魅力的ですね」

 

「その返し方やめてくれない?」

 

「嬉しかったので」

 

 結局、焼き菓子をいくつか買って、持ち帰り用の小さな箱を受け取った。紙袋越しにもまだ甘い匂いが残っていて、みかは歩きながらそれを少しだけ揺らす。

 

「どこで食べるの?」

 

「公園にベンチがありましたので、そちらでもよろしいですし」

 

 なぎさは少しだけ言葉を切って、みかの方を見る。

 

「もし、外が少し落ち着かないようでしたら、私の家でも」

 

 その言い方はやわらかくて、逃げ道がある。押しつけていないのに、ちゃんと“来てほしい”も混ざっている。

 

 みかは少しだけ悩むふりをしてから、袋を軽く持ち上げた。

 

「……せっかくだし、家でゆっくり食べたいかも」

 

「嬉しいです」

 

「反応早いなぁ」

 

「かなり」

 

「もうそこはいいよ」

 

 そう言いながら、みかも少し笑っていた。

 

 結局、なぎさの家に向かうことになった。

 

 ここへ来るのも、もう初めてではない。そのことが、思った以上に大きかった。前ほど緊張しないし、玄関のドアが開いたときの静かな空気にも、ちゃんと馴染める感じがある。

 

「お邪魔します」

 

「どうぞ」

 

 リビングに入ると、やっぱり落ち着く。整っていて、無駄がなくて、でも冷たくない。もうその空気に慣れてしまっている自分が少しおかしかった。

 

「今日は紅茶にしますか」

 

「うん」

 

「少し甘いものに合わせますね」

 

 そう言ってキッチンに向かうなぎさを、みかはなんとなく目で追う。家の中で動く姿を見るのが好きだ、と、最近になって気づいた。外より少しだけ力が抜けていて、それでも雑にならない。その感じが、なんだか妙に落ち着くのだ。

 

 ソファに座る。少しして、なぎさがトレーを持って戻ってくる。紅茶の湯気と、焼き菓子の甘い匂いが一緒に広がって、部屋の中の空気まで少しだけやわらかくなる。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 紙袋から箱を出して、開ける。焼き菓子の香りがふわっと強くなって、みかは思わず顔をほころばせた。

 

「……これ絶対美味しいやつじゃん」

 

「かなり期待できます」

 

「また使った」

 

「今日は甘い日ですので」

 

「理屈になってるようでなってないんだよね」

 

 笑いながら、二人で紅茶を手に取る。最初の一口で、みかは目を細めた。香りが穏やかで、でも少しだけ甘い余韻が残る。焼き菓子にちゃんと合いそうだ。

 

「これ、美味しい」

 

「よかったです」

 

「なぎさって、こういうの選ぶの上手いよね」

 

「みかさんが喜びそうなものを選んでいるだけです」

 

 さらっと言われて、みかはまた少しだけ押される。

 

「それ、ずるいよ」

 

「本音ですので」

 

 そこでなぎさが、レモンのパウンドケーキを小さく切り分けて、皿に乗せて差し出してくる。あまりにも手際がよくて、みかは一瞬だけ見入ってしまった。

 

「どうぞ」

 

「……なんか、こういうのも自然にやるよね」

 

「食べやすい方が良いかと」

 

「いや、それはそうなんだけど」

 

 受け取って、一口食べる。

 

 レモンの香りがふっと広がって、表面の砂糖の食感が少しだけ残る。思った通り、美味しい。

 

「どうでしょう」

 

「美味しい」

 

「それはよかったです」

 

 なぎさの声が嬉しそうで、みかはそのままもう一口食べた。

 

 しばらく二人で甘いものを食べていたが、途中でなぎさが持っていたスコーンを少し持ち上げた。

 

「こちらも試しますか」

 

「ん」

 

 みかが何気なく顔を向けると、なぎさはそのまま少しだけ近づけてくる。

 

「……え」

 

「半分こ、でしたので」

 

 その言い方に、みかは一瞬だけ止まった。

 

 意味は分かる。分かるけれど、その距離でそのまま出されると、少しだけ心臓に悪い。

 

「それ、そういう感じで来るんだ」

 

「嫌でしたか」

 

「嫌じゃないけど」

 

 その“嫌じゃない”が一番だめだと思いながら、みかは結局少しだけ身を寄せて、スコーンを一口もらった。

 

 その動作は一瞬だ。

 でも、一瞬だからこそ妙に意識に残る。

 

 なぎさはその反応を見て、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「かなり良いですね」

 

「なにが」

 

「付き合っている感じがします」

 

 みかは思わず顔を背けた。

 

「今さら!?」

 

「改めて、です」

 

「ほんとにさぁ……」

 

 でも、その言葉が嬉しいことも、ちゃんと分かっている。

 

 焼き菓子を食べ終わる頃には、ソファの距離はもうさっきより少しだけ近くなっていた。どちらが寄ったのかは分からない。でも、もうそんなことをいちいち区別する意味もなかった。

 

「ねえ、みかさん」

 

「なに」

 

「今日は、かなり甘やかしやすいです」

 

「どういう感想?」

 

 みかが言うと、なぎさはくすっと笑った。

 

「いつもより素直です」

 

「そうかな」

 

「ええ。こちらへ寄る回数も多いですし、先ほども普通に食べてくださいましたし」

 

「……そこカウントするな」

 

「嬉しかったので」

 

 そのまっすぐさに、みかは少しだけ黙る。

 

 こういうところだ。

 付き合ったあとも、この子はずっと楽しそうで、でもちゃんと自分の気持ちを隠さない。だからこっちも、変に突っぱねる意味をなくしていく。

 

「……じゃあさ」

 

「ええ」

 

「今日だけ、もうちょっと甘やかされてもいい?」

 

 口に出してから、自分で少しだけ驚いた。

 

 でも、言ったあとの方が楽だった。

 

 なぎさはほんの一瞬だけ目を丸くして、それからとても嬉しそうに笑った。

 

「もちろんです」

 

「即答だ」

 

「かなり嬉しいお申し出でしたので」

 

 みかはそこで、笑いながら少しだけ体を預けた。今度は肩だけじゃない。腕ごと近づいて、そのまま自然に寄りかかる。

 

 なぎさの体が、ほんのわずかにこわばって、それからすぐにやわらかく緩む。

 

「……みかさん」

 

「なに」

 

「今のは、少し危ないです」

 

「なにが」

 

「嬉しすぎます」

 

 みかは思わず吹き出した。

 

「それ好きだね」

 

「本当ですので」

 

「そっか」

 

 そう言って、みかはもう少しだけ寄る。

 

 あたたかい。

 落ち着く。

 この距離が、もうだいぶ自然になっている。

 

「ねえ、なぎさ」

 

「ええ」

 

「私、たぶん甘やかされる才能あるかも」

 

 なぎさはその言葉に、少しだけ考えるように間を置いたあと、楽しそうに言った。

 

「かなりあると思います」

 

「そこ断言する?」

 

「実際、今とても収まりが良いので」

 

「収まりって言い方」

 

 でも、否定できない。

 

 こうしてくっついていると、変に強がる必要がなくて楽だった。

 

「でしたら」

 

 なぎさが、声を少しだけやわらかくする。

 

「今後も、もう少しお任せいただいてもよろしいでしょうか」

 

 みかは、その言い方に少しだけ目を閉じた。

 

 それはずるい。

 でも、嬉しい。

 ちゃんと“お願い”の形を取っているのも、たぶん分かってやっている。

 

「……少しだけね」

 

「ええ、少しずつ」

 

 その返事がまた穏やかで、みかは笑いながら肩を預けたまま小さく息を吐いた。

 

 たぶん、これからもこうして少しずつ近くなっていくのだろう。急に全部変わるわけではなくて、でも確実に、今までより甘くなっていく。

 

 それを想像すると、少し恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しかった。

 

 窓の外では、夕方の光が少しずつやわらかくなっていた。静かな部屋の中で、二人の距離だけがやけに近い。

 

 でも、そのおかしさが、今はもう一番心地よかった。

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