彩葉のバイト先の店長は前作主人公感漂う藤丸立香です(旧題:パン屋のぐだ子とバイトの彩葉)   作:生徒会副長

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㉕星が生まれた刻

 

 

(退職願────)

 

 私だって、32年の人生の中で2回書いたことがある。大学時代のバイト先を辞めるときと、修行していたパン屋さんを辞めて独立するときの2回。受け取る側としての経験は……これで7回目。受験勉強に集中するため、就活に集中するため、親の介護のため……そんな理由で、多くの人との別れを経験してきた。

 もちろん、いつか彩葉ちゃんが退職することだって覚悟した上で採用し、一緒に働いてきている。

 しかしそれが──今、というのは……。

 この虚ろな眼をした彩葉ちゃんが、社会と繋がる糸の一つを、ここで断ち切るのは……。

 

「もうちょっと……理由を聞かせてくれないかな?」

 

 引き止めたい気持ちを抑えつつ、私は冷静に訊ねた。

 ここで感情的になって焦っては駄目だ。いま私と彩葉ちゃんを結ぶ糸は細くなっている上に、彩葉ちゃんは自らそれを切ろうとしている。拒絶されたら終わりだ……。

 

「迷惑をかけたっていう、罪や罰の意識以外の理由を聞かせて欲しいんだ。駄目かな?」

 

 口をもごもごさせてから、彩葉ちゃんは答えた。

 

「……受験勉強に集中する為です」

「……進路って、どうするか決めてる?」

「東京大学法学部を目指します」

 

 普通の大人、普通の経営者なら、ここで話は終わるだろう。『東大の法学部を目指すなんて立派だな! 頑張れよ!』とでも言って、退職願を受理し、受験競争へと彼女を送り出す。

 

(でも……私は違う)

 

 私は知っているし、既に踏み込んでいる。彼女のキャリア選択、彼女が思い描く未来の航海図──その歪みを。

 だから私は、意を決して斬り込んだ。

 

「東大法学部に入って、何がしたいの?」

 

 ぴくっと、彩葉ちゃんが一瞬震えた。しかし未だ昏い眼をしたまま、彩葉ちゃんは答えた。

 

「……母は、四人の弟妹を養いながら京大へ行って、弁護士になりました。なら、守るものがない私は、同じ道をなぞった上で、一歩先まで進まないといけないんです」

 

 うん……? ちょっとおかしいぞ……?

 曲がりなりにも弁護士志望だと言い切ったのなら……。

 ちょっと論理の隙を突いてみようか。

 

「アルバイトっていう枷を外して受験勉強をしたら、紅葉さんの道をなぞったとは言えないんじゃないの?」

 

 今度は先ほどより大きく、彩葉ちゃんが揺らいだ。

 私より賢い彩葉ちゃんなら、紅葉さんの娘として生きてきた彩葉ちゃんなら、この質問の鋭さに気づいているだろう。

 藤丸ベーカリーが受験の枷ではないのなら、辞める必要がない。

 藤丸ベーカリーが受験の枷であるのなら、辞めてしまうと酒寄紅葉の人生をなぞれなくなる。

 彩葉ちゃんは、この『嘘つき村のパラドックス』のような難問に対して……。

 

「……枷は今まで十分背負いました。かぐやの世話をして、かぐやのプロデューサーをしました。その結果十分なお金を稼いだので、それで釣り合いは取れています。私はもう十分働きました」

 

 そんな無情で空虚な答えに逃げた。所持金や労働量という結果で以て、酒寄紅葉という結果との合致度を測定するという……。

 まるで──。

 

『心がこもっていない、と言うが、そもそも心とは反応だ。反応は作り出せるし、制御できる』

『過程や内面は必要ない。物事は表だけあればいい』

 

 ……活性アンプル使用から3日、そろそろ副作用も落ち着いてきたところだが、今一瞬空想(ユメ)が頭をよぎった。

 それだけ……今の私にとっても、空想(ユメ)の私にとっても、許しがたい思想だったのだろう……きっと。

 

「……それ、彩葉ちゃんの本音から出た答えじゃなくない?」

「……と、言いますと?」

 

 苛立っているように聞こえないか不安に思いながらも、彩葉ちゃんに拒絶される可能性を考えながらも、私はなんとか訊くことができた。

 

「“アレをしなきゃいけない”っていう義務とか、“コレをしました”っていう事実とかじゃなくてさ。私は……彩葉ちゃん自身が何をしたいのかっていう、夢や願いを聞きたい」

「っ……!」

 

 少し眼に生気や感情こそ戻ったけれど、彩葉ちゃんはその眼を逸らしてしまう。

 隠したいのだろうけれど、それこそこれからの私と彩葉ちゃんに必要なものだ。

 

「……本音を聞かせてよ」

 

 しかし、私のその願いは叶わなかった──今はまだ。

 

「……母に認めてもらえる、母にとって自慢の娘に……なりたい……です……」

「嘘だね」

 

 そんな虚ろな眼で口にする夢や願いが、本物の訳がない。

 まだ怒りや悲嘆や憎悪と共に叩きつけるような願いの方が、人間味があるだけマシだ。

 

「……嘘じゃないです」

 

 しかし彩葉ちゃんは、細かく震えつつ、まだ隠そうとする。

 この嘘で誤魔化しが効く相手など幾らでもいるし、実際今までそうだったのだろう。自分を育ててくれた親の愛情と恩に、素晴らしい結果を出して応えるというのは、いかにも美談だ。

 私はお断りだけど。

 

「うーん……」

 

 腕を組んで数秒考える。この嘘を、この演技を暴いて、彩葉ちゃんの心の楽屋裏を覗くにはどうすればいい……か……。

 

(あぁ、なるほど?)

 

 演技には演技で応えればいいのか、と思った私には、一計が浮かんだ。

 

「その夢、ちょっとシミュレーションしてあげようか?」

「えっ……?」

 

 これから私が見せるのは、進路指導の教師ごときでは出してこない、出す義理もない劇毒だ。

 彼女の心の地雷を踏み抜く行為、竜の逆鱗に触れにいくような蛮行だ。彩葉ちゃんにぶん殴られるぐらいのことはあるかもしれないけれど……。

 

(まぁ……それならそれでいい)

 

 それぐらい、彩葉ちゃんの怒りや嘆きを呼び醒ませたなら──。

 

(…………十分な報酬だ)

 

 覚悟を決めた私は──。

 ある役を羽織った──。

 

「あ゛ー、んんっ……。『……へぇ、彩葉。東大法学部を首席で卒業して、弁護士になったん? エライねぇ彩葉。うん、それでええんや』」

 

 ビクッと、敏感なところに触れられたかのように、彩葉ちゃんが揺らいだ。

 私が羽織った役は──『酒寄紅葉』。正論と皮肉と嫌味が大好きな、京都人の敏腕弁護士。

 私に声帯模写の才能などないが、雰囲気は似ているはず……。

 

「好きなことを仕事にするだの、音楽で食っていくだの、そんな都合のいい話は毒や。地に足着けて、現実見て生きていかんとアカン。よう分かっとるやないの」

 

 さぁ、偽りとはいえ最愛の母親、貴女の人生最大のラスボスの再現だ。

 何か言ってみせろ、酒寄彩葉──!

 

「……彩葉。アンタが出した結果を、認めたるわ。アンタはウチの、自慢の娘──」

「違うっ! 違うっっ!!」

 

 歯を噛み締め、愛憎で紅く染まった眼を涙で濡らしながら……彼女は断言した。

 

「お母さんはそんなこと言わないしっ! そんなことを……そんなことを言われても……ちっとも嬉しくないっ!!」

 

 心の何処かでは、きっと分かっていたんだろう。たった数回電話で話しただけの私ですら、紅葉さんがこんなことを口走るはずはないと思いながら演じていたのだから。

 だけど私の演技で、それはハッキリ突きつけられてしまった。

 

「そんなことより……私は……私は……!」

 

 美談の外表で覆い隠されていた、彼女の本音、彼女の中身は、叫びとなって解き放たれた──。

 

「────かぐやと一緒に居たかった!!」

 

 そこから彼女は、わんわんと泣いた。机をバンバン叩いて、言葉に出来ない感情を発露した。おとぎ話でかぐや姫を失った竹取の翁が、聲(こえ)を上げて泣いたように。

 或いは、生まれたての赤ん坊が泣くように。

 私は彼女の隣に座りなおして、彼女を優しく抱き締める。

 そんな私の服をギュッと握り締める彩葉ちゃんは、いっそ愛おしく見えすらした。

 

(そりゃだって、人間だもんね)

 

 怒りも悲しみも、生きていれば抱いて当然の色彩(いろ)。

 彩葉ちゃんと出会ってからおおよそ1年4ヶ月。やっと本音を聞かせてくれたこと、やっとこの子が人として譲れないものを見つけたことが……。

 

(愛おしいって言い方は不謹慎かもしれないけど……他の語彙は、ちょっと見つからないかな……)

 

 そう思いながら、彩葉ちゃんが泣き止むまで、私は彼女の隣に座り続けた──。

 

 

──※──

 

 

 

 長い長い時間をかけて、彼女が泣き止んだ頃。

 ぐずってこそいるけれど沈黙が続くのは嫌そうな雰囲気を感じ取った私は、隣の彩葉ちゃんに尋ねた。

 

「彩葉ちゃんは、藤丸ベーカリーのこと……キライ?」

 

 潤んだ眼で、彼女は答えてくれた。

 

「そんなこと……そんなこと……ないです。そりゃ、嫌なことだっていっぱいあったし、正直休みたい中で必死に働いてた日も……ありましたけど……」

 

 その答えに社交辞令は一切ない。喜ばしいことだ。酸いも甘いも全部込みで、ちゃんと正直に話してくれている。

 

「嬉しいことや楽しいことだって、いっぱいありました。常連さんから名前を覚えて貰えたり、可愛い赤ちゃんを抱いたお客さんがパンを食べて笑顔になったり。かぐやとのコラボカフェや、コラボ配信だって……やってもらって良かったです。学校の先生と家族とヤチヨぐらいしか大人を知らなかった私にとって、藤丸店長やマシュさんの生き様は新鮮でした。明るくて……楽しそうで……」

「うん。私も……彩葉ちゃんと出会えて、彩葉ちゃんを雇って、本当に良かったと思ってる。単なる売り上げとか、シフトの穴埋めとかの話だけじゃなくてさ」

 

 しかしそれは……それだけでは……彩葉ちゃんの退職を引き止める碇(いかり)になり得ない。なっちゃいけない。

 それが生きていくってことだから。

 

「藤丸ベーカリーで過ごした日々の経験や思い出が、彩葉ちゃんの未来を照らす光になってくれたら、こんなに嬉しくて誇らしいことはないね。たとえ彩葉ちゃんが、パン屋さんと全然関係ない仕事をして生きていくとしても。いつか彩葉ちゃんが……私やマシュの顔を忘れてしまっても。いつか藤丸ベーカリーが……閉店したとしても」

 

 私は穏やかにそう言ったのだが、彩葉ちゃんは驚きで目を見開いて、私を見つめていた。

 

「忘れる……? 閉店……? 何を……何を言ってるんですか、藤丸店長っ!?」

「んー。そりゃそう簡単に藤丸ベーカリーを閉店なんてさせないけどさ! 永遠に栄える国がないように、永遠に繁盛し続けるパン屋さんなんて無いよ。仮に藤丸ベーカリーが百年続くとしても、百年後には私もマシュも生きてる訳ないし。どんなお店も、どんな人生も、どんな物語も……いつかは終わりを迎えて、消えていって、忘れられる。その覚悟だけは、一応しておかないと」

 

 おどけて、なるべく明るく私はそう話したが、彩葉ちゃんには堪えられない運命だったらしい。頭を抱え、机に突っ伏してしまう……。

 

「やだ……。やだやだやだ……」

 

 その眼には、再び涙が浮かんでいた……。

 

「みんな……。みんないつかはいなくなるっていうんですか……? お父さんや、かぐやみたいに……! お母さんも、お兄ちゃんも。芦花も、真実も。藤丸店長もマシュさんも、私自身も……。そんなのイヤです……! そんなバッドエンド……いやだ……いやっ……!」

 

 涙ながらに、彼女はとことんまで弱音を吐き出していた……。

 

「そんなこと言われたら、私はもう頑張れません……。何のために頑張ればいいのか分かりません……!」

 

 けれど私は……そうやって弱音を吐く行為こそ、彼女が未来へ進むために必要だと思っていた。

 今までは紅葉さんから複製(トレース)した言葉を盾にして、防いでいただけだった。

 でもこれからは違うんだ。

 

「でもさ。彩葉ちゃんさ」

 

 あなたの手にはもう、立派な武器があるでしょう……?

 

「さっき、自分で言ってたじゃん。かぐやちゃんと一緒に居たかった──って。それでいいんじゃない? 頑張る理由」

 

 私は不敵な笑みを浮かべてそう言うが、彩葉ちゃんは未だ迷いの闇の中にいた。

 

「でも……かぐやはもう……いないんですよ……? もう……会えないんです……。記憶も消されて……。なのに今さら、何をしたって……何の意味もないんじゃないですか……?」

「二度と会えない人、この世に無いもの、叶わない夢や願いの為に頑張る人間や英雄なんて、歴史やおとぎ話の中にいくらでも居るけど?」

「……例えば?」

 

 おぉっと、例えば、か……。

 

「……新選組の話なんかしても、たぶんあんま興味ないよね……」

「……鳥羽・伏見の戦いが始まった時、既に江戸幕府は大政奉還で消滅していて、しかも錦の御旗によって逆賊の烙印を押された……という辺りの話ですか?」

「うん、まぁ……。でももうちょっと身近な話じゃないと、彩葉ちゃんは納得できないよね〜〜」

「……すみません」

「いやいや。啖呵を切った割にいい喩え話が浮かばなかった私が悪いと思うよ? 締まらないよねー、ははは……」

 

 はぐらかすように笑う私を呆然と見つめてから、彩葉ちゃんがポツリと、言った。

 

「……藤丸店長……ご自身は?」

「ん?」

「月人に負けて、かぐやがいなくなった翌朝も、笑顔でパンを焼いていたんでしょう? なんでそんなことが出来るんですか……?」

 

 あぁ、なんだ。

 一番身近で、一番タイムリーな人がいるじゃん、ここに──。

 

「ご自分で今、言ってたじゃないですか。いつか藤丸ベーカリーも閉店するって。消えて、忘れられるって。その絶望や終わり……バッドエンドに……どうして立ち向かえるんですか……?」

 

 あの空想(ユメ)で話したお医者さんも……こんな風に、私からせがまれたんだろうか……。

 なら今度は──。

 私が、そのバトンを渡す番だ。

 

「そんな難しいことじゃないよ。バッドエンドやゲーム終了(オーバー)じゃなくて、ゲーム完了(クリア)を目指すんだよ」

 

 完コピしたら情けない気がして。

 かといって全部オリジナルで話すと、あのお医者さんが遺してくれたものが消えてしまう気がして。

 私は、あのお医者さんの話と自分の心、それらを上手く混ぜ合わせながら、言葉を紡ぐ。

 

「いつか終わりが訪れること自体は、別にいいんだ。ただその終わりの瞬間までに、一つでも多くのタスクをこなしていくんだよ。失敗したっていいし、間違えたっていいし」

「……失敗しても、いい……? 間違えても、いい……? それ、タスクをこなしたって、言えます……?」

「言える言える!」

 

 私みたいな凡人がそう言うだけでは説得力がないかもなので、ある天才の言葉を引用する。

 

「エジソンだってこう言ってる! 『私はうまくいかないやり方を10000通り見つけただけだ』って! そして最後の瞬間に──『やり残したことはないっ!』って彩葉ちゃんが言えたんなら、人生の先輩である私としては、最高に誇らしいよ!」

「……やり、のこ、し……?」

 

 エジソンの場合は一代で竹フィラメント発見という偉業に辿り着いたが、別に何代も費やして辿りつく成功や正解があってもいいのだ。

 

「そうして彩葉ちゃんがこなしたタスクは、たとえ失敗でも間違いでも──彩葉ちゃんの後に続く、誰かを照らすよ。星のようにね!」

 

 私の背にある窓の向こうでは、星空が煌めいている。

 彩葉ちゃんの瞳には、星の光が映っている。

 その輝きを瞼の裏に宿して、彼女は──。

 

「くっ……。ううっ…………!!」

 

 自ら書いた美しい退職願を、破り捨てた。

 二度と使うことがないように、強くて弱い自分と決別するかのように。

 その顔はまた、涙でくしゃくしゃになっている。

 

「藤丸……店長……!」

 

 椅子に座ったまま、彼女は泣きながら、深く深く頭を下げた。

 

「あと2日……いや3日……バイトを休ませてもらっても……いいですかっ……?」

「……どうして?」

「……やり残したことが、あるんです……」

 

 ぎゅっと拳を握り締めて、彼女は話す。

 

「かぐやの卒業ライブ……最後の曲……。アレ、無理矢理ワンコーラスで終わらせちゃったんです……! 名前も付けてあげてないんです……!」

 

 あぁ、そういえば──。

 

>>あの曲って配信しないんですか?

>>2番ってどこにある?

>>題名が分からんから、とりあえず『タカラバコ(仮)』って呼んでる。

 

 こんな具合に、ネットでも話題になってたし、ぐだぐだチャンネルのコメントでも質問来てたな……。

 

「かぐやは続きを聴きたがってたのに……! お父さんと一緒に作った、大切なメロディーなのに……! あの曲を完成させて、かぐやに届けたいんです! 『もっとかぐやと一緒に居たかった』って、願いと想いを込めて……!」

 

 顔を上げた彼女の眼は、人間らしい弱さと鮮やかな強さを宿していた。

 

「かぐやがいま居るのが、月だろうと宇宙だろうと関係ない! 私の歌を届ける為に全力を尽くすんです! やり切った後、結局届かなくってもいい! 誰かに褒めて欲しいだの、認めて欲しいだのなんて願望もない! それでも──やれるだけのことはやりたいんです! やり残したことは無いって、胸を張って言えるようになりたいんです! だから──!」

 

 再び彼女は、バッと頭を下げて懇願する。

 

「私に、時間をください! お願いします! お願い……します……っ!」

 

 私はその願いに対して──単なる『YES』だけで、答えを済ませるつもりはない。

 

「……今まで彩葉ちゃんは、本当によく働いてくれたよね。雨の日も風の日も。テスト期間中でも風邪が流行ったときでも。他の人が、旅行や免許合宿で休んだときも……」

 

 給与という対価では返し切れない恩を、今こそ返そうじゃないか!

 

「3日ぐらいで足りるもんか! 一生に一度、あるかないかの真剣勝負でしょ! 2週間ぐらいどーんと休んじゃえ!」

「藤丸……店長……!」

 

 目を潤ませる彼女に対し、私は胸を張って言う。

 

「店のことは気にしなくていい! 元はといえば私とマシュの店だし! その代わり……ちゃんとやり遂げること! 決着がついたら、ちゃんと私達にその物語を話すこと! いい!? わかった!?」

「はい……! はい……! ありがとう……ありがとうございますっ!! 私……! 私……!」

 

 キラキラ輝く涙を零しながら、彩葉ちゃんは言った。

 

「藤丸ベーカリーで働いて、良かったです! 私……藤丸店長に会えて、本当に良かったです!!」

 

 ──そこから、彩葉ちゃんの新しい挑戦が始まった。

 

 仮病を使って、学校と藤丸ベーカリーはお休み。全身全霊を作曲の為だけに使うのだ。

 食事はカップ麺とエナドリ──だけだと健康に悪いので、藤丸ベーカリーのパンやサラダを、芦花ちゃんと真実ちゃんが届けてくれた。

 

「芦花ちゃんは、これで良かったの?」

 

 パンを渡しながら、そう彼女に訊ねたことがある。

 正直な笑顔で芦花ちゃんは答えてくれた。

 

「……ええ! かぐやちゃんを失った悲しみを誤魔化しながら私に笑いかけてくれる彩葉より、今の彩葉の方がずっといいです!」

 

 ──彩葉ちゃんが休んでいる間のシフトの大半を埋めてくれたのは、みおちゃんだった。

 

 私はみんなでちょっとずつカバーすればいいと思っていたけれど、みおちゃんが「私が入れば埋まるところは、全部私を入れてください!」と言い出したのだ。

 そして、藤丸ベーカリーのバックヤードでその日起こったドラマは、それだけではなかった。

 私からの、シフトの打診。みおちゃんからの、シフトを埋める宣誓。それに続けて……

 

「私……本気でパン屋さん目指してもいいですか!?」

 

 みおちゃんは、そんな志を口にした。

 

「もちろんいいけど……どうして?」

「……酒寄先輩って、将来パン屋さんにはなりませんよね?」

「……そう思う?」

「酒寄先輩の志望校って東大でしょう? 東大を卒業したら、政治家になったりとか、大企業の役員になったりとか、最新の研究所で科学者として働いたりとか……そういうイメージがあるんですよね。東大を卒業してパン屋さんって、あんまりイメージできなくて」

「まぁ飲食店経営者の友達や取引先でも、東大・京大レベルはほぼ見ないし、噂も聞かないね」

 

 かぐやちゃんの為にパン屋さんになる彩葉ちゃんの可能性は……まぁ低いな。

 かぐやちゃんの為って言うなら、音楽関係の方があり得そうだ。

 みおちゃんが寂しげに言う。

 

「酒寄先輩がパン屋さんにならずにバイトを辞めて、私も将来パン屋さんにならなかったら、藤丸ベーカリーで教えてもらったこととか、今までの失敗とか、思い出とかが……無駄になりそうで……怖くなったんです」

「……うん」

 

 『無駄になんかならないよ』と言いたい気持ちを抑えて、私は静かに耳を傾ける。

 

「私っ、今まで別になりたい仕事とかなかったし! 私がパン屋さんになって、酒寄先輩が残したものや教えてくれたことを……少しでも私の人生に、誰かの人生に残せたらって──そう思ったんです!」

 

 そう言い切ったのはいいものの、それがみおちゃんの限界だったらしい。

 耳を赤く染め、背を少し曲げて、彼女は萎んでしまう。

 気恥ずかしさで縮んだみおちゃんが、小さな声で聞いてきた。

 

「……くだらない理由、ですかね……?」

「いや────」

 

 笑顔で、私は告げる。

 

「誰かがくだらない理由だと言ったとしても、私は言うよ。タイパだのコスパだので仕事を選ぶより、168倍素敵な理由だって!」

「はい! 前も言ったとおり、先輩の為に頑張る後輩は、最強、ですので!!」

 

 ビクッと驚いた私とみおちゃんが見遣ると、そこにはマシュがいた。

 真夏の太陽のようにゴキゲンな笑み。たぶん私も似たような笑顔をしているんだろうな、と思う。

 

「話は聞かせて頂きました東さん! 素晴らしい志だと思います! では今日から、東さんは藤丸ベーカリー未来の店長候補として教育していきますがよろしいでしょうか!?」

「えっ、いやっ、あのっ……マシュ副店長……?」

「大変よろしいと思います!」

「藤丸店長も!?」

 

 マシュはかつてないハイテンションになっており、私もそれに便乗する。やれやれみおちゃんったら、言い出しっぺなのに困惑しちゃって。

 

「立派に育ったみおちゃんにこの店を任せられたら、私は遠慮なく世界に羽ばたけるからね〜♪」

「え、えぇっ!? 店長……。学級委員もやったことない私が……店長……」

 

 私が明るくそう言っただけで、みおちゃんは立ちくらみしそうになっている。そしてマシュは涙を流しそうなほど目を潤ませてすら感動し、声を震わせていた。

 

「ま、店長(マスター)……! ついに……ついに世界藤丸ベーカリー計画という崇高な使命(グランドオーダー)にやる気を……!?」

「んー、まぁ……」

 

 彩葉ちゃんは、月に帰ったかぐや姫に歌を届けようなんて夢を見たのだ。

 だったら私も──。

 

「──今日ぐらいは、でっかい夢を見たっていいかなって、思ったんだよ!」

 

──※──

 

【こうして立香、マシュ、彩葉は、それぞれの夢に向かって、走っていく】

 

【幾度もの朝のひばり、夜のとばりを越えて、強く、美しく】

 

【でもどうぞ、いつまでも忘れずに。どんなに強く美しい夢でも、所詮夢であることに変わりはない】

 

【取るに足りない、小さなウミウシのうっかりミスで消え去るものさ】

 

【嗚呼、それこそ──】

 

【夏の夜の夢のようにね★】

 

 

 

 

 

 

 

 




【あとがき】
 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
 『立香とマシュがカルデアの記憶を取り戻すのは解釈違い』という読者の方々とは、ここでお別れとなります。

 そして! 来週! いよいよ!

 サーヴァント戦の始まりでございます!
 待ちくたびれた方々、お待たせ致しました!

 感想やコメント等、ドシドシお待ちしております!
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