善意の剥製   作:タロットゼロ

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今回は幕間劇のようなもので。バロネス・エインズワースにはひと休みしてもらってます


不毛なる舌

ロンドンの空は、夜になると石造りの街に独特の冷たさを落とす。

 

郊外にある由緒ある貴族邸宅、代々議席を持つ家系の一つとして知られるその屋敷では、重いカーテンが半ば閉ざされ、暖炉の火だけが赤く揺れていた。

長い楕円卓。

銀の茶器。

壁には先祖たちの肖像画。

その中央で、数人の男たちが静かにグラスを傾けている。

いずれも爵位を持ち、同時に政界へ深く食い込んだ者たちだった。

 

暖炉の火が低く揺れ、壁に掛けられた肖像画の影をわずかに揺らす。

不意に、一人の中年紳士が新聞を畳み、卓上へと放った。

乾いた紙の音が室内に響く。

見出しには大きく、

――女男爵、過去の恩を忘れず

卓上には数枚の新聞。

どれも一面に同じ顔がある。

ホテルラウンジで微笑む若い女。

そして見出しには、

“日本で拡散するAFO発言”

“恩人を否定しない英国貴族”

“外交波紋”

一人の老貴族が鼻で笑った。

「……あのじゃじゃ馬には、日本も手を焼かされているようだな」

鼻で笑うように言ったその男に、向かいの老紳士がわずかに眉を動かした。

「だが、我らには関係のないことだ」

低い声で新聞を二つ折りにしながら、興味なさげに卓へ置く。

 

暖炉の火がぱちりと鳴る。

誰もすぐには反論しない。

その沈黙そのものが、この場の共通認識だった。

やがて、窓際に立っていた議員が振り返る。

「オール・フォー・ワン…か——あの男の日本への執着は異常だ」

その名を口にしても、恐れより先に冷ややかさがある。

「何十年も執拗に日本へ根を張り続けている、経済的合理性も薄うえに政治的にも割に合わん、それでも離れない」

一人がグラスを回しながら言う。

「そのまま日本だけ狙ってくれるぶんには、こちらには対岸の火事だ」

 

言葉は冷淡だった、隣国ですらない、海の向こうの災厄。

 

距離があるからこそ割り切れる。

 

短い笑いが漏れた。

 

窓の外では風が枝を揺らしている。

 

「もし——」

指先で紙面を軽く叩く。

「あの男が倒れたときだ」

その一言で空気が少しだけ締まる。

暖炉の火の音だけが残る。

「……うむ」

別の男が頷く。

「その時は、エインズワース家は取り潰しだ」

迷いなく言い切る。

「保有資産、関連法人、慈善基金、すべて凍結し回収可能なものは英国政府管理へ移す」

誰も驚かない。

すでに何度も机上で話された筋書きだった。

「外交的には“危険な外部関係の整理”で押し通せる、世論も犯罪者との接点が明確になれば反対しづらいだろうなにせ本人が堂々と認めてしまったからな」

薄く笑う者もいる。

その笑いに温度はない。

ただ、状況整理として。

「爵位は?」

「剥奪だろう」

「……当然だな、国王陛下に余計な心痛はかけられんよ」

その名が出た瞬間、全員の声が自然に落ちる。

 

国家の象徴。

 

その耳に、犯罪者と貴族の癒着という醜聞を長く残すわけにはいかない。

この国で最終的に守るべき象徴、王室への影響だけは避けねばならない。

それが彼らの共通利益なのである。

 

暖炉の火がひときわ大きく揺れた。

古い石造りの談話室には、いまだに密談が行われていた、窓の外では霧が街路灯を滲ませている。

卓上の新聞は半ば脇へ追いやられ、代わりに古い封筒と記録台帳が開かれていた。

そこに押されている家紋。

一人の老議員が鼻を鳴らした。

「エインズワースといえば……」

グラスを揺らしながら、

記憶を辿るように視線を上へ向ける。

「あれは、5年……いや6年前かな」

誰かが苦く笑う。

「ああ、あの話か」

「突然だった」

老議員は肩をすくめた。

「爵位継承と外交官就任の準備を進めてくれ——などと要求された時には、さすがにたまげたよ」

言葉の端に、

いまだ残る呆れが滲む。

通常ならあり得ない。

爵位継承には順序がある。

段階がある。

審査がある。

まして外交官ポストとなれば、

外務省、議会、王室関係筋、

複数の調整を要する。

しかも——

「嫡男を飛ばして、だ」

別の男が低く言った。

「たしか……何と言ったかな」

眉を寄せる。

「名前は——」

「……まあ、いい」

老議員が手を振る。

「今さら重要でもない」

その一言で、

その嫡男がこの場でどれほど価値を失っているかがわかる。

「問題は、あの娘だった」

視線が新聞の写真へ落ちる。

若い。

整った顔立ち。

涙すら計算に見える表情。

「あの年齢で爵位継承」

「しかも外交官待遇」

「前例としてはかなり無理があった、議会内でも反対は多かった」

「当然だ」

短く返る。

「だが——」

暖炉の火がまた鳴る。

最年長の男が静かに言った。

「あの男への貸しになると思った」

その名が出ると、

再び空気が締まる。

「あの時点で正面から断る選択肢は現実的ではなかった」

「貸しを作る必要があった」

「いや」

別の議員が訂正する。

「防波堤だ」

「こちらへ直接波が来ないようにするための」

誰も反論しない。

あの男が完全に英国へ視線を向けないよう、

最低限の距離を保つ。

要求の一つを飲むことで、

より大きな要求を避ける。

それは外交というより、

災害回避に近かった。

「手を焼かされたものだ」

老議員は苦笑した。

「外務省は悲鳴を上げたし、王室秘書官も顔をしかめた」

「爵位台帳の整理だけでも混乱したというのに、先代の死の前日それを聞かされた本人は平然としていた、20になったばかりの娘が、だ」

思い出したたように誰かが言う。

「あの日の顔は覚えている、泣きもしない、怯えもしない、ただ書類を読んでいた、まるで、最初から全部知っていたようにな。」

老貴族が目を細める。

 

「危険だが」

 

「今はまだ使える」

 

短い沈黙。

 

「だが使えなくなれば切る」

 

それだけだった。

 

あまりにも自然に、

 

一人の若い令嬢の未来が切り分けられる。

 

暖炉の火は変わらず燃え続ける。

 

 

中年貴族がゆっくり背を預けた。

「厄介なのは、日本で潰れても英国で“被害者”として戻る可能性があることだ。」

 

「その時は先に門を閉ざす、」

即答だった。

「戻る場所を与えなければいい」

暖炉の火がまた弾ける。

 

海の向こうでは、

今もなおヒーローと敵が血を流している。

その裏で、

こちらでは静かに、

若き令嬢の帰る場所すら先に計算されていた。

そして誰も、

それを残酷とは思わない。

国家とは、

そういうものだった。

暖炉の火が静かに薪を崩した。

赤く揺れる炎が、

重厚な木製の壁と古い肖像画を照らし、

の貴族邸宅に沈んだ影をさらに深くしていた。

先ほどまでの処遇について話していた男たちも、

ひとまず書類を脇へ寄せ、

グラスを傾ける。

その空気の緩みの中で、

ふいに一人が口を開いた。

「そういえば——」

新聞の端を指で叩く。

そこには小さく、

海上戦の衛星写真が載っていた。

「あれには少々、気の毒なことをした」

誰のことか、

この場の誰もすぐに理解した。

数秒だけ沈黙が落ちる。

やがて老議員が低く頷いた。

「うむ」

グラスの縁をなぞりながら続ける。

「アメリカ……いや、オールマイトが退いた今」

わずかに眉をひそめる。

「あまり認めたくはないが」

「世界のナンバーワンと呼んで差し支えない存在だった」

向かいの男が肩をすくめる。

「軍事抑止力としても破格だった」

「個性そのものが国家戦略級だ」

「しかも象徴性まである」

「都合が良すぎる」

皮肉混じりの評価だった。

だが否定ではない。

強さを認めているからこそ、

その存在が国家間でどう映るかも理解している。

「惜しいことに」

最年長の男がゆっくり言った。

「アメリカのナンバーワンだった」

暖炉の火が揺れる。

「一国だけが、いつまでも一人勝ちではつまらん」

その言葉に、

小さく笑いが漏れる。

残酷なほど率直な本音だった。

英雄は賞賛される。

だが国家の秤に乗れば、

別の意味を持つ。

一国に突出した象徴があれば、

他国は必ずそれを警戒する。

「もしも——」

若い議員が興味半分で言う。

「仮に彼女がのナンバーワンだったら?」

その問いに、

数人が一瞬顔を見合わせる。

次の瞬間、

老議員が鼻で笑った。

「悪い冗談だな」

即答だった。

「そうであったなら——」

グラスを静かに置く。

「あんな横槍、とても認められんよ」

声色がわずかに変わる。

先ほどまでの軽さが消えた。

「外交ルートを総動員する」

「軍との調整も前倒しだ」

「少なくとも、他国の事情で失わせるなど論外」

「議会が黙らん」

「王室も説明を求める」

別の男が苦笑する。

「結局そうなる」

「他国の英雄には惜しいと言い、自国の英雄なら全力で囲う」

「国家とはそういうものだ」

誰も反論しない。

暖炉の火だけが一定のリズムで弾ける。

やがて最年長の男が、

新聞の片隅に載った別の顔へ視線を落とした。

日本で涙を流す若い令嬢。

「だからこそ」

低く言う。

「自国の顔になれる者は、慎重に選ばねばならん」

「強さだけでは足りん」

「民衆に映る顔も要る」

「従う頭もな」

短い沈黙。

「……あの娘は?」

問いに、

誰もすぐには答えない。

やがて一人が言った。

「賢い」

「だが従順ではない」

「危ういな」

「危ういが、使える」

暖炉の火がまた揺れる。

窓の外では霧がさらに深く、

の灯りを飲み込んでいく。

遠い海の上では、

英雄が死に、

次の戦いへの七日が始まっている。

その裏で、

海の向こうでは、

別の秤が静かに揺れていた。

英雄の価値も、

少女の価値も、

国家の前では、

すべて同じように測られていた。

暖炉の火が爆ぜ、パチリと乾いた音が室内に響いた。

 一人の議員が、手元の分厚い報告書を卓上に放り出し、重い溜息をついた。

「……さて、問題はワシントンだ。星条旗(スターアンドストライプ)が日本で散った。アメリカ側が、我々の『外交官』がその引き金を引いた事実に気づき、裏を取るまで3日か4日と掛からんだろう」

 その言葉に、最年長の老議員が冷ややかな目でグラスを見つめたまま応じた。

「文句が来れば、答えは一つだ。……『バロネス・エインズワースが勝手にやったことだ』とな」

 若手議員が、驚いたように身を乗り出した。

「それで通りますか? 彼女は我が国の正規の外交官ですよ。その彼女がAFOと通じ、米国の至宝を見殺しにした。国家としての責任を問われるのでは——」

「バカを言え」

 老議員は、若手の言葉を鼻で笑って遮った。

「外交官特権を与えたのは、あくまで『人道支援』のためだ。彼女がその地位を濫用し、独断でテロリストと接触し、米国のヒーローを窮地に陥れた……。それは彼女個人の逸脱であり、暴走だ。我々英国政府もまた、彼女の二枚舌に欺かれた『被害者』なのだよ」

 男たちの間に、薄暗い共犯の笑みが広がった。

「そうだな。外務省の記録には『彼女の行動には再三の警告を与えていたが、彼女はそれを無視して独断専行に及んだ』という一筆を、今夜中にでも『遡って』書き加えておけばいい。証拠など、いくらでも後から作れる」

「彼女が日本で『救いの聖女』を演じれば演じるほど、我々には好都合だ。大衆の支持を背景に、政府の制御を離れて暴走した若き貴族……。実によくできた物語(シナリオ)じゃないか」

 窓際に立つ男が、外の深い霧を見つめながら独り言のように付け加えた。

「アメリカにはこう言えばいい。『遺憾ではあるが、彼女はもはや我が国の管理下にはない。責任を問うなら、彼女を野放しにしている日本政府と、彼女自身に直接言ってくれ』と。……我々はただ、彼女の爵位と特権を剥奪し、速やかに『切り離す』。それだけで、英国の手は汚れない」

 暖炉の火が赤々と、男たちの冷酷な横顔を照らし出していた。

 海の向こうで、どれほどの血が流れようとも。

 彼らにとって、真白才子という少女は、最初から「捨てることが決まっている防波堤」に過ぎなかった。

 

窓の外では夜の闇がさらに深さを増していた。

暖炉の火が爆ぜ、赤い火の粉が石の床に散った。

 楕円卓の端、まだ三十代半ばと思われる、仕立ての良いスーツを崩さずに座っていた若手議員が、手元のグラスを弄びながら不敵な笑みを漏らした。

 彼の視線は、卓上に放り出された新聞の、あの「銀髪の美女」のポートレートに釘付けになっている。

「……それにしても、なかなかに美しい。この写真の写り、一分の隙もない」

 若手議員は、まるで競走馬の品評でもするかのような、品性のない、だが特権階級特有の支配欲に満ちた声を出す。

「エインズワースが日本で潰れ、英国で居場所を失った後なら……。どこかの郊外の別邸で、私が『飼って』やってもいい。これほどの華だ、政治の道具として使い潰すには惜しい。檻の中で愛でる分には、最高の玩具になるだろう?」

 その言葉に、ラウンジの一角に座る数人の男たちの間に、妙な沈黙が流れた。

 それを破ったのは、暖炉の正面で深く椅子に腰掛けていた、白髪の初老の貴族議員だった。彼はグラスを置くこともせず、ただ視線だけを若手の方へ向けた。その瞳には、侮蔑よりも「忠告」の色が濃い。

「……よせ、ウィリアム。お前では無理だ」

 静かな、だが断定的な響き。若手議員は不満げに眉を上げた。

「なぜです? 没落した貴族の娘一人、救いの手を差し伸べるふりをして囲うなど、我々の常套手段ではありませんか」

「相手が人間ならな」

 初老の議員は、皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。彼はかつて、才子が二十歳で爵位を継いだ際、その事務手続きの立ち会いとして直接彼女と対峙した数少ない一人だった。

「その女に触れてみろ。火傷では済まないぞ。骨の髄まで、一瞬で溶かされる」

 若手議員が鼻で笑おうとしたのを、初老の議員は鋭い一瞥で制した。

「あの娘の背後に立っている影を忘れたか? あの男が、ただの『玩具』をここまで丁寧に磨き上げ、外交の最前線に置くと思うかね。あの銀髪の女爵は、歩く毒瓶だ。中身はすでに、我々には到底理解できない中身で満たされている」

 初老の議員は、新聞の上の才子の瞳を指差した。

「お前は彼女を『飼う』つもりだろうが、首輪をつけようと近づけば、気がついた時にはお前の両手が、彼女の枷に繋がれている並んでいるだろうよ。……あの女は救いを求めているのではない、あの男への崇拝で動いている

 若手議員の顔から、余裕の笑みが少しずつ剥がれ落ちていく。

「……そんなに、危険なのですか」

「ああ。あれは、あの男の悪意が純粋な形をして詰まっているのさ」

 初老の議員は再びグラスを煽り、視線を暖炉の炎へと戻した。

「欲しがるな、ウィリアム。あれは見るだけのものだ。触れれば、英国(われわれ)ごと燃え落ちる」

 

 

 

 

 

 

深夜の公安調査庁、長官室の大型モニターには、ワシントンD.C.直通の暗号化回線が繋がれていた。

 画面の向こう側に映るのは、合衆国大統領補佐官、あるいは国防総省の重鎮か。逆光で表情は読み取れないが、スピーカーから漏れる声には、室内の酸素を焼き尽くすほどの怒気が孕んでいた。

「……信じがたい。我々の『星』が、あのような不毛な海域で散った。それも、貴国が野放しにしている『一人の外交官』の差し金でだ」

 通信ノイズに混じって、デスクを叩く鈍い音が響く。

「彼女はイギリスの外交官特権を盾に、わが国の英雄を死地に追いやった。日本政府は、彼女がオール・フォー・ワンの傀儡であると知りながら、なぜ即座に拘束しなかった? なぜ、彼女の『人道支援』などという茶番を許したのだ!」

 長官は沈黙を保つしかなかった。

 返せる言葉など、今の日本にはない。

「バロネス・エインズワース……真白才子。彼女が撒き散らした『民意』とやらに怯え、貴国はテロリストの協力者を聖女として祭り上げた。その結果が、世界最強の個性の喪失だ。これはもはや、日本国内の治安問題ではない。合衆国に対する、間接的な軍事挑発と見なしてもいいのだぞ」

 モニターの中の影が、身を乗り出すようにして告げる。

「ロンドンからは既に回答があった。『彼女の暴走は遺憾であり、英国政府の意向ではない。管理責任を問うなら、彼女を国内に受け入れ、活動を容認した日本側にこそ非がある』とな。実に鮮やかな責任転嫁だと思わないか?」

 長官の奥歯が軋んだ。

 イギリスは早々に手を洗ったのだ。才子を「日本の問題」として突き放し、アメリカの矛先をこちらへ向けさせた。

「アメリカ市民は納得していない。スターを失った穴を、貴国はどう埋めるつもりだ? 彼女を今すぐ引き渡せ。さもなくば、我々は独自に『制裁』を検討せざるを得ない。日本への物資輸送、避難民の受け入れ、そのすべてが再考の対象になる」

 それは、崩壊寸前の日本にとって死刑宣告に等しい脅しだった。

「……我々は必ず確たる証拠を探し出す、その時改めて連絡させていただくがその時は10日だ、10日以内に、彼女の身柄を確保し、我々に差し出せ。さもなくば、我々は『ヒーロー保護』の名目で、貴国の主権を無視した直接介入を開始する。……これ以上、あの少女に世界を買い叩かせるな」

 一方的に通信が切断され、モニターは砂嵐に変わった。

 静まり返った部屋で、長官は深く椅子に背を預けた。

 外では、才子が配った毛布を被った市民たちが、今日もヒーローを罵倒し、聖女の名前を叫んでいる。

 世界が日本を見捨てようとしている。

 たった一人の少女が流した、計算ずくの涙の代償として。

(どうか、偶然であってくれ)

そんな外相の祈りが虚しく心中に繰り返されていた

 

東京、霞が関。朝の明るさとは真逆に外務省の一角には暗い空気が支配していた。

 特命全権大使の震える指が、ロンドン直通の受話器を握りしめている。

「……ですから、次官。彼女、真白才子——バロネス・エインズワースの言動は、もはや人道支援の枠を完全に逸脱しています! 彼女がテロリスト(AFO)の片棒を担ぎ、米国のスターアンドストライプを見殺しにした疑いが濃厚なのです。貴国政府の手で、速やかに彼女の外交官特権を剥奪、あるいは召喚していただきたい!」

 受話器の向こう側、数千キロ離れたロンドンの執務室では、先ほどの密談を終えたばかりの老議員が、ゆったりと革張りの椅子に身を預けていた。

 彼は紅茶を一口啜り、事務的で、どこか他人事のような、完璧な「外交辞令」を返した。

『おやおや、大使。それは穏やかではありませんな。……しかし、困りました。我が国の外務省の記録を確認しましたが、彼女の日本での活動は、あくまで純粋な慈善事業として報告されていますよ』

「馬鹿な! 彼女の会見を見なかったのですか!? 公然とAFOへの恩義を語り、ヒーロー制度を糾弾しているのですよ!」

『……感情的な訴えは、必ずしも犯罪ではありません。彼女は英国貴族としての矜持を持ち、自らの過去に対して不器用なほど「正直」であっただけ……と、こちら側の世論は見ております。彼女の支持率は、現在わが国でも急上昇しておりましてね。正当な理由なく爵位ある者の特権を解けば、議会が黙りませんよ』

 大使の額に脂汗が滲む。

「……アメリカが怒っている。このままでは日本だけでなく、貴国の責任も問われることになるのですよ!」

 その言葉を待っていたかのように、老議員の声音が一段と低く、鋭くなった。

『……だからこそですよ、大使。先ほど、ワシントンには正式な回答を済ませました。——「彼女の暴走は英国政府の意図せぬものであり、現場の管理責任は、彼女を快く受け入れ、自由に活動させた日本政府にある」……とな』

 大使の息が止まった。

『特権を解く? いえいえ、そんな必要はありません。我々はただ、彼女が「日本において、貴国の法を犯した」という確固たる証拠が出るのを待つだけです。……もし彼女が罪を犯したというのなら、貴国の警察権力で、彼女を拘束すればよろしい。もちろん、外交官特権という高い「壁」を、貴国の泥にまみれた手で壊す覚悟があるのなら……ですが』

「……ッ! それは、我々を見捨てるということか!」

『見当違いですよ、大使。我々はただ、彼女を貴国に「預けている」だけだ。……では、失礼。ロンドンはもう夜が更けておりますので』

 ツーツーという無機質な音が、受話器から漏れる。

 大使は力なく受話器を置き、机に突っ伏した。

 イギリスは動かない。

 才子を「日本の喉元に刺さった棘」として残したまま、自分たちだけは安全圏で高みの見物を決め込んでいる。

 

 才子の外交官特権という「盾」は、皮肉にも、彼女を捨てようとしている祖国によって、より一層強固に維持されていた。

 

ロンドンの一角。厚い石壁に囲まれた秘密執務室のスピーカーからは、ワシントンD.C.の国務省高官による、怒鳴り声に近い咆哮が響いていた。

『正気か、! 我々のスターが、あのような不毛な海域で、たった一人で戦わされたのだぞ! 貴国の外交官——バロネス・エインズワースが、日本側に「国際法上の懸念」などと吹き込み、現場の足並みを乱した事実は把握している!』

 通信ノイズに混じって、デスクを叩く鈍い音が響く。

『日本側が援護を出そうとした矢先、彼女が「外交官特権」をチラつかせ、法的リスクを盾に彼らを足止めした……。これは事実上の敵対行為だ! 直ちに彼女を解任し、その特権を剥奪しろ。さもなくば——』

「——さもなくば、何かな?」

 英国の老議員は、琥珀色の紅茶を一口飲むと、至極冷静に、そしてどこか退屈そうに遮った。

「解任しろ、だと? 我が国の爵位持ちに対し、確固たる証拠の提示もなく、他国が人事に介入しろと言うのか。……それは明確な**『内政干渉』**ではないかね、Mr.ワシントン」

『屁理屈を言うな! 彼女はAFOの傀儡だ!』

「彼女はただ、国際法の観点から『個性の軍事利用』に伴う法的な懸念を、善意で日本側に助言したに過ぎない。……それを受け入れ、最終的に援護を出さないと判断したのは、他ならぬ日本政府だ。責任の所在を履き違えてもらっては困る」

 老議員は、窓の外の霧を見つめながら、さらに冷酷な一撃を加える。

「彼女は今や、世界中の『制度に裏切られた人々』の希望になりつつある。正当な理由なき弾圧は、英国のみならず国際世論を敵に回すことになるぞ。……アメリカは、自国の英雄を失った腹いせに、悲劇のヒロインを叩き潰す『冷酷な覇権国家』として歴史に名を刻む覚悟があるのか?」

『……貴様ッ!』

「不服があるなら、彼女を野放しにし、援護を断念した日本政府を叩きたまえ。我々は、自国の貴族が不当に権利を侵害されないよう、静観させてもらう。……ロンドンももう夜が更けておりますので。失礼」

 




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は少し趣向を変えて、海の向こう・ロンドンでの幕間劇をお送りしました。
才子がなぜ「英国貴族」であり「外交官」なのか。その裏側に蠢く、AFOの巨大な影と国家間の冷徹な損得勘定を描いてみたかった回です。

ラスト場面の三国の会話は。とあるお方の感想をヒントに構成しました。


さて、物語はいよいよ最終決戦へのカウントダウンに入ります。
牙を研ぐヒーローたちと、優雅に国を買い叩く才子。
彼らの行く末を、最後まで見守っていただければ嬉しいです。
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