善意の剥製   作:タロットゼロ

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最終決戦、午後

Part1。機内の中で

 

機内に低く響く双発ジェットエンジンの重低音。

千歳空港へ向けて高度一万メートルの暗雲を切り裂く小型ジエットの機内は、呼吸すら躊躇われるほどの重苦しい静寂に包まれていた。

3人が等しく視線を注ぎ込んでいるのは、ファルコンの持つ作戦用タブレットの液晶画面だ。そこには、ドローンが上空から捉えた北海道S市・氷晶霧小学校の惨状が、リアルタイムの映像として鮮明に映し出されていた。

「……信じられん」

チェインスリンガーの絞り出すような呟きが漏れる。

画面の中で可憐に佇む白銀の少女——バロネス・エインズワース。彼女の周囲には、原型を留めないほど押し潰された何台もの車両と、ピクリとも動かず泥の中に転がる二十名以上のプロヒーローたちの無惨な姿。

「車や瓦礫の投擲だけではない……『大気の圧縮・放出』か。さらには倒れた警官を肉盾と射撃台に利用する冷徹さ……」

ファルコンの声は無機質なまでに冷静であり、同時に警戒の度合いを最高レベルへ引き上げていた。

「単なる個性の出力の高さだけではない。立ち回りの狡猾さ、状況判断の速さ……どれをとっても凶悪だ」

ファルコンの分析を聞きながら、シルキーパンサーのタイトなコスチュームの肩が激しく跳ね上がった。

画面を凝視する彼女の瞳を揺らしていたのは、激昂だけではない。胸の奥から湧き上がるのは冷たい恐怖と不安だった。

 

(なによ、あの立ち回り!エインズワース単体だけでも手に負えるかどうかだっていうのに)

画面の中で描かれた先ほどの戦闘——死角からのワームホールによる奇襲。本来ならあの局面でバロネスは完全に崩れていたはずだった。しかし、それを阻んだのは、遥か遠方から放たれた目立たぬ一弾。

(あのスナイパーの援護が絶妙すぎる! 姿すら見せない位置から完璧に死角をカバーして、あの女の隙を打ち消している……。エインズワースの圧倒的な暴力に、あの正確無比なサポートが組み合わさったら……本当に、私たちに勝ち目なんてあるの……!?)

バロネスという個の暴力と、それを完璧に補完する凄腕スナイパーの凶悪なコンビネーション。

勝てるのだろうか。自分たちが現場に辿り着いたところで、あの二十人以上のプロたちと同じように肉の山へと変えられてしまうのではないか。

湧き上がる弱気な自分を必死に鼓舞し、打ち消そうとするほどに、胸の内の焦りと苛立ちは強くなった。握りしめた拳の爪が手のひらに深く食い込み、しなやかな尻尾がシートの革をバチバチと苛烈に叩く。

(早く……! 早く着いて倒さなきゃ…!)

呼吸が荒くなり、恐怖を誤魔化すための苛立ちで震えるシルキーパンサーの左手を、誰かがそっと包み込んだ。

「……」

チェインスリンガーの、力強く武骨な右手が、彼女の手を静かに、けれど逃がさないように握りしめていた。特殊合金の鎖を操るために鍛え上げられた無骨な掌。その温もりが、冷え切っていた彼女の指先から、激しく乱れる胸の奥へとゆっくりとしみ込んでいく。

「……っ」

『大丈夫だ。俺たちがいる』——言葉には出さずとも、固く握りしめられた手から伝わってくる不器用で強い励まし。

シルキーパンサーは大きく息を呑むと、自分を呑み込もうとしていた不安と恐怖を胸の底へと静かに押し殺した。そして、引き結んだ唇を噛み締めながら、チェインスリンガーの温かい右手を、固く、強く握り返した。

その刹那。

二人の頭上、シートの背もたれの隙間から——ミスターファルコンの背部スラスターユニットに内蔵された高性能光学センサーのレンズが、微かな駆動音とともに二人の繋がれた手元を静かに捉えていた。

「……」

気配に気づき、ファルコンが緩やかに首だけを振り返る。

バイザーの奥の隼の双眸が二人へ向けられ、合成音声のような淡々とした、けれど低く落ち着いた声が落ちた。

「……君たちは、そんな関係だったのか?」

その声音には、二人を責めるような気配も、冷やかすような揶揄いの色も、一切含まれていない、ただ目の前の事実をそのまま受け止めただけの至極平坦なトーンに二人の手が反射的に離れた。

「ッ……! ち、ちが……っ! これは別に……!」

急に顔を真っ赤にして狼狽するパンサー。しかし、チェーンの手の温もりを思い出した彼女は、荒い呼吸を一度深呼吸で整えると、気まずそうに視線を外していたチェインスリンガーの腕にそっと自分の手を添えた

照れくさそうに、けれど決意の籠もった真っ直ぐな瞳でファルコンを見つめ返す。

「……ええ、そうよ。四日前からだけど……文句ある?」

吹っ切れたような彼女の言葉に、チェインスリンガーもまた腹を括ったように視線を戻した。彼は両手の合金鎖を低くジャラリと鳴らすと、重厚で不器用な声をファルコンへと向ける。

「……この作戦が無事に終わったら、二人でくらそうと話しているんだ」

死地へ向かう機内で静かに紡がれた、あまりにも真っ直ぐな未来への約束。

二人を見つめていたファルコンは、バイザー越しに目をわずかに細めると、低くフッと鼻で笑ってみせた。

「いや、別に責めているわけじゃない。それで緊張がほぐれて気合が入るというなら悪くないかもしれん。それに……守るべき未来をみすえるというのもな」

ファルコンは静かに座席を立つと、背部スラスターの駆動音をかすかに響かせ、機内後方のギャレーへと向かって足を向けた。

「式には呼んでくれ、私はコーヒーでも飲んでくる」

通路の途中で足を止め、チラリと手元の通信端末で時刻を確認する。バイザーの奥に宿る隼の双眸が、再び鋭いプロのそれに切り替わっていた。

「……あと十分で千歳空港だ。必ず全員で生きて帰るぞ」

低く重い一言を残し、ファルコンは去っていく。

残された二人は顔を見合わせ、固く手を握り締め合うと、決死の覚悟とともに北海道の空を見据えるのだった。

 

Part2。近付く銃身

氷晶霧小学校を見下ろす、小高い丘の木立の中、識は伏せた姿勢のまま、高倍率スコープのレティクル越しに正門付近の様子を凝視していた。

ガタガタと震える手で非常線を設置する警官隊、息を潜めて遠巻きに包囲網を維持するだけの増援ヒーローたち。先ほどまでのような強行突破や奇襲を仕掛けてくる気配は微塵も存在しない。

(……動きが止まったわね)

識は能面のような無表情のまま、頭の中で戦況を弾き出す。

20名以上のプロヒーローが全滅し、警官隊も戦意を完全に喪失した。現状の警察およびヒーロー組織の損害率と意思決定のプロセスを考慮すれば、これ以上の無謀な逐次投入はあり得ない。次に動くならば、本部の指示を仰ぎ、他地域から大型の戦力を呼び寄せる——その準備が整うまで、最低でも三十分から一時間は膠着状態が続くはずだ。

(……ならば、今のうちに河岸を変えておいた方が賢明ね)

同じ狙撃ポイントに長居するのは、スナイパーにとって自殺行為に等しい。警官隊の増援やドローンによる上空索敵が強化されれば、この木立の位置もいずれ特定される。

識はレティクルから視線を外すと、伏せたままの体勢で手元に置かれた薄型ノートパソコンに表示した地図へ指を滑らせ、GPSと標高データを重ね合わせる。

(……ここから北西に約600メートル。……高さ12階建ての雑居ビル)

拡大した衛星写真とストリートビューで確認する。周辺の建造物よりも頭一つ抜けた高さがあり、小学校のグラウンド全体を別角度から見下ろせる絶好の射線。屋上からの退避ルートも複数確保でき、万が一の際の引き際も申し分ない。

(……小学校まで700メートル、少し近すぎるのが気に入らないけど…そこにさえ目を瞑れば悪くないわ)

目的地の選定を終えるや否や、識の動作に一切の迷いはなかった。

指先一つ無駄のない洗練された手際でノートパソコンを閉じると、耐衝撃ケースへと滑り込ませる。続いて、対物ライフルのボルトを引き抜き、マガジンを外すと、熟練の職人のように手早く各パーツを解体していく。

カチ、カチ、と静かな金属音だけが木立の中に微かに響く。

解体されたパーツは、内部に緩衝材が敷き詰められた長方形の黒いハードギターケースの中へと整然と収められていく。スコープを保護カバーで覆い、ケースの堅牢なバックルをパチンと閉じれば、表面上はただの音楽家の機材にしか見えない。

手袋をはめ直した手でケースのハンドルを握り締め、識は音もなく立ち上がった。

胸元の小型インカムのスイッチを指先でそっと押し、静かで冷たい声を乗せる。

「……レディ。警察側の動きが止まりました。次の本格的な攻勢まで暫く膠着状態に入ると踏みます。……これより、次の狙撃ポイントへ移動を開始します」

「ええ、分かったわ。気を付けてね、識」

通信の向こうから聞こえる才子の可憐で気負いのない声を背に、識は黒いケースを手に取り、木々の影へと静かにその身を溶かしていくのだった。

 

Part3ラストアタック

千歳空港からS市・氷晶霧小学校へ向けて上空を急行する自衛隊大型ヘリの機内。

ローターが鼓膜を激しく打ち鳴らす重低音の中、チェインスリンガーは座席に深く身体を預け、先ほどファルコンから提示された作戦の全貌を頭の中で何度も反芻していた。

『二人とも、私の作戦を聞いてくれ』

機内スピーカーから響いていた、ファルコンのあの淡々と冷徹な声を思い返す。

『ヘリの小学校到着の一分前、現場に残っているヒーローたちに一斉攻撃を仕掛けさせる。目的はエインズワースとスナイパーの注意を完全に引くことだ。……ただし、無理強いはできない。恐怖で動けぬ者に強要はするな。覚悟のある志願者……死に飛び込める者だけでいい。彼らの作る隙を突き、ヘリの上空到着と同時に我々は上空から強襲をかける』

『パンサー。お前は不規則かつ超高速の立体機動で攪乱しろ。極限まで小さく、細かく動くことで、エインズワースに狙いを定めさせるな。そのまま間合いを詰めるんだ』

『チェーン。お前はエインズワースの背後に常に回り込み、圧力をかけ続けろ。狙うのは奴の『両手』だ。隙を見て両腕を合金鎖で拘束し、サイコキネシスの発動を封じる』

『そして私は——上空からエインズワースへ牽制をかけつつ、あえてあのスナイパーに私を狙わせる。わざと撃たせることで射線を逆算し、潜伏位置を即座に割り出してスナイパーを叩く』

自らを囮とし、一瞬で敵の狙撃手を炙り出す——プロとしての覚悟が詰まった、あまりにも合理的で無慈悲な作戦。

(……失敗は許されん)

チェーンは両腕の合金鎖を静かに握り締め、腹の底で覚悟を固める。

すぐ隣では、シルキーパンサーがヘリに搭載された広域無線機のマイクを握り締め、緊張で固くなった声で現地待機中のヒーローたちで作られた臨時指揮部へ作戦の協力を要請していた。

「……聞こえる!? こちらシルキーパンサー! 到着一分前にそちらで一斉牽制を行って! 無理強いはしない……恐怖で動けない人は引かせて! 覚悟のある志願者だけでいい……バロネスとスナイパーの意識を数秒でも分散させたいの!……ええ、お願い!」

パンサーが必死に無線連絡を回す傍らで、ミスターファルコンはバイザーの光を静かに落とし、深く深く集中へと潜っていた。

彼は過酷な戦場へと臨む直前、己の精神を研ぎ澄まし、不確定要素に満ちた現実の混沌を完璧な思考へと収束させる精神集中のルーティン——「脳内詰将棋」を行う。無数に枝分かれする戦局の選択肢を限界まで削ぎ落とし、ただ一つの「勝利(詰み)」へ至る道筋だけに意識を完全同期させていく作業。

雑音とローター音が荒々しく渦巻く機内で、彼の薄い唇だけがかすかに動き、抑揚のない低音で独り言を紡ぎ始める。

「……2一飛車成、同玉、3一歩成……1一玉……」

「……1二歩、同玉、2三金、1一玉……2一と、同玉……」

無線を終えたパンサーとチェーンが、息を呑んでその横顔を見つめる。ファルコンから漂う静かな圧力が、二人の肌を刺す。

「……3二角成、……1一玉……3三馬、同飛車、1二銀」

すべての盤面が脳内で完璧に組み上がった瞬間、ピタリと呟きが止まった。

カチリ、と微かな駆動音とともにバイザーの光学センサーが鋭い光を取り戻す。極限まで集中を高めたファルコンはゆるやかに目を開くと、バイザーの奥に宿る冷徹な瞳で前方を見据えた。

「……王手」

その静かな呟きと重なるように、コックピットから操縦士の緊迫した叫びが機内スピーカーへ叩きつけられた。

「——目標上空、氷晶霧小学校に到着しました!!」

「ハッチを開けろ!」

ファルコンの鋭い号令とともに、ヘリの側部ハッチが重々しい音を立ててスライドし、開放される。

途端に吹き込んできたのは、冷気を含んだ猛烈な暴風。下界を見下ろせば、灰色のグラウンドと、そこに佇む白銀の少女——バロネス・エインズワースの姿が鮮明に視界へ飛び込んできた。

一分前から始まった決死の牽制攻撃により、煙幕と爆音があたりを包み込んでいる。しかし、圧倒的な暴力を前にはそれすら一瞬の足止めにしかならない。眼下では、囮となって突撃した志願者である数人のプロヒーローたちが、見えない大気の衝撃と圧縮によって次々と吹っ飛ばされ、血飛沫を上げてグラウンドへ叩きつけられていく惨状が映し出された。

(……すまん。君たちの命がけの行動は、絶対に無駄にはしない!)

バイザーの奥で歯を食いしばり、胸の底で血を流しながらも、ファルコンはプロとしての冷徹さを保ち直す。彼らが死を覚悟して稼いでくれたその数秒の隙、意識が地上のヒーロー達に向いたその瞬間こそが、唯一残された勝機。

「行くぞ!」

ファルコンが叫び、背部スラスターユニットのバーニアが爆音とともに蒼白い高熱の噴射炎を吐き出した。

アンカー鎖を構えたチェインスリンガー。

しなやかな身体をバネのように絞り込み、鋭い眼光でバロネス・エインズワースを見据えるシルキーパンサー。

そして両翼のスラスターを全力展開し、風を切り裂くミスターファルコン。

三人は一切の躊躇もなく、高度数百メートルの上空から、地獄と化したグラウンドの空へと勢いよく飛び出していった。

 

Part4魔女の玉座

 

時間を少しだけ——ラストアタックの1時間前へと巻き戻す。

静爆の吹き荒れた跡。氷晶霧小学校のグラウンド。

めくり返った泥と細切れになった砕石、そして原型を留めぬほど押し潰された警察車両の残骸が散乱する地獄の只中で、白銀の少女——バロネス・エインズワースこと真白才子は、ただ一人ポツリと佇んでいた。

先ほどまでの喧噪と叫び声が嘘のように消え去った校庭には、穏やかな薫風だけが吹き抜けている。遠巻きに包囲網を維持する警官隊や残存ヒーローたちは、あまりの戦力差に息を潜め、指一つ動かせずにいた。

動く者の絶えた静寂の中、才子は白磁のような顎にそっと指先をあて、退屈そうに小さく溜息をついた。

(……ふぅ。グラウンドで立ちっぱなしというのも、少々芸がないわね)

可憐な唇から漏れ出たのは、惨状には不似合いなほど呑気な溜息。

才子は不意に、華奢な左手を校舎の方向へと向けた。そのまま、ピアニストが優美な旋律を奏でるかのように、細い指先を繊細かつ軽やかに揺らす。

次の瞬間——。

ガシャアンッ!!!!

校舎一階・校長室の強化ガラスとアルミサッシを内側から凄まじい勢いで突き破り、豪快に撒き散らされたガラスの雨を貫いて躍り出てきたのは、重厚な革張りの応接用ソファ。

才子の見えない手によって強引に引っ張り出された巨大な重塊は、空を滑り、一切の狂いもなく才子の目の前へとゆるやかに着地し、ズウン、と重い革と金属の脚が泥を凹ませる。

まるで最初からそこに誂えられていたかのように鎮座したソファを前に、才子は満足そうに微笑むと、ふわりとスカートの裾を揺らし、貴婦人のごとき洗練された、あまりにも上品な所作で——惨劇のグラウンドの真ん中に置かれた玉座へと、深々と腰を下ろす。

背もたれにゆったりと身体を預け、膝と足首を揃えて礼儀正しく足を横に流すと、膝の上で細い指先を優雅に重ね合わせた。

「……うん、悪くないわ」

遠巻きにその光景を望遠鏡越しに凝視していた警官たちが、その常軌を逸した余裕と威圧感に青ざめ、息を詰まらせる。

 

Part5、迎撃の準備は

 

北西へ六百メートル離れた、十二階建て雑居ビルの屋上。

初夏の風が吹き抜ける給水塔の影で、識はコンクリートの冷たさに身を伏せながら、組み立て直した対物ライフルを伏射体制に構えて、高倍率スコープに片目を預けていた。

スコープの円形フレームの中央には、惨劇のグラウンドの真っ只中で応接ソファに足を揃えて優雅に腰掛ける才子の姿が鮮明に映し出されている。周囲に散らばる壊滅した警察車両や無様に転がるヒーローたちと、彼女の可憐で洗練された佇まい。

(……相変わらず、大物とでも言うべきなのか……)

能面のような無表情のまま心の中で小さく呟くと、識は一切の感情を挟むことなく、スコープの倍率を切り替えて周囲の警戒と観察へと移行した。正門外で包囲網を敷く警察隊、建物の陰で息を潜める残存ヒーローたちの些細な挙動、さらには上空を旋回する数台の報道ヘリの動線まで。あらゆるリスク要因を淡々と網羅し、脳内のマップへと上書きしていく。

そうして、静寂のまま一時間が経過した。 

(……空気が変わったわね)

スコープ越しに見える警官やヒーローたちの顔つきから、先ほどまでの恐怖による完全な萎縮が削げ落ち、異様な悲壮感と腹を括ったような覚悟が滲み出始めているのを識は敏鋭に察知する。

これ以上の待機は猶予を生むだけだと判断し、何らかの特攻、あるいは決死の強襲作戦へと舵を切った証拠。

(何かを待っている?……いや、直に到着する?)

その思考とほぼ同時に、識の研ぎ澄まされた聴覚が、空から響く音の異変を捉えた。

上空を旋回し続けているマスコミの報道ヘリが発する軽快なローター音とは明らかに異なる、重厚で低い打撃音。自衛隊仕様の大型双発ヘリコプターが発する、空気を切り裂く重低音の接近音だ。

識はスコープから一瞬目を離すと、顔を上げて音の供給源である南東の空へと視線を向けた。雲を切り裂く速さで目指す学校上空へと一直線に急行してくる一機のシルエット。

(……やっぱり来たわね。本命の新戦力が)

識は迷うことなく胸元のインカムのスイッチを指先で押し込み、低く、けれど鋭い警鐘を通信に乗せた。

「……レディ。新手が上空より向かってきます。……かなりの実力者と予測されます、警戒してください」

『ええ、分かったわ』

通信の向こうから聞こえる才子の声には、怯えも動揺もなく、ただ待ち望んでいた玩具を見つけたかのような可憐な愉悦が滲んでいた。

識が再び狙撃銃のボルトに手を添え、スコープのレティクルを覗き直す。

レンズの先——グラウンドの応接ソファから、可憐な白銀の少女が、ドレスの裾を揺らしながらゆらりと優雅に立ち上がる姿が映し出された。

立ち上がりざま、才子が愛らしい首をわずかに傾げながら、邪魔そうに右手の指先を軽く一閃させる。

ドゴォンッ!!!!

一瞬前まで彼女が腰掛けていた重厚な革張りソファが、大気の激しい凝縮と解放によって、まるで弾丸のように後方へと弾き飛ばされた。百キロはある巨塊が、遥か遠く、小学校の敷地の端にある防球ネットの鉄柱へと激突して粉砕される。

障害物を片付け、初夏の強い日差しを浴びて輝く白銀の髪と、敵を迎え撃つべく緩やかに持ち上げられた細い両腕。

識は引き金に細い指先をそっと添えると、狙撃手としての呼吸を極限まで殺した。

空から急降下してくるミスターファルコンたち本命の実力者達の強襲と、バロネス・エインズワース。

二つの脅威が、ついに正面から衝突するその瞬間を、冷徹な観察者として見届け続けるのだった。

 

Part6前哨戦はイーブン

「行けッ! ファルコンたちをたちを援護しろ!!」

地上で悲壮な覚悟を固めた残存ヒーローたちと、校舎の陰に滑り込んだSAT(特殊急襲部隊)の隊員たちが一斉に動き出した。ある者は物陰から身を乗り出して圧力をかけ、ある者は遮蔽物に潜んで銃身の照準を定める。一分前から始まった彼らの決死の突撃は、上空から襲来する本命の三人を援護し、意識を地上へ縫い留めるための命がけの囮だった。

だが——その死角からの援護は、六百メートル離れた雑居ビルの屋上から冷徹に見下ろす識の眼孔を逃れはしなかった。

(……浅はかね。レディの背後を狙うネズミは、一匹たりとも通さないわ)

カチ、とSAT狙撃手の指がトリガーにかかったその刹那。

伏せた姿勢のまま、識の対物ライフルがごくわずかな消音音とともに火を噴いた。

チュンッ——!!!

重厚な消音器を通した極小の破裂音が風に溶けると同時に、六百メートル先の隊員の頭部が激しく跳ね上がった。ヘルメットの隙間——右こめかみを超高速度弾頭で正確に貫かれた男は、引き金を引くことすら叶わず、泥の上へと崩れ落ちる。

識は能面のような無表情のまま瞬時にボルトを滑らかに操作し、排莢と同時に次弾を薬室へ送り込む。地上のヒーローたちの決死の牽制も、彼女の精密な射撃によって背後の援護を完全に断たれていた。

その足元——グラウンド中央で、何発もの空気砲を放ち終えた才子は上空を見上げていた。

頭上から轟音とともにハッチを蹴って飛び出してきた三人のプロヒーロー。まるでその襲来を待っていたと言わんばかりに、白銀の少女の可憐な薄唇が不敵な笑みを刻む。

才子は降下してくる三人のうち、たまたま真っ先に目についたシルキーパンサーへと焦点を合わせた。

「……まずは、貴女から」

可憐な左手を上空へ向けて鋭く突き上げる。空中で無防備に降下してくるパンサーを大気の重塊で粉砕して吹き飛ばそうと、不可視の『大気砲』が解き放たれようとした——その刹那。

「——させん!!」

ドッと空気を切り裂く爆音とともに、背部スラスターを全開にしたミスターファルコンが超音速で急降下。放たれる直前でパンサーの両脇を力強く抱え込むと、蒼白い高熱の噴射炎を爆発させた猛烈な旋回機動で、「見えない射線」の軌道上から力任せに彼女を離脱させた。

大気の衝撃波が空しく虚空を切り裂き、天空を穿つ重低音だけが雲間に響き渡る。

「…………」

獲物を掠め取られた才子は、あからさまに不快そうな色を浮かべて可憐な眉をキュッと顰めた。自らのサイコキネシスを鮮やかにかわされたことへの、抑えきれない苛立ち。

だが、その不機嫌を咀嚼する暇もなく、地上の残存ヒーローたちが彼女の隙を突こうと怒号を上げて迫り来る。

才子は空へ向けた左手をゆるりと下ろしながら、不機嫌な面持ちのまま右手を無造作に横へと突き出した。

ドガァアンッ!!!!

一閃された見えない大気の衝撃が、突撃してきたヒーローたちを真っ正面から直撃する。凄まじい風圧と質量弾と化した大気によって、彼らは叫び声を上げることすら許されず、骨を砕かれる重い音とともに泥や壊滅した車両の山へとまとめて豪快に吹き飛ばされていった。

 

Part7。交錯する照準

「……降ろすぞ!」

才子の放った巨大な空気砲を間一髪で回避したミスターファルコンは、猛烈な風圧とGに耐えながら、抱え込んだシルキーパンサーの減速タイミングを冷静に測っていた。

グラウンドの地表まであとわずか、安全に着地可能な高度へと差し掛かったその瞬間、ファルコンの脇に抱えられていたパンサーが彼の腕を「タタッ」と素早く二度叩き、タップで離脱の合図を送る。

「任せたわよ!」

ファルコンが腕を解くと同時に、パンサーは空中へ躍り出た。しなやかな猫科の肉体を空中動作で巧みにひねり、衝撃を殺して泥の上へと着地。一切の停滞もなく、その勢いを斜め前方向への爆発的な急発進へと変換した。

パンサーを安全に接地させたファルコンは、間髪入れずに背部スラスターのバーニアを全開に噴射させた。

ドォォォンッ!!

蒼白い高熱の噴射炎が泥を爆風で吹き飛ばし、ファルコンの機体を一気に直進急上昇させる。急降下から一転して一瞬で高度を取り戻し、上空からの優位を維持しつつ、次の攻撃機会と遠方の狙撃手の射角を探るべく空へと舞い戻っていった。

才子の前方に鮮やかに着地したシルキーパンサーは、地を羨むような低姿勢のまま、爆発的な瞬発力で駆け出す。直角に近い不規則なジグザグ軌道を描き、才子の視界を激しく乱しながら急速に距離を詰めていく。

「ハッ……!」

才子は冷ややかな視線でその動きを追い、サイコキネシスでその身体を直接捉えて押し潰そうと意識の「照準」を合わせようとした。

だが——捕まらない。

ただ速いだけでなく、予測のつかない不規則な立体機動が、才子のフォーカスを絶妙に外し続けていた。

(……チョロチョロと、鬱陶しいわね!)

捕獲の照準が絞りきれないことへの軽い苛立ちが、才子の眉を不機嫌に跳ね上げさせる。直接の拘束を諦めた才子は、広範囲をまとめて吹き飛ばそうと、右手を前方へ突き出し大気の凝縮を開始した。

しかし、パンサーが才子の注意を前方へ完全に引きつけ、隙を作り出したその瞬間——才子のすぐ背後から、風を切り裂く重厚な金属音が響き渡った。

ビシィッ!!!!

校舎屋上のフェンスに鎖を引っ掛け、空中からの急旋回で完璧に背後を取っていたチェインスリンガーだ。彼は泥の上へ着地するや否や、勢いそのままに両腕の特殊合金鎖を鞭のようにしならせ、才子の背中へと容赦なく振り下ろした。

重厚な鎖の一撃。直撃すれば骨ごと砕かれる必殺の打撃に対し、才子は即座に体勢を反らして回避行動をとる。武術の経験などない彼女の回避は、洗練された身こなしとは程遠い、ただ攻撃から強引に身を遠ざけるための大きな体勢の崩れを生み出した。

大きく前傾姿勢に崩れ、無防備な隙を晒した才子。

「——そこだッ!!」

上空へと舞い戻っていたミスターファルコンが、その絶好の好機を見逃すはずもなかった。背部スラスターを全開に叩きつけ、体勢を崩した才子の無防備な頭上へと、隕石のごときスピードで垂直急降下を敢行する。

——勝機。三人の無駄のない連動攻撃が、ついに絶対者を追い詰めたかに見えた。

だが、その死角なき強襲を、六百メートル離れたスコープ越しに見つめる冷徹な瞳があった。

(……レディには触れさせない)

雑居ビルの屋上。識の細い指先が、一切の感情を排して対物ライフルのトリガーを絞り抜く。

チュンッ——!!

消音音とともに放たれた超高速度の狙撃弾が、急降下するファルコンの「進行ルート」を正確無比に穿つ。

「くっ……!?」

バイザーの危険予知センサーが途絶の警報を鳴らし、ファルコンは牙をむく死線を感じ取った。直撃を避けるため、彼は降下軌道を力任せに横へと急旋回させざるを得ず、才子への肉迫攻撃は完全に阻まれてしまう。

ファルコンの急降下が逸れたことで、生じたのはわずか一瞬のエアポケット。

しかし、才子にとってはその一瞬があれば十分だった。

崩れかけた体勢を無理やり立て直した才子は、正面から肉薄してきていたパンサーへと視線を向け、不機嫌な面持ちのまま前方の空間へ向けて左手を一閃させる。

ドガアアンッ!!!!

直前で溜めていた大気圧が解き放たれ、前方全体を薙ぎ払う強烈な空気砲が炸炸裂した。猛烈な爆風と大気の衝撃波が前方一面を覆い尽くし、あと一歩まで迫っていたパンサーの追撃を強引に削ぎ落として距離を戻させた。

識の正確無比な一弾が繋いだ隙によって、才子は三人の怒涛の連携を辛うじて凌ぎ切るのだった。

 

Part8、傾いた戦局

 

「——ここは任せるぞ!!」

上空で急旋回し、識の狙撃を寸前で回避したミスターファルコンが、バイザー越しに地上へ低く叫んだ。当初の作戦通り、あの遠方の敵スナイパーを抑え込まない限り勝機はない。ファルコンは背部スラスターのメインバーニアを最大出力で点火させると、蒼白い高熱の炎を撒き散らしながら、一筋の疾風となって識の潜伏する北西の雑居ビルへと音速で飛翔していった。

 

「ええ(おう)、任せて(ろ)!」

離脱するファルコンを背に、シルキーパンサーとチェインスリンガーは即座に息を合わせ、才子を前後から完全に挟み込む陣形を展開した。

前方に低姿勢で地を奔るシルキーパンサー、背後に武骨な鎖を構えるチェインスリンガー。完璧な前後挟み撃ちの陣形は、武術の素養がなくサイコキネシスの圧倒的出力だけに頼ってきた真白才子にとって、確実にその牙を剥き始めていた。

(……くっ、忌々しいわね……!)

才子の額に、微かな汗が滲む。

前方に意識を集中してパンサーを圧力で押し潰そうとすれば、背後からチェーンの重厚な合金鎖が容赦なく才子を狙ってしなる。慌てて背後へ意識を向け鎖をサイコキネシスで捉えれば、その隙を逃さずパンサーが獣のごとき超速度で間合いを詰めてくる。

二人のプロヒーローによる完璧な同時連撃は、才子の意識のキャパシティをわずかに上回り、僅かな呼吸の猶予すら与えない。じわじわと詰められる間合い。絶対者として君臨していたはずの才子が、明確に後手へと回されていた。

「……チョロチョロと動くなと言っているのよッ!!」

不機嫌を爆発させた才子は、パンサーのさらに後方——壊滅したグラウンドに転がる一台の乗用車へと強引に意識の手を伸ばした。見えないサイコキネシスの爪が車体を掴み上げ、前方に立つパンサーの背後から挟み潰すように、凄まじい勢いで引き寄せた。

直撃すれば肉塊と化す鉄の重塊。しかし、背後から迫る落雷のような重低音に、パンサーは一瞬の迷いもなく地を蹴った。

華麗なバックジャンプ。

迫り来る車体のボンネットへ軽やかに躍り出ると、間髪入れずにさらなる跳躍を敢行。空中を舞って車体の影へと滑り込むように着地してみせた。

「なに……!?」

障害物を軽々と足場に変えられた才子の前に、勢いを殺せぬ乗用車がそのまま自らに向かって猛スピードで突進してくる。

「なら……これで潰されなさいッ!」 

才子はすぐさま思考を切り替え、引き寄せた車体のベクトルをそのまま維持。可憐な身体を優雅に半回転させると、背後のチェインスリンガーへ向けて巨大な鉄の弾丸として投げつけた。

大気を削る音を立てて迫る乗用車。だが、死線を潜り抜けてきたベテランヒーローの眼差しは揺らぐことなく「——甘ぁあいッ!!」チェーンが踏み込みとともに右腕を閃かせた。超重量の特殊合金鎖が閃光となって大気を切り裂く。

ドゴォアンッ!!!

一閃された鎖の衝撃波が乗用車を真っ二つに両断。左右に爆発・四散する鉄くずの合間を突き破り、そのまま間髪入れずに左腕の鎖が、龍のごとき軌道を描いて才子の頭部へと向かって振り下ろされた。

「くッ……!」

才子は悲鳴に近い声を上げ、不格好に身体を捻って鎖の直撃を回避する。だが、武術の身こなしを持たない回避は大きく体勢を崩させ、決定的な隙を生み出した。

そして——車体を断ち切る派手な破砕音の影で、その瞬間の隙を狙っていた本命の爪がすでに目前まで迫っていた。

車の影から飛び出していたパンサーが、爪を交差させて肉薄。

ザァッ——!!!

「あ……ッ!?」

凄まじい衝撃とともに、才子の可憐なドレスの左肩が鋭く引き裂かれた。皮膚すら擦過する衝撃に膝の力を奪われ、白銀の少女は泥の上へとあられもなく尻もちをついた。惨劇のただ中で貴婦人のごとき優雅さを保ち続けていた彼女が、二度地に塗れた瞬間だった。

「もらったあああッ!!」

勝機と踏んだパンサーが、倒れ込んだ才子へ向けて追撃の右足を突き出し、跳躍する。

——勝負あった。誰しもがそう確信した、その刹那。

パンッ——……!

遠く離れた空から乾いた単発音が風を切り裂き、冷酷な消音音が耳腔を刺した。跳躍していたパンサーの右太腿が、超高速度弾頭によって撃ち抜かれた。

「あぐッ!?!?」

肉と骨を同時に粉砕されたパンサーの口から絶叫が漏れ、激しい血飛沫とともに彼女のしなやかな体が泥の上へ無様に転がった。

「パンサーッ!?」

背後のチェーンの顔から血の気が引き、激しい動揺がその表情を大きく歪ませる。二人を同時に襲った絶望と動揺の、ほんの一瞬のエアポケット。

「……調子に、乗るんじゃないわよ……ッ!!」

尻もちをついたまま、地を這うような低い声が響いた。

泥に汚れたドレス、破れた肩から覗く白い肌。プライドを完膚なきまでに打ち砕かれた真白才子の瞳に、底知れぬ狂気と激怒の焔が燃え上がる。

才子は左右の手のひらを、倒れたパンサーと凍りつくチェーンへと向けた。

ガッ——!!!

「「がっ……!?」」

不可視のサイコキネシスが、抗う間もなく二人の全身を固く拘束する。動揺によって生じた一瞬の隙が、指一本動かせぬ絶望的な捕獲の檻へと変わっていた。

「調子に乗って……この私に……良くも……よくも私のドレスを引き裂いてくれたわねえええッ!!!」

ヒステリックな叫びとともに、才子が血走った瞳で右手と左手を同時に振り上げた。拘束された二人もろとも、空中高度数メートルへと強引に持ち上げられる。

「しまっ……ぐあああッ!!!」

「いやあああッ!!」

才子が可憐な腕を、狂気とともに地へと叩き落とす。

ドガァァアンッ!!!!

生身の人間が、質量弾となってグラウンドの泥へと激突した。骨の砕ける嫌な音が響き、二人から激しい吐血と絶叫が漏れ出る。

だが、才子の激昂は収まらない。これまでの鬱憤と屈辱を全て吐き出すように、彼女は両腕を何度も、何度も、狂ったように上下に振り続け、二人を泥へと叩きつけ続けた。

ドゴォン! ガァンッ! ドガァアンッ!!

繰り返される惨劇の打撃音。

泥と血飛沫が盛大に舞い散るグラウンドで、プロヒーローたちの絶叫は次第に小さく、静かな呻き声へと変わっていくのだった。

 

Part9、ブラインドスポット対ミスターファルコン

 

風を猛烈な勢いで置き去りにしながら、ミスターファルコンは一直線にビル屋上へと急上昇していた。

「——逃がさんぞ、スナイパー……!」

その視界の先、狙撃ポイントである屋上の縁に立つ影をとらえる。

ビルの縁に佇むのは、妙齢の女——識(しき)。流れる髪を風になびかせ、冷徹な瞳で迫り来る敵を見つめていた。

直後、乾いた銃声が夜空に轟いた。

タァン!

識の構えるボルトアクションライフルから解き放たれた第一砲。だが、音速を超えるファルコンの肉体には届かない。わずかに首を傾けるだけで、初弾は空を切って夜の闇へと消えた。

識は感情の失われた美しい顔立ちのまま、滑らかな手つきでボルトを引く。空薬莢が跳ね飛び、次弾が装填される。

タァン!

二発目。先ほどよりもさらに高度な予測偏差射撃。しかし、空の覇者であるファルコンは空中での驚異的な姿勢制御により、鋭く横へと旋回してこれを易々と躱してみせた。

「無駄だ!」

二発の猶予すら一瞬。すでにファルコンは識の目と鼻の先まで肉迫していた。

識を捕らえるべく、鋼のように鍛え上げられた大きな手が、その細い身体を掴まんと伸びる。

——その瞬間。

ファルコンの視界から、唐突に識の姿が消失した。

(なにっ……!?)

目の前にいたはずの女が、まるで最初から存在しなかったかのように掻き消える。

だが、ファルコンの動きに迷いはない。肉眼で見えないだけだ——即座にそう思考を切り替えると、ファルコンは素早く装備のセンサーと高感度カメラを起動させた。

視覚情報がサーモグラフィと動体感知のデジタル映像へと切り替わる。

予想通り、識は発動した『デッドスポット』で視界の死角へと滑り込みながら地を転がり、間一髪でファルコンの手を逃れていた。しなやかな動作で立ち上がると、懐から一筋の冷光——鋭利なナイフを引き抜く。

忍び足でファルコンの背後に回り込み、その頚動脈を一かざりで切り裂こうと刃を振り上げる識。

しかし、ファルコンのカメラはその動きを完全に捉えていた。

「——見えているぞ!」

背後からの急襲を振り向きざまに完璧に手首で弾くと、ファルコンは識の右手を力強く掴み上げた。そのまま翼を羽ばたかせ、足場を蹴って一気に上空へと飛び立つ。

「捕まえたぞ……! これで終わりだ!」

上空数十メートル。ファルコンは識の華奢な肉体を強固に抱え込むと、旋回して地上へ向けて急降下を開始した。このままの速度で屋上へ激しく叩きつける——彼の放つ必殺の叩きつけの体勢だ。

強烈なGと風圧が二人を包み込み、識の長髪が激しく乱れる。

勝負は決したかのように思えた。

だが——抱え込まれた識の瞳に、死を前にした恐れも焦りも浮かばない。

右腕を固く拘束されながらも、左手はすでにジャケットのポケットの中に滑り込んでいた。仕込んでおいた小型回転式拳銃——Smith & Wesson M642 Airweight。

銃を取り出す手隙すら作らない。

間一髪、ファルコンの側頭部へ向け、ポケットの中から一切の猶予なくトリガーを引き絞った。

バァン!

至近距離での破裂音。

内側から突き破られたポケットの布地が弾け飛び、焦げた穴から硝煙が噴き出す。

ノータイムで放たれた一弾は、ファルコンの側頭部を容赦なく穿ち、その意識を瞬時に刈り取った。

絶命し、脱力したファルコンの巨体。

急降下の猛烈な加速度だけを残したまま、二人は猛スピードで屋上のコンクリート床へと肉迫するなか、識は冷徹な判断力で素早く体勢を入れ替えた。

自分を抱え込んでいた死体の体幹を力任せに抱き返し、ファルコンの肉体が完全に下になるよう空中で位置を反転させる。鋼のように頑強に鍛え上げられたヒーローの巨体を、自らのクッションとして利用するために。

ドォンッ!!

凄まじい衝撃音とともに、ファルコンのスラスターが屋上の床を叩き割り、激しい粉塵が巻き上がる。

沈黙。

立ち上る煙のなかから、死体となったファルコンの身体の上からしなやかに立ち上がる影があった。

識は破れたポケットから立ち上る硝煙を静かに払うと、髪を整え、何事もなかったかのようにファルコンの身体から離れる。

肉体へのダメージは軽い打撲程度。ブラインドスポットの圧勝でビルの屋上の戦いは終了した

 

Part10。冷徹な事後報告

ミスターファルコンの息の根が完全に止まったことを確認すると、識は微かな吐息とともに立ち上がった。

だが、スナイパーとしての彼女の仕事はこれで終わりではない。

頭部を打ち抜かれ、物言わぬ肉塊となったファルコンの巨体は、今の彼女にとって伏射の射角と取り回しを遮るただの障害物でしかない。識は能面のような無表情のまま、破れたジャケットの裾を軽やかに払うと、冷酷な足蹴で遺体を屋上の隅へと無造作に蹴り転がした。

ズズ……と重い金属音がコンクリートに響き、壁際で巨体が動かなくなる。完全に射線が開けた。

間髪入れず、識はコンクリートの床へしなやかに身を伏せると、泥と硝煙に汚れた対物ライフルを再び構え直し、高倍率スコープのレティクルへ片目を預けた。

(……ちっ、重装甲の鳥を落とすのに少し手間取り過ぎたわね)

六百メートル先のグラウンドへ意識を集中させる。

円形のフレームの中に飛び込んできたのは、まさに才子がチェインスリンガーの鎖を回避して体勢を崩し、そこへ車の影から飛び出したシルキーパンサーの鋭い爪によってドレスの左肩を引き裂かれる決定的な瞬間だった。

泥の上へとあられもなく尻もちをつく才子。そこへ追撃の右足を突き出し、跳躍するパンサー。

(……浅はかね)

識の指先は、すでに一切の迷いなくトリガーへと添えられていた。

スコープの十字標的(レティクル)を、空中で無防備に跳躍するパンサーの右太腿へと寸分の狂いもなく重ね合わせる。狙撃手としての呼吸を極限まで殺し、引き金を絞り抜いた。

チュンッ——……!

風を切り裂く重厚な消音音。超高速度弾頭が600メートル先の空間を疾走し、パンサーの肉と骨を綺麗に撃ち抜いた。その確実な一撃が、才子の絶体絶命の危機を鮮やかに打ち砕いて見せた。

「あぐッ!?!?」

悲鳴とともに泥の上へ転がるパンサー。そこからの展開は凄惨の一言だった。

プライドを打ち砕かれ、激怒の焔を狂わせた才子は、二人をサイコキネシスで捕獲すると、狂気に満ちた叫びとともに地表へ何度も、何度も叩きつけ続けた。

スコープ越しにその惨劇を冷徹に見届けながら、識はふっと眼光を冷ややかに緩めた。

才子は二人を肉塊に変えるまで徹底的に痛めつけはしたものの、最終的に息の根までは止めなかった。そして暴走が収まったあと、泥の中に倒れる満身創痍のヒーロー二人などハエか何かのように視界から排すると、それよりも自分自身のドレスの肩口の破れ目を、泣き出しそうなほど苛立たしげ気に気に病んでいる。

(……ふっ、どこまでもあの方への執着、ね)

能面のような識の唇に、かすかな、けれど深い感情を含んだ笑みが浮かぶ。

どれほど圧倒的な暴力を振るおうと、どれほど惨劇を巻き起こそうと、才子の行動原理の根底にあるのはただ一つ——オール・フォー・ワンへの忠誠。それに付随して与えられた仕事と、オール・フォー・ワンが、支配する世界で魔王の娘としてその象徴となるドレスへ異常なまでに執着させる義理堅さだった。回収対象としてのヒーローの価値を損なわぬよう、自らに課した主への使命を完璧に遂行しようとする執念。

(……この娘のオール・フォー・ワン氏に対する執著と義理堅さには、いつ見ても恐れ入るばかりね。だからこそ……報告を怠れば、後でどんな面倒なことになるか分からないわ)

あの方の意を汲む「レディ」に対して、曖昧な処理や勝手な判断は許されない。手順や結果の曖昧さを何よりも嫌う少女人形へ向けて、識は伏射の姿勢を維持したまま、胸元の小型インカムのスイッチを指先でそっと押し込んだ。

「……レディ。申し訳ありません。こちらへ向かってきたミスターファルコンですが、能力の性質上、生け捕ることが困難と判断したため……抹殺いたしました」

一瞬の間を置いて、通信の向こうから、いつもの可憐で気負いのない、どこか誇り高い才子の声が返ってきた。

『そう。貴女がそうするしかないと判断したのなら、それが最善だったのでしょう』

才子の声音には、ヒーローを一人殺害したことへの動揺も責める気配もなく、識の判断に対する絶対の信頼だけが与えられていた。才子はドレスの破れ目を細い指先で弄りながら、フッと短く息を吐く。そして、可憐な声音に素直な親愛を込めて言葉を続けた。

『それよりも、さっきは助かったわ、識。……感謝します』

「滅多なことを。……引き続き、この位置より上空と周囲の警戒を継続します」

静かに通信を切ると、識は再び能面のような無表情へと戻り、冷徹な観察者としてスコープの奥の闇を見据え直した。

 

Part11、雪は降り止まない

 

グラウンドに吹き抜ける初夏の風が、漆黒のアフタヌーンドレスの裾と才子の白銀の髪を優しく揺らしていた。

辺りにはチェインスリンガー、シルキーパンサーをはじめとする30人を超えるヒーローがサイコキネシスで徹底的に叩きつけられ、ピクリとも動かなくなった無残な姿が転がっている。

 目の前にあった鬱陶しい障害物はすべて排除し、ヒーロー社会の威信も、民衆の希望も完膚なきまでに叩き潰した。

(……ふふ、実に良い眺めね)

 完璧な破壊と絶望の余韻。才子は胸の奥を満たす甘美な充足感に酔いしれながら、そっと細い指先で白銀の髪に触れ、心地よい風を肌で受けていた。

 あとは到着する生涯の先生にして、敬愛する父オール・フォー・ワンにこの土産を捧げる時を待つのみ。そう思い、一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。

 ——ズ、……ズズ……ッ。

 背後の惨状から、静寂を切り裂く不快な小音が響いた。

 振り返れば、体育館の瓦礫の山。鉄骨の下敷きになり、無様に縫い付けられて捧げ物になると思っていた影が、ゆっくりと動いていた。

 避難民たちが必死の思いで持ち上げた鉄骨の隙間から、泥と血に汚れて這い出て来た

「……あら?」

 才子は優雅に足を止め、退屈そうに首を傾げた。

 現れたのはスノーホワイト——北国雪愛。

 肉体的なダメージ自体は、才子に押し潰される直前に鉄骨の落ちる角度を逸らしたこと、そして折られたのが左手の小指一本にとどまっていたことで、奇跡的に「立ち上がる体力」だけは残されていた。

 だが、その身体を動かしているのは肉体の無事などではない。

 叩き折られたプライドと、幼い子どもを守れなかったという激しい悔恨、そして——決して悪魔には屈しないという、ヒーローとしての滑稽なまでの執念だった。

 ダラダラと赤い血を垂らす左手を痛痛しく庇いながら、雪愛は両足でしっかりと大地を踏みしめ、一歩、また一歩と才子の背中へ向かって歩みを進めてくる。

 一度完全に粉砕されたはずの瞳の奥に、消えることのない苛烈な火を宿らせて。

「……はぁっ……はぁっ……く……っ!」

 荒い息を吐きながら、霞む両目で才子の漆黒のドレスを捉え続ける雪愛。

 その光景を目にした瞬間。

 才子の美貌を覆っていた退屈な色が、瞬時にして酷薄な笑みへと塗り替えられた。

 透き通るような薄い唇が、凶暴な愉悦に歪んで美しく弧を描く。

 二度と立ち上がれぬよう絶望の底へ突き落としたはずの虫けらが、惨めにも意地を張って自分の前に立ちふさがっている。これほどまでに彼女の虐待心をくすぐる玩具が、他に存在するだろうか。

「……驚いたわ。あの状況から立ち上がってくるなんて」

 鈴を転がすような、甘く、けれど氷の棘を含んだ声が雪愛に刺さる。

 才子は黒い絹手袋の手を胸元でそっと重ね、心底愛おしいものを見るかのような狂気的な眼差しで、這い出てきた元親友を見つめた。

「そこまでして私に壊されたいの? スノーホワイト」

 その言葉とともに、才子はヒールの音を高く響かせてゆっくりと一歩踏み出した。

「いいわ……そこまでプロヒーローとしての『意地』を見せてくれるというのなら。その汚いプライドも、残された指の一本まで……今度こそ絶対に立ち上がれないよう、徹底的に叩き潰してあげる」

 才子の周囲の空気が、膨大なサイコキネシスの奔流によって再び重く歪み始める。

 逃げ場のないグラウンドの中、真白才子の白銀の瞳には、哀れなヒーローを更なる地獄の底へと引きずり込むための、底知れぬ悪意が蠢いていた。




冒頭のジェット機のやりとり死亡フラグというのを描きたいためだけに書きました、一応4日前のエピソードも考えてはいたのですが、関係ないのと文字数が莫大になりすぎるのでカットしました


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予定通りいけばあと3話くらいだと思います。完結目指して頑張ります
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