『距離感バグってる年下に懐かれたら、いつの間にか好きになっていた話』 作:かみりあ
待ち合わせの十分前に着いたとき、みかは自分で自分に少しだけ呆れた。
別に急ぐつもりはなかった。むしろ、こういうときは相手より少し遅いくらいの方がちょうどいいと思っている。待たされるのは嫌いだけれど、先に着いてそわそわしているのを悟られるのも、それはそれで嫌だ。
なのに、気づいたら駅前の広場に立っていた。
休日の午後、待ち合わせの人たちがそれぞれの相手を探すように視線を動かしている中で、みかもスマートフォンを手にしたまま、一度だけ大きく息を吐いた。
「……早すぎでしょ」
口に出してみても、状況は何も変わらない。
前回会ったときはイベント会場だったから、人混みに紛れて相手を探すのにもそれなりの理由があった。でも今日は違う。完全に「会うために来た日」だ。目的地がある前に、まず“会うこと”自体が約束の中心になっている。
その事実が、今さら少しずつ効いてくる。
画面を開く。
トークの一番上には、相変わらず噛み合っていない名前が並んでいた。
【筋肉ゴリラ】
見た目だけなら絶対に小柄な高校生の女の子につく名前じゃないし、その中身があんなふうに楽しそうに笑う子だというのも、まだ時々うまく繋がらない。
でも、もう知っている。
会えば分かる。
そして会ったあとは、余計に分からなくなる。
「……何それ」
自分で考えて、自分で少しだけ笑った。
視線を上げる。
人の流れをなんとなく見渡して――ほとんど反射みたいに、少し下の方を見る。
「いた」
今度は、本当にすぐ見つかった。
小さい。
ちゃんと小さい。
でも、不思議なくらい見失わない。広場の端、柱の近くで立っているなぎさは、周囲の人たちに埋もれてもおかしくない身長のはずなのに、妙に輪郭がはっきりして見える。背筋がまっすぐで、立ち方に余計な揺れがないせいかもしれないし、単純に自分がもう見つけ方を覚えてしまったせいかもしれない。
なぎさもこちらに気づいたらしく、ほんの少しだけ目を細めて笑った。
そのまま、まっすぐ歩いてくる。
人を避けるのが上手い。ゲームの中でも思っていたけれど、現実でもやっぱりそうなのかと、みかは妙なところで感心した。
「こんにちは、みかさん」
「こんにちは」
言ってから、みかは少しだけ肩をすくめる。
「……なんか普通に挨拶してるの変だね」
なぎさがくすっと笑う。
「かなり普通だと思っていました」
「その“かなり”便利だな」
「気に入っていますので」
その返しに、みかはすぐ笑ってしまう。
前よりもずっと自然だった。会った瞬間の妙な緊張が、ほとんどない。いや、ないわけではないのだけれど、それ以上に“いつもの会話”の方が先に来る。
それが少しおかしくて、少し気楽だ。
「今日、早いですね」
「そっちもでしょ」
「みかさんが先に来ていそうな気がしました」
「なんで分かるの」
「少しだけ楽しみにしているときの行動として自然です」
「分析やめて」
「当たっていましたか?」
「……まあ」
みかは視線を逸らす。
「ちょっとだけ」
「それはよかったです」
「何が」
「私と同じでしたので」
その言い方が、またずるい。
みかは一瞬だけ返事に詰まり、それからわざとらしくため息をついた。
「ほんと、会うたびそういうの上手くなるよね」
「褒め言葉として受け取ります」
「もうそれでいいよ」
また笑う。
そして、気づく。
やっぱり近い。
初対面のときからそうだったけれど、今はもう“勝手に詰められた距離”ではなく、“そのままになっている距離”に変わっていた。肩が触れるほどではないけれど、意識すればいつでも触れそうなくらいの位置。人混みの中ならともかく、広場の真ん中でそれを自然に保っているのはどう考えてもおかしい。
「……なぎさ」
「呼ばれました」
「近い」
「今日はかなり早かったですね」
「何が」
「その指摘が出るまでの時間です」
「慣れてきてるって言いたいの?」
「そう聞こえるなら、だいたいその通りです」
「なんでそんなに余裕なの」
「余裕がありますので」
「答えになってるようでなってないんだよなぁ……」
でも、押し返さない。
気づいている。そういう自分にも。
それが一番困る。
「で」
みかは軽く仕切り直すように手を振る。
「今日はどこ行く?」
今回の待ち合わせは完全に“遊ぶため”だ。イベントみたいな大義名分もないし、買わなきゃいけないものがあるわけでもない。だからこそ逆に、何をするのかを決めること自体が一つの遊びになる。
なぎさは周囲を見回しながら、少しだけ楽しそうに言った。
「みかさんと相談しながら決めたいです」
「またその言い方」
「丸投げよりは印象が良いかと思いまして」
「自覚あるんだ」
「あります。今日は印象を少しだけ良くしておきたいので」
「もう十分よくない?」
思わず口から出る。
出たあとで、自分で少しだけ止まる。
なぎさは止まらなかった。
「それはかなり嬉しいです」
にっこり笑って言う。
「では、調子に乗りますね」
「宣言するんだ」
「止めていただけるか気になりまして」
「それ、もう止める気ないでしょ」
軽口を叩き合いながら、二人で駅ビルの中へ入る。
自動ドアが開いた瞬間に、外より少しひんやりした空気が流れてきた。涼しい。人は多いけれど、イベント会場みたいな圧はなく、買い物客の歩幅に合わせた落ち着いた動き方をしている。
みかはフロアマップをざっと見てから、上の階を指した。
「とりあえず服でも見る?」
「いいですね。前回の続きのようで、ちょうど良い気がします」
「その言い方、なんか連載みたいだな」
「では今回は第二部でしょうか」
「気が早い」
エスカレーターに乗る。
段差のせいで、なぎさとの目線の差がいつもより強調される。小さい。やっぱり小さい。視界の高さで見ても、並んで歩いても、それが変わることはないのに、存在感だけはしっかりある。
「……なぎさ」
「何でしょう」
「こうして見ると、やっぱり小さいね」
なぎさが一瞬だけきょとんとしたあと、声を立てて笑った。
「今さらですか」
「いや、今さらなんだけど」
「毎回確認したくなるのであれば、何度でも受けます」
「受けるって何」
「みかさんの驚きです」
「そこサービス精神いらないんだよ」
エスカレーターを降りる頃には、みかもまたつられて笑っていた。
最初に入ったのは、前回とは別の服屋だった。少しだけ大人っぽい品揃えの店で、色味も落ち着いている。ラックの間をゆっくり歩きながら、みかは何枚か服を手に取っては戻し、また別の棚に目を向けた。
「みかさんは、こういう色をよく選びますよね」
なぎさが横から言う。
みかが手にしていたのは、ダークグレーのトップスだった。
「そう?」
「前回も、少し深い色に視線が行っていました」
「見てるなぁ」
「かなり見ています」
「そこ堂々と言わなくていいんだけど」
なぎさは笑いながら、別の棚から一着引き抜いた。
「ですが、今日はこっちの方がいいかもしれません」
差し出されたのは、少しだけ柔らかい色味のシャツだった。白に近いけれど、完全な白ではない。光の加減で少しだけ表情が変わるような色だ。
「え、珍しいな。それ選ぶんだ」
「似合うと思います」
「ほんとに?」
「かなり」
「その単位いい加減慣れてきたな」
「便利ですから」
みかは受け取って、鏡の前で軽く合わせてみる。
悪くない。
でも、自分ではあまり手に取らない色だ。
「どう?」
横を向くと、なぎさが少しだけ真面目な顔でこちらを見ていた。視線が、服だけじゃなくて全体を見ている感じで、妙に落ち着かない。
「……そんな真面目に見なくても」
「今、かなり大事な時間ですので」
「大事なんだ」
「選択を間違えたくありません」
「責任重大だなぁ」
みかは笑いながらも、鏡の中の自分をもう一度見る。
隣には、小さななぎさ。
その身長差が鏡の中だと余計にはっきりして、少しだけ変な気持ちになる。自分よりずっと小さいのに、会話の主導権はずっと向こうにある気がするのだ。
「試しますか?」
なぎさが聞く。
その声に、みかは少しだけ肩を揺らした。
「え、着る前提なんだ」
「見たいので」
「また出た」
「本音の方が伝わりやすいかと思いまして」
「そうなんだけどさ……そうなんだけど」
結局、押し切られる形で試着室に入る。
カーテンを閉めて服を着替えながら、みかは自分でも呆れていた。なんでこんなに素直に従っているんだろう。別に嫌じゃない。むしろ少し楽しい。そういう自分が、少しだけ分からない。
着替えて鏡を見る。
やっぱり悪くない。むしろ、思っていたよりだいぶ良い。
「どう?」
カーテンを開けると、なぎさがすぐこちらを見た。
その目が一瞬だけ止まる。
それから、ぱっと表情が明るくなる。
「とても綺麗です」
「……また直球だな」
「直球の方が良いかと」
「いや、心の準備ってものがあるんだけど」
「では、もう少しだけ遠回しにしましょうか」
「できるの?」
「かなり難しいです」
「なんでだよ」
思わず笑ってしまう。
なぎさは、みかが笑うと自分も嬉しそうに笑う。そこに変な照れがない。だからこっちだけが変に意識しているみたいで、少しだけ悔しい。
「買いますか?」
「どうしようかな」
「私は推します」
「理由は?」
「今日のみかさんに似合っています」
「今日限定なんだ」
「次も似合うとは思いますが、今日の方が説得力があります」
「どういうこと」
「一緒にいるので、よく見えています」
みかは数秒、本気で言葉に詰まった。
それを見て、なぎさが笑う。
「困らせましたか」
「……少しね」
「それは申し訳ありません」
「絶対思ってないでしょ」
「少しは思っています」
「少しか」
結局、その服は買うことになった。
店を出たあとも、みかは紙袋を手にしながらなんとなくその感触を確かめていた。普段の買い物で、こんなふうに一着の服に意味が乗ることはあまりない。けれど今日は、その服を選んだ時間ごと、妙に記憶に残る。
そのまま次に入ったのは、生活雑貨の店だった。
ここは空気がまた少し軽くて、可愛い小物や文房具が所狭しと並んでいる。見るものが多いせいで、自然と歩く速度が遅くなる。
「みかさん、これどうでしょう」
なぎさが手にしていたのは、妙に可愛い猫のマグカップだった。
「意外だな、そういうの見るんだ」
「かなり見ます」
「使うの?」
「使います。見て楽しいものは、使っても楽しいので」
「なるほどね」
みかが感心していると、なぎさがそのマグカップを少しだけ持ち上げた。
「みかさんに似ている気がしまして」
「どの辺が」
「少し気まぐれそうなところです」
「猫ベースなの?」
「ですが、懐くとたぶん優しいです」
「……何その解像度」
「当たっていますか」
「半分くらい」
「では、かなり良い方ですね」
「自己評価高いなぁ」
また笑う。
気づけば、ずっと笑っている気がした。
こんなふうにだらだら店を見て回っているだけなのに、全然退屈じゃない。それどころか、時間がゆっくり進んでいるみたいで、まだ少ししか経っていないようにすら感じる。
「少し休みますか」
なぎさが言う頃には、夕方の色がだいぶ濃くなっていた。
「ちょうど言おうと思ってた」
「やはり」
「なんで分かるの」
「みかさんの歩く速度が少しだけ落ちていました」
「そんなとこ見てるの?」
「かなり」
「やめてって」
「では、少しだけ減らします」
「ゼロにしてくれないの?」
「難しいです」
そのまま近くのカフェに入る。
今度は前回よりも少し広い店で、ソファ席が空いていた。通された席を見て、みかは一瞬だけ思う。
ああ、たぶん隣だろうな、と。
実際その通りだった。
「もう聞かないんだ」
みかが苦笑すると、なぎさは楽しそうに笑った。
「前回でかなり許容されたと思っていました」
「そういうとこなんだよ」
でも、否定はしない。
隣に座ることが、もうほとんど前提になっている。
注文を済ませて、少しだけ気の抜けた時間が流れる。隣に人がいる。しかも、自分よりだいぶ小さい。けれど距離は近い。その妙な組み合わせに、みかは今さらじわじわおかしさを感じていた。
「ねえ」
「何でしょう」
「こうしてるとさ」
「ええ」
「普通にデートっぽくない?」
なぎさが少しだけ目を丸くしてから、すぐに笑った。
「かなり良い表現だと思います」
「そこ肯定するんだ」
「楽しい外出という意味では、近い気がします」
「いやまあ、間違ってはないけど」
「嫌でしたか?」
「嫌じゃないんだよね、それが」
ぽろっと出た本音に、自分で少しだけ驚く。
でも、引っ込める前に、なぎさがやわらかく笑った。
「それはよかったです」
その返し方も、ずるい。
正面から受け止めるくせに、重くしない。軽くするくせに、なかったことにもしない。その匙加減が妙にうまい。
「みかさんは」
「ん?」
「前より、かなり素直になりましたね」
「なにそれ」
「良い変化だと思っています」
「人を勝手に育てるな」
「育ってはいません。慣れただけです」
「そこも言い切るんだ」
「見ていますので」
「もうそれ武器じゃん」
「便利です」
「なんでも便利って言えば済むと思ってるでしょ」
「かなり便利です」
みかはとうとう声を立てて笑った。
もうだめだ。いちいち全部拾ってしまう。
隣にいることも、会話の流れも、普通に受け入れてしまっている。
ドリンクが来て、一口飲む。少しだけ冷たい。けれど、その冷たさより隣の気配の方が意識に残る。
「……なぎさ」
「呼ばれました。今日はかなり多いですね」
「カウントしてるの?」
「嬉しいので」
「そういうのそのまま言うよね」
「隠すほどのことでもありませんので」
「そうなんだけどさ……」
言葉が少しだけ途切れる。
みかはストローを指先でくるくる回しながら、窓の外を見た。街の明かりが少しずつ増えていく。今日が終わりに近づいているのに、それがあまり惜しくない。たぶん、次があると分かっているからだ。
いや。
分かっているというより、もう“ある前提”で考えてしまっている。
そこまで来ている。
「また会うよね」
口に出したあとで、自分でも少しだけ早いと思った。
けれど、なぎさはまったく驚かなかった。
「もちろんです」
迷いなく返ってくる。
「むしろ、今日で終わるとは思っていませんでした」
「……強いな」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
みかは笑う。
そのまま、少しだけ肩の力を抜いた。
「なんかもう」
「ええ」
「普通に会ってるのが一番おかしい」
「ですが、かなり楽しいです」
「そこは否定しないんだ」
「私もですし、みかさんもだと思っています」
「決めつけるね」
「当たっていますか」
みかは少しだけ間を置いてから、ため息みたいに笑った。
「……当たってる」
認めるしかなかった。
それで十分だった。
なぎさはその答えに満足したみたいに、嬉しそうに笑う。その表情を見ていると、みかの方まで少し気が緩む。
たぶんもう、かなり深いところまで来ている。
まだ名前はつけない。
つけたくない。
でも、これはただ“気が合う”だけでは説明がつかなくなり始めていた。
店を出る頃には、夜の空気がもうかなりはっきりしていた。駅へ向かう道を並んで歩きながら、みかは今日の時間をぼんやり思い返す。
待ち合わせから始まって、服を見て、雑貨を見て、カフェで話して、こんなふうにまた並んで歩いている。
恋人みたいだ、と思った。
思った直後に、自分で少しだけ笑ってしまう。
「どうしましたか」
なぎさが横から聞く。
「いや」
みかは首を振る。
「ちょっと変なこと考えただけ」
「教えていただくことはできますか」
「できない」
「残念です」
そう言いながらも、なぎさはどこか楽しそうだった。
みかはその顔を横目に見て、また少しだけ笑う。
やっぱり、だめだ。
会えば会うほど、この子のことが気になっていく。
そのくせ、今はまだ、それを真正面から認めるのは少し悔しかった。
「じゃあ」
駅の手前で足を止める。
「今日はこのへんで」
「ええ」
なぎさも止まる。
距離は近いまま。
「また連絡する」
「お待ちしています」
「その顔、絶対分かってるでしょ」
「かなり分かっています」
「もう隠す気ないんだ」
「隠す理由があまりありませんので」
みかは笑って、少しだけ視線を逸らした。
「……ほんと、ずるいな」
「褒め言葉として受け取ります」
「そればっかり」
「便利ですので」
最後までその調子だ。
でも、だからこそ、少し安心する。
みかは小さく息を吐いてから、もう一度なぎさを見た。
「じゃあね」
「では、また」
その返事がやけに自然で、まるで最初から次が決まっていたみたいだった。
みかは駅へ向かって歩き出す。途中で一度だけ振り返ると、なぎさはまだそこにいて、こちらに気づくと小さく手を振った。
その姿はやっぱり小さい。
でも、不思議と見失わない。
むしろ、視界に残る。
「……ほんとに、なんなんだろ」
小さく呟いて、みかは笑った。
今日もまた、ちゃんと楽しかった。
そして、それがちゃんと困るくらいには、もうこの関係は普通じゃなかった。