『距離感バグってる年下に懐かれたら、いつの間にか好きになっていた話』   作:かみりあ

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気づいたら、普通に隣にいる

 イベント会場を出たあとの空気は、入る前より少しだけ軽かった。

 

 夕方に差しかかる時間帯の光は、昼間ほど鋭くない。ビルのガラスに反射した明るさも少しだけやわらいでいて、駅前に集まる人の声や足音まで、さっきまでの喧騒よりひとつ下の温度に落ち着いている。会場の中では押し寄せてくる情報量に飲まれるような感覚があったのに、一歩外へ出るだけでこんなに呼吸がしやすくなるのだから不思議なものだと、みかは歩きながら思った。

 

「……思ったより、ちゃんと回ったね」

 

 肩の力を抜くように言うと、隣のなぎさがくすりと笑った。

 

「かなり見ましたね。展示も、物販も、体験ブースも、ほとんど一周したと思います」

 

「したね。途中から、もう一個のイベントに来たんだっけってくらい歩いてた」

 

「でも、みかさんは楽しそうでした」

 

「なぎさもでしょ」

 

「とても」

 

 そこで迷いなく言い切ってくるのが、この子らしい。

 

 みかは少しだけ横を見た。

 

 小さい。やっぱり何度見ても小さい。自分よりだいぶ目線が低いのに、人混みの中ではなぜか埋もれない。さっきもそうだった。初めて見つけた瞬間のあの妙な違和感は、まだ少し残っている。見た目の印象と、実際に会話したときの存在感が一致しないのだ。

 

 それなのに、隣にいること自体はもうだいぶ自然になってきている。

 

 そのことに気づくたび、みかは少しだけ変な気分になった。

 

「で」

 

 歩調を崩さないまま、みかは口を開く。

 

「このあと、どうする?」

 

 それは一応、確認のつもりだった。

 

 イベントのために会ったのだ。会場を出たなら、そのまま流れ解散というのが普通だろう。普通は、そういうものだと思う。

 

 けれど、なぎさは少しもためらわなかった。

 

「時間がまだあるようでしたら、このあたりを見て回りませんか」

 

 柔らかい声だった。押しつける感じはないのに、妙に迷いがない。

 

「駅前の方、意外とお店が多そうでしたし、みかさんと一緒ならたぶん何を見ても面白いと思います」

 

「さらっと言うよね、そういうの」

 

「本当に思っていますので」

 

「それをそのまま出すのが強いんだって」

 

 みかが半分呆れたように笑うと、なぎさも楽しそうに口元を緩めた。

 

 たぶん、この子はわざとやっているわけではない。少なくとも全部が計算という感じではない。ただ、自分の中で自然な言葉を、そのまま口にしているだけなのだろう。だからこそ対処に困る。

 

 でも、困るわりに。

 

 嫌じゃない。

 

 それどころか、少しだけ心地いい。

 

「まあ、いいけど」

 

 結局そう返してしまう。

 

「せっかくだし、もう少し回ろうか」

 

「ありがとうございます」

 

「そのお礼、ちょっと丁寧すぎない?」

 

「嬉しかったので」

 

「そういうとこなんだよなぁ……」

 

 みかはため息混じりに笑い、そのまま駅前の商業エリアへ足を向けた。

 

 並んで歩く。

 

 それだけのことなのに、気づくと距離が妙に近い。

 

 肩が触れるか触れないか、そのぎりぎりの位置。前ならそこで「近い」と口にしていたはずなのに、今はもう、わざわざ言い直すのも面倒なくらいになっている。

 

 もちろん、慣れたと認めたいわけではない。

 

 でも、押し返す理由もない。

 

「……なぎさ」

 

「なんでしょう」

 

「これ、完全に定位置になってない?」

 

 みかが自分たちの距離を目線で示すと、なぎさは少しだけそちらを見下ろして、楽しそうに笑った。

 

「かなり安定してきましたね。もう測り直さなくても良さそうです」

 

「測ってたんだ」

 

「みかさんの許容範囲は把握しておいた方が、今後便利かと思いまして」

 

「今後ってなに」

 

「今後です」

 

「雑だな」

 

「でも伝わっていますよね」

 

「そこが腹立つんだよ」

 

 また笑ってしまう。

 

 この会話をしていると、いちいちちゃんとツッコまないといけない気になるくせに、ツッコんだところで向こうはちっとも動揺しない。なのに退屈ではなくて、むしろ会話が転がる。普通、ここまで綺麗にテンポが合う相手はそういない。

 

 だから、少しだけ調子が狂う。

 

 最初に入ったのは、駅ビルの中にある服屋だった。

 

 明るすぎない照明と落ち着いた音楽のせいで、外の賑わいとはまた違うゆるい空気が流れている。棚の間隔も広く、二人で並んで見ても窮屈さがない。みかはなんとなく目についたラックへ近づき、何着かハンガーをずらしながらざっと眺めた。

 

「こういうの、着たりする?」

 

 みかが一着持ち上げると、なぎさがすぐ横から覗き込んできた。

 

 距離が近い。

 

 近いのに、もうそれをいちいち言うタイミングを逃している。

 

「綺麗ですね」

 

 なぎさは布地を見ながら言った。

 

「でも、みかさんにはもう少し色が深い方が似合いそうです」

 

「え、そう?」

 

「こちらの形は合うと思います。ただ、その色だと少し軽いかもしれません」

 

「……ちゃんと見てるね」

 

「見ています」

 

 にっこり言われる。

 

「みかさんが持つものですから、適当には言えません」

 

「なんか、急に責任重大みたいになるじゃん」

 

「実際、それなりに重大です」

 

「そこまで?」

 

「かなり」

 

 さらっと断言する。

 

 みかは手に持っていた服をもう一度見て、それから別の色違いへ視線を移した。

 

「じゃあ、これ?」

 

 今度は暗めの色を見せる。

 

 なぎさは少しだけ首をかしげ、みかの顔と服を交互に見比べた。その視線が妙に真面目で、みかはなぜか少しだけ居心地が悪くなる。

 

「……そんなに真剣に見なくてもいいんだけど」

 

「すみません、楽しくなってしまって」

 

「楽しいんだ」

 

「かなり」

 

 また笑う。

 

 その表情があまりに自然で、みかもつられて笑った。

 

「じゃあ、もっと選んでもらおうかな」

 

「任せてください」

 

「急に頼もしいな」

 

「こういう役目、嫌いではありません」

 

 そう言って、なぎさは自分から別のラックへ足を向けた。小さいのに動きに迷いがなくて、店の中を歩く様子まで妙に自然だ。普段からこういうところに来るのだろうかと思って見ていると、ちょうどその視線に気づいたらしく、なぎさが振り返った。

 

「どうしましたか」

 

「いや、意外と慣れてるなって」

 

「服を見るのは好きです。買わなくても楽しいので」

 

「へえ」

 

「みかさんは、そうでもないですか」

 

「いや、見るのは好き。でも、一人だと途中で面倒になる」

 

「それは分かります。誰かと見た方が、理由も増えますし」

 

「理由?」

 

「感想が言えます」

 

「ああ」

 

 それはたしかにそうだ。

 

 一人で見ていると、良いか悪いかも自分の中で完結してしまう。けれど隣に誰かがいれば、それだけでひとつひとつのものに対して言葉が増える。

 

 今、みかがちょっと楽しいと思っているのも、そのせいかもしれない。

 

「みかさん」

 

「ん?」

 

「これ、似合いそうです」

 

 なぎさが差し出してきたのは、さっきより少しだけ柔らかい雰囲気のワンピースだった。

 

「え、こういうの?」

 

「意外と、こちらの方が似合うと思います」

 

「なんで」

 

「たまに着ると、たぶん刺さります」

 

「誰に」

 

「見た人全員に」

 

「言い方が強い」

 

 笑いながら受け取る。

 

 たしかに、悪くない。自分では普段あまり選ばない系統だけれど、だからこそ少し気になる。

 

「着てみたら分かります」

 

「そんなに推す?」

 

「見たいので」

 

「願望出てるじゃん」

 

「出しました」

 

 みかは思わず吹き出した。

 

「そこ認めるんだ」

 

「認めた方が早いかと思いまして」

 

「ほんと、都合いいなその考え方」

 

 結局、試着してみることになった。

 

 試着室のカーテンを閉めて、服を着替える。鏡の前で一度全体を見たとき、みかは思ったより悪くないと思ってしまった。普段の自分から少しだけ外れた服なのに、似合わないわけではない。むしろ、少しだけ新鮮だ。

 

「どう?」

 

 カーテンを少し開けると、なぎさがすぐ顔を上げた。

 

 その目が、ほんの一瞬だけ止まる。

 

 黙って見られると少しだけ落ち着かない。

 

「……なんか言って」

 

「綺麗です」

 

 返ってきた言葉が、思っていたより真っ直ぐで、みかは一瞬だけ詰まった。

 

「いや、もっとこう、雑な感想とかあるでしょ」

 

「では、もう少し崩します」

 

 なぎさは少しだけ笑って続けた。

 

「かなり似合っています。買った方がいいと思います」

 

「それ、崩れてないよ」

 

「本音ですので」

 

 その顔が、あまりに楽しそうで。

 

 みかは困ったように笑うしかなかった。

 

 服を戻して店を出る頃には、外はもうだいぶ色を変え始めていた。昼間の白い光が少しずつ橙を混ぜていき、人の流れもどこか落ち着いてきている。

 

「……喉乾いた」

 

 みかが呟くと、なぎさがすぐに反応した。

 

「ちょうど私もそう思っていました」

 

「ほんとに?」

 

「かなり」

 

「今日“かなり”多いね」

 

「みかさんといると、何かとそのくらいになります」

 

「それ、褒められてる?」

 

「もちろんです」

 

 その返事に、みかは少しだけ笑ってから、近くのカフェを指した。

 

「じゃ、あそこ行こ」

 

「いいですね」

 

 入ったのは、駅ビルの端にある少し落ち着いた店だった。窓際の席は空いていなかったが、奥の方に二人席がひとつ空いていて、店内もほどよく静かだった。

 

 案内された席の前で、みかは当然のように向かいに座ろうとした。

 

 すると、なぎさが少しだけ困ったように、でも楽しそうに笑った。

 

「向かいでも話せますが、隣の方が楽ではあります」

 

「その言い方、ずるくない?」

 

「隠していないだけです」

 

「じゃあ、ずるいのを隠してないだけじゃん」

 

「そうかもしれません」

 

 結局、また隣に座ることになる。

 

 ドリンクを注文して、少しだけ気の抜けた静かな時間が落ちる。

 

 けれど、やっぱり気まずくはない。

 

「なぎさ」

 

「なんでしょう」

 

「ほんとにさ」

 

「ええ」

 

「普通に会ってるの、一番おかしくない?」

 

 なぎさはその言葉を少し考えるように受け止めてから、くすっと笑った。

 

「それは私も思っていました」

 

「思ってたんだ」

 

「かなり」

 

「またそれ」

 

 みかは肩を揺らして笑う。

 

「でも、正直ちょっと変じゃない? イベント会場で初めましてして、そのあと普通に服見て、お茶してるの」

 

「一般的には、少し進みが早いかもしれません」

 

「でしょ」

 

「ですが」

 

 なぎさが隣でこちらを見る。

 

「みかさんといると、そのくらいでも不自然に思えないので」

 

 その言い方は軽いのに、妙に残る。

 

 みかは一瞬だけ返事に困って、それをごまかすようにメニューを持ち上げた。

 

「……なんなんだろうね、それ」

 

「相性が良いのではないでしょうか」

 

「自分で言う?」

 

「こういうのは、早めに確認しておいた方が便利です」

 

「人生を効率で進めるな」

 

「今回は楽しさの話です」

 

 なぎさが笑う。

 

「みかさんと話していると、ずっと会話が続くので楽しいです」

 

「……まあ、それは分かる」

 

 自然にそう言ってしまう。

 

 そして言ったあとで、ああ、と思う。

 

 それを認めるのが、思っていたよりずっと自然だったからだ。

 

 ドリンクが運ばれてくる。受け取るときに、指先が少しだけ触れた。

 

 ほんのわずかな接触。

 

 でも、変に意識に残る。

 

 みかは何でもない顔をしてストローをくわえたが、隣のなぎさは気にした様子もなく、普通にカップへ口をつけていた。

 

 その何でもなさが、逆に少しだけ引っかかる。

 

「みかさん」

 

「なに」

 

「今日は、思ったより長く一緒にいますね」

 

「そうだね」

 

「嫌ではないです」

 

「聞いてないけど」

 

「言いたくなったので」

 

「その思いつきを全部口に出すのやめてほしい」

 

「では少し減らします」

 

「減らせるんだ」

 

「努力はできます」

 

「効果は?」

 

「未定です」

 

「信用ならないな」

 

 また笑う。

 

 結局、ずっとこんな調子だ。

 

 ツッコんで、返されて、笑ってしまう。その流れの中で、最初に感じていた距離の違和感はかなり薄くなっていた。

 

 それどころか、こうして隣にいることの方が妙に自然になりつつある。

 

 普通、こんなにすぐ馴染む相手なんているだろうか。

 

 そんなことを思っていると、なぎさが少しだけ顔を寄せた。

 

「みかさん」

 

「ちょ、近い」

 

「近づきました」

 

「見れば分かる」

 

「確認です」

 

「なにの」

 

「今どのくらいで止められるかの」

 

「だから人で測るなって」

 

 抗議すると、なぎさが声を立てて笑った。

 

 その笑い方が、あまりに屈託なくて。

 

 みかは呆れながらも、つられて笑ってしまう。

 

 たぶん、こうして笑ってしまうからダメなのだ。

 

 押し返すタイミングが、どんどんなくなる。

 

「じゃあさ」

 

「ええ」

 

「今日はもう少し付き合ってよ」

 

「もちろんです」

 

「即答だ」

 

「まだ帰りたくないので」

 

「……そっちもなんだ」

 

「かなり」

 

「ほんとそれ好きだね」

 

「便利ですから」

 

 そう言ってまた笑う。

 

 その顔を見て、みかは少しだけ視線を逸らした。

 

 認めたくはない。

 

 けれど。

 

 このままもう少し一緒にいたいと思っているのは、自分も同じだった。

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