『距離感バグってる年下に懐かれたら、いつの間にか好きになっていた話』 作:かみりあ
会場の最寄り駅を出た瞬間、みかは思わず足を止めた。
休日の午後、ただでさえ人の多いエリアだというのに、今日はそこへイベント目当ての人間がさらに上乗せされている。改札を抜けたあたりから、すでに同じ方向へ向かう人の流れができていて、キャラクターのロゴ入りトートバッグを持っている人や、さりげなく作品モチーフの色を取り入れた服を着ている人が、あちこちにいた。駅前のビルに反射した光まで浮き立って見えるくらい、全体に少し熱を帯びた空気が漂っている。
「……思ったよりすごいな」
小さく呟いてから、みかはスマートフォンを取り出した。
画面を開く。
トークの一番上に表示されている名前は、相変わらず妙だった。
筋肉ゴリラ
その下に小さく表示されたプレイヤー名が、なぎさ。
何度見ても噛み合っていない。初めてその名前を見たときの「なんで?」という感想は、正直いまだに消えていなかった。
そもそも、今から会う相手の情報は少なすぎる。
ゲーム内での動きは知っている。チャットの話し方も知っている。年齢も知っている。十八歳だということも、女子だということも、もう確認済みだ。
でも、それだけだ。
声を聞いたことはない。
顔も知らない。
服装も分からない。
だから、ここまで来てようやく実感が湧く。
これ、普通に待ち合わせとして難易度が高い。
「顔知らない人とイベント会場で会うの、だいぶ無理寄りかもしれない」
口に出すと少しだけ笑えたけれど、実際問題としてかなり厳しい。ゲームの中なら名前が見える。距離も、パーティーウィンドウも、位置情報だってある。けれど現実にはそういう便利なものが一切ない。
みかは軽く息を吐いてから、画面をタップした。
【姫みか】:着いた
【筋肉ゴリラ】:こちらも到着しています
【姫みか】:どこ
【筋肉ゴリラ】:中央ホールの大型モニター付近です
「中央ホール……」
顔を上げる。
吹き抜けの向こうに、大型モニターが見えた。イベントのPVが流れていて、その前には写真を撮っている人と、立ち止まって見ている人の輪ができている。あの辺りだろう。
みかは人の流れに合わせて歩き出した。
歩きながら、頭の中で何度目か分からない想像をする。
十八歳。落ち着いた敬語。プレイは異様に上手い。無茶を平然とやるのに、なぜか全部成立させる。しかも、こっちが軽口を叩いてもテンポよく返してくる。
その情報から作られるイメージは、正直ひとつに定まらない。大人びた静かな子なのかもしれないし、逆にとんでもなく変なタイプなのかもしれない。少なくとも、チャット越しに感じる印象だけなら、もっと背が高くて、どこか飄々とした子を想像していた。
だからこそ、最初は完全に見落とした。
モニター付近に近づいたところで、みかは自然と“自分と同じくらいか、それ以上の身長”の人に目を向けてしまっていた。黒髪の人、長身の人、一人で立っていても雰囲気のある人。そういうところばかり見てしまう。
そのせいで、視線より少し低い位置にあった“答え”に気づくのが遅れた。
ほんの少しだけ、視線を下げる。
そして、あっと思う。
そこに、いた。
人の流れの中で、決して大きくはない。むしろかなり小柄だ。みかより頭ひとつ以上低い。けれど、埋もれていない。立ち方に無駄がなくて、周囲に押されていない。そこだけ静かに輪郭がはっきりしているような、不思議な見え方をしていた。
その子はスマートフォンを見ていたが、少ししてふっと顔を上げた。
目が合う。
みかが反応するより先に、その子の口元がほんの少しだけ緩んだ。
次の瞬間、まっすぐこちらに歩いてくる。
人混みの中なのに、不思議とぶつからない。慌てて避けるでもなく、無理に体をねじ込むでもなく、自然に、流れを読んで、するすると距離を詰めてくる。
そして、目の前で止まった。
「みかさん」
柔らかい声だった。
「初めまして。なぎさです」
みかは一瞬、何も言えなかった。
「……え?」
結局、出てきたのはそんな間の抜けた声だけだ。
でも仕方ないと思う。
だって、全然違った。
まず、小さい。
そこが一番意外だった。人混みの中で見つけるのに苦労するくらいには小柄で、ぱっと見た印象は“華奢で可愛い子”に近い。けれど、話しかけてくる空気が妙に落ち着いているせいで、その外見とのギャップが大きすぎる。
顔立ちは整っている。派手すぎるわけではないのに目を引くし、笑うと急に年相応の柔らかさが出る。その変化がまた、チャットのときの印象と妙に繋がる。
何より、こちらがこんなに動揺しているのに、向こうはちっとも慌てていない。
「なぎさ……?」
「はい」
そのままにこりと頷く。
それがまた自然で、みかは思わず一歩だけ下がった。
「ちょっと待って」
「はい、どうぞ」
「小さくない?」
「はい、小さいです」
即答だった。
しかも楽しそうに言う。
「いや、認めるんだ」
「事実なので」
「そうだけど」
みかは思わず額に手をやった。
「なんか、もっとこう……落ち着いた背の高い人を想像してた」
「残念でした」
「残念って言うの?」
「いえ、少し面白かったです」
「なにが?」
「みかさん、かなり混乱していますので」
笑いながら言われて、みかは一瞬だけ言葉を失う。
でも、確かにそうだ。
「してるけど」
「そうですよね」
「そこは否定してくれないんだ」
「事実ですので」
「便利だな、その言葉」
つい笑ってしまう。
困っているのに、笑えてしまうのが悔しい。
「じゃあ、ほんとにあの筋肉ゴリラ?」
「はい」
「斧振り回してた?」
「振り回していました」
「……ほんとに?」
「本物です」
その返しがあまりに迷いなくて、みかはようやく小さく息を吐いた。
不思議なことに、そのやり取りをしているうちに、少しずつ納得してくる。
見た目だけなら全然違うのに、話していると“ああ、たしかにこの子だ”と思えてくるのだ。返答のテンポも、こちらへの視線の向け方も、妙な余裕を崩さないところも、ぜんぶゲームの中のなぎさと同じだった。
「……なんか、納得したかも」
「それはよかったです」
「理由はうまく言えないけど」
「言えなくても大丈夫です。こちらは分かっていますので」
「怖いな」
「そうでしょうか」
「そこまで含めて、なんかもう納得した」
そう言うと、なぎさが少しだけ声を立てて笑った。
その笑い方が思っていたよりずっと明るくて、みかはまた少しだけ驚く。
落ち着いている。
でも、静かすぎるわけじゃない。
よく笑う。
しかも、その笑い方に変な気取りがない。
それが、思ったよりずっと気楽だった。
……と、そこで、みかは気づく。
「ちょっと待って」
「どうしましたか」
「近い」
「はい」
「はいじゃなくて、近いって言ってるの」
なぎさはみかのすぐ前に立っていた。顔を上げれば普通に視線が合う距離で、初対面の人に取るにはだいぶ近い。
「このくらいの方が話しやすいので」
「その理論やめて」
「お気に召しませんでしたか」
「言い方がうまいな」
みかは軽く肩を押すみたいにして、少しだけ距離を開けた。
すると、なぎさはその距離を見て、ふむ、と小さく頷く。
「では、少しだけ調整します」
「調整ってなに」
「今くらいが上限だということですね」
「私のこと測ってる?」
「かなり正確に」
「やめてくれる?」
「善処します」
「絶対しないやつだ」
そのやり取りで、また笑ってしまう。
さっき会ったばかりの相手とこんなテンポで会話できるの、普通におかしい。けれど、おかしいまま成立してしまっている。
それが、少しだけ気持ちよかった。
「どうしますか」
なぎさが周囲を見回しながら聞く。
「とりあえず、どこから見たいですか?」
「うーん……」
みかは会場内をぐるりと見た。物販、展示、体験コーナー、ステージ。どこもそこそこ人がいる。
「まあ、せっかくだし適当に回る?」
「いいですね」
「その返事、ほんと早いね」
「みかさんといるのは楽しいので、今のところ何でも当たりです」
「さらっとそういうこと言うよね」
「思ったので言いました」
「怖いなぁ」
でも、嫌じゃない。
それもまた困る。
二人で並んで歩き出す。
人混みの中に戻ると、さっきまで気になっていた距離感が、今度はあまり違和感なく収まっていく。なぎさは小さいのに見失わないし、隣にいること自体が妙に自然だった。
展示ブースを見ながら、みかがふと思い出したように言う。
「そういえば、この前のレイドの最後」
「はい」
「あの回避、どうやってるの」
「見てからです」
「だからそれをやめろって言ってるの」
即ツッコミ。
なぎさが笑う。
「本当にそうなので」
「なんでそのサイズのゴリラで見てから避けられるの」
「サイズは関係ありません」
「関係ありそうでしょ」
「関係あるのは感覚です」
「それが一番怖いんだって」
なぎさは楽しそうに肩を揺らす。
「練習すればできますよ」
「それ、みんなに言ってる?」
「いえ、みかさんにはできそうだと思っています」
「またそういうこと言う」
「褒めています」
「そこは分かるんだよ」
その会話のまま、二人でひとつの展示パネルの前に止まる。
説明文を読みながら、自然と距離が少しだけ縮まる。肩が触れそうで触れない位置。前なら意識していたはずなのに、今はそれが妙に馴染む。
「なぎさ」
「なんでしょう」
「今また戻ったよね、距離」
「戻りました」
「認めるんだ」
「自然でしたので」
「自然で片づけるな」
「みかさんが押し返さなかったので、この範囲は許容と判断しました」
「その分析やめてくれない?」
「面白いので難しいです」
「自白した」
みかは呆れたように言いながら、でも結局笑ってしまう。
なぎさは本当に楽しそうだった。こちらを困らせること自体を目的にしている感じはない。ただ、そのやり取りが単純に楽しいのだろうというのが分かる。その分だけ、こっちも本気で怒る気になれない。
たぶん、それが一番ずるい。
会場を一通り回る頃には、最初のぎこちなさはほとんど消えていた。
気づけば、なぎさが隣にいることが前提になっている。何かを見ればその感想を言いたくなるし、向こうが何かを見ていれば、ついその反応が気になる。
イベントを一緒に回っているだけのはずなのに、その“だけ”の部分が、思っていたよりずっと大きい。
会場の外に出ると、夕方に近づいた空気が少しだけやわらかかった。人の密度もさっきより落ち着いていて、音の輪郭まで丸くなっている。
「……思ったより、ちゃんと満喫したかも」
みかが言うと、なぎさが隣で笑う。
「はい、とても楽しかったです」
「それはよかった」
「はい。想像していたより、ずっと」
その一言に、みかは少しだけ横を見た。
「想像してたの?」
「かなり」
「どんな感じで?」
「もう少し距離があると思っていました」
「私が?」
「はい」
「へえ」
みかは少しだけ驚く。
「逆に、なぎさはもっと静かな子かと思ってた」
「よく笑うので驚かれます」
「驚いた」
「悪い意味でしょうか」
「いや」
すぐに否定する。
「むしろ逆」
その答えに、なぎさはほんの少しだけ目を細めた。
笑っている。
たぶん、本当に嬉しいときの顔だ。
「……どうする?」
みかは改めて聞いた。
「このまま帰る?」
なぎさは少しだけ周囲を見てから、みかの方へ向き直る。
「時間がまだあるようでしたら、少しこの辺りも見てみませんか」
「この辺りって、駅前?」
「はい。カフェでも、お店でも、どちらでも」
その言い方は、相変わらず押しつけがましくない。けれど、ちゃんと“もう少し一緒にいたい”感じが混ざっている。
だから、みかは少しだけ笑ってしまった。
「じゃあ、付き合ってよ」
「もちろんです」
「その返事ほんと迷いないね」
「迷う理由がありませんので」
「……そういうとこだよ」
今日何度目か分からないその言葉を、また口にする。
でも、今度は最初よりずっとやわらかい響きになっていた。
二人で歩き出す。
距離は近いまま。
でも、もうそれを直す気にはなれなかった。
むしろ、ほんの少しだけ。
このままの方が、都合がいい気さえしていた。