Part1、対決白い和装対黒いドレス
「いいわ……そこまでプロヒーローとしての意地を見せてくれるというのなら。その汚いプライドも、残された指の一本まで……今度こそ絶対に立ち上がれないよう、徹底的に叩き潰してあげる」
才子の可憐な唇から、甘く冷酷な宣戦布告が滑り落ちる。次の瞬間、冷酷な愉悦を瞳に宿した真白才子が、黒い絹手袋に包まれた華奢な右手を緩やかに持ち上げ、目にも留まらぬ速度でスノーホワイト——北国雪愛の肉体を捕獲し、その全身の骨を粉砕せんと漆黒の指先が引き絞られようとした——その、ほんのコンマ数秒前のことだった。
(……やらせない……ッ!!)
才子の右手が完全に上がりきる直前。雪愛の瞳の奥で、消えかけていた青白い焔が爆発的に燃え上がった。
彼女は叩き折られた左小指の激痛を噛み殺し、個性の出力を極限まで高め、体内の熱という熱を一切合切置き去りにし、絶対零度へ至る冷気を全身から解き放つ。
『雪女』、フルドライブ。
ビュゥオオウッ!!!!
初夏のぬるい風が一瞬で叩き潰され、グラウンド全体が狂暴な極寒の檻へと変貌する。
大気を一瞬で凍らせ、惨劇の地盤を凄さまじい密度の白銀の吹雪が覆い尽くした。
視界を完全に遮断するホワイトアウト。氷粒を含んだ猛烈な暴風が渦を巻き、才子の可憐なアフタヌーンドレスと黒い絹手袋、そして白銀の髪を容赦なく打ち叩く。狂暴な旋風となって荒れ狂うこの疑似吹雪こそが、スノーホワイトの真価だった。
体育館で才子に文字通り嬲られ、地獄のような暴力を受け続けていたあの最悪の最中すら、彼女はこの全開の力を決して解き放たなかった。解き放てなかったのだ。
狭く閉ざされた体育館の中には、身を寄せ合って震える無数の避難民たちがいた。もしあの閉鎖空間でこの超広域の吹雪を展開すれば、才子に届く前に周囲の一般人を巻き込み、凍傷どころか一瞬で氷柱へと変えかねない。
自分ひとりがどれほど踏みにじられようと、他者を守る防壁として踏みとどまり続ける。それこそがプロヒーロー・スノーホワイトの誓いであり、呪縛だった。
守るべき人達をを守るために自ら封印していた牙、だが、今は違う。守るべき人々は背後の瓦礫の影におり、ここは遮るもののない広大なグラウンド。目の前には、倒すすべきヴィランがただ一人。
(ここなら……広大なグラウンドの真ん中なら、誰をも巻き込まだずに全力を叩きつけられる……!)
「きゃっ……!?」
突如として発生した視界を奪う極寒の暴風と、叩きつけられる氷粒の打撃に、才子は思わず絹手袋を嵌めた腕で顔を覆い、体勢を崩した。
不可視の捕獲爪は、急激な大気の乱流と凍てつく冷気によって空間の焦点を散々乱され、雪愛の拘束に失敗する。
「……くっ、鬱陶しい吹雪ね……ッ!」
絶対者として余裕を崩さなかった才子の顔に、明確な不快感と苛立ちが走り抜けた。
「はぁっ……はぁっ……!」
猛吹雪が吹き荒れる視界の中で、雪愛は圧し折られた左小指の激痛に歯を喰いしばり、白銀の同い年の女性を見据えていた。
どれほど罵倒され、傷つけらようとも、かつて自分を守ってくれた手、図書館の隅で頼りない自分に優しく微笑んでくれた、あの頃の温かな少女の面影を雪愛は今も捨て去ることができずにいた。
(忘れるわけがない……っ! どんなに冷酷な言葉で踏みにじられようと、どんなに悪魔の姿に変貌してしまおうと……私の中にいる才子ちゃんは、あの頃の優しい優等生のままなのよ……!)
だからこそ——血を流す胸の奥で、激しい痛みが渦を巻く。
才子がオール・フォー・ワンの悪徳に身を染め、人を傷つけ、罪を重ねていくたびに、雪愛の心は千々に引き裂かれていた。あの時自分が手を差し伸べ続けていれば。救い出せていれば。
(これ以上……これ以上、貴女に罪を重ねさせたくない……っ!!)
いまの才子に、言葉だけの説得や懇願など届かない。そんな甘えは「負け犬の言い訳」として冷酷に切り捨てられ、嘲笑われるための玩具にされるだけだ。
話し合うためには、あの頃の「才子ちゃん」の瞳に、もう一度だけ自分をまともに映してもらうためには——。
(言葉じゃない……お願いなんかじゃない……! いまの才子ちゃんを止めるには、私の全力で、その腕を叩き折ってでも力で分からせるしかない……!!)
絶望を乗り越えた雪愛の瞳から、もはや迷いは消え去っていた。
プロヒーローとしての使命感だけではない。親友としての、身を切るような決意と苛烈な誓い。
「才子ちゃん……ッ!!」
喉を破らんばかりの叫びとともに、雪愛は猛吹雪の旋風を才子を目がけて放ち続ける
対等な地平に立ち、その歪んだ悪意を力づくでも止めさせるために。北国雪愛の集中力と個性出力はは高まっていく
Part2。猛吹雪の中と外で
視界の全てを真っ白に染め上げる猛吹雪の渦中、普通ならば一寸先すら見通せないホワイトアウトの死の暴風圏でありながら、能力の生みの親であるスノーホワイト、北国雪愛にとって、この氷雪世界は己の庭も同然だった。
『雪女』の個性ゆえに、自らが生み出した吹雪の中において彼女の視覚は何一つ遮られない。荒れ狂う雪粒の隙間を縫い、才子が苛立ちに眉をひそめ、不快そうに腕を構える挙動のすべてが手に取るように見えていた。
(才子ちゃんの正面には……絶対に入らない……ッ!)
雪愛は圧し折られた左小指の激痛を殺し、体勢を低く保ちながら死角から死角へと滑らかにステップを刻み続ける。
才子が空気砲を放とうと黒い絹手袋を嵌めた腕を構える前動を見逃さず、雪愛はその射線を完璧に回避しながら、集中的に極寒の冷気と氷粒の打撃を才子の体へ叩きつけた。
「くっ……冷たッ……! 鬱陶しいのよ、消えなさい……ッ!!」
才子の顔から優雅な笑みが消え去る。
優美だが肩口の露出が多く薄手に仕立てられた黒のアフタヌーンドレスは、この絶対零度の狂風に対して無防備すぎた。
防寒など微塵も考慮されていない生地を冷気がダイレクトに突き抜け、絹のような肌を苛む。白磁のような肌がみるみる蒼白く強張り、凍えが指先から体温を奪っていく。生まれて初めて味わう歯の根が合わないほどの過酷な寒さに、絶対者としてのプライドを踏みにじられた才子はついに理性を加熱させた。
「チョロチョロと……ッ! 当たるまで……何十発でも、何百発でも叩き込んであげるわッ!!」
冷気で凍えかける唇からヒステリックな叫びが漏れる。雪愛の位置すら特定できぬまま、才子は左右の手を狂ったように振り回し、全方位に向かって『空気砲』を乱射し始めた。
ドガァアンッ! ボォオオンッ!!
正体不明の激しい衝撃波が、滅多矢鱈にグラウンドの土を爆発的に巻き上げていく。だが、常に死角へ回り込み、軸をずらし続ける雪愛を捉えるには至らない。ヤケクソな弾幕はただ虚しく猛吹雪の空間を切り裂くだけだった。
——チュンッ……。
不毛な爆音と狂風を突いて、冷徹な一筋の銃創が空気を穿った、600メートル離れた雑居ビルの屋上。狙撃手・識が対物ライフルを構え、高倍率スコープ越しに白銀の渦を見下ろしている。
(……猛吹雪による視界の途絶。だが能力の発動源……即ちスノーホワイト本人は、この吹雪の『中心』に位置しているのが道理)
長年の培った冷徹な計算のもと、識は引き金を絞った。消音器を通した極小の破裂音とともに、超高速度弾頭が吹雪の核となる座標へと正確に放たれる。
しかし、ストックを通じて伝わってきたのは、肉を穿つ手応えのない、虚空を切り裂いただけの感触だった。
(……外した? いいえ、着弾点の偏差はゼロのはず……)
識は能面のような無表情のまま、眉根をわずかに寄せ、ボルトを滑らかに操作し、排莢と装填を完了させる。
チュンッ! チュンッ!
間髪入れずに二発、三発と少しずつ狙いを散らして追撃を放つが、返ってくる感触は変わらず「無」だった。
(……そうか。中心にいないのではない……『中心そのもの』をずらしているのか……!)
識の頭の中で、弾道の計算と現象の矛盾が一瞬で繋がった。
通常、広範囲の気象・冷気系個性は発動者本人を中心点として放射状に広がるのが常識だ。だがスノーホワイトは、己の身体から大きく離れた空間に『吹雪の起点(中心)』を意図的に設定・操作して発生させている。
自らを発生源に見せかける偽の起点を作り出し、敵の目や狙撃の照準を「存在しない吹雪の核」へ誘導しながら、自身は嵐の外縁部や死角を縦横無尽に移動しているのだ。
(自分の個性の特性を理解し尽くした立ち回り……狙撃手をはじめとする遠距離からの攻撃を見越した、完璧なカモフラージュね)
スノーホワイトの予想以上の戦闘IQと老獪な策に、識の瞳の奥で危険信号が点滅した——その時だった。
「くそっ、何だあの吹雪は!? スノーホワイトが押しているのか!?」
「援護に入るぞ! 今ならあのヴィランを倒せる……ッ!」
グラウンドの正門付近、崩壊した瓦礫の影から新たな影が滑り込んできた。遅れて駆けつけてきた増援のプロヒーローたちだ。彼らは猛吹雪の中で才子が寒さに翻弄され、空気砲を乱射して苦戦している光景を目撃し、一気に勝機と見て雪愛を援護すべく足を踏み出す。
(……ちっ、浅はかな愚か者が。これ以上の不確定要素は邪魔よ)
識は即座に吹雪から照準を外し、駆け出そうとしたヒーローの右足へとレティクルを重ねた。
ここで別の戦力が加わり、才子の苛立ちが頂点に達して広域破壊を行えば狙撃の手間が増える。才子の護衛として、戦局をこれ以上混乱させるわけにはいかない。一切の迷いなく、四発目のトリガーを絞り抜く。
チュンッ——!
風を切り裂いた弾頭が、確かな手応えとともにヒーローの右膝関節を肉ごと粉砕した。
「ぐあぁッ!?」
前傾姿勢で踏み出そうとしていたヒーローが激しい悲鳴とともに泥の上へ倒れ込み、足を抱えて転げ回る。
「なっ……狙撃!? どこから——」
「来るな! 下がれ!!」
悲鳴と怒号が飛び交い、後続のヒーローたちが足を止めざるを得なくなる。識はスコープから目を離すことなく、冷酷にリロード操作を行いながら新たな援護を完璧に遮断してみせた。
グラウンドは再び、猛吹雪に包まれた「二人の少女だけの閉ざされた戦場」へと戻っていく——。
Part3、氷壁の崩壊
荒れ狂う極寒の旋風が、容赦なく才子の華奢な肉体を痛めつけ続ける。
白磁のような肌は冷気によって赤く強張り、黒い絹手袋に包まれた指先は感覚を失いかけていた。寒さという未知の激痛と、一方的に翻弄される屈辱。思考が激昂で押し潰されかけたその時、才子の激しく揺れる視界の端——猛吹雪の白銀の合間に、打ち捨てられた数台の避難民の車両が視界をかすめた。
(……温もり……車の中なら……)
優雅さを完全に失った才子は、半ば本能的な執着で手を伸ばした。
ガガガッ……! と音を立て、見えないサイコキネシスの手が数メートル先の乗用車やワゴン車を手元へと強引に手繰り寄せる。寒さに耐えかね、吹きさらしの風を少しでも遮る防壁として才子の周囲を囲うように配置された鉄の車体。
だが、その寒さに震える才子の無様とも言える挙動と、吹き荒れる吹雪の流動パターンを、遠方の屋上からスコープ越しに凝視し続けていた狙撃手がいた。
(物理的な法則を完全に無視できるわけではないわ。自ら冷気と風を操る以上、吹雪の「風上」に位置しなければ、自身に逆流する)
『——レディ。私の声が聞こえますか』
胸元のインカムから、風切り音を突いて識の声が耳腔へと叩きつけられた。
「……識」
『冷静になって聴いてください、レディ。……寒さを凌ぐために手元に手繰り寄せたその車群、それを防壁ではなく武器として使いましょう』
「……え?」
『スノーホワイトは吹雪の中心には存在しません。ですが、暴風の挙動と冷気の流れる密度から見て、彼女は貴女を中心とした風上の扇状領域に確実に潜んでいます』
識のレンズの中で、寒さを凌ぐために才子が集めた鉄の塊が、完璧な解として繋がる。
『単発の点で狙撃するからか避けられるのです。ならば、手元の車を面として使い、風上の一帯をまとめて押し潰すのです』
冷徹な軍師のアドバイスが、凍えかけた才子の脳内へ鮮烈に突き刺さる。
防壁から一転、手元の車群がスノーホワイトを押し潰す最強の質量兵器へとその意味を変えた。
「……ふふ……あははっ! なるほど……そうね、そういうことね識」
才子の可憐な顔に、凶悪で甘やかな笑みが戻る。寒さによる不機嫌のすべてを狂暴な殺意へと変換し、彼女は黒い絹手袋を嵌めた両腕を大きく広げた。
「風上ね、なら、吹雪を潰してあげるわッ」
ギギギギ……ッ!!
才子の巨大な念動波が、手元のみならずグラウンド外縁に転がる警察車両や大型RV車へ一斉に深々と突き刺さる。数トンの鉄塊群が宙へと浮き上がり、才子の頭上で逃げ場を塞ぐ凶悪な砲身となって並んだ。
ドガァアンッ!!
一台目の乗用車が、猛吹雪の風上に向かって巨大な質量弾として放たれる。車体は積もった雪を盛大に巻き上げ、グラウンドの土を深々と削り取った。
「そこね……逃がさないわ」
二台目、三台目、四台目——!
ドォン! ガガァンッ! ボガァアアンッ!!
逃げ場を完全に塞ぐように、軌道を散らした巨大な鉄の雨が風上の扇状領域全体へ向けて乱れ飛ぶ。単なる『空気砲』とは異なり、空間そのものを強引に圧壊していく連続的な「面の暴力」。死角から回避運動を取っていた雪愛だったが、圧し折られた左小指と限界を迎えた肉体では、徐々に回避の選択肢を奪われていく。
そして——運命の五台目。
才子が狂気とともに両腕を振り下ろした、巨大な警察車両。
四台目の車体が撒き散らした土煙の陰から、死角を突くように迫る鉄の底面が、雪愛のクリアな視界を完全に覆い尽くした。
「くっ……ぁ……っ!?」
ゴガァァアンッ!!!!
凄まじい金属の打撃音と、明確に「重い肉体を破壊した感触」がグラウンドに激震をもたらした。
鉄の車体に正面から叩きつぶされた雪愛の苦悶の悲鳴が、暴風を突き破って悲しく響き渡る。
直後、発動者であるスノーホワイトの意識が途切れたことで、グラウンド全体を覆い尽くしていた猛烈な白銀の旋風が、まるで魔法が解けたかのようにピタリと勢いを失った。
サラ……サラサラ……と、空中に取り残された雪粒が虚しく地面へ落ちていく。
狂暴なホワイトアウトが急速に晴れ渡り、惨劇のグラウンドに再び初夏の強い日差しが差し込み始める。
露わになったのは、ドレスの肩口を破られ、肩で息をしながら勝ち誇った微笑みを浮かべる真白才子。
そしてその眼前——ひしゃげた警察車両の底に挟まれ、泥と血にまみれて息も絶え絶えに横たわるスノーホワイトの無惨な姿だった。
Part4、ヒーロー社会の磔刑場
「ふぅ……あー不愉快。ドレスの肩口は破られるし、寒さで凍えそうになるし……本当に最悪だわ」
才子は破れたアフタヌーンドレスの肩口を冷ややかに見下ろし、不快そうに小さくため息をついた。
とどめ——息の根を止めるためではなく、残された手脚の骨を何本か折り砕き、二度と立ち上がれぬよう完全に行動不能へ追い込むため——に、無防備な雪愛へ向けて黒いハイヒールを一歩踏み出そうとした、その時だった。
ふと、才子の視線が自身の足元へと落ち、その動きを止めた。
壊れかけた体育館の屋根から伸びる、折れ曲がった鉄骨と引き裂かれたスレートの亀裂。それらが初夏の鋭い日差しを遮り、泥の上に落としていたのは——くっきりと刻まれた、不吉な『十字架』の黒い影だった。
「……あら?」
才子は足を止め、その黒い影を思案深げに覗き込んだ。
漆黒の影が描く歪なシンボル。その瞬間、彼女の可憐で残酷な脳内に、悪魔的な閃きが駆け巡った。
(十字架……殉教。そして、見せしめ……あら、これ……すごく良いんじゃないかしら?)
ただ骨を数本折って無惨な姿で転がしておくだけでは、つまらない。
社会の守護者を気取り、偽りの正義を掲げて自分たちの前に立ち塞がりヒーローを気取った哀れな者たち。『ヒーロー社会の終焉』を、視覚的な象徴として刻みつけるには、これ以上ないオブジェ。
「ふふ……あははっ…ええ、素晴らしいアイデアだわ……」
才子は歓喜に胸を躍らせながら、黒い絹手袋を嵌めた手を優雅に振り上げた。
ギィィィィィィン……ッ!!!
激しい金属の軋み音が、静まり返ったグラウンドに鼓膜を刺すように響き渡る。
グラウンドをぐるりと囲んでいた頑丈な金属製の防護フェンスが、見えない念動の手によって悲鳴を上げ、根元から次々と引き抜かれていく。太い鋼鉄の支柱が無造作に引きちぎられ、鋭く尖った末端を剥き出しにした。
さらに才子は、網目状に張り巡らされた無数の針金部分をサイコキネシスで解きほぐすと、それらを細い蛇のように自在に這わせ、太い支柱同士を寸分の狂いもなく交差させてガチガチに縛り上げていく。
幾重にも重なる金属音の果てに出来上がったのは——無骨で凶悪な、鉄の『十字架』。その数、実に四十個近く。
「さあ……お片付けの時間ね」
才子は楽しそうに指を弾を動かす度に十字架がグラウンドに設置されていき、更に体育館の周囲や瓦礫の影、グラウンドの隅で気絶し、ピクピクと痙攣している三十数名ものプロヒーローたちの肉体。それが一人づつ宙へ浮かび上がり、まるで目に見えない糸で操られる人形のようにそれぞれの十字架へと運ばれていく。
半殺しにされたヒーローたちが次々と十字架へ押し当てられると、引きちぎられた鋭い鉄の針金が生き物のように群がり、彼らの両腕と胴体を容赦なく強く、深く巻き付けて固定していった。
「あ……ぐ……ッ」
「や、やめ……ろ……」
かろうじて意識を取り戻した数名のヒーローが痛みに呻き、血を吐きながら抗議の声を上げようとするが、肉に喰い込むほど針金を固く巻きつけられた体勢では指一本動かすことすら叶わない。
そして——最後の一人。
ひしゃげた警察車両の底から引っ張り出されたスノーホワイトが、宙を舞い、中央に聳え立つ最も大きな十字架へと手厚く運ばれた。
「……………………」
血と泥に塗れ、意識を失っている北国雪愛に、才子はうっとりとした表情で近づくと、その白銀の髪を優しく撫で下ろした。
「大丈夫よ、スノーホワイト。殺したりはしないわ。……ここで私の最高のお披露目を見守ってもらうだけ」
「つっ……ぁぁあああっ!?」
雪愛の華奢な両腕もまた、粗悪な針金によって十字架の横棒へ冷酷に固く固定された。
初夏の強い日差しの中。
グラウンド一面に林立する四十個もの鉄の十字架と、そこに見せしめのように磔にされた三十数名のプロヒーローたち。その中央で、肢体を晒しながら気高く哀れに吊るされるスノーホワイト。
ヒーロー社会の終焉と、自らの絶対的な支配を完璧に描き切った真白才子。
彼女は血の匂いが立ち込める風の中で黒いドレスの裾を翻し、黒い絹手袋で自らの可憐な口元を覆いながら、心底満足そうに——どこまでも甘く、美しくほくそ笑むのだった。
Part5、生配信で突撃インタビュー
体育館の瓦礫の陰に身を潜めていた動画配信者のテツロウは、スマートフォンの画面に滝のように流れ落ちるコメントの群れを、引きつった表情で見つめていた。
『バロネスに突撃インタビューしてくれ!!』
『おいテツロウ、ここで突撃しなきゃ男じゃないぞ!』
『同接いま50万超えてる! 行け! 行けば歴史に残るぞ!!』
『やめとけ死ぬぞ』
『いや、ワンチャン話聞いてくれるんじゃね?』
体育館内での凄惨なキャットファイト生配信は大バズりを記録し、同時接続者数は未だかつてない数字へ跳ね上がっていた。だが、体育館の外で繰り広げられたのは、数十名のプロヒーローが無惨に叩き潰され、グラウンド一面に異様な鉄の十字架となって並べられるという、悪夢のような現実だ。
(……いやいやいや、無理だろ! アレに話しかけるとか正気か!? 一瞬で肉塊にされるぞ!?)
背中に冷や汗が吹き出し、心臓が爆発しそうなほど早打ちする。うかつに近づくなど自殺行為に他ならない。断るべきだ、逃げるべきだと本能が警鐘を鳴らしていた。
だが、テツロウの脳裏に、ふと数日前までの彼女の姿が過った。
テレビ番組のインタビューで、清楚なドレスに身を包み、カメラに向かってどこまでも優しく可憐に微笑んでいた英国貴族、バロネス・エインズワースの姿。
(……待てよ? 殺戮を楽しんでいる狂人って感じじゃないな。あの落ち着きよう……言葉遣いも丁寧だし、こちらが無礼な態度をとって機嫌を損ねさえしなければ、意外と普通に取材に応じてくれるんじゃないか……?)
一度生じた希望的観測は、歪んだ思考となってテツロウの頭を侵食していく。配信者としての肥大化した承認欲求と「爆発的な再生数」という甘い毒。一獲千金の欲と死への恐怖を天秤にかけた時、針はあっさりと欲へと傾いた。
(……やるんだ。ここで引いたら一生後悔する。歴史的最高同接を更新して、伝説になってやる!)
ゴクリと生唾を飲み込み、テツロウは震える手で『緊急生配信』のボタンを強くタップし、スマホを自撮り棒に固定して立ち上がった。
「……どうも、テツロウです!」
絞り出すような声でいつもの決まり文句を口にすると、彼は意を決して瓦礫の影から這い出し、惨劇のグラウンドへと足を踏み入れた。
「ヒッ……!?」
一歩踏み出した瞬間、テツロウの息が喉奥で凍りついた。
視界を埋め尽くすのは、初夏の強い日差しの中に異様かつ厳かに林立する、四十個もの鉄の十字架。そこには半殺しにされ、血を流すプロヒーローたちが無残な姿で磔にされていた。中央には、かつて市民の希望だったスノーホワイトが力なく項垂れている。
鼻をつく濃厚な鉄と血の匂い。膝がガクガクと震え、自撮り棒を握る手が激しく揺れるのを必死で耐えながら、彼はグラウンドの中央——泥と血の海の中で黒いドレスの裾を優雅に整えている絶対者の背中へと死に物狂いで近づいていった。
「あ、あの……! こ、こんにちは……ッ!」
裏返りそうな声を張り上げ、テツロウは極限の恐怖に引きつった顔で頭を下げた。
「あの! 配信者のテツロウと申します! その……バロネス・エインズワース様! もしよろしければ、少しだけ……取材、インタビューをさせていただくことは可能でしょうか……!?」
『嘘だろ行った!?』『死んだ』『テツロウ逝ったあああ』とコメント欄が爆発的な勢いで流れていく。
死を覚悟して身を縮こまらせたテツロウに対し、黒いドレスの少女は緩やかに振り返った。
「……あら?」
真白才子は、血と硝煙が立ち込め、四十もの十字架が林立する惨劇の地に似合わぬ、どこまでもまろやかで可憐な微笑みをその唇に浮かべた。黒い絹手袋を嵌めた手を上品に口元へ添え、小首を傾げる。
「ええ、構わないわ」
鈴を転がすような美しい声で、あっさりと快諾が返ってきた。その一言に、テツロウは心底安堵して危うくその場に崩れ落ちそうになった。
才子が細い指先をほんの少し上へ向けると、ギギギ……と校舎の方角から重い破壊音が響いた。
一階にある校長室の割れた窓から、重厚な革張りの応接用椅子が二脚、見えないサイコキネシスの手によって強引に引きずり出されてきたのだ。
宙を滑るように運ばれてきた椅子は、才子とテツロウのすぐ近くに向かい合わせで寸分の狂いもなく静かに並べられる。
才子は破れた黒いドレスの裾をふわりと片手で優雅に整えると、まるで一流ホテルのラウンジにでもいるかのような完璧かつ上品な所作で、泥の上の椅子へ深く腰掛けた。足を細く優雅に組み、絹手袋の指先を膝の上で揃えると、極限の緊張で固まっているテツロウへ向けて優しく手招きをした。
「どうぞ、お座りになって?」
グラウンド一面に林立する40個の十字架と、そこに磔にされ浅い呼吸と呻き声を上げるヒーローたち。
その異様な処刑場の真ん中で、まるで高級ホテルのラウンジでお茶会でも始めるかのような狂気的な空間が、一人の配信者と魔王の娘の間で作り上げられようとしていた。
Part6、ノーブルレディの声明
血の匂いが重く立ち込め、四十もの鉄の十字架にプロヒーローたちが磔にされた異様な空間。
その中央で、破れた黒のアフタヌーンドレスを纏う真白才子——バロネス・エインズワースと、校長室から引きずり出された高級革張り椅子に向かい合って腰掛けたテツロウは、恐怖で喉を鳴らしながら自撮り棒のカメラを才子の可憐な顔へと向けた。
コメント欄は、同接続数100万人を突破し、画面が追いつかないほどの勢いで高速で流れ続けている。
『おいマジで座ったぞ……!』
『空気感やばすぎるだろ』
『バロネス、めちゃくちゃ綺麗だけど後ろのヒーローたちが地獄絵図すぎる』
『質問しろテツロウ!』
テツロウは激しく鼓動する胸を指で叩いて落ち着かせると、引きつりそうな表情を必死で取り繕い、震える声でマイクを向けた。
「さ、早速なのですが……っ! 今、この配信を世界中……そして日本の無数のリスナーの方々が見つめています。皆様に向けて、何かメッセージがあれば……お伺いしてもよろしいでしょうか……!?」
死の恐怖と引き換えに掴み取った、歴史的な独占取材。
テツロウの問いかけに対し、才子は黒い絹手袋を嵌めた両手を膝の上で上品に重ね、カメラのレンズ越しに、かつてテレビ画面で見せていたような——どこまでも可憐で、まろやかな微笑みを投げかけた。
「ええ、喜んで」
鈴を転がすような、透き通った美声がマイクを通じて世界中へと拡散されていく。
「お久しぶりです、日本の皆様。私はバロネス・エインズワースです……でも、昔は別の名で呼ばれていたのですけれど。知っていらっしゃる方は知っているでしょうが……『真白才子』と呼ばれていた頃もありましたわ」
自ら過去の素性を隠すことなく口にした才子は、ふっと目を細め、どこか懐かしむような、それでいて底知れぬ悪徳を孕んだ笑みを浮かべた。
「あの頃は、日本の皆様には大変……『お世話になりましたわ』」
「お世話になった」という言葉の裏に含まれた、あまりにも重い過去の棘。テツロウの背筋にゾクリと冷たいものが走る。だが、才子は可憐に首を傾げ、打ち消すように優しく手を振ってみせた。
「あぁ……誤解なさらないでくださいね? 私は何も怒っておりませんわ。……そのおかげで、オール・フォー・ワン先生の庇護下に置かれたのですから。むしろ、感謝しているくらいですの」
『オール・フォー・ワン』——その絶対悪の名が彼女の口から滑り出た瞬間、配信のコメント欄が凍りついたように静まり返り、直後に絶望と恐怖の悲鳴で埋め尽くされた。
「今は先生に姓をいただいて……『死柄木才子』と名乗っていますのよ。それに、名乗る機会がありませんでしたが……先生には活動の名として、『ノーブルレディ』という名もいただいたのです」
才子は黒いドレスの裾をふわりと揺らし、自らの新たな「名」を慈しむように呟いた。そして、極限の緊張で汗だくになっているテツロウへと、甘く優美な視線を注ぐ。
「なので……テツロウさんでしたかしら? 今後は『レディ』と呼んでいただけると、嬉しいですわ」
地獄の磔刑場の真ん中で、甘美な微笑みをたたえながら自らを「死柄木」と名乗り、新たな悪徳の象徴『ノーブルレディ』としての名を世界へと宣言する少女。
その圧倒的な気品と狂気に気押され、テツロウはただ息を呑み、何度も何度も小さく頷くことしかできなかった。
Part7.ノーブルレディの主張
レディ……と、お呼びすればよろしいのですね」
緊張で喉を鳴らしながら、テツロウは手元のスマートフォンへと目を落とした。画面上のコメント欄は、彼女が明かした「死柄木才子」という名と「オール・フォー・ワン」への心酔によって、目視では追い切れないほどの速度で大炎上と狂乱の渦に包まれていた。
『AFOの弟子ってマジかよ……』
『死柄木才子!?』
『おいテツロウ、なんでヴィラン側にいるのか聞け!!』
『あんな悪党になんで味方してんだよ! 逃げるなテツロウ!!』
『これ聞いてくれたらスパチャ10万投げる』
画面を埋め尽くす大量の要求コメント。その中から、誰もが喉から手が出るほど知りたいはずの、そして最も触れてはならない禁忌の質問がテツロウの目に留まった。
(……正気かよお前ら。そんなこと聞いたら、次の瞬間に俺の首が飛ぶかもしれないんだぞ……!?)
ひんやりとした死の恐怖が背筋を駆け上がる。一歩間違えれば、背後に聳え立つ四十個の鉄の十字架の仲間入りだ。だが、ここで日和った質問を投げれば失笑を買って同接は冷め、かといって踏み込めば命の保証はない。配信者としての業と、生き残りたいという本能が激しくせめぎ合う。
心臓が肋骨を裏側から叩き割らんばかりに脈打ち、冷や汗のひとしずくが額から泥の上へぽたりと落ちた。汗で滑るマイクを必死に握り直し、テツロウは何度も言葉を詰まらせながら、覚悟を決めて口を開いた。
「え、えーと……レディ。貴女がこれまで行ってきた社会的活動や慈善事業の取り組みは、本当に……本当に素晴らしいものでした。そんな、誰よりも素晴らしい貴女が……」
一瞬、喉が完全に突っかかった。言って本当に大丈夫なのか。極限の躊躇が思考を焦がす。だが、全世界の同時接続数が跳ね上がっていくメーターが、彼の背中を狂気的に押し出した。
「……オール・フォー・ワン氏が、世界的に最悪の『悪人』であることは……周知の事実です。そんな……そんなお方にお仕えし、従っていらっしゃるのは、一体なぜなのでしょうか……?」
言っちまった、とテツロウは心の中で絶叫し、反射的に身をすくめた。コメント欄が一瞬で「逝った」「死んだ」「合掌」の文字で埋まる。
だが——才子は怒るどころか、どこか慈愛すら感じさせる深みのあるまろやかな微笑みを浮かべた。組んでいた脚を緩やかに組み替え、絹手袋に包まれた指先で自身の可憐な顎を軽く撫でる。
「あら……簡単なことですわ、テツロウさん」
周囲の十字架で蠢くヒーローたちの呻き声すら、彼女の鈴を転がすような美声によって覆い隠されていく。
「あの方は、私の生涯の恩人ですの。傷つき、追い詰められた私に手を差し伸べ、居場所を下さった……。己の恩人に恩を返すのは、人として当たり前のことではなくて?」
あまりにも当然と言いたげな、純粋すぎる悪徳。さらに才子は、遠くの青空を見上げるように視線を少し泳がせると、教養を感じさせる滑らかな口調で言葉を続けた。
「それに……そもそも『善』や『悪』の基準なんて代物は、時代や背景によって幾らでも塗り替わるものではありませんか?」
「え……?」
「かつての大航海時代における苛烈な植民地政策然り、聖戦の名のもとに侵略を繰り返した十字軍然り……あるいは、当時の正義を疑わなかったナチス・ドイツ然り」
歴史上の凄惨な過ちを淡々と、しかし優雅に並べ立てる才子。その言葉には、ただの狂人にはない恐ろしいまでの理屈と説得力が宿っていた。
「その時代の勝者や多数派が『正義』を定義し、敗者に『悪』の烙印を押してきただけに過ぎません。あの方の掲げる理想も、未来の歴史から見ればただのひとつの変革に過ぎないかもしれない……そう思いませんこと?」
首を少し傾け、どこまでも淑やかに、そして当たり前のように問いかけてくる才子——ノーブルレディ。
その言葉がマイクを通し、生配信の電波に乗って世界中へ拡散された直後。テツロウのスマホ画面は、目にも留まらぬ速度で流れるコメントの暴風によって完全に埋め尽くされた。
『……おい、なんか一理あるように聞こえてきたのが一番怖いんだが』
『待って、言ってることめちゃくちゃ筋通ってね?』
『善悪は勝者が決める歴史の真理じゃん。AFO側からの視点だとそうなるのか』
『ノーブルレディ美しい……悪のカリスマすぎるだろ』
『いや騙されるなよ!! 周り見ろよ十字架にヒーロー吊るしてんだぞ!!』
『屁理屈こねてんじゃねえよヴィランが! ナチスを引き合いに出すな!』
『でも実際、絶望の中にいた彼女を救ったのがAFOだったなら……彼女にとってはAFOこそが「ヒーロー」だったってことかよ……』
『恩返しって言われたらぐうの音も出ないわ……洗脳されてるよ完全に』
『正論かましてる気になってるサイコパス』
『レスバ強者すぎて草。投げ銭するからもっとレディの哲学語らせてくれ!』
肯定、共感、戦慄、怒り、そして困惑。
無数の価値観が激突し、リアルタイムで社会の評価が真っ二つに割れていく。画面上の数字は爆発的な勢いで跳ね上がり、同時接続者数はついに未知の領域へと足を踏み入れていた。
自分たちのすぐ後ろで、四十個もの鉄の十字架に吊るされたプロヒーローたちが血を流して呻いている。そんな地獄のような惨劇のど真ん中で、彼女の語る「洗練された悪の哲学」は、画面の向こうの視聴者たちを底なしの困惑と魅了の渦へと引きずり込んでいた。
(……賛否両論どころじゃない、ネット全体が完全に狂い始めてる……!)
テツロウは、手元の画面で激しく流れるコメントの速度に目が眩みそうになりながらも、ある一つの強い反論が大量の「いいね」を集めて画面上部に固定され続けているのを目に留めた。
それは、才子の「恩返し」という言葉に対する、極めて人道的で強い反発だった。
『恩人だと思うなら、間違った道に進んだときに命がけで止めるのが本当の恩返しだろ!!』
(……このコメント、確かに一理ある。だが……これを聞いたら『アンタの恩人は間違ってる』って直接突きつけることになるぞ……!)
背中に嫌な汗が伝う。すぐ後ろには、四十個もの鉄の十字架にプロヒーローたちが血を流して吊るされているのだ。一歩間違えれば自分の命がない。しかし、画面の向こうにいる100万人の視聴者たちが、テツロウがこの質問を投げるのを固唾をのんで見守っている。配信者としての業が、彼の背中を強く突いた。
テツロウは何度も喉を鳴らし、命綱を握りしめるようにマイクを強く握り直すと、震える声を精一杯整えて口を開いた。
「レ、レディ……今、視聴者の方から非常に多くの反応が寄せられていまして……その、ひとつ、このような意見が上がっております……」
「あら、なぁに?」
才子は首を少し傾げ、黒い絹手袋を嵌めた指先を頬に添えながら、どこまでも寛容な笑みで先を促した。
「『もし、本当にそのお方を恩人と思うのであれば……その恩人が間違った道に逸れ、世界を傷つけようとしている時、それを命がけで止めることこそが……本当の恩返しなのではないか』……と」
言った。ついに口にしてしまった。テツロウは全身の血が引いていくのを感じ、反射的に身をすくめて才子の顔色を窺った。コメント欄が一瞬で「テツロウマジで聞いたぞ」「死んだ」「合掌」といった悲鳴で埋まる。
だが、才子は腹を立てる様子など微塵も見せなかった。
「間違ったこと……ふふ、可哀想に。貴方たちは本当に、教養と歴史の観察が足りていらっしゃらないのね」
才子は「可笑しなことを言うのね」とでも言いたげに、くすりと可憐に微笑むと、黒いアフタヌーンドレスの裾をふわりとなで下ろし、教養に満ちた滑らかな口調で語り始めた。
「確か……ナポレオン・ボナパルトだったかしら。彼が流刑地のエルバ島を脱出し、再びパリを目指して進軍した際、当時の新聞記事がどのように彼の評語を変えていったか、ご存じ?」
テツロウが呆然と首を横に振ると、才子は美しい指先をひとつずつ折り曲げながら、鈴を転がすような美声でその有名な歴史の掌返しをなぞってみせた。
「最初は『人喰い虎、流刑地を脱出』と凶悪な犯罪者のように扱い……次には『流血の悪魔、プロヴァンスに上陸』……そして彼が着実に支持を集め、パリに近づくにつれて『ボナパルト将軍、グレノーブルに入城』……最後にはどうなったと思うかしら?」
才子は可憐な唇を歪め、心底楽しそうに目を細めた。
「——『皇帝陛下、本日パリにご帰還』。……ふふ、可笑しいでしょう?」
言葉の裏に秘められた圧倒的な毒と説得力に、テツロウは息を呑んだ。
「渦中にいる時、敗北者や異端に対して世界は容赦なく『悪』や『間違い』の烙印を押して罵倒しますわ。ですが……明日、世界がすべてオール・フォー・ワン先生の足元にひれ伏すことになった時、人はそれでも『先生は間違っていた』などと言えるのかしら?」
才子は膝の上で上品に重ねた黒い絹手袋の手を緩やかに広げ、背後に広がる惨劇——四十個の十字架と血に塗れたヒーローたちを一切見ることなく、静かに問いかけた。
「歴史を創るのは、いつだって勝利者です。……ならば、先生を勝利へとお導きすることこそが、私の正義であり、最高の恩返しではなくて?」
洗練された言葉と、あまりにも完璧な悪のロジック。才子(ノーブルレディ)のその返答がマイクを通して世界中へ配信された瞬間、画面上のコメント欄は再び狂乱と戦慄の渦へと叩き落とされた。
【生配信コメント欄】
@ユーザー1: ナポレオンの新聞報道の例え出してくるの狡いだろ……!!
@ユーザー2: 掌返しの歴史を持ち出されたら何も言えねぇよ……
@ユーザー3: 「勝てば官軍」をこれ以上ないくらい優雅に語ってて寒気がした
@ユーザー4: 正論っぽく聞こえるけど、やってることは単なる力による支配だろ! 惑わされるな!
@ユーザー5: でも事実、もしAFOが勝ったら今日のこの配信も「新時代の幕開け」として教科書に載るってことかよ……怖すぎるわ
@ユーザー6: レディの言ってること、完全に「勝利者の歴史観」なんだよな……ヴィランの思想として完成しすぎている
@ユーザー7: 恩返し(世界を足元にひれ伏させる)スケールが狂ってて好き
@ユーザー8: 説得力が凄すぎて、一瞬「AFOが勝った方が正解なのか……?」って思考がバグりそうになった
@ユーザー9: 綺麗な顔と優しい声でエグい思想語るの最高にノーブルレディしてて震える
「……っ」
圧倒的な威圧感と、逃げ場のない論理の完璧さに、テツロウはただただ圧倒され、言葉を失って固まるしかなかった。
Part8。ノーブルレディの慈悲
コメント欄の流れる速度は落ちるどころか加速し続けていたが、その色彩は次第に「思想への議論」から「目の前の惨劇に対する生理的な悲鳴」へと塗り替えられていった。
画面の向こうに映り続けるのは、初夏の強い日差しのもと、四十個もの鉄の十字架に固定され、だらりと首を垂らすプロヒーローたちの姿だ。肉に食い込む金属線、傷口から流れて乾いた血の跡。中央の十字架には、かつて市民の希望だったスノーホワイトが無惨に吊るされている。
『頼むから画面をヒーローの方に向けるな、痛々しくて見ていられない……』
『頼むよ……もう勝負はついたろ……? 病院に送ってやってくれ』
『レディ、お願いします……スノーホワイトを助けてください……!』
『せめて応急手当だけでも……! お願いだから!』
画面を埋め尽くす懇願の数々。テツロウは画面の熱気と背後の冷徹な惨劇の狭間で、震える唇を開いた。
「レ、レディ……コメント欄には……いま、彼らの惨状を憂う声が殺到しています……。『あまりにも痛々しくて見ていられない』『病院に送ってあげてほしい』……そして、『どうかスノーホワイトを助けてほしい』と……リスナーの多くが貴女に懇願しています……」
命がけの問いかけ。だが、才子は可憐な眉をほんの少しだけ悲しげにひそめ、首を静かに横に振った。
「それは出来ませんわ」
きっぱりとした、だがどこまでも穏やかな拒絶。
「この偽善者たちは、私から先生への『貢ぎ物』なのですから」
物ではなく、命あるヒーローたちを「先生への贈り物」と言い切る底知れぬ狂気。その冷酷な一言が電波に乗った瞬間、配信のコメント欄は激しい非難と不快感で埋め尽くされた。
【生配信コメント欄】
@ユーザー1: 貢ぎ物……!? 人間を物みたいに言うなよ!!
@ユーザー2: 結局ただの血も涙もないヴィランじゃねえか……さっきまでの美しい言葉が全部茶番に見えてきた
@ユーザー3: 痛々しくて見てらんないわ、ガチで胸糞悪い
@ユーザー4: スノーホワイトがあんなにボロボロなのに「貢ぎ物」とか悪魔かよ……
@ユーザー5: どんだけ説得力あること言ったって、やってることが拷問と見せしめじゃ応援なんかできるかよ!
@ユーザー6: 命をなんだと思ってんだ……胸が痛い……
@ユーザー7: 思想は凄かったけど、やっぱりこの女は救いようのないサイコパスだ
@ユーザー8: テツロウもういい、配信切って逃げろ!
コメント欄を埋め尽くす否定的な嵐など、才子の世界には届かない。
だが、不意に——才子は何か素晴らしいアイデアでも閃いたかのように、可憐な瞳を大きく見開いた。
「——そうだわ」
ぱんっ、と黒い絹手袋を嵌めた両手を優雅に一回叩く。可憐な少女が思いつきでお菓子を分けるかのような、無邪気で無垢な仕草。
「どうかしら? 『先生に従う』とここで約束してくださるのなら……その方の個性だけは奪わずに見逃してくださるよう、私から先生へ嘆願してあげますわよ?」
才子のその甘い提案は、ただの優しさなどではない。誇り高きヒーローの尊厳を根底から踏みにじり、己の支配下に引きずり込むための毒蜜だった。
言葉は、十字架に磔にされた三十数名のヒーローたちへ届くよう、グラウンド全体へと優しく響き渡った。
「……っ」
広場を包み込むのは、刺さるような重苦しい沈黙。
誰一人として悪に屈するわけにはいかない。プロとしての矜持、正義への誓い。しかし、両手脚を砕かれ、全身を粗悪な針金で縛り付けられた絶望の恐怖、そして何より「個性を奪われる」というヒーローにとっての死以上の絶望が、彼らの精神を刻一刻と苛んでいた。
静寂の中、荒い呼吸音だけが響く。
そして——数分にも思える長い沈黙の果てに。
才子のすぐ近く、右手に立つ十字架に吊るされていた一人の女性ヒーローの唇から、かすれた悲鳴のような声が漏れ出た。
「お……お願い……助けて……ください……ッ」
涙と血に塗れた顔を上げ、女性ヒーローはプライドも何もかもを捨て去った絶望の瞳で才子を見つめていた。
「お願い……助けて……何でも……何でもするからッ!!」
「ええ、賢い選択ですわ」
才子は心底嬉しそうに微笑むと、細い指先を緩やかにひと振りにした。
バチンッ! ガギィンッ!
女性ヒーローの両腕と胴体を固く縛り上げていた鉄の針金が、念動の手によって一瞬で引きちぎられ、弾け飛んだ。拘束から解放された女性ヒーローの肉体が空中へ投げ出されるが、地表へ激突する直前、才子のサイコキネシスがそっとその身体を受け止めた。
才子は自ら立ち上がり、泥の上にそっと優しく彼女の身体を寝かせてやった。黒いドレスの裾を揺らし、泥に塗れた女性ヒーローの額を絹手袋の手で撫でてやる姿は、まるで傷ついた小鳥を介抱する聖女のようであり、同時に、一人の人間を完全に屈服させた絶対的な支配者のようでもあった。
その光景を目撃した100万人の視聴者は、画面の前で言葉を失い、コメント欄は凄まじい衝撃と混乱に包まれた。
@ユーザー1: あ…………屈服しちゃった…………
@ユーザー2: 嘘だろ……プロヒーローが……折れた……?
@ユーザー3: 責められないよ……あんな地獄で見せしめにされたら誰だって折れる……
@ユーザー4: 助けてくれたのは事実だけど、やり方が悪魔すぎるだろ……人心掌握のバケモノかよ
@ユーザー5: 優しく寝かせてあげてるのが逆に怖すぎて鳥肌立った……
@ユーザー6: 屈服させた……ヒーロー社会の終焉ってこういうことか……
@ユーザー7: 助かりたいなら悪にひれ伏せってか……ノーブルレディ、マジで底が知れない
@ユーザー8: これ他のヒーローたちも雪崩打って折れるぞ……地獄だ……
手懐けた猛獣に注ぐような甘美な眼差しで女性ヒーローを見下ろす才子。
その横顔には、力による破壊よりも遥かに深く絶望を刻み込んだ者だけが浮かべる、完璧で冷酷な満足感が満ち溢れていた。
Part9。ノーブルレディの同志たち
テツロウのマイクが拾う才子の声は、殺伐とした惨劇の場に不釣り合いなほどあたたかく、そして甘やかだった。
「先生に従ってくださるのなら……その方は、私の大切な『同志』ですわ。どのようなお立場であれ、私にできる力の及ぶ限り、全力でお助けしたいと思っていますの」
黒い絹手袋を嵌めた手を胸元にそっと当て、慈愛に満ちた笑みを湛えて言い放たれたその一言。
カメラを真っ直ぐに見つめ、可憐に微笑みながら紡がれたその言葉は、画面の向こうで抑圧され、鬱屈した欲望や不満を抱えていた者たちの理性を内側から破壊する、最悪の福音(トリガー)となった。
——『同志』。
——『力の及ぶ限り助けたい』。
絶対的な武力と圧倒的な気品、そして「勝利者の正義」を説く美貌の悪魔が差し伸べた救いの手。
これまで社会的弱者として日陰を歩んできた者、ヒーロー社会に不満を抱いていた愚連隊、行き場を失った野良ヴィラン、さらには独自の正義で暴走しかけていた自警団の面々にとって、その言葉はただの勧誘ではなく、甘美で絶対的な解放の神託として響き渡ったのだ。
『同志……! ノーブルレディが俺たちを肯定してくれた……!』
『AFOの威光とレディの力があれば、もう警察もヒーローも怖くないんじゃないか!?』
『見ろよ! 降伏したヒーローを本当に優しく介抱してるぞ!!』
『あのお方に認められたい……!』
『おい、みんな小学校へ向かうぞ!! レディに忠誓を誓うんだ!!』
生配信を通じて毒に侵された世論の狂騒は、配信の同接が数百万へと跳ね上がるにつれ、一気に現実の暴動へと波及していった。
夕刻、橙色の斜陽がグラウンドに林立する四十個の鉄の十字架と、そこに磔にされたヒーローたちの影を長く引き伸ばす頃。
小学校の周囲を固めていた警察の警戒態勢と厳重な封鎖網は、才子の発言に触発された者たちの怒濤の奔流によって、内と外からあっけなく崩壊を迎えていた。
「抑えきれない! 警察機構の指示に従え! 引き返せ!!」
「退け警察ども! 俺たちはレディに会いに行くんだよ!!」
怒号と悲鳴が飛び交い、警棒と盾を構えた警察官たちが、雪崩のように押し寄せる暴徒の群れに飲まれていく。自警団を名乗る腕自慢たちや、裏社会から這い出してきた野良ヴィランたちが、個性を剥き出しにして強引に防衛線を突破していった。
ガガガッ、と打ち破られた校門を抜け、続々とグラウンドへ雪崩れ込んでくる異形と狂暴な熱気。
彼らが目にしたのは、朱色の夕日に照らされて禍々しく聳え立つ四十個の鉄の十字架と、そこに血と泥に塗れて吊るされたプロヒーローたちの無残な姿。そしてその中央で、高級革張り椅子に優雅に腰掛け、自分たちを静かに見下ろす真白才子——ノーブルレディの姿だった。
「「「……っ!!」」」
濃厚な血の匂いと、絶対者の圧迫感に、乗り込んできた荒くれ者たちが一瞬で息を呑み、圧せられてその場に平伏しそうになる。
だが、彼らの中から数名の男たちが恐る恐る、しかし誇らしげに才子の前へ進み出てきた。その手には、どこかの高級デパートか資産家の邸宅から強奪してきたのかも分からない、絢爛で豪奢な金縁の磁器製ティーセットと、芳醇な香りを漂わせる紅茶の茶葉が大事そうに捧げ持たれていた。
「レ、レディ……! 俺たちも……俺たちも貴女の『同志』として迎え入れてほしい! これは……その、粗末な場所ですが……貴女をおもてなしするための献品です……っ!」
男たちが手早く広げた折りたたみテーブルの上に、湯気を立てる完璧な紅茶と白磁のカップが恭しく並べられる。
四十個の十字架に囚われたヒーローたちが苦悶の呻きを上げ、惨劇と狂気が充満する地獄のような広場。その真ん中で、無法者たちに囲まれながら、才子は嫌悪感を示すどころか、可憐な瞳を嬉しそうに細めた。
「あら……まあ。大変素晴らしい心掛けですわね」
才子は黒いアフタヌーンドレスの裾をふわりと揺らして立ち上がると、黒い絹手袋を嵌めた手で繊細な陶器のカップを優雅に持ち上げ、そっと口元へと運んだ。
「お心遣い、感謝いたしますわ。……ようこそ、私の愛しい同志たち」
たったそれだけの言葉に、群がるヴィランたちは歓喜の声をあげ、己の存在価値を見出したかのように顔をほころばせる。
初夏の強い風と血の匂いが立ち込める中、盗品と思しき優雅なティーセットを前に一口含み、狂暴で甘やかな笑みを深める魔王の娘。絶望と混沌のグラウンドの上に、今や誰も抗えぬ「圧倒的な悪の王国」が確立されようとしていた。
Part10。スノーホワイトの切り札
「レディ」
インカムから流れる静かな雑音を突いて、識の能面のように冷ややかな声が届いた。
「周囲の警察線は完全に崩壊し、無秩序な群衆が押し寄せています。これより先、遠方からの単発の狙撃では、レディの死角を狙う不確定要素を排除しきれません。……私も小学校の敷地内へ移動し、貴女の近くに陣取らせていただきます」
「そう……、構わないわ、識。貴女が近くにいてくださるなら、心強いわ」
ティーカップを傾け、可憐に微笑みながら才子は短く応じた。
「気をつけて」
「了解しました」
その会話を、背後で微かな意識の糸を辿りながら聞いている存在があった。
中央の十字架に吊るされたスノーホワイト——北国雪愛である。
彼女が惨劇のただ中で気絶し、再び意識を取り戻した時には、すでにこの鉄の十字架へと固く磔にされた後だった。絶望的な状況の中、雪愛は才子や周囲の目を盗み、数時間という途方もない時間をかけて極小の冷気を放ち続けていたのだ。
肉眼では捉えきれないほどかすかな冷気で肌の表面に霜を降らせ、針金の隙間に微小な氷柱(つらら)を形成する。水が氷に変わる膨張圧で脆くなった鉄の針金を内側からじわじわと押し広げ、ブツンと断ち切る。その破断した断面を即座に冷気の氷で固定し、外見上は縛られたままに見せかけながら、いつでも一瞬で脱出できる状態へと——数時間分の執念を結集させて、ついに準備を完了させていた。
才子が無法者たちの献品に気を取られ、識が位置につくために移動を開始したこの瞬間。才子の隙を伺い、最期の賭けとなる奇襲の機を静かに狙っていた、その時だった。
「よぉ……スノーホワイトさん。まぁ俺には『風紀会長』の、方が馴染み深いけどな」
「……ッ!?」
耳腔を揺らしたその声は、酷く軽薄で、酷く懐かしく、そして何より——雪愛の記憶の底にある最低な思い出を呼び覚ます音色を帯びていた。
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今更ながらR指定は必要と思いますかね?
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要らない
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